五曲目『隠し通路』
「ちょっと待てって! 何もしないから!」
俺とウォレスは走って逃げていく男の子を追っていく。
薄暗い迷路のような裏路地を走っていくけど、狭くて走りにくい。そんな裏路地を慣れているのか軽快に進んでいく男の子との距離が詰められずにいた。
俺たちは男の子に危害を加えるつもりはない。ただ貴族街に一人にするのが心配だから追っている。走りながらそのことを伝えても、男の子は聞く耳を持ってくれなかった。
そうして走っていくと、男の子は角を曲がって姿が見えなくなった。すぐに俺たちも角を曲がったけど……。
「あれ? いない?」
角を曲がったところは行き止まりだった。なのに、男の子の姿が忽然と消えている。
どこにいったのか周りをキョロキョロと見渡していると、ウォレスが俺の肩を叩いてきた。
「ヘイ、タケル。あれ見ろよ」
ウォレスが指さしたのは、行き止まりの壁の隅。木箱がいくつも積み重なっているところだった。
あれがどうしたのか、と首を傾げるとウォレスは木箱に近づく。
そして、ウォレスが木箱を押すと……ギィッと扉のように開いた。
「木箱が積み重なっているように見えるが、これは隠し扉だ」
「マジで?」
俺も木箱に近づいてみると、乱雑に置かれている木箱の山はカモフラージュで一つだけ扉のように開いて先に進めるようになっていた。
もしかして、この扉の向こう側が貧民街なのか?
「……行ってみるか」
「そうだな」
俺とウォレスは隠し扉を通って先を進んだ。光がない真っ暗な道を中腰で進むと、また扉があった。
恐る恐る扉を開くと、そこは貴族街じゃなく……貧民街だ。
扉を抜けて振り返ってみると、そこには貴族街と貧民街を遮る大きな白い壁。これを使って貧民街の人間は貴族街に侵入していたのか。
「タケル、あそこ見てみろ」
ウォレスが指さした先には、廃屋に逃げ込んだ男の子の姿があった。
近づいてみるとそこは崩落した瓦礫が転がった、穴だらけの廃屋をボロボロの木材で補強し、ところどころを薄汚い布で覆い隠している場所。
こんなところで暮らしているのか、と俺が廃屋に足を踏み入れようとした瞬間……。
「ここで何をしているのですか?」
後ろから凛とした女性の声が聞こえてきた。
振り返ると目の前に迫り来る木の棒。咄嗟に反応した俺は棒を避けて慌てて距離を取った。
「あ、危なッ!?」
あと少し反応が遅れてたら一撃食らってたな。それほどまでに突き出された木の棒は鋭く速かった。
そして、俺に攻撃してきた人を見る。そこにいたのはボロボロのローブを身に纏い、頭にターバンを巻いた女性がいた。
ターバンから見え隠れする真っ赤な髪。たれ目で優しそうな顔を警戒しているのか険しくさせた女性はクルリと木の棒を回して構える。
「……もう一度聞きます。ここで何をしているのですか?」
女性は射抜くような視線を向けながら、もう一度俺たちに問いかけてくる。
俺が答えようとすると、その前に一歩前に出たウォレスが口を開いた。
「ヘイ、オレたちは別に怪しいもんじゃねぇ。ただ、貴族街にいた男の子を追ってここまで来ただけだぜ」
ウォレスが答えると女性は貴族街、という単語を聞いてピクリと眉を動かす。
「あなた方は貴族街から来た、と。貴族街からここに来たということは……隠し通路を通って来た訳ですね?」
「あぁ、そうだ……ッ!?」
ウォレスが頷いた瞬間、女性はまた木の棒を突き出してきた。顔面に向けて真っ直ぐに向かってくる棒を、ウォレスは首を少し動かすことで避ける。
「私たちの秘密の隠し通路を知られた以上、捕縛させて頂きます!」
女性はギリッと歯を食いしばりながら木の棒を振り回してウォレスを攻撃していく。
そうか、あの隠し通路は貧民街の住人が貴族街に入る唯一の方法。それを知ってしまった俺たちを黙って返す訳にはいかないよな。
