二十六曲目『祈り』
新曲作りが本格的に始まって、一週間が経った。
この一週間、俺たちは夜は部屋に全員集まってメロディーを考え、昼は裏庭で音合わせをする毎日を送っている。
やよいが考えたワンフレーズのメロディをもとにイメージを膨らませ、それぞれ楽器を持ってセッションしながら曲が出来上がっていく。
俺もメロディを聴きながら自分の意見を言い、ようやく曲は完成した。
歌詞はやよいが一人で作ると宣言したので、俺たちは手出ししないようにしているけど……あまり進んでいない。
シランの看病をしながら頭を抱えて考えているけど、何度も歌詞を書き直した羊皮紙が山のようになっていた。
「ダメ、これじゃダメ。やり直し……」
いい詩が思い浮かばず、シランの状態も徐々に悪くなっているのもあって、やよいはかなり焦っている。
それでも、やよいは絶対に自分一人で歌詞を作ると頑張っていた。俺たちの力を借りず、自分の手でシランのための曲を作ろうと躍起になっていた。
やよいはずっと部屋にこもって歌詞作りに没頭していて、今日は一度も姿を見ていない。さすがに心配だけど、かと言ってやよいの想いを考えると止める訳にもいかないよな。
「少し、一人にしてあげよう。ボクたちは信じて待つしかないよ」
真紅郎もやよいを心配しているけど、ここは待つことに決めていた。俺とウォレス、サクヤもその意見に賛同し、後ろ髪を引かれながらやよいの部屋の前から離れる。
そして、その日の夜。ウォレスのうるさいイビキと真紅郎とサクヤの静かな寝息に混じって、物音が聞こえてきた。
その音で目を覚ました俺は、ゆっくりと体を起こす。耳を澄ましてみると、誰かの足音とガチャッと玄関の方で扉が開く音がした。誰かが外に出たみたいだ。
「……やよい、か?」
今の時刻は深夜。一人で外を出歩くには遅い時間だ。
やよいなら……まぁ、何が出てきても撃退出来るぐらいの実力はあるとしても、さすがに女の子一人じゃ危ないだろう。
そう思った俺はウォレスたちを起こさないように、コッソリと部屋を出た。
「うぉ、寒いな」
玄関を開けると、ひんやりとした夜風が吹き付けてくる。最初にこの国に来た時とは違い、結構肌寒くなったな。
寒さに身震いしながら周りを見渡してみると、裏庭の方がぼんやりと明るくなっているのが見えた。
光の方に歩いてみると傍らにランタンを置いて裏庭の花畑を見つめている、やよいの後ろ姿があった。
「……そこで何をしてるんだ、やよい?」
声をかけると、やよいはビクリと体を震わせて恐る恐る振り返り、俺だと気付くと安心したように深いため息を吐く。
「びっくりした……いきなり声かけないでよ」
「あぁ、悪いな」
小さく笑みをこぼしながら、やよいの隣に立つ。冷たい風が静かに吹き、草花を揺らした。
やよいはその光景を、ボーッと見つめている。その目の下には、クマが出来ていた。
「眠れないのか?」
そう聞くと、やよいは苦笑いしながら小さく頷く。
「うん、ちょっとね」
「……大丈夫か?」
「大丈夫、とは言えないかな?」
やよいはため息混じりに答えると、しゃがみ込んだ。俺も隣に座ると、やよいはポツリポツリと口を開く。
「歌詞は全然思いつかないし、シランの状態はどんどん悪くなるし……焦ってもいい歌詞が出来ないのは、分かってるんだけどね」
そう言ってやよいは悔しそうに拳をギュッと握りしめていた。
歌詞作りは難航してるし、シランの状態は悪くなっている……色々と重なった結果、眠れない日々が続いているようだ。
どう言葉をかけていいのか分からず「そうか」とだけ答えると、やよいはキュッと唇を噛んで俯いた。
「ねぇ、タケル……どうしたら、いいのかな?」
目元を手で覆いながら、やよいは俺に問いかけてくる。
やよいは今にも泣きそうな声で、悩みを打ち明けた。
「あたし、もう分かんなくなっちゃった。シランのために曲を完成させたいのに、どう頑張っても歌詞が作れない。今まで、こんな風になったことないよ」
「やよい……」
「シランと出会えて、本当に嬉しかった。シランはあたしの本当の友達で、ずっと一緒にいたい。だけど、シランは……ッ!」
それ以上何も言えずに、やよいは口を噤む。頬に一筋の涙が流れると、そこから溢れ出すように涙がこぼれ落ちていく。
「治療法は見つからないし、シランはどんどん弱っていくし……でも、あたしは何も出来ない。何も、してあげられない」
肩を震わせてしゃくり上げながら、やよいは心の奥底に仕舞い込んでいた弱音を吐き出していく。
