二曲目『雪上の戦い』
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ……」
荒くなった息が白くなって口から吐き出される。深く降り積もった雪に足が取られ、体力がどんどん奪われていた。
ドルストバーン山脈に足を踏み入れてから、一時間。ユニオン本部がどこにあるのか分からないまま、とにかく頂上を目指して歩き続けていた。
だけど、進むにつれて徐々に勾配はキツくなっていく。
それに加えてここは豪雪地帯。
足首よりも上まである積雪のせいで、足が取られないように大きく足を上げて歩くからいつもより体力が削られていた。
しかも、雪の下の地面が凍っていて滑らないように神経を使ってるせいで、精神的にも辛くなっていく。
先頭を歩いているウォレスはまだ余裕そうだけど、その後ろにいる俺やもっと後ろにいる真紅郎、やよい、サクヤはかなり疲弊していた。
「ちょ、ちょっと待ってよぉ……」
「これは、かなり、辛いね……」
「……キューちゃん、降りて」
「きゅッ!?」
やよいは先を行く俺を必死に追い、真紅郎は息が絶え絶えになり、サクヤは頭の上にいるキュウちゃんの重さすら耐えきれなくなったのか降りるように言い始める。
言われたキュウちゃんは驚きながらイヤイヤと首を横に振っていた。
俺は遅れている三人の方を振り返りながら、声をかける。
「おーい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫に、見えるの?」
「……悪い、見えない」
汗だくになりながら俺をジロっと見てくるやよいから、ソッと目を逸らす。
大丈夫な訳ないよな。ただでさえ俺たちは登山__それも、雪山を歩くことに慣れてない。
この異世界に来て随分経ち、それなりに旅慣れしてきていてもここまでの雪山を進んだことがない俺たちには、この環境は未知の世界だった。
それでも、やよいたちは俺たちに追いつこうとペースを上げようとする。
「ヘイ、待て。無理してペースを上げようとするな」
すると、そこで先頭を歩いていたウォレスが呼び止めた。
俺を含めたみんなが首を傾げると、ウォレスはやれやれを肩を竦めながら説明し始める。
「体力の消耗は全員が均等にならなきゃいけねぇんだ。一番遅い奴、体力に自信がない奴のペースに合わせて、休憩のタイミングなんかも考えないとならねぇ。その配分はオレがペースメーカーになって決めるから、自分のペースで焦らず登りな」
スラスラと分かりやすく説明するウォレスに、俺たちは目を丸くしていた。
なんか、いつもよりもウォレスが頼りになる。富士山で死にかけたって話してたし、それから登山についてかなり勉強したみたいだな。
感心していると、ウォレスはチラッと降り積もった雪を見やると、険しい表情を浮かべていた。
「雪の中に石が混じってるな。ヘイ! もし後ろの方に石が転がったり、落ちていくのが見えたらラックって言うんだぞ」
「ラック? 運?」
言葉の意味が分からずに聞き返すと、ウォレスは雪の中から拳大の石を拾い上げて手元で転がす。
「落石、って意味だ。四文字で叫ぶより早いだろ? 気付かないで頭なんかにぶつかったら危ねぇから、事前にそう言って後ろの奴に知らせるんだよ。ラックだったり、石って言ったりする登山用語だな」
なるほどな。たしかに歩くのに集中し過ぎて転がってくる石に気付かなかったら、危ないもんな。
全員で納得していると、ふとサクヤが頭を上げて周囲を警戒し始めた。
「……この先に、何かいる」
サクヤの言葉を合図に、俺たちが進んでいた方向にあった高く降り積もっていた雪山がグラグラと揺れる。
