とある戦場 一
第百三十二節
「伝令ッ! 伝令ッ! 敵右翼に敵増援が現れ、我が軍左翼に攻勢を掛けてきました!! 戦況は我が軍不利との事です!! 准将閣下には“ 我、左翼に三千の兵と共に出陣す。右翼は中央本軍に援軍を派遣されたし”と、総大将である元帥閣下から御命令です」
「何だとッ!? 斥候の知らせでは左翼の敵兵はごく少数であったという知らせではなかったのかッ!?」
「………他の敵軍はこの戦場の近郊にはいなかった筈だ。一体どこから………」
「伝令兵よッ! 敵兵の色は何色であったかッ!?」
ここは帝国軍のとある最前線の戦場。他の戦場に並び激戦地の一つである。状況が刻一刻と変わる戦場であっても、この急報は我が側近達にも動揺を与えた。
無理もない。我が軍の中で最も有利な戦況の中にあった左翼から、まさか戦況不利の報が届くとは。元帥閣下が動かれるのも当然だ。左翼を指揮するあの男も無能な指揮官ではない。そんな男が戦況不利な状況に陥るなど、異常事態が発生したに違いない。
例えば、予期せざる敵が現れた。それもとてつもなく強大な敵が……
「“赤”です! 赤一色に敵軍は染まっておりましたッ!!」
その知らせは更なる戦慄を与えるには充分な報告だった。
「バカなッ!! 遠く離れた戦場で我が軍の別働隊と相対していた筈だッ!! 別働隊の規模はこの戦場の我が軍と同規模の兵力であったッ! なのに何故この戦場に“赤”の敵兵が現れるッ!?」
「そもそも一体どれだけの距離を移動してきたのだッ!! それにかの戦場より我が軍に何の報告も無かったではないかッ!? “赤”の兵が現れる前に何かしらの伝令が遣わされる筈だろうッ!?」
「……ッ!! いや、待て!! まさか………」
側近達は慌てふためいている。……もう少し冷静に戦況を視て欲しいものだ。
「承知した。我が右翼から三千の増援をお送りすると元帥閣下にお伝えせよ。それと伝令兵よ」
私は側近達の慌てふためき様など無視して、迫られた判断へ返答を返す。同数の兵を援軍として派遣すれば、あの副将なら上手くやってくれるだろうな。
だが、返事を返すだけではわからない事もある。敵の意図を知るために少し確認したい事がある。
伝令兵は、最後に続いた言葉で何を聞かれるのかという戸惑いを、少々大袈裟にハッと顔を上げながら体現したが、そんな事を一々こちらは気にも留めない。
「貴官は敵右翼に現れた増援の兵種についての詳細は知っているか?」
「はッ! 中央本軍に左翼からもたらされた情報では、敵右翼増援は騎兵のみです! 兵数は五千前後かと思われます!!」
「……なるほど。よくわかった。元帥閣下に加えてこう伝えよ。“我、右翼予備騎兵の一部を左翼に増援致す”、と」
「はッ! かしこまりましたッ!!」
伝令兵は急いで踵を返して、その職責の本分を全うするために馬の上に急いで跨り、元帥閣下の元へと走り出す。……良き伝令だ。元帥はよく兵を鍛えておられる事が伺える。私も見倣わねば。
「閣下ッ!! 中央本軍の要請に応じるのはいざ知らず、なぜ予備騎兵を左翼に派遣なさるのですかッ!? 今は我が右翼にも少しでも兵が欲しいところですッ!! 兵を送る余裕などありませんッ!!」
側近の一人は声を荒げて意見を具申する。我が右翼も敵左翼に圧迫されたこの展開にあって、至極真っ当な意見であった。
「だが、もう伝令兵に私の意を伝え終えてしまった。いまさら新たな伝令を派遣するのは時の無駄だと思わないかね?」
少しでも気を落ち着かせようと冗談を口にしてみても、側近達の声高な意見は止む気配がない。
「敵左翼に我が右翼が敗れてしまえば、中央本軍が挟撃の憂き目にあいますぞッ!? 我らが職責を全うしなくてはッ!!」
