四曲目『ひた隠しにしていた正体』
「兄貴! もう大丈夫ッス! い、今、助けるッス!」
ナイフを構えながらムンカムを睨むシエンだが、足が小さく震えていた。
シエンはあまり近接戦闘が得意じゃない。ムンカムと戦うのは無謀すぎる。
「やめ、ろ、シエン……ぐ、あ……ッ!」
シエンを止めようとすると、俺の首を掴んでいるムンカムの手に力が込められた。
そして、ムンカムはシエンをジッと見つめると、嬉しそうにニタリと笑みを深める。
「美味そうな匂いだぁ。まさか、ここで極上の餌が自分から来るなんてなぁ」
「ひッ!?」
涎を滴らせながら舌舐めずりするムンカムに恐怖を感じたのか、シエンはビクッと肩を震わせて後ずさった。
「こんな不味そうなの、いらないなぁ。それよりも、こっちからいただくかぁ」
「ぐッ!」
ムンカムは俺を適当に放り投げると、シエンに一歩ずつ近づいていく。
「な、なんなんッスか! く、来るなッス!」
「グフ、グフフ……あぁ、本当に美味そうだぁ。久しぶりのご馳走だぁ」
「し、シエン、逃げろ……ッ!」
シエンを助けようと起き上がろうとして、身体中に痛みが走り抜けていった。
左腕は使い物にならない、肋骨は数本折れている。どうにか足は無事だが、そう簡単に動けそうにねぇ。
「早く、逃げろ、シエン……ッ!」
「そ、そんなボロボロの兄貴を置いて、逃げる訳にはいかないッス! あ、兄貴の方こそ逃げるッス! こ、ここは、オレがこいつを……ッ!」
ガタガタと体を震わせながら、シエンは近づいてくるムンカムに向かってナイフを構えて戦おうとしていた。
ダメだ、俺ですら勝てねぇムンカムをシエンが倒せるはずがねぇ。
「クソ、動けよ、俺の体ぁ……ッ!」
ミシミシと肉と骨が軋み、歯を食いしばりながら体を起こす。頭の奥から殴りつけてくるような頭痛に視界が白く明滅する。
それでも、ここで立たないとシエンが食われる。
「く、来るなッス! このッ!」
ゆっくりとした動きで手を伸ばすムンカムに、シエンは怯えながらナイフを振った。
だが、ナイフはムンカムの腕に弾かれ、シエンは尻餅を着く。
尻餅を着いたまま恐怖に染まった目で後ずさるシエンに、ムンカムは愉悦に染まった笑みを浮かべてた。
「あぁ、そうだ。その目だ。もっと恐怖しろ、もっと怯えて、もっともっと絶望しろ。恐怖で硬くなった肉の歯応えと、噛む度に柔らかくなる感触が味わえて最高なんだぁ」
地の底から這い上がってくるような腹の虫を響かせて、ムンカムは涎を腕で拭う。
「この感触は男じゃ味わえない。男の肉はずっと硬いままで、干し肉みたいだからなぁ。だから、お前が来てくれて嬉しいぞぉ」
シエンを見つめたまま語るムンカムに、嫌な予感を感じた俺はピタリと動きを止めた。
「久しぶりに食うからなぁ。お前みたいな、おん__」
__言わせねぇ。
考えるよりも先に、足が動いた。
さっきまで俺を襲っていた痛みを忘れて地面に転がっていたナイフを拾い、前に倒れ込みながらムンカムの背中に向かってナイフを投げ放つ。
「む? まだ動けたのかぁ」
だが、ナイフはムンカムの背中に突き刺さることはなく、脂肪の鎧に弾かれる。
面倒臭そうに振り返るムンカムに、俺はうつ伏せで倒れながらニタリを笑ってみせた。
「当たり前、だろうが……まだ、俺は死んでねぇ。こっから、逆転するんだよ……ッ!」
「はぁ。その死に体でまだ勝てると思っているのかぁ?」
「あ、兄貴! 無理しちゃダメッス!」
シエンの叫びを無視して、近くに転がっていたシャムシールを右手で掴む。
そのままシャムシールを杖にして体を起こしてから、鼻を鳴らす。
「ハンッ、無理だぁ? バカなこと言ってんじゃねぇぞ、シエン。俺様は、黒豹団を率いるアスワド・ナミル様だぞ……」
体が痛い。骨が軋む。筋肉が悲鳴を上げている。左腕が折れている__だから、どうした。
「__う、お、ラァアァァァアァァアァァッ!」
震える足に鞭を打ち、雄叫びを上げながら立ち上がる。