そして、爆発したように雪煙を撒き散らしながら、雪山から大きな白い影が飛び出してきた。
「な、なんだ!?」
突然のことに驚いていると、白い影は巨体をブルブルと震わせて体の雪を振り払っている。
その姿を見て、やよいが声を張り上げた。
「ホ、ホッキョクグマ!?」
やよいの言った通り、それはまさにホッキョクグマだ。
雪に紛れる白い体毛。鋭く生え揃った牙を剥き出しにして、口から涎を流すその姿。太い前足には長く鋭い爪、普通のクマよりも二回りは大きいその体。
そのモンスターの名は<ニクスウルス>。
主に豪雪地帯に生息する、凶暴なクマ型のモンスターだ。
だけど、俺が知っているニクスウルスよりもかなり大きい。
「ここにいるモンスターはどれもデカいって聞いたけど……こんなにだとは思ってもなかったな」
ゴクリと息を呑んでいると、ニクスウルスは唸り声を上げて俺たちを睨みつけ、威嚇していた。
明らかに俺たちを襲おうとしているニクスウルスに、俺たちは首元にかけていた指輪__魔装に手をかける。
「__戦闘準備!」
俺の合図に、全員が魔装を展開した。
俺は柄の先にマイクが取り付けてある細身の両刃剣。
やよいは赤いエレキギター型の斧。
真紅郎はネックの先に銃口がある木目調のベース型の銃。
ウォレスは両手にそれぞれドラムスティックを握るとその先に魔力で出来た刃を形成。
サクヤは傍に魔導書を浮かばせると、両腕に装備した蒼色の籠手を確かめるように軽く打ち鳴らしてから拳を構えた。
全員の準備が整ったのと同時に、ニクスウルスは雄叫びを上げながら突進してくる。
太い前足で深く降り積もった雪を勢いよく踏み締め、その巨体に見合わない俊敏な動きで向かってくるニクスウルスに対して、俺たちはそれぞれ散開しながら躱した。
「__このッ!」
雪煙を上げながら滑るように足を止め、一気にニクスウルスに走る。そして、背中を向けているニクスウルスの体に向かって、剣を振り下ろした。
だけど、自然の鎧となった白い体毛とその下の硬い筋肉によって剣が通らず、即座にその場から離れる。
「硬いなぁ、おい!」
「タケル、ボクに任せて!」
生半可な攻撃じゃダメだ、そう思っていると後ろから真紅郎の声がした。
真紅郎はベースを構えてネックの銃口をニクスウルスに向けると、弦を指で弾く。すると、ベースの重低音と共に銃口から紫色の魔力弾が撃ち放たれた。
それから真紅郎は二回弦を弾き、合計三つの魔力弾が一直線にニクスウルスの体に着弾する。
「グルル……」
だけど、ニクスウルスはプルプルと体を震わせ、効いていないのか攻撃してきた真紅郎をギョロリと睨みつけていた。
「くっ……これでもダメそうだね」
「真紅郎はそのまま援護してくれ! <アレグロ!>」
真紅郎に援護を頼んでから、音属性魔法の敏捷強化を使う。
そのまま一気に走り出そうとした瞬間、ずるりと足が滑って顔から前のめりに倒れてしまった。
「ぶわッ!? クソ、雪が邪魔で上手く戦えない……ッ!」
顔を振って雪を払いながら悪態を吐く。慣れない雪上での戦闘はかなり困難だ。
「ハッハッハ! 雪で足が滑るなら、上から攻撃するしかねぇなぁ! <フォルテ!>」
すると、ウォレスは近くに生えていた木を足場にジャンプし、空中からニクスウルスに向かって一撃強化を使ってから両手の魔力刃を振り下ろした。
直前でニクスウルスは両腕をクロスさせてウォレスの魔力刃を受け止める。どうにか防いだけど、強化されたウォレスの攻撃の重さにズシっと足が雪に沈み込んでいた。
その隙を狙ったサクヤが、ニクスウルスの懐に入り込む。そして、魔力と一体化した拳を短く息を吐きながら、ニクスウルスの腹部に叩き込んだ。
