十曲目『旅の果てに得た答え』
体が、言うことを聞かない。
噴き出した黒い闇属性の魔力が、ぼくの意志とは無関係に暴れ出しそうになっていた。
ミシミシと骨と筋肉が悲鳴を上げて、今にも爆発しそうだ。
「グ、アァ、アァァァ……ッ!?」
必死に抑え込もうとしても、制御出来ない。視界が明滅して、意識が途切れ途切れになる。
自己が崩壊しかけてる。このままだと、ぼくはドクターの指示で動きを止めている実験体たちのように、ただ暴れ回るだけの獣になってしまう。
「ふむ、想定よりも闇属性の力が強い。これでは、仮に私の元に戻ってきて改造を施しても、最後には暴走して終わりだったな」
真っ赤に染まった視界で、ドクターは悶えているぼくを失望に満ちた目で見つめていた。
そして、モノクルを外して白衣でレンズを拭いながら、ため息を漏らす。
「制御出来ない力など論外だ。失望したよ、ナンバー398。結局、お前も他と同じで……私が目指していた神にはなれなかったようだ」
ドクターは面倒臭そうにモノクルをかけ直すと、指示を待っている実験体たちに向かって手を払った。
「お前たち、そいつを処分しろ。そんな醜悪な化け物は私には不要だ」
ドクターの指示に、一斉に実験体たちが襲いかかってくる。
実験体たちの敵意と殺意に体が勝手に反応して、拳を振り上げそうになった。
「ダ、メダ……ッ!」
飛びかかってきた実験体の一人に拳を突き出す直前、必死に体を捻って止める。
無理矢理に体を止めようとしたせいで、ビキビキと腕の筋が引きちぎれそうになった。
「グアァッ!?」
全身に迸る鋭い痛みに顔をしかめながら、どうにか拳を止める。だけど、飛びかかってきた実験体に肩を噛みつかれた。
どうにか振り払って床に押し付けると、また体が勝手に動いて足を振り上げる。
そのまま床に倒れている実験体の顔面に踵落としをしそうになるのを、歯を食いしばりながら止めた。
「言ウコトヲ、聞ケ……ッ!」
足を振り上げた体勢で止まっていると、反発するように体から闇属性の魔力が噴き上がる。
さらに制御を失った体が、上げていた足を勢いよく振り下ろさせた。
轟音。振り下ろした踵が叩き込まれ、床が大きく隆起する。
闇属性の魔力で勢いを増した踵落としは、実験体の頭を__。
「ギ、ア、グゥ……ッ!」
捉えることなく、顔面スレスレで外していた。
振り下ろした足が外れた原因は__太ももにめり込んだ、自分の拳だ。
足を止めることが出来ないと判断したぼくは、咄嗟に自分の足を殴りつけることで強引に攻撃を外させた。
「絶対ニ……」
例え足が折れようとも。
いくら傷つけられようとも。
「__仲間ハ、殺サナイ……ッ!」
それだけは、譲れないんだ。
暴れ狂う闇属性の魔力を必死に抑えながら歯を食いしばって言うと、ドクターがパチパチと拍手する。
「そこまで暴走しておいて、まだ意識があるとは。馬鹿も極まれば見事だな。そのような状態でも、理性をなくしたそいつらを救うつもりか。だが、不可能だ。お前では、そいつらを救えない」
ぼくの覚悟をあざ笑うように、ドクターは言い放った。
「__お前のような戦うことしか脳がない奴は、誰も救えない」
第二の英雄を作り出す研究、人造英雄計画。
英雄なんて言ってるけど、結局は戦う道具を作り出すための研究だ。
おもちゃのように体を弄ばれ、戦うための知識と技能を叩き込まれ、戦い以外のことは不要と尊厳を無視されて育ってきた。
そうだ。ぼくは、戦うことしか脳がない化け物だ。そんなぼくが、誰かを救うなんて__。
「……違ウ」
自然と、言葉が口からこぼれ落ちた。
「ソレハ、違ウ」
あぁ、そうだ。それは違う。
ぼくはもう、戦うだけの道具じゃない。
「教エテ、くれタンダ……連れ出シテ、くれたんダ……」
頭の中に、今までの記憶が流れていく。
人造英雄計画の実験体、ナンバー398としてのぼくは、戦うことしか知らなかった。それ以外の生き方を知らなかった。
狭い狭い研究所だけが、ぼくの居場所だった。ドクターの言葉だけが、ぼくの道標だった。
そんなぼくの手を引っ張って、狭い世界から連れ出してくれたのは__ッ!
