負け続けられる意味
第百十一節
「どういう事よ? だって負け続けたって事は、それだけ帝国に負け放っしだった事でしょ?」
「そうだよ、イレーネ。多くの人はその負け続けた中の一つの勝利を美化するから、その負け続けた本当の意味に目を向けにくくなっているんだ」
「負け続けた意味ってなんだよ? 勝たなきゃ意味ないだろ?」
「ハイク、わかりやすくもう一度言おう。負け続けられたんだ」
「だから負け続けられたってわかんねぇよっ! 負け続けたって事と何が違うんだよっ!?」
ハイクはまだわかっていない。だけど、一度目に負け続けられたと言ってから、ドーファンは顔色を変えてその意味を吟味していた。
イレーネも二度目に言葉にしてから、口を閉ざしその言葉の違いを考慮していた。
「………そうか、そういう意味か…。だけど、小国にそんな事が出来るのか……」
ドーファンは僕の言った意味がわかったようだ。そして、僕と同じ疑問を恐らく抱いているようで、ヨゼフにすかさず質問を始めた。
「ヨゼフさん、本当に小国を支援していた国などはないんですか?」
「ないな」
「何か特筆すべき小国ならではの特産品や、際立った商業で国で成り立っていたとかは?」
「ないな。至って普通の小さな国だ。なんなら財政は苦しかったと聞いている」
「……なるほど。末恐ろしい事実ですね」
「えっ!? ドーファンは何かわかったのか!?」
どうやら本当にドーファンもこの意味を理解しているみたいだ。そして、僕がヨゼフに聞こうとしていた質問をつらつらと重ねていった。
これで確定だ。ヨゼフが前に言っていた、小国の伝説の将軍と一緒に話しの中で登場していた人物の活躍が見えてくる。
「わかったわっ! そこで凄腕の政治家って人が出てくるのねっ!!」
そういう事だ。将軍の活躍だけに注目されがちな話しだが、ヨゼフの言った言葉にはとても違和感があった。
「え? え? どういう事だ? 今はその将軍の話しをしていたのに、何で政治家なんて奴が出てくるんだ?」
「ハイク、一緒に少しずつ考えていこうか。ヨゼフはさっき小国が帝国と戦った様子を何て説明していたっけ?」
「えっと、“何度も何度も戦を仕掛けてはその度に敗れ負け続けていた”って言ってたような……」
「そうだね。でもここで疑問に思わない? どうやったら帝国のような大国相手に、小さな国が何度も何度も戦っては負ける事が出来るのって」
「うーん? まだわかんねぇな。そんなの根性があれば……」
「もう、ハイクったらまだわかんないの? いい? 例えばハイクがこの村からのお願いで、村の誰かを助けに行ってくれってお願いされたとするわよ。この村には限られた食糧しかないけれど、何日分かの大事な食糧を担いで、あのジャイアント・グリズリーの大群に立ち向かわなきゃいけない。たった一人で。ハイクは戦ってみたけど負けて逃げ帰らなきゃいけなくなったわ。それもハイクの相棒のアルもいない状況で。そしたらハイクはどうやって逃げるつもり? もし、村に逃げ帰れたとして何度も何度もハイクはジャイアント・グリズリーに立ち向かいに行ってたら、村の食糧はどうなるかしら?」
「そりゃ、持っている食糧を置いてでも逃げ………あっ!」
「ハイクもわかったようだね、イレーネもわかりやすい例えをありがとうね」
「どういたしまして。……けど、小さな国なのに物資とか食糧ってどうなっていたのかしら? ヨゼフの話しぶりでは財政も厳しい国なのに、どうやったら何度も何度も戦えるの……」
普通、攻め込まれている国が戦を仕掛けることはしない。
“その将軍が何度も何度も戦を仕掛けた“
これはきっと、籠城している城への援軍となる“後詰め”の軍をその将軍が率いて何度も何度も戦った、という事じゃないかな。