それは正しい意見だ。我らの役目は敵左翼との対峙、足止め、欲を言えば殲滅。現状は目前に敵が迫っている訳だが。
「そう慌てるな。まだ追い詰められた訳ではあるまい。我が右翼も。我らが左翼も」
「しかし、閣下ッ!! 敵増援はあの”赤“ですッ!! かの戦場からこちらに辿り着く迅速な機動戦術、そして右翼を指揮なさる少将閣下を戦況不利にまで陥れる程の軍の運用! これは尋常ならざる脅威というものです! 現に中央本軍の元帥閣下が動かれる程の事態になっているのではありませんかッ!? それに、我が軍の別働隊はもしかすると……」
「貴官達は何か勘違いをしていないか?」
その場の喧騒は突如として鎮まり、一斉に皆の視線は私へと注がれる。
「な、何を勘違いしていると仰っているのでしょうか? こちらが不利な状況に……」
「敵は敵の有利を生かし、我らは我らの有利を生かした戦況になっただけだ」
「有利ですと? 我らがいつ有利な戦況になったと……」
「今、この時だ」
「……ッ!!?」
側近達は驚愕の表情を浮かべ、何を言っているのか理解出来ないでいるようだった。
「よいか。我が軍の左翼を襲ったのは騎兵であろう事は貴官達も先程聞いたであろう? それも”赤“の騎兵だ」
「は、はい。“赤”と聞けば誰しもが、防備の施された戦列を突き破る騎馬による突撃を想像します」
「そうだ。これまで幾度も我々はあの軍勢に苦汁を舐めさせられてきた。優秀な将兵の多くを失った。その象徴たる“赤の騎馬軍団”を、帝国の者ならすぐに思い浮かぶ」
「それがいかがなさいましたか?」
……全く、少しは考えてくれ。その兵種と我らが敵国に侵攻しているという事実。そして、これまでに我らが行なってきた作戦を。
「閣下。我らは閣下の足元にも及ばない愚者です。どうか閣下のお考えをお教え願えませんか……」
側近達は頭を垂れ、謙った態度で膝を地に着ける。この者達は上官に対する良き心を持った士官達だ。だが、態度が良いだけでは戦場では生き残れない。生きた戦場での側近達への教育はなかなか思うようにいかない。
学校という教育機関だけでは身に付けらられない、戦場の息遣いを感じ取れるようになって欲しいと切に願う。だが、ここで肯定の返事をしてただ享受させるのでは意味がない。
考える土台を既に持っている者達だ。少し方向性を与えるだけで理解出来よう。
「では、貴官らに尋ねたい。帝国の馬と敵軍の馬ではどちらの進軍速度は上だと思う?」
「それは我らが帝国の馬です。我が帝国の馬はこの世界で一番の駿馬でしょう」
「その通りだ。だが、この国においては奴らの方が移動速度は間違いなく上だ」
「そ、そんなッ!? 我が帝国の馬の勇姿は衰えることなどなく、現に敵の馬よりも間違いなく速い速度で、この戦場でも駆け巡っていますっ!!」
この側近の言葉は正しい。さっきの伝令兵の馬と、いま我が軍の前に迫り来る敵の騎馬突撃を観ても、その速度の差は歴然だ。
「貴官の弁は正しい。だが、私はこう言った筈だ。この国においては、と」
「この…国ですか?」
「あぁ。ここは帝国の敵地。つまり奴らの祖国、奴らの庭だ。地の利は向こうにある」
いや、ここで言う地の利は違うな。もっと的確な言葉で伝えねばな。
「地の利。それも、ただの地の利ではない。内戦の利だ」
また気分転換に書いてみました。
帝国軍の准将から元帥までは下士官から呼ばれる敬称を“閣下”呼びで統一しようと考えています。
戦いだと専門用語等が増えるかもしれませんが、なるべく本文でもしつこくない程度に説明出来ればと考えております。堅苦しくなるかもです。




