二十八曲目『ガキのまま』
「ウォレス、さん……」
同胞の血で塗れ、地面に横たわっていたシンシアはウォレスの背中を目に涙を浮かべながら見つめる。
誰も傷つかないで争いを終わらせるという夢を諦め、最後の王族として犠牲を覚悟に立ち上がったのに、裏切られてしまったシンシアはもう立ち上がる気力すら残されていないだろう。
ウォレスは振り返ることなく腹を抑えながら立ち上がったラクーンを睨みつけていた。
「ぐっ……よくも、私を足蹴にしてくれましたね……」
「おいおい、その程度で終わらせるつもりはねぇぞ? お前にはもっと痛い目を見せないと、気が済まねぇんだよ……ッ!」
「黙れ、野獣め! <我放つは軍神の一撃>ーー<ウィンド・スラッシュ!>」
ラクーンは怒り狂いながら風属性魔法を使い、風の刃をウォレスに飛ばす。だけどウォレスは怯むことなく走り出し、向かってくる風の刃を魔力刃で斬り裂きながらラクーンに突撃していった。
そのままラクーンは何度も風の刃を放つ。無数に向かってくる風の刃を止まることなく斬り、雄叫びを上げながらウォレスは進んでいく。
「おらぁぁぁぁぁ!」
「この……ッ!」
とうとうラクーンの懐に入ったウォレスは二刀の魔力刃を振り下ろした。ラクーンは悪態を吐きながら剣で立ち向かい、両者がぶつかり合う。
攻撃を防がれたウォレスは、そのまま力任せにラクーンの剣を弾いた。そして連続で魔力刃を振り回し、ラクーンの反撃を許さない。
どうにか防いでいるラクーンだけど、力負けして右に左にと体をよろめかせていた。顔をしかめ、苦々しい表情を浮かべながらもラクーンは隙を見て剣を薙ぎ払う。
だけど、その攻撃は稚拙そのもの。素人に毛が生えた程度の剣術だ。
「んな腑抜けた攻撃でオレを倒せると思ってんのか!?」
ウォレスは軽々とラクーンの剣を避け、その場でコマのように回転。遠心力を使って後ろ回し蹴りを放ち、ラクーンの剣を弾き飛ばした。
「ぐ、あぁッ!?」
蹴りの威力にうめき声を上げながらどうにかウォレスから距離を取るラクーン。忌々しげに舌打ちしながらラクーンは魔法の詠唱を始め、また風の刃を放つ。
さっきよりも大きな風の刃に魔力刃をクロスさせて防いだウォレスは、威力に負けてたたらを踏んだ。
「ちっ、剣術は全然だけど魔法は結構やるじゃねぇか……」
「はぁ、はぁ……おのれぇ……ッ!」
思ったよりも威力のあった魔法を受けたウォレスか感心したように呟くと、ラクーンは息を荒くしながらギリッと歯ぎしりする。
「私はこの国の未来を考えているというのに……貴様らは分かっていない! 見なさい、この街を!」
ラクーンはこの街……貴族街を見ろと叫ぶ。
「災禍の竜によって滅ぼされたこの国をここまで豊かにしたのは誰ですか!? 貴族ではないのですか!? 私たち貴族がこの国を建て直し、これほどまでの街を作り上げたというのに、どうして貴様らは認めようとしないのです!」
復興するのも難しいほど荒れ果てたアストラ。この貴族街は、外部から来た貴族が作り上げ、今や他の国に負けないほど栄えている。
「貴様らではこの街のようにすることは出来なかったはず! それを、私たち貴族がしてやったんです! なのに貴様らは口を開けばこの国は我らの物、余所者が勝手に上に立つな……この愚か者共! 誰のおかげだと思っているんです!」
ラクーンは苛立たしげに頭を掻き毟り、声を荒げた。
「この国の未来を考えれば、貴族が上に立った方が幸せになれる! 貴様らは先を見据えないで、玩具を取り上げられた子供のように駄々をこねている愚か者共だ! 現実を見ろ! 刃向かわず、黙って言うことを聞いていろ! それが出来ないのならこの国を去れ!」
そう言ってラクーンは魔力を込めた巨大な風の刃を作り出し、ウォレスを……その後ろにいるシンシア諸共殺そうと放った。
あまりにも大きな風の刃を前に、ウォレスはプルプルと体を震わせ……。
「ざっけんなぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
ギロリと鋭い視線をラクーンに向けながら、犬歯を剥き出しにして声を張り上げる。
クロスして構えていた魔力刃を左右に斬り払い、風の刃に打ち付ける。
魔力刃と風の刃が拮抗している中、ウォレスは地面を踏み砕きながら堪えた。
「何が、幸せだ! 何が現実を見ろだ! 恩着せがましく言いやがって……てめぇらはこいつらを、貧しい奴らを追いやって、壁作って差別してんじゃねぇか!」
風の刃の圧力にウォレスの体が押され始める。それでも、ウォレスは耐えながら喉が枯れるほど叫ぶ。
「本当にこの国を幸せにするつもりならなぁ! 貴族と貧民なんて区別しないで、協力すればいいだろうがぁ! てめぇの言う幸せは、てめぇら貴族の幸せだろ!? この国のことなんて、端から考えてねぇだろ
がぁ!?」
ウォレスは一歩前に出ながら、風の刃を押し返す。
頬を風で切られて血を流しながら、それでもウォレスは負けずに堪え忍んでいた。
「こいつらが、どんだけ苦しんできたと思ってんだ! どんだけ、耐えてきたのか分かってんのか!? それを見ようともしないで……何が国だ! そんな国、滅んじまえ!」
「愚か者には分からないのですよ! 上に立つ者の考えが!」
ラクーンは追加で風の刃を放つ。二つの風の刃にウォレスが苦しそうな顔で一歩後ずさった。
それでも、ウォレスは唇を噛みしめながら持ちこたえた。
