とある戦場 二
第百三十三節
「我々は攻め、敵は自国を守る。そして此度の我々の侵攻には、別動隊と元帥閣下指揮下の我らが軍による、二正面作戦を展開している」
「我らと別動隊は同規模の兵数を擁し、敵も必ず二つに軍を裂かなければならなかった。”赤”の軍勢は我が軍の別動隊との対峙をしていた事は三日前の報告からも明らかだった」
「この二つの戦場の距離はかなり離れている。故に貴官らはこの距離を敵が踏破出来る筈がないと考えたのであろう?」
「そうです。敵が移動したのが二日前だと仮定しても、異常な進軍速度です」
「そうだな。明らかに現実では考えられない速度の行軍だ。しかし、この距離は敵には適用されない。これは我々にとっての距離だ」
「我が軍は攻め手であり、敵に包囲網を敷いた状態で今回の作戦は立案されている。つまり、敵は自国内をなんの憂いもなく機動が可能な状況で、一方我が軍は敵の領土の外側から攻めるが故に、敵よりも外周距離が増え同時に機動距離が伸びてしまう。敵は我が軍よりも内側にあるため、移動距離が短く済む」
「つまり、敵は我々より最短で移動が出来、かつ自国内の行軍可能地形を我が軍よりも知り尽くした地の利、内戦戦略上の有利を存分に生かしたというのが、今回の左翼奇襲になる訳だ。別働隊の伝令がもたらされるよりも敵の出現が早かったのは、この内戦の利を活用したという事だ」
もっとも、皇帝陛下や元帥閣下が本気の機動戦術を行ったら、不可能と思える行軍速度も実現させられるだろうがな……。
「敵の兵種は騎兵のみであった。これから考えられるのは、敵は騎兵を先行させてその機動性を生かした奇襲であり、速度の遅い歩兵と分離させた行軍であるという可能性がある。もう一つは、騎兵のみでの奇襲に撃って出たかのいずれかだ。この二つの違いは何だ?」
「はッ! 敵が騎兵だけで攻めて来ているのであれば、現状の左翼の奇襲という事実のみです。ですが、敵歩兵がこの戦場に遅れてやって来るとなると、そのまま歩兵も左翼を攻めれば左翼はさらなる損害を被る事は必然です」
「それに加えるならば、なにも我が左翼にそのまま攻めなくてもいい。中央への援軍、または我が右翼に迂回しての挟撃など、敵の取りうる策の幅が広がるというものだ」
「……では、敵の歩兵は」
「私なら間違いなく歩兵を遅れてでも行軍させる。その分、別働隊に対峙する戦力は落ちるかもしれないが、この奇襲が成功すれば敵は大いに有利な状況になる。この戦場に勝利したら元の戦場に軍を急行させ、我が別働隊をも撃破する。各個撃破戦法も狙っているのは間違いなかろう」
「それでは我が軍の不利ではないでしょうかッ!? 我が軍が有利な状況ではないと小官には感じられます」
「歩兵が来れば不利にはなろう。だが、歩兵が来るまでの間は圧倒的に我が軍が有利だ」
そう、歩兵が来るまでの間はな………。
「敵は内戦の利を持っての行軍をしたとはいえ、我らの伝令よりも早く移動する行軍速度であったという事は、少なからず無茶な行軍も強いられたであろう。今は奇襲成功により士気が高揚しているだろうが、馬も兵も少しの時間が経てば疲弊の色も見せよう。そして、敵の赤の軍勢を率いているのは、恐らくあの王であろう。あの王さえ討ち取ってしまえば我が軍の戦況は、いや、この戦いの勝利を収めるのは我ら帝国だ」
「元帥閣下はこの好機を捉えようとお考えになっているのだ。だからご自身の精鋭のみを率いて左翼の増援に向かわれた。それに左翼の少将は守りながら攻めるのに長けた将である。今の戦況は両指揮官の指揮能力、温存していた中央本軍の兵、そして我らの兵の質を考慮すれば、この時だけは我が軍の有利と言える」
「しかし、我らが敵の王を討ち取る有利でもありますが、敵も我らが元帥閣下が出陣したとあっては元帥閣下を討ち取ろうと躍起になるのでは」
「それが敵の本当の狙いだろう。我が左翼の奇襲を狙っているのではない。敵は我らが元帥を誘き寄せるために、敵の王が前線に出陣し、あえてこの瞬間を作り出したのだ」
