十七曲目『黒龍との再会』
夢を、見ている。
暗い地の底のように真っ暗な空間で、俺は一人で立っていた。
__いや、一人じゃない。暗い闇の中に、大きな息遣いが聞こえていた。
「……お前は」
俺の声が闇の中に静かに木霊する。
すると、反応するように闇の中で巨大な何かが蠢いた。
「グルルルル……」
低い、大きなうなり声が響き渡る。
闇の中に血のように赤い双眼が浮かび上がり、真っ直ぐに俺を睨んでいた。
「久しぶり、って訳でもないか」
それは、見上げるほど大きな存在。
この空間の中でも分かるほど黒くて堅い鱗で覆われ、背中に生えた巨大な翼は畳まれている。
大木のように太い尻尾がズルズルと地面を引きずり、長い首をもたげて俺に近寄ってきた。
鼻から吐き出された息が俺の髪を揺らす。圧倒的な存在感を放つそれに、俺は笑みを浮かべた。
「なぁ……<災禍の竜>」
災禍の竜。
世界を滅ぼす生きた災害と呼ばれていた、最強最悪のドラゴン。
その昔、アスカ・イチジョウは災禍の竜と戦って封印したことで、英雄と呼ばれるようになった。
__そして、俺たちも復活した災禍の竜と戦い、倒している。
その災禍の竜は俺の呼びかけに鼻を鳴らし、ズイッと大きな顔を近寄らせた。
戦った時はこの世界全てを恨み、滅ぼそうとしている憎悪に染まっていたけど、目の前にいる災禍の竜は違っている。
とても穏やかで、本当にあの時戦った災禍の竜なのかと疑ってしまうほど、静かだった。
俺は目の前にいる災禍の竜の鼻先を、ゆっくりと優しく撫でる。
「どうしてお前が俺の夢の中に出てきたのかは分からないけど……戦うつもりはないみたいだな」
「グルル……」
災禍の竜は鋭い眼光を細め、気持ちよさそうに喉を鳴らしていた。
それどころか、甘えるように鼻先を俺に押し付けてくる。
「おいおい、やめろって」
くすぐったくて笑いながら頭をポンポンと叩くと、災禍の竜は俺からゆっくりと離れた。
それにしても、どうしてこんなに懐いているのか。
これが夢なのは分かっているけど、目の前にいる災禍の竜は間違いなく本物だ。
俺たちは暴れ回る災禍の竜を討ち取った。そして、トドメを刺したの俺だ。その時のことは、今でも脳裏に焼き付いている。
恨まれていても仕方ないはずなのに、災禍の竜には殺意も敵意も感じられない。
「まぁ、いいけどさ」
とはいえ、戦わずに済むならそれに越したことはないな。
あの時の戦いはまさに死闘だった。もう一度戦うのは正直勘弁して貰いたい。
「で、災禍の竜。どうして俺を呼び出したんだ?」
なんとなく、災禍の竜が俺を呼び出したように思えた。
これは夢だけど、夢じゃない。精神世界で起きている現実だと、頭で理解している。
すると、災禍の竜は首をもたげて空を見上げた。釣られて俺も見上げると、闇のような真っ暗な空間を照らすように、上から眩い光が降り注いでくる。
そして、光は俺たちを差し込むと__災禍の竜の体が白い炎に包まれた。
「なッ!? お、おい、大丈夫か!?」
慌てて災禍の竜に近づこうとすると、災禍の竜は穏やかな目で俺を見つめてくる。
その目は、大丈夫だと言っている気がした。
そのまま白い炎は災禍の竜の巨体を全て覆い尽くし、炎が消えるとそこに残されていたのは__。
「た、タマゴ……?」
銀の光を放っている純白の大きなタマゴだった。
何が起きたんだ、と俺はタマゴに手を伸ばす。
「__うわッ!?」
俺の手がタマゴに触れそうになった瞬間、突然俺の体が後ろに引っ張られるように吸い込まれた。
一気にタマゴから引き離され、一瞬で目の前が暗転する。
「__ぐえッ!?」
そして、腹部に衝撃を感じた。
カエルが潰れたようなうめき声と共に、目をパチクリさせながら天井を見つめる。
顔だけ上げて腹を見てみると、そこには足が乗っていた。
その足の正体は__ウォレスだ。
「……お前かい」
ウォレスはうるさいイビキをかきながら、グースカと眠っている。