「<レイ・ブロー!>」
魔力を込めた拳の一撃、サクヤの必殺技のレイ・ブローを叩き込まれたニクスウルスは雪煙を巻き上げながら後ろの滑っていく。
すると、サクヤは拳を構え直しながら小さく舌打ちしていた。
「……雪で滑って、威力が分散した」
どうやら拳を突き出す瞬間、サクヤも雪で足が滑っていたみたいだ。
そのせいで威力が分散された結果、サクヤの一撃を受けてもニクスウルスはまだ倒せていない。
「__ゴアァァァァァァァァァァッ!」
ニクスウルスは二足歩行の状態で両腕を広げ、怒り狂ったように咆哮する。
ビリビリと空気を震わせ、木からボタボタと雪が落ちてくるような大きな咆哮に警戒していると、その後ろからやよいが走り寄っていた。
「真紅郎! 足!」
やよいは真紅郎に短く指示を出すと、その意味を理解した真紅郎は片膝を着きながらベースを構え直す。
「オッケー、分かったよ! <スラップ!>」
口角を上げた真紅郎は固有魔法のスラップを使ってから、強く弦を指で弾き鳴らした。
すると、銃口から高密度に圧縮された魔力弾が放たれ、そのまま真っ直ぐニクスウルスの左足に着弾する。
「ゴアッ!?」
左足に強い衝撃を喰らったニクスウルスは驚愕の表情を浮かべながら倒れないように右足で堪えようとして、ずるりと雪で滑らせた。
そのまま前のめりに倒れると、やよいは倒れたニクスウルスの体を踏み台にして跳び上がり、斧型のエレキギターを思い切り振り被る。
「__<ディストーション!> てあぁぁぁぁぁぁッ!」
固有魔法のディストーションを使ってから、やよいは倒れているニクスウルスの頭目掛け、全体重を乗せて斧を振り下ろした。
鈍い音を響かせながら直撃した斧に、ニクスウルスの頭がズシンと雪にめり込む。
そして、ディストーションの効果により、斧が直撃しているニクスウルスの頭を中心に音の衝撃波が地面に伝わっていった。
ニクスウルスの頭は雪どころかその下の地面にまで押し潰され、爆音と共に雪が宙へと舞い散っていく。
スタっと着地したやよいは、動かなくなったニクスウルスを斧でツンツンと突いてから、俺たちに向かって親指を立てて笑みを浮かべた。
「はい、これで終わり! どうだった?」
どうだった、と言われましても……。
俺はウォレス、真紅郎、サクヤと恐る恐る顔を見合わせてから、苦笑い。
元々、ディストーションは地面に斧を突き立て、そこから相手に向かって地面に音の衝撃波を伝わせる魔法だ。
それを、直接頭に叩き込むとか……エグすぎるだろ。
誰も何も答えないことに、やよいが訝しげに首を傾げる。とりあえず、これで戦闘は終わりだな。
ホッと一息吐いていると、ふと地面が少し揺れた気がした。
「ん? 気のせい、か?」
最初は気のせいかと思ったけど、明らかに地面が揺れている。
いや、徐々に大きくなっていた。
なんだろう、と周りを見渡してみると、ウォレスが青ざめた顔をしながら俺たちが進もうとしていた方向を見つめているのに気付く。
「どうかしたのか、ウォレス?」
気になって声をかけてみると、ウォレスは頬を引きつらせながら人差し指を指し示した。
「ヘ、ヘイ、タケル、みんな……こいつは、かなりヤベェことになったぞ?」
ヤバいって、何が?
疑問に思いながらウォレスが指し示している方向を見て__一瞬で、理解した。
どんどん大きくなっていく振動。遠くの方からこっちに向かってくる、真っ白な巨大な大津波。
木々を飲み込み、獣の雄叫びのような轟音を響かせながら、向かってくる自然の脅威。
「__雪崩だぁぁぁぁッ!」
全ての飲み込む雪山で一番の恐れられている自然現象__雪崩が俺たちに向かって襲い掛かろうとしていた。