周辺諸国に見放され、もはや自国内の幾つか、幾十かの支城による籠城戦と、自国の軍だけでの後詰めの軍を率いることによる戦を展開させるしかないはずの状況。
それを理解し民を救おうとするからこそ、何度も何度も後詰めの軍を率いて、戦を仕掛けたという事だろうな。
支城が籠城をしたところで外からの援軍が望めない状況がずっと続くなら、きっと内側から破綻していった事だろう。歴史もその事を物語っている。
──※──※──※──
中国の後漢末期の時代、中華の覇権を巡る魏・呉・蜀の三国が争った物語。人々はその時代を三国志と呼ぶ。
黄巾の乱と呼ばれる民衆の反乱から始まり、ある国が中華を統一する事までを描いている。そして、三国志と呼ばれる話しは二つある。一つは三国時代を終えてすぐに書かれた正三国志。もう一つは正三国志が書かれてから四百年程経って、正三国志を基に小説として描かれた三国志演義。
正三国志と三国志演義の話しが頭の中でごちゃ混ぜになりがちだが、僕のいた日本では一般的に三国志演義の話しが広まっていた。
正三国志の小説版が広まる、つまり多くの脚色が加えられたお話が人々の間に根付く事になる。だが、その中でも正三国志と三国志演義の書き方の中で、大きな差がない人物がいる。
呂布奉先。彼は本当に勇猛な将軍だった。戦に出れば沢山の敵を屠ってきた。義父の董卓を殺し、董卓亡き後の覇権争いに負けて逃げ、袁紹という人物に頼った。
袁紹軍の客将として、大きな勢力を誇っていた黒山賊という賊と対峙し、数十騎の兵で数万の敵に立ち向かえる勇敢さを彼は持っていた。
多くの人は三国志と聞くと、曹操と劉備を中心にした物語だと言うかもしれない。恐らくこの二人の名前はすぐに出てくる事だろう。
あるいは、勇猛な武将達が一騎討ちを行う場面を沢山思い浮かべるかもしれない。一例として呂布が虎牢関の戦いで、劉備・関羽・張飛の三兄弟と矛を交える場面がパッと脳裏を過ぎったりする。
だけど、正三国志には実際に一騎討ちを行なった記述はたった三例だけ。
その中の一つに呂布の一騎討ちがある。呂布と一騎討ちをした将も、数万の敵に対し数百の手勢で打ち破れる程の豪勇を誇る将軍だった。そんな強者を相手にしても、呂布の勝利は揺るがなかった。
呂布の強さは本物で、相手の将軍も負けを認めた。二人の事を見守っていた周りの敵側の将兵も、呂布の勝利を認めた。
これ程の猛者を相手にしても、一騎討ちにて勝利を収める呂布は本当に強かった。
ある時、袁紹の元から離れて、とある反乱の総大将に担ぎ上げられる。後の魏の国を設立した曹操が治めていた兗州と呼ばれる地での反乱。今では裏切りのイメージが大きい呂布。そんな彼を兗州の人々は呂布を迎え入れた。
これは想像になるけど、当時の人々にとって呂布は正義のヒーローだったんじゃないかな。乱れた政治を行なっていた董卓を討った英雄。そう捉えてもおかしくないと思う。
現に呂布を担ぎ上げた兗州では曹操の領地の九割近くが反乱に加担し、曹操に組みするのは三つの城だけだった。
しかし、奇しくも時の天災が曹操を見放す事はしなかった。蝗害により兵糧不足となった両軍は、お互いに軍を退かざるを得ない状況になった。
僅かな立て直しの期間を得た曹操は次第に気勢を取り戻し、少数の兵ながらも計略を用いて呂布軍をどんどん追い詰めていった。
しまいに追いやられた呂布は、今度は徐州にいた劉備を頼った。劉備は呂布を疎ましく思いながらも招き入れた。呂布はそんな優しさ溢れる劉備をも裏切り、劉備がいない隙に徐州の領地を乗っ取ってしまう。その行いは人々の心を、家臣達の心を離れさせてしまう。
ついに、時を経て呂布は徐州にある下邳という城にまで追い込まれた。野戦で曹操に大敗を喫し、敗戦に懲こりた呂布は、以降、城に籠もって敢えて出撃しなくなった。