「__Realizeのみんなが、ぼくを変えてくれた!」
暴走していた闇属性の魔力が、緩やかになっていく。
赤く染まっていた視界が、片方だけ元に戻った。
言うことを聞かなかった体が、ぼくの意思通りに動けるようになった。
「居場所をくれた、世界の広さを教えてくれた、仲間の大切さを……音楽を、教えてくれた!」
闇属性の魔力に音属性の魔力が混じり合い、黒紫色の魔力が体から噴き上がる。
色んなところを旅して、多くの人と繋がりを持てた。音楽という楽しい文化を教わり、ライブを通じて世界中の人に音楽を届けてきた。
そして、ぼくは知った__音楽で人は救えると。
ぼくでも人を救うことが出来るんだと、タケルたちが教えてくれたんだ。
「今のぼくは、戦うだけしか脳がない化け物なんかじゃない」
床に転がっていた魔導書が、ぼくの意志に反応して浮かび上がる。
フワフワとぼくの方へと向かってくると、パラパラとページが捲られていった。
「人造英雄計画の実験体ナンバー398でも、第二の英雄でもない」
魔導書が黒紫色の光を放つ。全てを飲み込む闇なんかじゃない、綺麗な……まるで、夜空のような光を。
「ぼくは、オリン。偉大な父さんと優しい母さんが付けてくれた、大切な名前」
旅の途中で、故郷のダークエルフ族の集落に戻れた。
実験のせいで記憶を失ったぼくは、父さんに出会えた。亡くなっていた母さんの優しさを感じることが出来た。
「そして、もう一つの名前。タケルが付けてくれた、大切な名前」
ぼくを連れ出してくれた時に、ナンバー398としての名前しかなかったぼくにタケルが付けてくれた名前。
ぼくは__。
「Realizeキーボード担当__サクヤだ」
オリン、サクヤ。どっちも、ぼくにとって大切な名前だ。
実験体でも、ナンバー398でも、英雄でも化け物でもない。
黒紫色の光っていた魔導書から、魔力で出来たキーボードの鍵盤が伸びていく。
だけど、いつもの鍵盤じゃなく__ぼくを取り囲むように、円形に伸びていった。
円形のキーボードの中心で、ぼくはドクターに向かって人差し指を向ける。
「……もううんざりだ。あんたのくだらない実験のせいで体を弄ばれて、あんたの都合で苦しまされて。最後には、処分? ふざけるな。ぼくは、ぼくたちはあんたの遊び道具なんかじゃない」
目を見開いて驚いているドクターを睨みながら、言い放つ。
今まで溜め込んでいた文句が止まらなくなってきた。
……いや、もう止める必要はない。全部、ぶつけてやる。
「第二の英雄? 完全なる生命体? 全知全能の神? つまらない。くだらない」
ドクターの研究を、真っ向から否定して鼻で鳴らしてあざ笑う。
すると、ドクターはプルプルと震えながらギリッと歯を食いしばっていた。
怒ってるんだろう。だけど、止まるつもりはない。はっきりと、言ってやろう。
「ドクター、あんたに教えてあげる。そんなくだらないことよりも、楽しくて面白いものを。狭い箱庭で堕落しているあんたに、理性をなくしたみんなに__音楽って奴を」
「何を訳の分からないことを……ッ!」
顔を真っ赤にして怒っているドクターに、ニヤリと笑ってみせた。その笑い方は多分、タケルそっくりだと思う。
怒りが爆発しそうになっているドクターを無視して、ゆっくりと鍵盤に指を置いた。
さぁ、始めよう。
Realizeキーボード担当、サクヤの__初めてのソロライブを。
「__ハロー、哀れなドクターと実験体にされたみんな。ぼくのソロライブ、記念すべき一曲目。まだ名前がない、この曲を」
静かに息を吸って目を閉じてから、演奏を始めた。
研究所に響く、ピアノの音色。リズミカルに、軽快にスイングするように音を奏でていく。
思い出すのは、ダークエルフ族の集落。
そこで出会った、同い年の女の子__キリ。
少し肌寒い、銀色の雪が降る空の下で、ぼくはキリと二人でピアノの連弾をしていた。
傍には蒼いワイバーン、ニーロンフォーレルのニルちゃんがぼくたちを優しく見つめている。
ぼくが奏でている音楽は、ジャズ。曲名もなく、歌詞もない、ピアノだけの曲。
ロックやバラードも好きだけど、ぼくが一番好きなのはジャズだ。多分、キリと連弾した時から好きになってたんだと思う。
素人のキリとの連弾は拙いものだっただろう。それでも、ぼくはあの時に感じていた。
これが、ぼくが求めていたものだったんだと。
その時のことを思い出して、自然と頬が緩む。楽譜に起こしたらぐちゃぐちゃになるような、複雑な演奏。軽やかに、弾むようなリズム。絶え間なく鍵盤を弾く指。
やっぱり音楽は楽しい、そう思いながら演奏していると呆気に取られていたドクターが椅子を倒しながら勢いよく立ち上がった。
「なんだそれは! 耳障りだ、やめろ! おい、そいつを止めろ!」
「__ここ」
ドクターが動きを止めている実験体たちに指示を飛ばした瞬間、力強く鍵盤を弾く。
鳴らした音色が波紋のように広がり、研究所に響いていった。