ずっと、やよいは我慢していたんだ。それでも俺たちの……特に、シランの前では絶対に表に出さないように耐えていたんだ。
だけど今、その全てがタガが外れたように吹き出した。
「そんなあたしでもたった一つ、出来ること……それが、音楽。シランが少しでも元気になってくれるような、あたしの大好きな笑顔を見せてくれるような、そんな曲を聴かせてあげることがあたしに出来る唯一出来ること。そのはずなのに……ッ!」
感情を爆発させ、やよいは止まらない涙を必死に手で拭う。
「なんで歌詞が思いつかないの!? これじゃあ永遠に曲が完成しない! どうして!? あたしは、シランのための曲を作っているはずなのに! それなのに、どうして歌詞が思いつかないの!? どうして……どう、してぇ……」
唯一自信を持っていた音楽が上手くいかず、時間だけは無情に過ぎていく。その現状に、やよいの心は限界に来ていた。
もはや拭うことをやめ、涙が絶え間なく地面に落ちていく。手を組み、額に当てて泣く姿は、まるで何かに祈っているように見える。
そこで、俺はふと頭に過ぎった言葉が無意識に口から出た。
「__音楽は祈りだと思う。希望と言ってもいい」
突然の俺の呟きに、やよいは目をパチクリさせる。
「どうしたのいきなり……誰かの言葉?」
「誰だったかな? 忘れた」
「ぷっ……あはは! 忘れたって、何それ?」
今まで泣いていたやよいが、クスッと笑みをこぼす。前にどこかで聞いた気がするけど、どこで聞いたのか誰の言葉なのかどうしても思い出せなかった。
俺も釣られて笑ってしまい、二人でクスクスと笑い合ってから俺はゆっくりと息を吐いて口を開く。
「音楽って、誰かの希望になるんだと思うんだ」
「希望?」
「あぁ。誰もが音楽を聴いて明日の糧にしたり、悲しい時に聴いて元気づけられたり、現実に絶望している人が音楽を聴いて前向きになるかもしれない」
音楽の力は無限大だ。元気になる歌や恋愛の歌、はたまた失恋の歌。社会風刺を曲にしたり、自分の想いを叫んだ曲や誰かを想って歌う曲もある。
色んな人が、色んな人に向けて歌い、様々な音楽を届けている。
それはきっと、誰かの希望になるんじゃないかって、俺は思っていた。
「俺たちみたいな音楽やってる人ってさ、自分の音楽が誰かにとっての希望になるように、そうなるように祈ってるんじゃないか?」
「そうなの?」
「全員がそうだとは言わないけど……俺はそう思ってる」
俺たちみたいなロックバンドや、名だたる音楽家……いや、メジャーデビューしてようが知名度がなかろうが、関係ない。
音楽をやってる誰もが、自分の曲が誰かの希望になるように曲を作っているはずだ。
それはまるで、そうなるように祈ってるみたいじゃないか。そう、やよいに自分の考えを話す。
「やよいもさ、シランのために曲を作ってるだろ? 元気になるように、笑ってくれるようにって。そうなって欲しいって、祈りながら」
「祈り……」
「色々あって頭の中がごちゃごちゃになってるみたいだけど、一度原点に戻ってみたらどうだ? やよいはどんな想いで曲を作りたい? シランに対して、どんな想いを届けたい?」
「届けたい、想い……」
やよいは立ち上がると、空を見上げながら目を閉じてゆっくりと深呼吸した。
ふわり、と風が頬を撫でる。肌寒いはずなのに、どこか暖かい……まるでシランが初めてこの裏庭を見せてくれた時のような、優しい風が。
風は慈しむように花を揺らし、やよいを包み込むように吹いている。やよいは静かに目を開くと、目の前に広がる花畑を見つめた。
「想い……願い……祈り?」
独り言を呟いていたやよいは、ふと目を見開いた。
そして、何かに導かれるように歩き出す。
向かった先は、月明かりに照らされるアングレカムの花が咲いている場所。
やよいは一輪のアングレカムを摘むと、緑白色の花びらをジッと見つめる。
「……アングレカムの、花言葉」
やよいはアングレカムを優しく抱きしめるように胸元に置き、祈りを捧げるように空を見上げた。
この時、やよいの姿を見て……何かが動き出したように感じた。
やよいはすぐに部屋に戻り、そこからずっと部屋に閉じこもる。
二日後、部屋から出たやよいは髪がボサボサで、目の下にクマが出来ていた。見るからにボロボロのやよいは、それでも思わず目を奪われるほど優しく微笑みながら一枚の羊皮紙を俺たちに見せる。
「出来たよ、新曲」
とうとう、俺たちはシランのための新曲を完成させた。