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遺伝子(ジーン)の歌

 黒い翼のラサが完成し、野島がさらうように病院からつれさったと思ったら、その日のうちにマスコミ公開された。

 闇の青い炎。

 コズミックトワイライト。

 ネプチェーンブルー。

 それがラサの翼に与えられた賛美の数々。

 存在感のあるラサは、僕にはやはり雌鳥にしか見えないけれど、一時的に話題に乗るだけのパワーを持っていた。

 人気が安定したら身体を元に戻すと、野島は言っているらしい。

 前評判を煽るだけ煽った野島の第3作目の映画は、リリカとラサ共演だった。

 今回は天使のリリカと使い魔のラサが、コンビを組んで、国の運命を握る男を捜し出すというファンタジックコメディらしい。

 クランクインすると、リリカは僕の部屋に頻繁に通うようになった。

「ラサを見ていると、自分がどんどん希薄になっていく気がする」

 そう言ってリリカは僕の腕の中で泣く。

 確かに、ラサの存在感は半端ではない。 生まれながらのスターという奴なのだろう。

「きっと、わたしはいつのまにか人の記憶から薄れていって、ある日、本当に消え てしまうんだわ」

 そう言うリリカは本当にはかなく、消えてしまいそうに見えた。

 ふるえる細い肩。

 さざ波のようにこぼれる銀髪。

 美しく折りたたまれた、細い翼。

 不安に泣いている白い小鳥。

 あまりにもはかないから、手のなかに抱いて確かめたくなる。

 リリカ。

「もう映画の仕事はしたくない。ラサと一緒にいたくない。

 ラサと一緒だと、フィ ルムの上のわたしが消えてしまう。

 映画には出ない。野島にそう言って。

 I.D.L.へ行くわ。アキオ、連れていって。

 今すぐよ。子供をつくるの。アキオには迷惑はかけない。誰のコでもいいのだから」

 そう言って、毎回駄々をこねる。

 けれど、翌日になると、ちゃんと時間通りに出ていくのだった。



 

 もし、生命体がDNAに支配されているのなら、僕たちの行動はどうやって説明できるのだろうか。

 こんな思考ゲームをすることがある。

 たとえば恋愛。

 恋人探し。

 それをDNAレベルで考える。

 見た目の感じのいい人がいい。

 健康な人がいい。

 背の高い男、あるいは美人がいい。

 裕福な生活力のある人がいい。

 これらの条件は、他の個体より優位を持つ相手を望むということだ。

 優位である以上、生き残れる確率が高い。

 その生き残れる要素を自分の遺伝子に取り込みたいという欲望が、恋愛と言えないだろうか。

 そういう風に考えだすと、インフェクションデザインも、DNAの支配によって生まれるべくして生まれた技術なのかもしれない。

 人気があるのは肉食獣の牙、毛皮、トカゲの鱗、きれいな花。

 より強いもの、より美しく、人に望まれて優位に立てるもの。

 やめよう。そんな事を考えだすときりがない。

 



 撮影中、リリカはケガをした。 30メートルの高さからの滑空シーンを撮るはずだったのだが、足場が崩れて落ちたのだ。

 今でもその時のフィルムを見ると心臓が凍る。

 足場をとっさに蹴って、空に飛び出すリリカ。

 けれど体勢が十分ではなく、水平に翼を広げられない。

 衣装を身に着けているため、バランスをとるための尾羽を使えないのだ。

 空気を掴もうと、あがく白い翼。

 たなびく銀髪。

  一瞬、リリカが一枚の白い羽になったような錯覚が起きる。

 ふわり、ふわりと揺れながら落ちて行く美しい白い羽のひとひら。

 わずか5秒ばかりのことが、永遠にも感じる。

 そして、細い身体は安全ネットに叩きつけられた。

 白い翼が、薄い色の唇が、真紅の血に染まるのまで、フィルムは淡々と映していた。  ケガは幸いにも左翼上腕と、左足首の骨折で済み、撮影も最後の方だったので、撮影には支障無くクランクアップした。