俺たちはそのことを貴族に話すつもりはないけど、女性からしたら信じられるはずがない。
そのまま女性は苛烈なまでに連続でウォレスを攻め立てていく。その動きは素人ではなく、かなり鍛えられているものだった。
それでもウォレスは危なげなく棒を避け、時折拳で棒を受け流して凌いでいる。
女性は顔をしかめて「くっ……」と悔しげに距離を取った。
「かなりの手練れ……それでも、私はあなた方貴族に屈する訳にはいかない……ッ!」
ウォレスは女性が言った貴族という言葉に「あぁ?」と声を漏らす。
女性は焦っているのかぎこちない動きでウォレスを棒で突いたけど、ウォレスは当たる直前で棒を掴み取った。
棒を掴まれた女性は目を丸くして驚き、どうにか離れようと抵抗するもウォレスはギリギリッと強く握っているから抜け出せずにいる。
「くっ、は、離しなさい……ッ!」
「ヘイ、一つだけ言わせて貰うぜ……」
ウォレスは女性をギロリと睨みつけ、掴んだ棒を握り潰した。
そして、唖然としている女性に一足跳びで近づくと人差し指で女性に額をコツンと小突いた。
「きゃ……ッ!」
攻撃されると思ったのか瞼をキツく閉じていた女性は、額を突かれて軽く仰け反った。
予想していたのとは違って、攻撃とも言えない軽い攻撃を受けた女性は、額を手で抑えながら目をパチクリさせる。
ウォレスは深くため息を吐きながらやれやれと首を横に振った。
「オレは貴族みたいなクソ野郎じゃねぇ」
「え? え?」
「少しは落ち着いたか? なら話を聞いてくれ。オレたちは敵じゃねぇんだからよ」
ポカンとしていた女性は緊張の糸が切れたのかその場でへたり込む。
どうにか解決しそうだな。もう女性が攻撃してくることはないだろう。
安心していると廃屋から四人の子供が飛び出してきて、ウォレスから女性を守るように立ちはだかった。
「やめろぉ! シンシア姉ちゃんをイジメるなぁ!」
「そうだ! 帰れ貴族!」
「これ以上シーちゃんに手出しはさせないんだから!」
「ばーか……あーほ」
子供たちは足を震わせながら女性……シンシアを守るように両手を広げ、涙を浮かべた目でウォレスを睨みつける。
恐怖で震えながらも必死に守ろうとしている子供たちに、ウォレスは思わずたじろいでいた。
「み、みんな! ダメよ、危ないから早くお家に戻りなさい!」
「嫌だ……俺たちはシンシア姉ちゃんを守るんだ……ッ!」
「そうよ! シーちゃんはあたしたちが助けるんだもん!」
「お、お前なんか怖くねぇぞ! くらえぇぇ!」
すると一人の男の子がウォレスの足を殴った。
殴られたウォレスはジロリと殴った男の子を見下ろす。その視線が怖いのか全身を震わせながら拳を構える男の子。
「……グアァァァァァァッ!?」
「へぇ!?」
そして、ウォレスは吹き飛んだ。
バク転してからバク宙、そして伸身宙返りとアクロバットな動きを見せると、そのまま地面に倒れ込む。
突然のことでびっくりしている男の子は、倒れているウォレスを目をまん丸として見つめていた。
ウォレスはゴロゴロと大げさに地面をのたうち回ると肩で息をしながら片膝を着き、殴った男の子をニヤリと笑いながら見つめる。
「や、やるじゃねぇか、お前……いいパンチだったぜ……」
「そ、そうだ! 分かったか! し、シンシア姉ちゃんに手出ししたら、おれが許さないぞ! もう一発殴ってやるからな!」
「分かった! オレの負けだ! 降参! 許してくれ!」
ウォレスがガクッとうなだれながら負けを認めると、子供たちは笑顔で勝ちを喜んでいた。
その光景を見て唖然としているシンシアと、顔を手で覆いながら呆れている俺。
大げさすぎだ、ウォレス。でも、これで話を聞いてくれるかな?
大盛り上がりで喜んでいる子供たちを見て楽しげに頬を緩ませるウォレスを見て、俺は思わず笑みをこぼした。