十九曲目『やよいの過去』
空が夕暮れ色に染まる頃、一仕事終えた俺たちは家に戻ってきた。
街の男たちに酷いことを言われたシランは、大丈夫だろうか。気になった俺はシランの部屋に向かい、ノックをしようとした時……。
「__あたしね。昔、イジメられてたんだ」
「え? や、やよいが?」
やよいの声がドアの向こうから聞こえて、動きを止める。
すると、やよいがイジメられていたことを知った、シランの驚いているようだった。
クスクスと小さく笑う、やよいの声がドア越しに聞こえる。
「意外?」
「うん、凄く意外。やよいって友達多そうなのに」
「そうでもないよ、友達なんてほとんどいなかった。ほら、あたしって結構ズバズバ言うでしょ? それが気にくわなかったみたい」
乾いた笑い声を上げると、やよいは一息吐いてから昔のことを懐かしそうに話し始めた。
「普通の女子って仲間意識が強くてさ、こう……波風立てないように表面上は仲良くしてても、裏では悪口言いまくってたりするじゃん? そう言うのあたし嫌だったから、言いたいことがあったらすぐにはっきりと言ってたんだ。そうしていく内にどんどん友達が離れていって、無視されるようになってた」
やよいは誰に対しても物怖じせずに、はっきりと自分の考えを話す性格だ。いいことも悪いことも、全部。
裏表がない、と言えば長所に思えるけど……言い換えれば、空気が読めないとも言える。
人によって解釈の仕方は違う。でも、やよいの周りは悪い方に捉えてしまった。
「それに加えて趣味もズレてたみたいでさ、周りが好きだって言う俳優とか音楽とかファッションとか、あまり良さが分からなかったんだ。そのせいで、あたしは完全に仲間外れにされちゃった。陰口なんていっつも言われてたし、物を隠された時もあったなぁ……」
「……辛く、なかった?」
やよいの昔話を聞いていたシランが、遠慮がちに問いかける。だけど、やよいは気にした様子もなく笑っていた。
「まぁ、それなりに辛かった。でも、イジメてた奴に反撃してみたら、物理的なイジメはなくなったよ」
「反撃……?」
「うん。襟首掴んで壁に押しつけながら、やめろって言ってやったら泣きながら謝ってた」
それは……やられた子はかなり怖かっただろうな。
本気で怒った時の、やよいの怖さはよく知っている。射抜くような冷ややかな視線を向ける、やよいの表情が頭を過ぎった。
逃げられない状態で真っ正面から睨まれたら、女の子なら泣くな。男でも泣くわ。
「だけど無視はされたままだし、そんなことしちゃったから誰もあたしに近づこうとしなかった。んで、だんだん学校に行くのが面倒になって、不登校になってた」
「ふとうこう……?」
「簡単に言えば__あたしは、逃げたんだよ」
やよいはそう言って、ため息を吐く。
「学校にも行かずに街をブラブラしたり、一人でカラオケに行ったり。補導されそうになって逃げたり。とにかく、学校から離れたかった。どこか遠くに行きたくなった……」
シランには俺たちの世界のことは分からないだろう。だけど、やよいの気持ちは理解出来るはずだ。
シランもやよいも、同じなんだ。今の場所とは違う、別のところに行きたい……自由になりたかっただけだ。
「そんな時、あたしは出会ったんだ……音楽に」
すると、ドアの向こうからギターの音色が静かに聴こえてきた。
「夜の駅前で、アコギを片手に路上ライブをしていた人がいた。力強いギター、透き通るような歌声、歌詞に込められた想い……その全てが、あたしの心を掴んで離さなかった」
「もしかしてそれから、おんがくを?」
「そう。それからあたしはギターの魅力に取り付かれて、気付いたらギターを買ってた」
俺も初めて聞いた、やよいのギタリストとしての原点。
偶然出会ったシンガーソングライターによって、やよいは音楽の道に足を踏み入れたのか。
俺と同じように。
「最初は教本読みながら必死に練習してさ、何回も指を切ったりしてた。でも難しいコードを一つ覚えたり、ワンフレーズだけでも弾けるようになっていくのが本当に楽しくて、絆創膏を貼りながら練習しまくった」
やよいは色んなコードを弾き鳴らしながら、楽しげに語る。