 映画は成功。

 ラサは一気にスターダムにのし上がった。

  だから、ケガをしたリリカのことなどほっておくのかと思っていたら、意外にも野島は入院しているリリカをよく見舞っていた。

 前に、リリカが自分に惚れていると言っていたが、野島の方こそリリカに惚れているようだ。

 ケガで休養したことがよかったのか、すっかり落ち着きが出たリリカは、そんな野島にも門前払いをせず、かといって歓迎するでもなく対応していた。

 野島が来るたびに病室を飾る花が増える。

 まるで花屋だ。

「お見舞にこなくていい、と言うのに、商品は大切にする主義なんだって。

 ラサのことを考えたくないからしばらく会いたくないのに」

 むせかえる程の花に囲まれて、困惑気味にリリカは苦笑するので、僕はさっさと退院させて、自宅に引き取ってしまった。

 翼と足首をいたわりながら、僕はリリカを慈しみ、愛しむ。

 僕はなぜこんなにリリカに魅かれるのだろう。

 その姿が僕がつくりあげた理想だからだろうか。

 違う、と僕は言い切れる。

 もし、リリカがその翼を失っても、僕はリリカを愛するだろう。

 あの墜落の後、そう思った。

 もしリリカが死んだら。

  リリカに使ったデザイン情報は残っている。

 僕があの姿だけを愛しているのなら、似たような女の子を探して、僕の天使をつくりだせばいい。

 もしどうしても、リリカの微笑みまで再生したいと思うなら、それも可能だ。

 架空空間内にDNAからモデリングした仮想リリカをつくればいい。

 事故の後、実際に試してみた。

 映像空間に投影されたリリカは、実物と同じ姿で微笑む。

 けれど、僕はリリカの存在を確かめることができない。

 語りかけ、抱きしめて、その反応を肌で感じることはできない。

 はかないからこそ、確かめたくなる。

 元々はあの姿だって、リリカのはかなさを最大限引き出すためにデザインしたのだ。

 はかなさこそ、リリカ。

 そして出た結論。

 僕はリリカの存在を愛している。




「結婚しようか」

と言ったとき、居間で花瓶の花を生けなおしていたリリカは、不思議そうな顔で振り返った。

 背後にある窓から、午後の日が差し込み銀髪をきれいに縁取って、天使のハロのように見えた。

「結婚って言ったの?」

 信じられないものを見るような、その目つき。

「気に入らなかったのなら、ずっと一緒に住もうか、もしくは一緒に子供をつくらないか、と言い換えるけれど」

  次の瞬間、リリカは抱えた花ごと僕の胸に飛び込んできた。

 薄紅の大輪の花びらが散って床に落ちる。

 僕のすぐ目の前で、真っ白な翼がバランスを取るように羽を広げ、優雅にたたまれた。

 ケガはすっかり治癒したようだ。

「返事は?」

「もちろん、イエスだわ」

「よかった。断られるかと思っていた」

「どうして?

 わたしはアキオだけを愛しているっていつも言っているのに」

 胸の中の天使が甘えたように言う。

「リリカの翼をつくった僕をね。

 僕よりもっとリリカをうまく作る人がいたら、そ の人の方を愛するようになるだろう。

 だから野島に惹かれたし、今は僕のところにいる」

 リリカは黙って顔を上げ、黒い瞳で心の奥まで読み取ろうとするかのように、僕を見つめていた。

「そんなことはないわ。確かにわたしはこの翼をつくってくれたアキオを愛している。でもアキオ以外、わたしをつくれないし、一度つくられた者に二度目はないもの。

 アキオ、あなたは?  

 あなたがつくりだした私の姿を愛しているのではないの?」

「たとえ、リリカがハーピィタイプでなくとも、リリカを愛している」

 か細いその身体を抱きしめながら、僕は愛を囁く。

 リリカは、その言葉を胸の奥の奥に刻もうとするかのように、ぎゅっとしがみついてきた。

「......ずっと、あなたがわたしの姿だけを愛していると思っていたから、苦しかった。  この姿より、きれいな女のコをつくり出したら、そっちがよくなってしまうのではないかって不安でしょうがなかった。

 野島だって、そのつもりでラサを作っ たのですもの」

リリカはそう言って顔を上げると、天使の微笑みをみせた。

 僕自身だって、リリカの姿を愛していると思っていた。

 けれど、それは誤解だった。

 つかみどころのないものが、いかに人の気持ちを魅了するか。

 リリカ。それが君の魅力だ。

 僕はそれをはっきりと見える形にしたに過ぎない。

 たぶん、野島もそれに気づいている。

 いや、誰もが気づいているのかもしれない。

 はかないものは美しい。

 誰もがそれを手に入れたいと思い、確かめたいと思う。

 なぜなのだろう。

 僕達の存在そのものが、DNAというものの、映し出された影か幻のようにはかない存在だから、僕たちはそこにあるべき姿を見てしまうのかもしれない。

 いずれにしろ、それもまた生存優位条件のひとつとなる。

  僕の遺伝子は、リリカのそれと交じり合い、時の向うに流れていくだろう。

 セントラルドグマ、DNAからRNAへ、そして命につながる奇跡。

 生命はDNAによって操られている。

 時という抗えない流れに、存在を残そうとする塩基の組み合わせ。

 自己の生存に不安を抱いていたリリカは、存在をフィルムや子供という形で残したがった。

 それもDNAにプログラムされた本能なのだろうか。

 

 この世界は、コンピュータの中の架空空間と同じように、ある種の幻の世界なのかもしれない。


 けれど。

 それでも。

 僕達はそこで生きて、時に戦い、傷つけあい、愛し合う。

 それが僕たちにとっての現実なのだから。




    <了>

これで完結です。


新型コロナウィルスで制限された日々の中、しかも今年の猛暑の中、少しでも皆様のリフレッシュにお役に立てていたらよいのですが。


余談ですが、この物語が書かれたのはずっと以前、某免疫系の病気を引き起こすウイルスが世界で問題になっている時期でした。ウィルスとヒトとの戦いはこれからもずっと続くのでしょうが、それでもヒトはウィルスに負けることなく、あるいはそれを利用して生き抜く抜く強さを持っている。


そう思いたいです。

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