倒れそうになるのを必死に堪え、シャムシールの切っ先をムンカムに向けて口角を上げて言い放つ。
「__テメェ如きに心配されるほど、落ちぶれちゃいねぇんだよ」
さっきまでは俺一人だったが、今はシエンがいる。
臆病で弱いくせに、俺を慕ってついてきてくれる愛しのバカがいる。
なら、ここで死ぬ訳にはいかねぇ。手下の前で無様な姿は見せられねぇ。
今にも泣きそうな目で見つめてくるシエンをチラッと見てから、ムンカムを睨みつける。
「シエン、手伝え。今からこいつをぶっ飛ばして、やよいたんを助けに行くぞ」
「わ、分かったッス!」
俺の指示にシエンは慌てて立ち上がり、ナイフを構えた。
前と後ろを俺たちに挟まれたムンカムはため息を漏らすと、首をゴキゴキと鳴らす。
「面倒だが、まぁいいか。俺の狙いは、お前だけだからなぁ」
「う、うるさいッス、この肉ダルマ! あ、兄貴がいれば、お前なんか簡単にぶっ飛ばせるッス!」
ムンカムの狙いは、シエンだ。ボロボロの俺なんて眼中にねぇ。
なら、それを利用して戦うしかねぇな。
「シエン! お前はとにかく避けろ! 絶対に捕まるな!」
「りょ、了解ッス!」
さて、と。
シエンには逃げに徹して貰うとして、俺はどう戦うかを考える。
まず、今の俺の状態で戦うのは正直無謀だ。だから、策を練らないとならねぇ。
「……やるしか、ねぇか」
頭に過ったのは、一つの魔法。俺が使える、最強の魔法だ。
だが、その魔法は俺への負担がデカすぎて使いこなせてねぇ。
今のボロボロの体で使えば最悪、俺は__。
「しのごの言ってる場合じゃねぇだろ」
弱気になっている自分に喝を入れ、ゆっくりと息を吐いて集中する。
魔力を練り上げていくと、俺の足元の地面が少しずつ凍り始めた。
シエンは腕を伸ばしてくるムンカムから逃げつつ、ポケットから何かを取り出して投げつける。
ムンカムは投げられた物を腕を振って叩き落とすとした瞬間、シエンが投げた物が爆発した。
「ぶあッ!? こ、のぉッ!」
「まだまだッス!」
シエンが投げたのは、煙幕だ。
目の前で爆発して煙で覆われたムンカムは、咳き込みながら腕を振る。
その隙に、シエンはポケットからワイヤーを取り出して、ムンカムの太い胴体に巻きつけながら走り回った。
ワイヤーで拘束されたムンカムは、舌打ちしながら力任せにワイヤーを引きちぎる。
「邪魔だぁッ!」
「うわッ!?」
ムンカムは引きちぎったワイヤーを引っ張ると、シエンの体がフワッと浮かび上がった。
ニヤリと笑いながら宙を浮かぶシエンに手を伸ばすムンカムの背中に向かって、俺は走り出す。
「らぁッ!」
片手でシャムシールをムンカムの背中に振り下ろすも、脂肪の鎧に弾かれる。
だが、ムンカムの動きを止めることには成功した。
その間にシエンはワイヤーを手放して着地し、ムンカムに向かってまた何かを投げつける。
「ちぃッ!」
シエンが投げた物はムンカムの体にぶつかり、小さく爆発した。
目の前で火花が散ったことで、ムンカムは目を閉じている。
「しぃッ!」
鋭く息を吐き、今度はムンカムの右足の膝裏を斬りつけた。
関節部の肉は薄く、弾かれることなくシャムシールは膝裏に浅く傷を付ける。
「邪魔だぁッ!」
膝裏を斬られて体勢を崩しながら、ムンカムは振り向き様に俺に向かって腕を薙ぎ払ってきた。
向かってくる腕を前に倒れ込むようにして避け、そのまま懐に飛び込む。
「うらぁッ!」
そして、今度は軸足になっている左足の膝裏を斬りつけてやった。
軸足を斬られたムンカムはさらに体勢を崩し、倒れそうになる。
「舐めるなッ!」
ムンカムは片手を地面に着くと、バク転して華麗に着地した。その体型でよく動くデブだ。
だが、隙が生まれた。
シャムシールの剣身に氷属性の魔力を纏わせ、集中する。
「剣身と魔力を一体化させるように……」
憎たらしい赤髪の教え通りに、剣身と魔力を一体化させる。
そして、隙だらけのムンカムに向かって駆け出し、氷属性の魔力を纏ったシャムシールを薙ぎ払う__ッ!