「一応、学校にも通うようになって、帰ったらすぐにギターの練習に没頭してた。夜にこっそり路上ライブもしたなぁ。あたしの未熟な演奏に拍手してくれた人もいて、本当に嬉しかった……学校なんて狭いコミュニティよりも、音楽の世界にのめり込んでた」
そして、やよいは演奏を止めた。
「あたしにとって音楽は、救いだったんだよ」
「救い?」
「うん。あたしは音楽に救われた。狭い檻から解放してくれる存在だったんだ」
普通の女子高生には、どこか遠くに行ける金銭もなければ、どこかに行ける自由もない。
だけど、音楽はイジメや色んなしがらみ、鬱屈とした世界から、やよいを音楽という自由な世界に旅立たせたんだ。
「で、そこからRealizeを結成して、ライブしまくった。あたしたちの演奏に観客は喜んでくれて、盛り上がってくれた。練習も、ライブも……全部全部、楽しかった! 音楽を通じて観客やメンバーと同じ気持ちを共有出来た……そんな経験、生まれて初めてだったんだ」
音楽の世界に一人で足を踏み入れ、ウォレスと真紅郎と出会ってRealizeを結成した。
学校では一人きりだったけど、音楽のおかげで仲間が出来た。一人じゃなくなった。
そう言って、やよいは鼻歌交じりにギターを弾く。
「もうイジメなんて気にならなくなった。元々、友達なんてあまりいなかったけど、音楽にハマりすぎて完全にいなくなっちゃったよ」
「フフッ……友達ならいるよ?」
「あはは、そうだね。だから、シランはあたしにとって初めての、本当の意味での友達だよ!」
二人がクスクスと笑い合っている声が、ドア越しから響いていた。
俺たちRealizeは友達ではなく、メジャーデビューという目標を一緒に目指している仲間だ。
仲はいいけど、男所帯にたった一人の女子。完全に気を許すことは出来なかったはずだ。
でも、やよいには今、同性で同年代の友達がいる。何でも話せるシランがいる。やよいにとって、かけがえのない存在のはずだ。
一頻り笑い合うと、ふとシランが呟いた。
「やっぱり、やよいは強いね」
「え? どうして?」
「……私は、今まで色んな人に病気のことを言われ続けてた。今日みたいに奇病持ちとか、近づくと感染するとか、いっぱい陰口を言われてたんだ」
ドアの向こう側にいるシランは、今にも消えそうなほどか細い声で語る。
「子供の頃から仲間外れにされて、ずっと一人だった。やり返すこともしないで、我慢して、何を言われてもとにかく耐えるだけ。やり返したら痛い目に遭うと思って、怖くて何も出来なかったの」
今日、街にいた男たちが言っていたことを昔から言われ続けてたのか。
病気はシランのせいじゃない。なりたくてなった訳じゃない。それでも、周りの人間はシランを差別していた。
それがどれだけ辛かったか、想像も出来ない。
「……だから、イジメてた人に反撃したやよいは、本当に強いって思う。弱い私には出来ない。私には……やよいにとっての、おんがくみたいな救いはなかったから」
「シラン……」
やよいには音楽があった。音楽に出会えたからこそ、やよいはイジメにも負けずにここまで来れた。
でも、シランにはそれがない。音楽に救われたやよいと違い、シランには救いがなかったんだ。
すると、ガタッとイスが動く音と共に、やよいの声がドア越しに響いてくる。
「だったら、あたしがシランの救いになる!」
「や、よい……?」
「シランをイジメる奴は全員ぶっ飛ばす! 何があってもシランと一緒にいる! 辛いなら、あたしが守る!」
やよいの強い想いが、確固たる決意が声に現れていた。
そして、シランのすすり泣く声が聞こえてくる。
「本当に……?」
「うん! それに、シランは弱くないよ。だってシランは逃げ出してない。あたしは一度逃げたけど、シランは何を言われても逃げずに耐えてた。シランの方が、あたしよりも強いよ」
「やよい……」
「大丈夫。今度のライブで、今までイジメてきた奴らを全員ぶっ飛ばしてやろうよ! 音楽の力で!」
「……うん! 私、頑張る!」
それから二人は、笑いながら話を続けていた。
俺はそっとその場から離れる。長いこと盗み聞きしてしまったな。
でも、これで俺の心にも火がついた。二人のためにも、絶対にライブを成功させてみせる。
そう心に決め、俺は拳を握りしめた。
__そして、とうとうライブの日が来た。