二十九曲目『宿敵との別れ』
真っ暗な視界の中で、何か暖かい感触が体を包み込んでいるのを感じた。
そして、頬をペロペロと舐められている感触も。
重い瞼をゆっくりと開けると、そこには真っ白なモフモフと見覚えのある蒼い楕円形の宝石。
「キュウ、ちゃん……?」
「きゅきゅー! きゅっきゅきゅー!」
それは、キュウちゃんだった。
キュウちゃんは俺が目を覚ましたことに喜び、顔にモフッと抱きついてくる。
「も、もがッ、ちょ、ちょっと待って、苦しいって」
口と鼻を抑えられて息が出来なくなった俺は、左手でキュウちゃんの首元を掴んで離れさせた。
そこで、俺は左腕を目を丸くして見つめる。
「あ、あれ? たしか、左腕が折れてたはずなのに……」
そう、俺の左腕はフェイルとの戦いで折れていたはずだ。
でも、軋むような痛みはあるけど動けないほどじゃない。
目をパチクリとさせていた俺は、ふとフェイルのことを思い出して慌てて体を起こした。
「あだだだッ!?」
その瞬間、身体中にビキビキと痛みが迸る。
ア・カペラを調整しないで使った代償と、激しい戦闘のダメージが一気に襲いかかってきた。
それでもなんとか堪えてフェイルが倒れている場所に目を向けると、そこには地面に突き刺さった大剣に背中を預けて腰を下ろしているフェイルの姿があった。
「フェイ、ル……」
手足をだらりと投げ出して俯いていたフェイルは緩慢な動きで俺を見ると、力なく鼻を鳴らす。
「目を、覚ましたようだな……少しでも体が動ければ、トドメをさせたのに……残念だ」
「お前、体が」
フェイルの胸に埋め込まれていた赤い核は完全に砕け散り、そこからダラダラと黒い泥のような魔力が流れていた。
そして__身体中にヒビが入り、サラサラと砂のように崩れ始めている。
唖然としていると、フェイルはゆっくりと息を吐いて空を見上げた。
「その小動物に、感謝するんだな……お前がそうやって動けるのは、そいつのおかげだ」
「キュウちゃんの?」
キュウちゃんを見ると、キュウちゃんは首を傾げる。
キラッと光った額の蒼い宝石に、目を丸くした俺の顔が反射していた。
もしかして折れていた左腕が治ってるのは、キュウちゃんのおかげ……?
「よく分からないけど、ありがとな」
「きゅきゅ!」
とりあえずお礼を言うと、キュウちゃんは自慢げに鳴いた。
わしゃわしゃとキュウちゃんの頭を撫でてから、痛む体に鞭を打って立ち上がる。
「痛いけど、動けるな」
めちゃくちや痛いし、本当ならもう少し休んでいたい。
だけど、休んでいる時間はない。すぐにでも闇属性がいる場所へ急がないと。
近くに転がっていた剣を指輪に戻してから、改めてフェイルの方に目を向ける。
「__俺の勝ちだ」
俺とフェイルの長きに渡る因縁の戦いは、俺の勝ちで幕を下ろした。
勝利宣言をしてやると、フェイルは頬を緩ませる。
「あぁ、そうだな……オレの負けだ」
見たことがないほど穏やかな笑みを浮かべたフェイルは、素直に負けを認めた。
ちょっと意外で驚いていると、フェイルはクツクツと笑う。
「負けたというのに、少しも悔しくない。むしろ、清々しさまで感じる……こんなこと、生まれて初めてだ」
「俺もお前も、限界を超えてまで全力で戦った。だから、じゃないか?」
「そうか……そういう、ものか」
フェイルはスッキリとした面持ちで鼻を鳴らすと、ギロッと俺を睨む。
「一つ答えろ、タケル__なぜ、俺が負けた? 力では俺が上だったはず……貴様の何がオレを上回った?」
たしかに力はフェイルが上だった。
それなのに俺が勝ったのは……。
「__意地だよ。ただの、意地だ」
笑いながら答えると、フェイルは呆気に取られた顔をしていた。
「意地、だと? そんなものが?」
「あぁ、そうだ」
「……理解に苦しむな。意地ごときでオレを上回るなど。世界を守るため、のような馬鹿らしい理由かと思えば、それ以上だな」
呆れたようにため息を漏らすフェイルに、ムッとしながら肩をすくめる。
「まぁ、世界を守るためってのもあるけどさ。それ以上に、俺はお前に負けたくなかった」
「オレに?」