呂布は下邳に立て籠ればその内に曹操軍は引き揚げると思っていた。下邳に籠り続ける事で勝てると確信していた。
実際、それ程に下邳の守備は硬く、その上呂布軍には、清廉潔白を旨にする高順という名将が守戦の指揮を執り、ますます曹操は徐州の攻略に苦戦を強いられた。
だが、呂布軍は有利な立場だったかというと、そうではなかった。下邳の外から呂布軍への援軍の見込みはなかったからだ。
さらには城への水攻めにより、城内には水が濯ぎ込まれ、そのどうしようもない逃げ場のない状況が、人々の心を貪り喰うような不安が蝕んでいった。
そして、呆気ない終わりを迎える。
籠城戦という精神を擦り減らされる戦いに、ある家臣達が耐え切れずに裏切り、門を開け、曹操軍を城の中に招き入れてしまった。
皮肉な事に、その家臣の一人は共に黒山賊に立ち向かった勇気ある者だった。曹操軍の勢いに屈し、助けなど来ない中での孤立無援の戦いに心が折れた。
そして、天下の猛将たる呂布は戦場で華々しく散る事も、暖かな寝床の上で人々に悲しまれながら死を迎えることなどなかった。
自らの死を敵の前に晒しながら、悶え苦しみながら、首を絞められながら死んでいった。
──※──※──※──
この戦いから、一方的に攻め込まれる籠城戦で、ずっと立て籠る危険性が伺える。中には援軍もないのに何年間も籠城しながら戦い抜いた英雄もいるが、それはごく稀な例だ。
いずれ助かるかもしれないという外からの援軍の希望。
誰も助けに来ない、もはや救いの手が差し伸べられない絶望的な状況。
そんな無慈悲な後者のような立場に陥った時、人は裏切ってでも助かろうとする。裏切りの人生を続けた猛将呂布も、籠城戦の最中に家臣達の裏切りで城が明け渡され、曹操に捕らえられ処刑された。
呂布の場合は、人望のなさが徐々に露呈していった事もあるかもしれないが、多くの場合、援軍がない状況での籠城戦は裏切りによって、その戦いの幕を引いている。
この例からもよくわかるけど、援軍無しの籠城戦は城全体の士気が保てなくなって自滅する危険性を孕んでいる。そもそも籠城戦には援軍の存在は不可欠で、籠城戦はほとんどの場合、味方からの援軍が来ることが前提の戦術だ。
例えば、帝国がその小国を攻める場合、帝国は国境沿いにある小国の支城から攻めていく事だろう。攻められた小国の支城は敵の襲来をのろしや伝令などで王のいる城、いわゆる王都へ緊急の連絡をする。
報せを受けた小国の王は支城を助けるために援軍を送る。この援軍を“後詰め”と呼ぶ。援軍を送るべく、次に王都では支城に近い本城へ援軍命令を下すか、もしくは王都から援軍を送る。
支城に後詰めを送ることは義務に近い、そうしなければいけないと言うべき戦術だ。籠城軍の役割は敵を倒すことではなく、後詰めが来るまで城を守ることだ。つまり籠城は時間かせぎで、勝敗は攻城軍と後詰めの軍の戦いで決まる。
小国の後詰めの軍が到着し、帝国の攻城軍が撤退すると小国の勝利になる。だけど、帝国の軍は引いたなんて事はないんだろうな。小国が滅ぼされていることからわかる。その伝説の将軍が、何度も何度も戦を仕掛けたって事もさらなる証拠となっている。
帝国の攻城軍が引かないとなると、帝国軍と小国の後詰めの軍による決戦が行われる。
攻城側の帝国と後詰めの軍が戦い始めたなら、機を観て籠城軍の城兵が撃って出て、挟撃を仕掛ける。攻め入った帝国の軍に挟み撃ちが可能になるからだ。ここで帝国軍が敗れて撤退を始めたなら、その時が籠城戦の勝利の時となる。これが籠城戦の一連の流れだ。
今、話しの中心となっている伝説と呼ばれる将軍は、民を守ろうとする人物だったからこそ、何度も何度も、幾つもの籠城戦を強いられる城を救おうとしたって事だと思う。
その籠城戦の一つで、大きな勝利を収める事が出来たんだろうな。小国が帝国相手に一度でも勝利するのは凄いと思う。