数秒の間のあと、ドクターは唖然とする。
「な、なぜだ……どうして動かない!?」
ドクターがうろたえている理由。それは、指示を出したはずの実験体たちが動こうとしなかったからだ。
そんなドクターに、ニッと口角を上げながら教えてあげよう。
「……今、ぼくはドクターの声と同じ周波数の音を出した。フェイルが使う、消音魔法の原理。ドクターなら、知ってるでしょ?」
「__まさか、お前」
ドクターは察したのか、目を見開いて驚いていた。
消音魔法は魔法を使う時に必ず放出される魔力波と同等の魔力波をぶつけることで、魔法をかき消す。
「……そう。ぼくは、ドクターの声と同じ周波数の音を出すことで、実験体たちへの指示をかき消した。もう、ドクターの声は響かない」
実験体たちはドクターの指示でしか動かない。つまり、その指示をかき消してしまえば、実験体たちは無力化出来る。
これが、ぼくが出した答え。絶対音感を持つぼくだからこそ出来る、実験体たちを傷つけない唯一の方法だ。
「ぐ、ぐぅ……ッ! おい、動け! そいつを処分しろ!」
「__これ」
悔しそうに顔を歪めたドクターがまた指示を出したのを聴いて、同じ周波数の音を奏でてかき消す。
実験体たちは動きを止めたまま、ジッと演奏を続けているぼくを見つめていた。
理性がないはずの瞳の奥底で、意志のような光を感じた。
「……大丈夫。もう、みんなドクターの指示を聞かなくていい。戦わなくてもいい」
実験体たちに語りかけながら、演奏を盛り上げつつゆっくりと息を吸い込む。
「______」
そして、ぼくは歌を紡いだ。
歌詞がないから、メロディーだけを口ずさむ。
エルフ族とダークエルフ族は、どうしてか分からないけどみんな音痴だ。
もちろん、ぼくも音痴なんだけど……今は、違う。リズムに合わせ、メロディー通りに歌えている。
タケルたちに隠れてこっそりと練習した成果だ。今まで音痴だと馬鹿にしていたタケルたちも、今のぼくを見たら驚くだろう。
ぼくの歌声とピアノの演奏が混じり合い、実験体たちの耳に届いていく。想いが伝わっていく。
「なんなんだ、お前は! 闇属性が暴走したかと思えば制御して! 私の邪魔をして! 何がしたいんだ!」
怒鳴り散らすドクターを見つめたぼくは、鼻を鳴らす。
「……音楽」
ぼくがやりたいことは、音楽だ。それ以外、いらない。
演奏を止めたぼくは、呆気に取られているドクターに向かって駆け出した。
「やめろ、来るな! こっちに来るな!」
ドクターは実験体たちに指示を出すのも忘れて、走り寄ってくるぼくに叫ぶ。
走りながら強く握りしめた拳に、魔力を集めていく。
「私はただ、完全なる存在を作りたかっただけだ! 全知全能の神を、永遠なものを!」
ぼくから逃げるように後退りしたドクターは、壁に背中を押しつけて足を止めた。
床を踏み抜きながら加速したぼくは、魔力を集めた拳を振り被る。
「私の……私の研究は……」
逃げられないと悟ったドクターはぼくを見つめながら、小さく呟いた。
「私が求めていたものは、間違いだったのか……?」
それはぼくに問いかけているのか、それとも違う何かに問いかけていたのか。
ドクターの目の前で右足を踏み込んだぼくは、魔力と一体化した拳をドクターに向かって振り抜いた。
「__<レイ・ブロー・全音符!>」
全ての魔力を込めた全力の一撃を、叩き込む。
耳をつんざくような轟音と共に黒紫色の魔力が爆発し、闇と音の衝撃が空気をビリビリと震わせた。
ぼくの拳はドクターの腹部にめり込む__ことはなく、後ろの壁を殴りつけていた。
大きく穴が空いた壁の前で気を失ったドクターが力なく膝を着き、そのまま顔から床に倒れ込む。
荒くなった息を整えながら倒れているドクターを見下ろしたぼくは、口を開いた。
「……興味ない」
ドクターが間違っていたかどうかなんて、ぼくにはどうでもいいこと。
それよりも、とぼくは振り返って動きを止めている実験体たちの方に目を向ける。
「……安心して。みんなは、ぼくが守るから」
頬を緩ませて、みんなに囁く。
また円形のキーボードの中心に立ったぼくは、演奏を再開した。
「……もっと、聴かせてあげる。いくらでも、弾いてあげる」
再び始まった演奏に、理性を失っているはずの実験体たちの体がリズムに合わせて小さく動いているのに気付いた。
その姿に、思わず笑みがこぼれる。
「……楽しいよね、音楽」
なんとなく、このまま演奏を続けていればみんなを救える気がした。
ごめん、タケル。ごめん、みんな。
ぼくはこのままここで、演奏を続けるよ。助けに行きたいけど、ぼくはここにいる実験体たちも救いたいんだ。
心の中でタケルたちに謝りながら、音を奏でる。
これが、ぼくがするべきことだと思うから。
サクヤの戦いはこれで終わりです。
そして、次回から……とうとう、最終決戦。タケルと闇属性の戦いとなります。
タケル視点に戻りますので、ご了承下さい。




