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第十章(下)

損壊された動物の遺体に関する記述があります。苦手な方は、戻ってください。


動物の虐待は、犯罪です。

 尾上一郎の言っていたことは、正しかった。

 その正に翌日から、家の周りを不審な男がうろつくようになった。

 それだけではない。

 ある日、隣に住む主婦の女性がやってきて、眉をひそめ、菅原由紀子にこう言ってきた。

「あの、失礼ですけどお宅に今、奥さま以外に住んでる人いはります?なんかさっき、スーパーで買い物してたら、知らん人に声かけられまして…」

 聞くと、"隣のお宅に今、170cmくらいの背で長い髪をした、細身の女性が住んでないか"聞いて回っている男が居るというのだ。

「気味悪いし、知りません言うたんですけどね。ちょっと怖なって…。さっき、警察に電話しときましたから。」

 その主婦は肝がすわっていた。頼もしくそう言ってくれたものである。

 夜、パトカーでの見回りも強化してくれるとの事で、由紀子は丁重に例を言った。

 その後雑談を玄関でしていたその主婦は、「じゃあ。」と言ってくるりときびすを返し、玄関を開けた。次の瞬間だった。


 彼女が突然、たまぎるような悲鳴を上げ、腰を抜かしてしまった。

 由紀子はあわててとっさに彼女の身体を支え、震える指を指された方を見て…息と心臓が止まりそうになった。


 そこには、ずたずたにちぎれ、首をもがれた猫の死体が三体、玄関先に叩きつけられていたのである。


 玄関先の床は、元の色が分からぬくらいに血だらけになっていた。



 当然、この後すぐ警察に通報となった。

 現在もおそらく捜査は続いているとは思うが…詳しいことは分からない、と玲奈は言って、

「おばさん、あれから猫苦手になってもうてね…」

 それはそうだろう。さぞやショックだったに違いない。

「たまりかねてね。それで、私とゆきおばさんだけ、先にこっちに移ることにしたんよ。」

 この時の尾上の対応も、それは迅速だったという。



 こうして4月。

 一家三人は、意味の分からぬ脅迫者の目をかいくぐり、高知への移住を果たしたのである。




 そして玲奈が今日こんにちまでまどかに連絡しなかったのも、理由があった。

 一つは、単純に生活が落ち着くまで、時間がかかったということ。

 玲奈自身の高校編入手続きもあったし、隆正も業務内容が180度変わったのだそうだ。

 何より、由紀子の受けた精神的なショックは、思いのほか大きかったようだ。

 今でこそ夕方にパートに出たり出来るようになったものの、つい最近まで、あの猫の死体が夢にしょっちゅう出てきては悲鳴を上げて夜中に飛び起きたり、またある日は急に取り乱したり、涙を流したりしていたそうで、肉類は今も食べられない。今も定期的にカウンセリングにかかっているそうだ。

「そんなで、もうみんなばたばたしててね。連絡するどころやなかった。ほんまごめん」

「いやいや。生活大事やし。由紀子さん、落ち着いて良かった。怖かったやろな。」

 今、由紀子はパートに出ている。まどかは思いやった。

「うん。」

 玲奈は頷いて、「あともう一つは、尾上さんに止められてた」

「ほう。」

 出た。荒松は玲奈を見た。

「情報は、どこから漏れるか分からんから、って。最後に会ったの、5月やってんけど、その時もあと一か月待って、って言われてしぶしぶ止めとったんよ。てか、まどか。尾上さんに会ってないんやね?『警察があの通りやから、代わりに警護を付けた』って言うてはってんけど。でも実家がアレやし大丈夫なん違うかな…とか私は思っててんけどね」

 と玲奈は笑う。

「…彼はこう仰ってました」

 ここで口を開いたのは隆正だった。荒松の方を見ている。「『本当は、北島さんの身もあぶないから、同じように保護したかった』と」

「…!」

「でも、出来なかったようです。私たち家族のことは何とかやれたようなのですが…」

「それはなぜ?」

「…分かりません。ただ、おそらくなのですが…尾上さん自身や、大河内製薬自体が…」

「…自体が?」

 荒松は先をうながした。

「その、彼のいう『奴』…何者かに、脅されているのではないかと。それで、私たちはまだタイミング良くなんとかなったんだけども、その後その脅しというか、拘束が厳しくなって、身動きが取れなくなってしまったのではないでしょうか。…私、見たんです」

