二十八曲目『異常事態』
急いで船底の倉庫に向かうと、鉄製の扉から魔力の光が漏れ出している。
扉を蹴破って開くと、そこには直視するのが難しいほど眩い光を放つ石板があった。
「こ、これは……!?」
腕で目元を隠しながら周囲を見渡してみると、誰かがいる様子もない。
つまり、この異常な魔力はこの石板が起こしているということだ。
「__おい、タケル! 報告しろ! どうなってる!?」
「倉庫に運んだ石板が魔力を放ってるみたいだ! どうしてかは分からないけど!」
「本当ですか、タケル!?」
伝声管から聞こえてきたベリオさんの声に返事をすると、シリウスさんが割って入ってくる。
「タケル! 私もそちらに向かいます! 私が行くまで石板に触れないで下さい! ここからでも感じ取れるほどその魔力はかなり危険です!」
「わ、分かりました! でも、早くして下さい! 見た感じ、かなりヤバそうです!」
石板から放たれている魔力は、どんどん大きさを増していた。このまま放っておけば、魔力が暴発して大変なことになる。
一刻の猶予もない。すぐにでも対処しないと、俺たちごと爆発しかねない。
切迫した状況の中__。
「え、ちょっと、キュウちゃん!?」
やよいの焦る声が後ろから聞こえてくる。
振り返ると、やよいが抱っこしていたキュウちゃんが、まるで引き寄せられるようにフワリと浮かび上がっていた。
まだ目を覚ましていないキュウちゃんが、光を放つ石板へと吸い込まれそうになっている。
やよいが慌ててキュウちゃんを抱きしめるけど、キュウちゃんの体は徐々に石板へと引っ張られていった。
必死にキュウちゃんを引っ張って抵抗していたやよいだったけど__。
「え? きゃあぁぁぁッ!?」
「や、やよい!?」
フワリ、とやよいの足も浮き始め、そのまま石板へと引き寄せられていく。
勢いよく横切るやよいに手を伸ばしてどうにか腕を掴んだけど、石板の引き寄せる力が強すぎて俺の足も徐々に床を滑り始めていた。
「タケル! やよい!」
「チィッ! なんなんだよ、いったい!?」
「……タケル! 手を!」
俺が堪え切れないことを察した真紅郎、ウォレス、サクヤは俺の体を抱き抱えて一緒に堪える。
それでも、俺の体は三人ごと引っ張られていく。
「や、よい……ッ!」
「た、ける……ッ!」
抵抗むなしく、とうとう俺の足が浮かび上がり、俺の体を抱えていた真紅郎たちごと石板へと吸い込まれていった。
やよいを引き寄せて抱きしめながら、俺たち全員の体は石板へと向かっていき__。
「う、うわぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁッ!?」
そのまま、石板が放つ眩い魔力の光へと飲み込まれていった。
視界が真っ白になり、何も見えない。
分かるのは体が錐揉み回転しながら、どこかに吸い込まれていっている感覚だけだ。
回りすぎて前後感覚を失い、どこに向かっているのかも分からない。
すると、真っ白い光の中で少しだけ、俺たちが向かっている先が見え隠れしていた。
「な、んだ、あれ……ッ!?」
それは、目を疑う光景だった。
真っ白な空間に青白い大きな渦がうねりを上げている。あれは……魔力の渦だ。
全てを飲み込む巨大な魔力の奔流に向かって、俺たちはぐるぐると回転しながら向かっていた。
どうにかジタバタと体を動かしてもがくも、どんどん渦に近づいていく。
「真紅郎! ウォレス! サクヤ!」
真紅郎たちも俺と同じようにグルグルと錐揉み回転しながら、渦へと吸い込まれていっていた。
しかも、全員散り散りになっている。
「やよい! やよいはどこに……ッ!」
やよいの姿を探すと、やよいはキュウちゃんを必死に抱きしめながら、俺たちよりも渦に近いところにいた。
あの魔力の渦がどういうものなのか分からない以上、やよいだけが先に飲み込まれることは避けたい。