「__<ジーブル・シュラーク!>」
声を張り上げ、シャムシールをムンカムの腹に喰らわせた。
その瞬間、氷属性の魔力が爆発し、ムンカムの体が一気に凍りついていく。
「う、おぉッ!?」
ムンカムの巨体は花を象った氷塊に閉じ込められ、白い冷気が部屋に漂う。
しかし、氷塊にヒビが入ると、ムンカムは雄叫びを上げながら氷を砕いて抜け出した。
「その程度で、俺は倒せると思ったかぁ!」
「ハンッ、元からこれで終わると思ってねぇよ」
とは言え、今の俺が出来る最大の一撃を喰らったのに、ほぼ無傷か。
分かってはいたが、キツいな。
内心で舌打ちしながら、周りを見渡す。
「……まだ、足りねぇな」
部屋中に漂う白い冷気。地面には氷が広がり始めている。
だけど、まだ足りない。もっと、もっと凍らせる。
「シエン! もう少しだ、気張れ!」
「は、はいッス!」
本当はシエンを囮に使いたくねぇが、今はそんなこと言ってられねぇ。
避けるのが上手いシエンでも、そう長くは持たないだろう。早いとこ、準備を終えねぇとな。
そんなことを考えていると、ムンカムは苛立たしげに舌打ちしながら拳をギリッと握りしめた。
「あぁ、面倒だぁ。本当に、面倒だぁッ! 早く、喰わせろぉぉぉッ!」
雄叫びを上げ、シエンに向かって走り出すムンカム。
その速度は巨体に似合わず、かなり速い。
腕を伸ばしながら突進してくるムンカムに、シエンは目を見開きながら慌ててその場から飛び込んだ。
「ヒィッ!?」
シエンが避けたことで目標を失ったムンカムは、一直線に壁に突進していく。
だが、ムンカムは地面を滑りながら軌道を変え、ほぼ鋭角に曲がってまたシエンに向かって駆け出していた。
「逃げろ、シエン! <我が祈りの糧を喰らう龍神よ、我が戦火を司る軍神よ、今こそ手を取りかの者に凍獄の拷問を>__<アイシクル・メイデン!>」
このままだとシエンが轢かれる。急いで詠唱して地面に手を置き、ムンカムに向かって地面から氷柱を伸ばして向かわせる。
「無駄だぁッ!」
ムンカムは氷柱を砕きながら突進を続け、シエンに向かって行っていた。
氷柱をものともせずに走り抜けたムンカムは、そのままシエンへと襲いかかり__。
「__きゃあぁぁッ!?」
どうにか避けようとしたシエンの体に、ムンカムの腕が掠めた。
間に合わなかったシエンは悲鳴を上げ、宙を舞う。
「____あ」
俺はとうとう、見てしまった。
フワリと、シエンの頭に巻かれていた黒いバンダナが外れる。
バンダナがなくなり、露わになったのは……綺麗な金色の、長い髪。
地面を転がったシエンは痛みに顔をしかめながら体を起こすと、その拍子に口元を隠していた黒い布まで外れてしまった。
「え、あ……あぁッ!?」
シエンは頭のバンダナと口元の布がないことに気付き、顔を青ざめさせる。
露わになったのは蒼い瞳をした、まだ幼さを残した可愛らしい素顔。
シエンはハッと俺の方に目を向ける。
「あ、あぁ__あぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁッ!?」
見られたくない物を見られたと、シエンは悲鳴を上げて手で顔を隠した。
その姿に、俺は歯を鳴らしながら拳を握りしめる。
「やめて、お願い、見ないで兄貴ぃぃぃぃッ!」
シエンの悲痛の叫びが、部屋中に響き渡る。
ずっと、黒豹団に入る時からずっとひた隠しにしていた、シエンの秘密。
俺が__俺たちが、何も言わずに接してきたシエンの正体。
昔、俺たちが盗みに入ったヤークト商業国の骨董屋の店主、ガンドという男の一人娘。
__シェラが、そこにいた。