夢の中にいた俺は、目を覚まして武家屋敷の部屋に戻っていた。
俺の周りではウォレスだけじゃなく、サクヤと真紅郎も眠っている。
「寝相、悪過ぎだろ」
俺の腹に乗っかっているウォレスの足をどかしてから、深く息を吐いた。
夢の中で出てきた災禍の竜。白い炎に包まれた災禍の竜のいたところに残された、白い大きなタマゴ。
「あれは、なんだったんだ……ん?」
ふと、俺は右手を握りしめていたことに気付いた。
ゆっくりと手を開くと、そこには真っ赤な小さい鉱石。
「なんだこれ?」
じっくりと見てみると、赤い鉱石の中で炎のような魔力が揺らめいていた。
その鉱石はまるで災禍の竜の目のようだ。
これが何かは分からないけど、何か重要な物だと本能的に感じた。
「とりあえず、持っておこう。それにしても災禍の竜は何を伝えようとしてたんだ?」
結局、災禍の竜が俺に何を伝えようとして呼び出したのか、分からないままだ。
だけど、どうにも気になる。これは一度、災禍の竜を倒した場所に行ってみた方がいいかもしれないな。
「あとでみんなにも話すか__ッ!?」
ゾクリ、と危機を察知する。
即座に飛び起きると、俺の枕にサクヤの裏拳が叩き込まれた。ドスンッと鈍い音を立てて、枕がくの字に変形している。
だけどサクヤは静かな寝息を立てていた。
「こいつも寝相が悪いな、本当に……」
危うく俺も枕のように裏拳を叩き込まれるところだったな。
わざとじゃないにしても、穏やかに眠っているウォレスとサクヤにイラッとする。
だから、この二人を引きずって隣り合わせにしてやった。
「フヘヘへへ……」
「……うーん、うーん」
すると、ウォレスは眠ったままサクヤに抱きつき、よだれを垂らす。抱きしめられたサクヤは苦しそうにうめきながら、どうにか離れようとしていた。
いい気味だ、とほくそ笑みながらこっそりと部屋を出る。
「ふわぁ……」
部屋を出て縁側でアクビをしながら体を伸ばす。
この神域に来て、アスカさんからの修行を受けてから二日が経過した。
やよいたちもどんどん実力を伸ばし、俺も少しずつだけど光属性の制御が出来るようになってきている。
これも全て、アスカさんのおかげだな。静かに深呼吸していると、離れたところから何かを振っている音が聞こえてきた。
音がする方へと歩いていると、庭先でアスカさんが立っているのを見つける。
「アスカさん? 何をしてるんだろう」
アスカさんは動きやすそうな着流し姿で、剣を持って立っていた。
その剣は、俺の剣だ。正確にはアスカさんの物だけど。
どうやら魔装をアクセサリー状態にするのを忘れたまま、寝ていたみたいだ。
「フゥゥゥゥ__」
アスカさんは長く息を吐いて剣を構えると、素早い動きで前へ踏み込む。
そして剣を振り、流れるように動きながら次は剣を薙ぎ払った。
その動きはまるで舞を踊っているかのように流麗で、振われる剣は鋭い。
「綺麗だな……」
思わず、そんな感想が口から漏れた。
アスカさんが持つ剣は、元の持ち主に振られてまるで喜んでいるような感覚に陥る。
そのままアスカさんはコマのように回転しながら剣を振り、その風圧が離れたところにいる俺にまで届いた。
「……あれ、タケル? 起きたんだね、おはよう」
俺に気付いたアスカさんは微笑みながら挨拶し、思い出したように自分が持っている剣を見て慌て始める。
「あ、ごめんね! なんか久しぶりで、ちょっと借りちゃった……」
「いいんですよ、元々はアスカさんの剣なんですから」
おずおずと剣を返したアスカさんに笑いかけてから、剣をアクセサリー状態に戻して指にはめた。
それから俺たちは縁側に座り、談笑する。
「アスカさん、まだまだ現役でもいけるんじゃないですか?」
「あはは……どうだろうね? それにしても、タケルの剣はロイドにそっくり」
「まぁ、師匠ですから」
俺の剣はロイドさんに叩き込まれたものだ。
あの時の修行は本当に厳しかったなぁ……隣にいるアスカさんも、相当だったけど。