「で、では敵も危険を承知の上でこのような戦況を作り出したと」
「リスクを犯さずしてどのように勝利を収めるのだ。勝機は勝手にやってくるものではない。自らの手で創り出し、勝ち得るものだ。元帥閣下もご自身の命の危険性を理解した上で出陣なさった。それを送り出す我々が、この右翼にも少しぐらいの危険が生じるのも承知の上で、予備軍の兵をお送りするのは当然だ。元帥閣下は我々以上の危険に脅かされる境地に、自ら赴かれるのだから」
「閣下ッ! 我らの浅慮な知恵で具申致した事を深くお詫び申し上げますッ!!」
再び深く頭を下げた側近達は、自らの知恵の無さを詫びた。
……こんな時にアイツがいればこんなやり取りもしなくて済んだ。アイツは私の考える事を私が口にしなくても既に考えついており、その考えに基づき行動出来る友だった。先に旅立たれた日から私の苦労は今日まで尽きない。
学校という制度の素晴らしさは兵や士官達の育成の一助になっているが、戦場の空気までは教えてくれない。
戦場の危険で残酷な香りを嗅ぎ分ける嗅覚は、実際に立ってみないと磨かれる事はない。だからこそ、この者達にも教え磨き上げるのだ。私は教えるのは嫌いではないしな。
まぁ、後から聞いた話しでは、私の教育を受けた者が強くなりすぎたが故の失敗もあるが………。
三年前の小国との戦争で多くの側近達を失い、後方任務にあった士官達が我が陣営にも派遣され私を補佐してくれているが、戦況面での補佐にはなっていない。
無理もない話しだ。彼らは元は兵站管理をしていた逸材達だ。作戦戦略を練る参謀本部のような後方ではないから仕方がない。この場にいる新たな側近となった彼らには何の落ち度もない。恐らく帝国内の権力のしがらみが、このような事態を招いているのであろうがな。
むしろこの側近達は、新たな任務に投じられても心を砕かせる事なく、忠実に自身の職責を果たそうと常に考え続けて、言いづらい事を具申する優れた士官であると言える。この者達に戦争とは何かを伝え、私は私の職責を果たしたいと心動かされる。
そして、次に訪れる戦況の変化が予測出来るからこそ、我々に求められる務めにも最善を尽くす。
「よい。貴官達は自らに求められるべき務めを果たしたまでの事。貴官らの具申に私は感謝する」
「閣下……」
「それよりも、我々はこれより次の戦場の変化に対応をする事が現状求められてくる」
「戦場の変化……ですか」
「あぁ、そろそろ別の伝令も届く頃合いだろう」
「伝令ッ! 敵中央より我が中央本軍に苛烈な猛攻を受け始めましたッ! 敵の猛攻に押されつつありますッ!!」
「やはりな。敵の旗印は確認出来たか?」
「はッ! 旗印は“黄”ですッ!」
「何だとッ!? まさか敵将は……」
これは私の予想の範疇を超えていた。まさかあの“黄”の猛将と麾下の兵を潜ませていたとは。敵中央軍の将は別の者だった筈。……おのれ、情報を伏せておいたとは。
「閣下、敵の狙いは何でしょうか?」
「この動きは間違いなく我が左翼への奇襲と連動した策だ。敵の狙いは我が中央と右翼がそれぞれ増援を派遣した指揮系統の転換点を突き、軍の陣を変更する僅かな指揮の乱れを利用して攻勢に出たのだ」
「そんな用兵が可能なのでしょうか。敵には神算鬼謀に溢れた参謀がいるのでは……」
「否定はしない。さらに敵は我が中央と右翼への攻撃を強める事で、我が左翼へこれ以上増援には行かせない腹があるのであろう。つまり、我が右翼の正念場が訪れたという訳だ」
「伝令ッ! 我が右翼の戦列の第一陣が崩壊ッ! 至急援軍をッ!!」
次々にもたらされる戦況悪化の報は、側近達の顔色を悪くさせていくばかり。わなわなと震えて状況が改善されるわけでもない。ここは檄を発し、右翼全体の士気を高めなければ。
「落ち着けッ! こうしている間にも敵の優位性が増していくばかりだッ!! 敵の左翼指揮官の目的とその役割が判明した以上、我々が今度は反撃するべき時である!!」
「……閣下」