「…ほう。」

「最後にお会いした、その時会長もいらしてたのですが…その時が先月、5月のことだったのですが…その時、彼のワイシャツの袖が少しめくれていて、そこから二の腕が一瞬…。酷い青あざでした。実は私は役所勤めのころ教育現場の方とも関わりのある部署におりまして…。あのあざは、虐待を受けている子供のそれとそっくりだったように感じました。あれは…」

「…!!」

 まどかは思わず玲奈と顔を見合わせた。

「…尾上さんとやらは、何者かから暴力を受けている、と?」

「おそらく。それは間違い無いと思います。」

 隆正は言って、「ここまでの一連の出来事を通して、彼らは命を張ってここまでしてくださっているのは疑いの余地がありませんでした。私たちには最早、『信用出来ない』という選択肢は存在しなかったのです。」

「ふむ…。」




 その後も、積もる話は続いた。




 夜もふけていく。

 荒松は煙草をくわえると慣れた手つきで、火をつけた。

 愛用の、ハイライトである。

 そうして荒松は頭の中で、内容を整理しはじめた。



 大河内側がやろうとしていたのは、あの放火事件に関わる者の殺害ではなく、救出、保護だった。

 まどかに探偵を張り付かせていたのも、そういうことだった。

 そしておそらくだが、大河内製薬の上層部は現在、何者かによる恐喝、監視を受けており、身動きが取れない状態にある。そしてその何者かこそが、あの放火殺人の犯人であり、その後も続いている一連の事件の犯人でもある、ということになる。

 そもそも荒松も、大河内製薬黒幕説には当初から懐疑的だったのである。

 理由はこれだった。

『―ここ半年、大河内製薬には裏社会との関係が取り沙汰されている。』

 実際、半年前といえば今年の1月。菅原隆義ご夫妻が殺された、一ヶ月前である。

 そんな、一ヶ月という短い期間で、100年も続く老舗薬品メーカーが殺し屋を雇うほどのやくざふぜいに、成り下がるだろうか。

 答えは否である。

 となると、おのずとその"何者か"の見当も付いてこようというものだ。

 おそらく、その取り沙汰されている"関係者"…。

 裏社会の人間だ。

 ヤクザか。どこぞの国のマフィアか。

 似て非なるものだが、そんなところだろう。


(…これは何としても、大河内の人間と接触せねばならんわえ…)

 しかし手段が無い。連絡先も分からないし、下手に接触しようものなら双方の命があぶない。

 荒松は煙草を灰皿にこすりつけた、そして携帯を手に取った。

 一つは入谷に、こちらの身の危険は無くなったため、早急に本部こうべへと戻ってもらいたい旨。…そして、すでに待機している第二班の三名に、とある任務を請け負ってもらいたい旨。これを詳細に、電話で伝えた。

 その後、荒松はもう一本、電話をかけた。

 相手は河上理事長だった。

"…待ちくたびれたわい。"

 話を聞いた河上は、電話口で笑っていた。





 そしてこの日。

 明らかになった事実はまだあった。




 荒松は、隆正と玲奈の前に、数枚の写真をテーブルに並べて見せた。

「お伺いしたい話、というのはコレです。」

 荒松は言って、「この中に、ご存知の方はいらっしゃいますかな。」

 それは、菅原研究室にいた、現在も行方が分かっていない四人…市村光、佐藤一弥、野村正和、北拓実の顔写真だった。

 この件に関わってからというもの、何度か似たような光景を目にしているが、何度見てもまるで二時間ドラマのワンシーンのようだ。と、まどかは思った。

 目の前の玲奈は、首をかしげている。そして、横に振った。

「いないです。」

 生前の隆義は、仕事とプライベートをきっちり分けるタイプだったと聞いている。玲奈の顔にウソは見当たらなかった…隆義は生前、娘である玲奈と研究室の面々とを、引き合わせていなかったのである。

 しかし一方の隆正は違った。


「…とりあえず、彼は今、私の今の職場で隣に座って居ますが…。」


「!!!」

 これはたまげた。

 隆正がさした写真、それは…





 あの黒水仙の研究員だった、市村いちむらてるだったのである。

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