帝国にいた身としては、小さな頃からあんなに馬による教育が根付いている事を考えると、野戦で帝国の騎馬に勝てるってだけで大金星だと感じる。
だけど、この後詰めの軍で野戦を仕掛けるという選択には大きな問題、いや、この話しを聞いて一つの疑問が生じてしまう。
小国が野戦に出て負けてしまえば兵の士気が下がるのは当然だが、戦いを重ねる度に、物資や兵糧がぐんっと減ってしまう。
兵が腰に少しの兵糧を蓄える“腰兵糧”を行なっていたとしても限りがあるだろうし、負けて逃げる際にはほとんどの物資や、軍で用意した兵糧を捨てて逃げねばならない。
小さな国が帝国という大国相手にそんなリスクも付き纏う後詰め戦を仕掛けられるのは、せいぜい一度や二度が限界であるはずだ。
際立った国力もない小国が、物資や兵糧を失う危険性が高い野戦を、そう易々と何度も何度も許可させる訳がない。
そのはずだ。それにも関わらずヨゼフは “何度も何度も戦を仕掛けた“と言っていた。つまり、小国は単なる小さな国ではなかった。
何度も何度も再起を図っては立ち向かえる程の物資や兵糧を、小国が単独で保持していて、それを裏で運用する事に長けた人物がいる事を匂わせている。
とんでもなく有能な将軍が戦いもこなしながら、そんな超人的な事も指示しつつ行なっていたかもと憶測することも出来ただろう。でも、ヨゼフは凄腕の政治家についても以前言及していた。
つまり伝説の小国の将軍と、その凄腕の政治家は間違いなく存在するんだ。
ここまでの話しから凄腕の政治家の存在を裏付ける事ばかり話してしまったが、その将軍も傑出した人物であることは間違いない。何度も何度も立ち向かえる程の勇気を持ち、周囲からの信頼の厚い人物である事が伺える。
その将軍を任命した王様や、付き従おうとする兵達の視点に立った時、将軍が負け続けているのを観て指揮能力に疑問を抱くのが普通だ。
王様は将軍という肩書きを剥奪したり、兵達は将軍に付いていこうとはしなくなる事だろう。
それでも、その将軍は将軍のままでいられ続けた。きっと、その将軍じゃなきゃダメなくらいに、みんなから愛され、信頼され、評価されていたんだと思う。
……逢ってみたい。もし、この道を辿った先で逢えるなら、聞いてみたいことが沢山ある。一番最初に聞きたい事は決まっている。
この質問は、逢える時まで胸にしまっておこう。
「……なんとも末恐ろしい人の子じゃ。たったあれだけの説明で咄嗟にわかってしまうとは……」
「へ?」
そこまで凄い事じゃないと思う。だってドーファンとイレーネも、少しのヒントでわかったし、それなら僕達がみんな末恐ろしいって事になる。
「そうだな。やっぱりお前は変だぞ、カイ。普通あれだけの説明ですぐにわかるのは異常だ。頭のいいドーファンだって瞬時には理解出来なかった事だ。お前の補足の言葉があってようやくわかった。全く、どんな頭してんだか……」
「え、えっと、その、僕の師匠の鍛えてくれたおかげというか、何と言えばいいのやら……」
あれれ? 何か話しが変な方向になってきた。何か僕が普通じゃないみたいな言い方だ。ここは師匠のせいにしておこう。師匠の思考に対する考え方の影響は、僕にとってかなり大きいからだ。
「お前さんに師匠がおるのか? 一体どんな奴なんじゃ?」
「俺も興味あるな。お前から観てそいつの印象はどうだ?」
「ふぇっ!?」
小国の将軍と凄腕の政治家の話しをしていたのに、なぜだか僕の師匠に興味を持たれてしまった! これはすぐに話しの軌道修正をしなきゃな。
でも、師匠の事を何も話さないで話題を戻したら後が面倒そうだ。うーん、そうは言っても僕も師匠の事を深く知らないよ。印象ねぇ……。
頭を抱えて考えても答えは出てこない。うがぁーっ!!