「最前線で戦う部隊長達へ伝令を飛ばせッ! 第二陣から第四陣の隊長達に重装歩兵の守備体形を維持し、敵の侵入を阻め“とッ!」
「これより私が前線に赴き指揮を取るッ!! 右翼の右端に移る!! 右翼本陣指揮は第五陣にいるイザーク将軍に任せると伝えよッ!!」
「貴官達はコリントス将軍が来るのを待ち、その指揮下に加われ」
側近達の顔は先程の顔色よりも青くなり、明らかに動揺がその表情に含まれていた。
「で、ですが閣下が身の危険を犯す前線に赴かれるのに、小官達がここに留まる訳にはッ!!」
「貴官達が私と共に前線に来る事を私は許さない。貴官達にはこれからの未来がある。この右翼本陣に留まり、イザーク将軍をよく補佐せよ。そして、この場所から戦いの結末をよく見ていよ。私が必ずこの戦況不利を覆す」
「閣下ッ……」
「そう悲観した顔をするな。私も元帥閣下に倣って危険を承知で前線に行くだけだ。今は前線に私が出なくてはなならない状況だ。私も私に求められている自分の役割を全うする。では、ここを任せたぞ」
「「「………はッ!!」」」
まだ納得はしきれていないようだが、上官である私の指示に皆は聞き従ってくれた。これで良い。この者達の本領を求められる機会も必ず訪れる筈だ。兵站は戦の要。最も重要な役目である。……この新たな側近達が活躍出来る機会を、私が創り出さなければな。
馬に跨り、僅かな精鋭兵を連れて右翼本陣を離れる。ふと、自分でも無意識のうちに呟いていた。
「どうしようもない状況に陥った筈なのに、私は今、とても充足感に満ちている。……あぁ、やはり戦いとはこうでなくては…な」
その日の戦いで、帝国は奇襲をされながらも最小限の被害でこの日の戦いを終えた。
被害を抑えたとは言え、帝国側の死傷者は一万人を超える大きな損害であった。中央では“黄”の猛将とその兵によって、一時は帝国中央本陣を後退させるまでに至った。
さらに、ドワーフの王と帝国元帥率いる両軍がぶつかるという異様な戦場では、将兵は敵の総大将を討ち取ろうと躍起になり、共に大きな被害を迎えた。准将の予想通り、ドワーフ軍の歩兵が遅れて増援に来た事でこの戦場はさらに激化し、帝国側に沢山の血を流させた。
ドワーフ軍が巧みだったのが、帝国軍右翼准将の述べた馬と兵士の疲労による攻撃限界点を迎える前に歩兵の増援が到着し、騎兵を後方に下がらせ歩兵を前面に押し出す事で戦闘の継続を可能とさせた。無論、ドワーフ軍はこれを計算に今回の作戦に踏み切っていた。
だが、帝国軍も戦術の運用で負けてはいない。この戦場で指揮に当たっていた左翼少将の奇策により、ドワーフ軍にも少なくからずの被害を負わせた。
そして、決定的な戦況変化をもたらしたのは、帝国軍右翼准将が戦況不利を覆す一手を放ち、それはやがて戦場全体に普及した。右翼准将が、帝国軍では珍しい重装歩兵を率いている事が起因となり、その歩兵戦術を前にドワーフ軍左翼指揮官は大いに苦戦した。
右翼准将はドワーフ軍左翼を後退させる事に成功し、敵中央本陣を脅かす程だった。これにより、敵中央本軍と敵右翼も前線を下げざるを得なくなり、敵全体の後退に合わせて右翼准将も、兵を最初に戦列を敷いていた地まで退かせた。もっとも、兵を退かせた要因として最大の理由は別にあった。
ドワーフ軍左翼指揮官もただ敗れただけでなく、軍を大きく元の戦列を敷いていた位置から平行に後退させる事で、右翼准将の軍にドワーフ軍左翼とドワーフ軍中央本陣の兵による挟撃の危険性を伺わせる後退を演じた。この動きを警戒して、右翼准将は後退したのである。
こうして、その日の戦いは決着を迎えた。翌日両軍は睨み合いを続けていたが、驚くべき事が起きる。
帝国軍が撤退をしたのである。それは、たった一通の書状がきっかけだった。
“勅命”である。
前回投稿したタイトルが漢数字ではなかったので、改稿し直しました。
戦場の距離やどのように戦ったかなどを書かないようにしました。後々の楽しみにして頂ければと思います。
次こそカイの考えていた事を書きます。