俺は水の中を泳ぐようにもがきながら、やよいの元へと急ぐ。
「やよい……手を……ッ!」
少しずつ近づいていき、やよいに向かって手を伸ばしながら声を張り上げる。
だけど、やよいは返事をしない。よく見ると、気を失っているようだった。
「ちく、しょう……ッ!」
「__ヘイ! タケル!」
届きそうで届かない距離にいるやよいに歯痒く思っていると、後ろからウォレスの声が聞こえてくる。
どうにか振り返ると、ウォレスは回転しながらドラムスティックを握りしめていた。
「ぐ、ぬ、ぬ……た、タケル! 絶対に、やよいを、キャッチしろよ!?」
そう叫ぶとウォレスは回りながらドラムスティックを振り上げ、一瞬だけ展開した魔法陣を叩く。
「行ってこい! <ストローク!>」
そして、魔法陣から音の衝撃波が放たれた。
音の衝撃波は俺の体を吹き飛ばし、一気にやよいの元へと近づく。
「ナイスだ、ウォレス……ッ!」
ウォレスのおかげで、俺はやよいを抱きしめることが出来た。
気を失ってもキュウちゃんを手放していないやよいを力強く抱きしめ、巨大な魔力の渦を睨みつける。
渦に飲み込まれたらどうなるのかは分からない。それでも、やよいだけは守ってみせる。
抱きしめる腕に力を込めつつ、渦に背中を向けながら俺は魔力の奔流に飲み込まれた。
「う、ぐ、ぎぎぎ__ッ!」
渦に飲み込まれた瞬間、回転する勢いが一気に増す。
三半規管が激しく揺さぶられ、平衡感覚が狂い、内臓がシェイクされて吐き気が襲ってくる。渦を巻く魔力の奔流に体がバラバラになりそうだ。 それでも、やよいは絶対に離さない。身に纏っていた真紅のマントで俺ごとやよいを包み、必死に堪える。
数秒か、それとも数分か。時間の感覚すらも狂い始めた頃、霞む視界の中で渦の最深部が見えた。
そのまま俺は渦の中央へと回転しながら向かっていき、その奥に広がっている空間へと投げ出される。
「__ガハッ!?」
グルグルと回っている視界で体が地面に向かっていることが分かった俺は、残された僅かな力を絞り出して地面に背中を向けた。
そして、強い衝撃が背中を襲う。
強制的に肺から空気が吐き出され、ゴロゴロと地面を転がっていった。
「ぐ、あ……ガッ!?」
何度も地面をバウンドしながら転がり、最後は何かにぶつかって止まる。
身体中を襲う痛みに顔をしかめながら、抱きしめていたやよいが無事かを確認する。
「すぅ、すぅ」
やよいはキュウちゃんを胸に抱きしめたまま、怪我をした様子もなく息をしていた。
ホッと安堵の息を漏らしてから、痛みを堪えつつ起き上がる。
「なんだ、ここは……?」
俺たちがいる場所。それはまさに__異世界だった。
空は赤く、月も太陽もない。
赤褐色の荒野には紫色の毒々しい植物が生え、ブクブクと泡立つエメラルド色の沼が点在している。
しかも、その沼は酸の沼のようで、弾けた泡が異臭を放っていた。
明らかに俺たちがさっきまでいた世界とは隔絶されたような、異なる世界。
青白い魔力の渦の先は、異様な光景が広がる異世界だった。
「そうだ、真紅郎たちも……うぐッ」
あまりの光景に愕然としていた俺は、すぐに真紅郎たちを探して周囲を見渡す。
俺たちと同じように、真紅郎たちも渦に飲み込まれたはずだ。だったら、この世界のどこかにいる。
だけど、周りには誰もいない。それどころか、生き物がいる気配すら感じられなかった。
そして、立ち上がろうとした瞬間、身体中に電気のように痛みが迸る。
痛みに耐えられずに、俺は力なく倒れ伏した。
「く、そ……ここで、気絶する訳には……」
少しずつ、意識が遠のいていく。
どこかも分からないこんなところで気を失うのは、かなり危険だ。
それが分かっていても、まるで沼に沈み込むように意識が遠くなっていく。
「やよい……」
最後の抵抗に気を失ったままのやよいを引き寄せ、守るように抱きしめる。
それを最後に、俺は意識を手放すのだった。




