“悲しみの果てに”
第百三十一節
僕は三人で過ごす事を望んだ。一つは楽しく過ごしたいと思ったから。そして、もう一つはみんなが今、何を考えているのかをはっきりと知りたかった。
ハイクと二人きりになった時、ハイクは悲しそうで寂しそうな顔をしていた。その感情は本当にそう思ったからこそ吐露したものだった。
なら、その感情の行き着く先を想像する事は難しくない。僕も同じ気持ちを抱いていた。恐らくイレーネも。僕は自分からその話題を切り出すことを控えた。当事者であるけど客観的に物事を見たり意見を述べる必要性に迫られた時、自分からその話題を切り出す事は矛盾を意味するからだ。
とりあえず、共通の想いの一つである事を話題として話し出す。
「それにしても、ヨゼフと村のみんなに感謝だね」
「そうね。一時はどうなるかと思っていたもの。ヨゼフには頭が上がらないわ」
もし、ヨゼフと出逢っていなかったら、僕達はあの瘴気の森を突破する事は叶わなかっただろう。仕組まれた出逢いだと捉えられるが、この出逢いは僕達にとっては特別な出逢いだった。
「俺はヨゼフ師匠に逢えた事を凄く感謝している。ヨゼフ師匠には命を救われたからな」
「その通りだね。命そのものが救われた。僕達はヨゼフに救われた命を大切にしたい。……みんなはこれからの旅の果てに、何を目標にしたい?」
旅の道中ではなく旅の果て。どこまで旅が続くか、どこまで旅をする事を求められるかわからないが、その先の未来にハイクとイレーネは何をしたいか。これを聞いておく事はかなり重要だ。これが二人の奥底の感情を呼び起こす一石を投じる。
「俺はカイ達と観たこともないものをみたいって事は考えているけど、その先かぁ………」
「私は……」
ハイクは未来の先で何を成すかを悩み、イレーネは言葉にする事を躊躇う。この反応でイレーネの考えている事をなんとなくだがわかってしまった。
その言葉の続きを促す事も出来る。だが、そのきっかけは僕であってはならない。先の考えの通りだが、何より僕にはその資格はないんだ。
「うーん。俺は何をしたいかは考えても思いつかないなぁ。………だけど…」
穏やかな表情だったハイクの顔が引き締まる。その顔には眉間に皺を寄せた眉、確固たる決意を宿した瞳、憤怒を含んだ感情を噛み締めながら歯軋りを始め、静かながらな言葉には抑えようのない怒りが込められていた。
「……だけど、帝国への憎しみの気持ちが収まらない。俺は帝国へ必ず復讐をしてやる」
ハイクはこれまでの和やかな雰囲気を取り払い、これまで抱えてきた憎悪の感情をぶち撒けるように語りだす。イレーネもその想いに刺激されて本心を語り始める。
「そうよッ!! 何で私達の村は帝国に滅ぼされなきゃいけなかったのっ!? 私達は今まで帝国のために頑張って家の手伝いも沢山やってきた! 貧しい生活も我慢してきた! それなのにどうしてお父さんとお母さんも殺されなきゃいけなのよっ!?」
激しい憎悪を隠そうともせず、イレーネは今まで隠していた感情を曝け出した。
「その通りだッ!! 俺達の村は帝国に対して忠実に税を納めてきたし、何も悪い事をしてこなかった筈だ! 村のみんなを殺される道理はないッ!!」
「私達の手で帝国に復讐すべきよッ!! お父さんとお母さんの仇を私は取りたいッ!!」
「俺もだッ!! 俺も父ちゃんと母ちゃん、アリステア先生の仇を取るんだッ!!」
………これはいけないな。二人は憎しみで感情が爆発してしまった。この感情を収めるには一つの方法として、この場で二人の意見に同調して僕達の結束を高める事も出来る。
現に僕も帝国と師匠への憎しみの感情がずっと自身の内に渦巻いてきた。がんじがらめにその感情が解けない程に、何かの機会にふと想い出しては憎しみの感情に火を焚べてきた。その度に自分の中の憎しみの炎は勢いを増し、今でも憎しみの感情は濃い。
しかし、この憎しみをここで三人が一致してしまっては恐らく良い方向には働かない。この旅においても、僕達以外のヨゼフやドーファン、キャロウェイお爺さんとの基盤となる旅の動機の奥底の考えに、大きく隔離した感情の落差が生じ、やがては旅そのものが崩壊してしまう危険を孕んでしまう。