苦笑いを浮かべていると、アスカさんはため息を吐きながら空を見上げた。
「あのロイドが弟子を、ねぇ。想像出来ないなぁ。歳を取ったって、こういうことなのかな?」
「全然まだ若いじゃないですか」
「もうオバさんだって」
クスクスと笑うアスカさんは、遠い目をしながら口を開く。
「不思議だよね。我流で剣術を使っていたロイドの弟子が、私が使っていた音属性魔法で戦うなんて」
「そうですね。二人のいいとこ取りが、俺ってことです」
「こら、調子に乗らない」
俺の冗談にアスカさんは頬を緩ませた。
ロイドさんの剣術と、アスカさんの音属性魔法を使う俺だからこそ、二人は俺にとって憧れの存在だ。
「__アスカさん」
真剣な眼差しを向けながら、アスカさんに声をかける。
俺にとって憧れの存在の二人は、旅をしていた仲間同士だった。
その間には、固い絆で結ばれているはず。そして、少なくともロイドさんはアスカさんのことを__。
「俺から、お願いがあります。俺たちがロイドさんを救出することが出来たら__ロイドさんに、会ってくれませんか?」
俺のお願いに、アスカさんは目を見開く。
そして、静かに首を横に振った。
「それは、難しいかな。今の私は属性神……死んでいる存在。いつまでも死人が出張る訳にはいかないからね」
悲しげにアスカさんは答える。
死んでしまった人が生きている人に会うのは、アスカさんとってはそう簡単に了承出来ることじゃないんだろう。
だけど__ッ!
「ロイドさんは、アスカさんにもう一度会うために俺たちに剣を向けました。あなたに会いたい一心でガーディと、闇属性と手を組みました。やり方は間違ってたかもしれないですけど、その想いは純粋そのものだと思います」
ロイドさんが俺たちを捕まえようとしたことは、もう恨んでない。
むしろ、俺にはその気持ちが理解出来た。
もう一度、大切な人と会えるなら……俺でも、ロイドさんと同じことをすると思う。
「たしかにアスカさんはもう……死んでいます。だけど、こうやって俺と話すことが出来る。だったら、一度だけでいいんです。ロイドさんと、会って下さい。話して下さい。お願いします」
深く頭を下げて、懇願する。
俺はロイドさんとも、アスカさんとも話すことが出来ている。二人のことを知っている。
だからこそ、二人がもう二度と出会えないままなのは、嫌だった。
アスカさんは静かにため息を吐くと、小さく笑う。
「本当、そっくりだね。頑固で真っ直ぐ。人のために頭も下げれるし、命だって賭けられる。キミとあいつは、似たもの同士だよ」
そう言うとアスカさんは俺の肩をポンッと叩いた。
「ほら、頭を上げて」
「じゃあ、会ってくれるんですか?」
「……少し、考えさせて欲しい。お願い」
この場ですぐに答えは出せないと、アスカさんは儚げに笑いながら言う。
これ以上、俺が口を出す訳にはいかないか。
俺とアスカさんは黙り込み、静かな時間が流れ__。
「おはようございます、アスカさ……タケルぅぅぅぅぅッ!」
「グエッ!?」
寝ぼけ眼のやよいが縁側に来たかと思うと、やよいはいきなり俺の背中にドロップキックをかましてきた。
咄嗟に反応出来なかった俺は蹴り飛ばされ、ゴロゴロと庭先を転がる。
「い、いきなり、なんだよ、やよい……」
「何をアスカさんと二人きりで話してるの!? タケルのくせに!」
なんて物言いだ。
ズキズキと痛む背中に悶えていると、そこに目を覚ましたウォレスたちが加わった。
「ふわぁ……おはよう、みんな。って、何してるのタケル?」
「ハッハッハ! いやぁ、いい夢見てたぜ!」
「……酷い夢を、見てた気がする」
真紅郎は庭で倒れている俺に目を丸くし、ウォレスは大声で笑い、サクヤは気持ち悪そうに吐き気を堪えている。
一気に賑やかになった縁側でアスカさんはポツリと、どこか愛しげに呟いていた。
「__ロイド」
ロイドさんの、名前を。