「あぁ。たしかに俺はこの世界を、俺たちの世界を守るためにここまで来た。諸悪の根源、闇属性をぶっ飛ばしに来た。仲間のことも心配だし、俺が負ければ全部が終わる。そういう意味では、負けられない戦いだった」
だけど、と一度言葉を切ってから、ニッと笑って言い放った。
「あの時、あの瞬間__お前との戦いでは、お前に勝つことしか頭になかったな」
世界の命運とか、離れ離れになった仲間のこととか……色々、背負って戦っていた。
でも、一番はフェイルに勝つ。そのために、全力を超えてまで戦った。
そう言うと、吹き出したフェイルは空を見上げながら大笑いする。
「ハハハハハハッ! ゲホッ、ゲホ……そうか、オレに勝つことしか頭になかったか……ようやく分かった。貴様は、馬鹿なんだな」
「む、まぁ否定は出来ないけど」
ストレートに言われると、なんかムカつくな。
不満げに睨んでいると、一頻り笑ったフェイルは憑き物が落ちたような表情で静かに目を閉じた。
「なるほどな。そんな馬鹿な貴様だからこそ、オレはここまで……」
ボソッと呟いたフェイルは、ミシミシと音を立てながら立ち上がる。
パラパラと砂のように体が崩れ、ボタボタと胸から黒い泥が滴った。
「お、おい、そんな体で……」
フェイルに駆け寄ろうとすると、フェイルは手のひらを向けて止める。
震える体でどうにか立ち上がったフェイルは、鋭い視線で俺を睨んだ。
「オレに構っている暇が、あるのか?」
「だけど」
「征け。貴様はオレに勝った。敗者はただ、立ち去るのみ。勝者の貴様は、先に進め」
フェイルが動く度に体の表面が崩れ、砂のように霧散していく。
おぼつかない足取りで歩き出したフェイルは、俺に背中を向けた。
「……貴様が向かう先に待つのは、地獄だ。それでも、貴様は進むのだろう。例え地獄だろうと、馬鹿は馬鹿らしく進むがいい」
「あんまり馬鹿って言うなよ、傷つくだろ」
「フンッ、馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」
足を引きずりながら、フェイルは地面に突き刺さった折れた大剣を引き抜く。
その拍子に倒れそうになるのを堪えると、ビキッと背中の表面に亀裂が走った。
ボロボロと崩れていくその背中は__どこか、大きく見えた。
「タケル」
ふと、フェイルは俺を呼んだ。
背中を向けたまま大剣を肩に担いだフェイルは、静かに口を開く。
「ガーディ様はこの城の最上階にいる。そこで、術式の準備をしているだろう。急がないと、間に合わんぞ」
フェイルのその言葉は、俺への激励だった。
あんなにガーディ……闇属性に忠誠を誓い、命までも賭けていたフェイルがそんなことを言うなんて、と目を見開く。
だけど、俺は口角を上げて笑い、フェイルに背中を向けた。
「あぁ、そうするよ。ありがとうな」
「フンッ、礼などいらん。これから死ぬ貴様への餞だ。どうせ、貴様ではガーディ様の覇道を食い止めることなど出来んだろう」
「いや、止めるね。俺たちで、絶対にな」
俺とフェイルは、背中を向けたまま言葉を交わす。
俺がクスッと笑うと、背中越しにフェイルが小さく笑う声が聞こえた。
「じゃあな、フェイル__お別れだ」
「あぁ。さらばだ、タケル__もう二度と、会うことはないだろう」
これが、最後の別れだ。
宿敵で……ライバルのフェイルとは、もう会うことはない。
その言葉を最後に俺は、足元にいるキュウちゃんに声をかける。
「行こう、キュウちゃん」
「きゅ……きゅー」
キュウちゃんは心配そうにフェイルを見てから、俺の体を登って頭に乗った。
俺はフェイルに教えて貰った闇属性がいる城の最上階に向かって、歩き出す。
「__我が終生の宿敵に苦難と……栄光あれ」
後ろから聞こえた声が、一陣の風に消えていく。
ザァッ、とさざなみのような砂が崩れ去る音が、耳に届いてきた。
思わず振り返りそうになった俺は__唇を噛みながら、振り返らずに城の中に入る。
「__待ってろよ、闇属性。今からお前を、ぶっ飛ばしに行くぞ」
痛む体に鞭を打ち、重い足にグッと力を込めて駆け出した。