この懸念があったからこそ、僕は憎しみを抑えて表立った感情として吐き出す事はなかった。二人は必ず同調してしまうから。
僕も本当は憎い。だけどこの場面での僕の役割は、二人の感情を鎮めその感情の方向を他に向ける事だろう。ここは理性を持って二人と話し合わなければいけない。
「二人共。少し落ち着いて」
「ッ!? カイは帝国が憎くないのッ!?」
「お前が一番憎い筈だろうッ!? カイッ!? お前の父ちゃんと母ちゃんは………父ちゃんと…母ちゃんは………」
ガンッとテーブルを叩き、その光景を想い出してしまったようで目を瞑ったまま、その目からは涙が溢れて悲しみと共に下へ下へと落ちていく。
僕もその言葉で両親との別れの光景が頭の中で呼び起こされ、悲しみに暮れたい気持ちになってしまうが……そうもいかない。今は二人の目を覚まさせなきゃ。
「僕も帝国が憎いさ。でも、二人には帝国を憎み続けて欲しくない」
「憎むのがそんなに悪いことなのッ!? お父さんとお母さんの命を奪った帝国を憎んじゃいけないのッ!?」
………そうだ。僕にはこんな事を言う資格はない。だけど、言わなければいけない。たとえ偽善に満ちた言葉であっても、二人には人間としての心を失って欲しくない。
「いいや、悪い事ではないよ。むしろ人の心を持った人間が自然と芽生える感情でしょ?」
「じゃあ、何で憎むなって言うのッ!?」
「違うよ、僕は憎むなとは言っていない。憎み続けるなって言っているんだ」
「何の違いがあるって言うのよッ!? 同じでしょ!!」
「違う。そこには大きな違いがある。憎み続けるっていうのはね、ずっと心に憎悪の根を張り続け、その小さな芽はやがて大きな憎しみとして自分の考えを歪ませる。人間性すら変えてしまう凶器にすらなる。人を人のままにはさせない。ただの憎しみにのみ生きる狂気の魔物へと変えてしまうんだ」
………あぁ。そうだった。なぜこうも簡単な事に気付かなかったのか。僕は歴史を通して人間の感情の営みを学んできたのではないか。
違うな。心の片隅ではわかっていた筈だ。なのに、その答えを認めたくなかった。それは……
「憎むのは悪い事じゃない……」
「そうだよ。憎むって事は悪い事ではない。言い換えるなら、憎めるほどに何かへ愛情を向けていたって事だ。だから、憎しみという感情を抱けない人は、誰かを愛する事なんて出来ないんだよ。激しく言葉を駆り立てる程に、激しく心を揺さぶられるくらいに、それだけ家族を愛していたって証しだ」
本当は自分でもわかっていた。憎しみに囚われてはいけない事を。だが、その憎しみを、父さんと母さんが殺された事の恨みの矛先を向けるために、自分の中で都合の良い言い訳にしていた。
だから、この言葉は二人に贈ると共に自分を言い聞かせるために言葉を紡ぐ。
「イレーネ、ハイク。二人はそれくらいに両親の事を深く愛していたんだ。……むしろ、誇るべき想いだ」
ハイクとイレーネは泣き崩れた。ハイクは父と母を呼び続け、イレーネは両手で顔を覆い行き場のない感情が、掌から溢れた涙と共に流れ落ちていく。
さっきはつられて僕も笑っていた。けど、今は違う。
自然と僕の視界も滲み、眼尻に涙が溜まり、やがて頬を一筋の涙が伝った。
憎しみの果てにあるのは、果てなき憎しみの感情を抱き続ける悲痛な末路。憎しみゆえに英雄だった人物が落ちぶれていく様を、どの時代どの国でもあったことを何度も目にしてきたではないか。
……だけど、彼らの感情も今の僕にはわかる。自分で理解していながらも、何を理由にしてでも、大切な誰かを失った悲しみと持て余した相反する憎しみの感情を、憎むべき誰かに対象を向ける事で、自分の想いをその目的だけに向けたかったのだろう。
悲しみという感情を、あの時の光景を想い起こさずに済むからだ。
悲しみは憎しみを生み、憎しみを果たした後にあるのは悲しみの感情だけだ。そして、残った悲しみを払拭すべく見知らぬ誰かに憎しみの感情を創り上げ、憎しみの矛先を常に誰かに向けていく。
この連鎖は止まる事を知らない。人の性はいつの時代でも、いついかなる時にも変わる事はない。
僕達はまた、果てなき悲しみの気持ちを分かち合った。
次は、ずっとカイが抱いていた後ろめたい感情とアレが出てくるかもです。