「うぅ……、本当に師匠の事って何にも知らないんだなぁ」
「……お前さん、聞いただけであそこまで理解出来るのに、なぜ自分の師匠の事を理解しておらんのじゃ? 本当に師匠何ておったのか?」
「いましたよっ! いたんですけど、本当によくわからない人だったんですっ!! 名前も結局教えて貰えなかったし……」
「それって師匠と言えるのかのぅ? 何せ、お前さんの印象にも残らない程の人物だ。よっぽど影の薄い人物なのかのぅ…」
「いえ、とんでもないくらいに恐い怖い人でした。印象……。強いて言うなら“古いけど新しい感じ“? って言えばいいんですかね?」
「お前、何言ってんだ? 自分の言っている言葉の意味わかってるか?」
「わかってるよっ! だけど、わかってませんっ!」
いや、僕の言っている言葉がおかしいのは百どころか千も承知だよっ!! でも、何となくの印象ってそんな朧げで不思議な印象しかない。
古臭いのに、どこか近代的な考え方をしている人だなぁって言葉の節々から感じられる不思議な師匠だった。
印象はそう言う曖昧なイメージだけど、今では師匠に対して魔法や思考に対する考え方を教えてくれた感謝の気持ちよりも、憎しみの感情の方が強い。
なぜ、師匠は僕に魔法の正しい使い方を教えてくれなかったのか……。
もし、教えてくれていたなら、僕は父さんと母さんを…………。
いけない。気持ちを切り替えなくちゃ。今は目の前に残された疑問に話しを戻すべきだ。これ以上、師匠の事に話題を触れられないように、みんなの最も知りたいことを会話に切り出す。
「ぼ、僕の師匠の事よりも、どうしてキャロウェイお爺さんが、その伝説の将軍の事を知っているんですかっ!? 僕はそっちの方がみんなの興味があると思いますっ!!」
「まぁ、俺もそれは知りたいな。何やら訳ありって感じがするが……」
「ボクも知りたいですっ! そして、出来ればその将軍にお逢いしたいですっ!!」
ジッとみんなの視線がキャロウェイお爺さんに注がれ、話さざるを得ない舞台を意図的に作り上げる。さぁ、知っている事を教えて貰おうっ!
最初は違う歴史ネタで裏切りが多発した籠城戦の話しを入れていたのですが、以前に少しだけ呂布に触れた事もあり、呂布の籠城戦のエピソードに書き直しました。せっかくなので正三国志で呂布の書かれている情報も書きたいと思って、少し長くなってしまいました。
三国志が好きな方なら聞いた事があるかもしれませんが、呂布の一騎討ちの相手は郭汜という人物です。李傕と郭汜がペアで書かれることが多いですが、李傕と仲違いした後、李傕の数万の軍を数百の兵で破ったという話しがあります。董卓亡き後、郭汜が行なっていた事は間違いだらけでしたが、その猛将ぶりは本物だったんじゃないかなって思います。もう少しこの人物の勇猛果敢さは評価されてもいいんじゃないかなって、個人的に思ったので、この話しに含めて書いてみました。
もっと評価されて欲しい人物では呂布の家臣に高順という人がいます。いずれどこかで話しの流れと合う場面があれば、彼のエピソードも書いてみたいです。
呂布を兗州に迎え入れた陳宮が後に言った“我らの罪”の話しも書いてみたいです。
いま一番書きたいのはヨゼフの正体の話しですね。
次こそ、伝説の将軍とキャロウェイお爺さんのエピソードになります。