「てめぇ、こそ……下にいる奴の考えが分かってねぇ! こいつらはなぁ、それでも前向いて歩いてんだよ! そうやって必死こいて生きてんだよ!」
ウォレスには貧民街に住む人たちの気持ちが分かる。同じようにスラム街で暮らしていたんだから。
ウォレスだって下にいた人の一人だ。それでも、前向いて必死に生きて、夢を叶えた。音楽の道を進み、バンドを組むという夢を。
「誰かの犠牲の上に建つ国なんて認めねぇ! 誰もが笑って、楽しく生きられる……オレが求めてんのは、そんな最高の未来だッ!」
「そんなもの、夢物語! 幻想ですよ!」
「だからどうした! 人が夢を見て何が悪い! 夢を諦めて、現実見るのが大人だって言うなら……」
風の刃を押し返すように前のめりになったウォレスは、握っているドラムスティックを強く握りしめた。自慢の肉体が膨張し、ウォレスの腕の筋肉が躍動する。
ウォレスはチラッと後ろを振り返り、呆然と横たわっているシンシアの目を見ながら引きつった笑みを浮かべて、口を開いた。
「ーーオレは、ガキのまんま夢を叶えてやるよ」
ウォレスの言葉に、シンシアは目を見開く。
誰も傷つけないで争いを止めるという夢物語を諦め、大人になることを選んだシンシアへの返事として、ウォレスははっきりと答えた。
そして、全身の筋肉を盛り上がらせ、ウォレスは咆哮する。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
力任せに魔力刃を振り払い、風の刃をとうとう斬り裂いた。
驚愕しているラクーンに向かって、ウォレスは一気に走り出す。
「ま、待ちなさい! わ、私を殺したら、本当にこの国は終わりますよ!?」
一直線に向かってくるウォレスの気迫に負けたラクーンは、慌てながら止めようとする。
ウォレスはラクーンの声を無視して魔力刃を構えた。
「わ、分かりました! でしたら、あなたを貴族として迎えましょう! ゼイエル様も納得するはずです!」
ラクーンはウォレスと交渉しようとするが、そんなのウォレスが求めるはずがない。
ウォレスは跳び上がり、魔力刃を振り上げた。
「や、やめなさい! やめろ! 私は死ぬ訳にはいかない! し、死にたくないぃぃぃ!!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
命乞いをするラクーンの四方を取り囲むように紫色の魔法陣が展開される。魔法陣によって動けずにいるラクーンの頭上に、蓋をするように魔法陣が現れ、ウォレスは雄叫びを上げながら全体重を乗せて魔力刃を振り下ろした。
「<フルストローク!>」
ラクーンの頭上にある魔法陣に魔力刃を叩き込むと、ウォレスの体は反動で弾かれる。
それに呼応するように、四方を取り囲んでいた魔法陣からも衝撃波が放たれた。
腹に響くような低い爆音が街中を駆け抜け、前後左右、上から音の衝撃を受けたラクーンは耳から血を流し、白目を剥き、口から泡を出しながら膝を着くと……顔から力なく倒れ伏す。
痙攣しながら気絶するラクーンの前に着地したウォレスは、無様な姿を見せるラクーンを見下しながら鼻を鳴らした。
「オレはドラマーだぜ? 人殺しはしないっての。ドラムの重低音、病みつきになるだろ……って、聞こえてねぇか」
魔力刃を消し、ドラムスティックをクルクルと回しながら言うウォレスは気絶しているラクーンから目を離し、唖然としているシンシアに向かってニヤリと笑ってスティックを向ける。
「ヘイ、シンシア。心に響いたか? オレのドラムはよ?」
トンッと自分の胸を叩いて聞くウォレスに、シンシアは目を見開く。そして、ポロポロと涙を流した。
「はい。痛いほど、響きました……ッ!」
頬を伝う涙をそのままに、シンシアは花が咲いたような明るい笑顔で頷くのだった。
それを見たウォレスは満足そうに微笑むと、ガクッと膝が折れて倒れそうになる。
すぐに駆け寄った俺は、ウォレスが倒れる前に肩を貸して支えた。
「お疲れ、ウォレス」
「おう。疲れたぜ、さすがによ」
俺に支えられ、生まれたての子鹿のように足を震わせながら、それでもウォレスは笑う。
意地でも倒れないと根性で立っているウォレスに笑みをこぼしながら、俺はウォレスに肩を貸した。
「さて、あとは……ッ!」
ラクーンを倒して終わりじゃない。まだこの争いは終わっていない。
あとはゼイエルさんをどうにかしよう、と思った矢先……爆音と共に貴族側にあった物見櫓が破壊された。
物見櫓にはいつの間にかゼイエルさんの姿はない。変わりにそこに現れたのは……。
「貴様らぁ! これを見るがいい!」
キュルキュルと音を立てて進む鉄の塊。全てを壊すその姿はまさに堅牢。
真っ直ぐ伸びた鈍く光る砲身。どんな悪路でも気
にせずに進み、石畳の道を踏み砕く丈夫な履帯。
それは、現物は見たことないけどよく知っている。俺たちの世界で兵器として使われているそれの名前は……戦車だ。
異世界で見ることはないだろうと思っていた戦車の登場に愕然としていると、戦車の上に立つゼイエルさんは見せびらかすように笑いながら両手を広げていた。
「これぞ我らの切り札! <魔導戦車ハデス>だぁぁぁぁぁぁ!」
魔導戦車ハデス……ゼイエルさんが言っていた切り札が、これなのか。
まるで獣のうなり声のような音を立てながら、まさに恐怖の権化と言える巨大な戦車が俺たちの前に姿を現すのだった。




