十曲目『転移症候群』
「……よく私がここにいるって分かりましたね、やよい」
シランは振り返りながら、やよいに儚げに笑いかける。本当にいるのか疑ってしまうほど、シランの存在が希薄だった。
ゆっくりと深呼吸して息を整えたやよいは、シランの元へ歩き出す。
「分かるよ。友達だもん」
やよいの言葉にシランは目を見開き、そして静かに微笑んだ。
「……うん、そうですね。友達、ですものね」
シランは噛みしめるように呟く。
「どうしていきなりいなくなったの? ジーロさん、心配してたよ?」
やよいの言葉にシランは困ったように苦笑すると、空を見上げた。
「……やよいの話を聞いて、羨ましくなったんです。私も旅をしたい、この街から出て色んな国を見て回りたい__自由に、なりたい」
そう言ってシランは、手を広げる。翼を広げ、自由に空を飛び回る鳥のように。
だけど、シランは俯きながらゆっくりと手を下ろした。
「でも、私には無理です。私は、旅に出ることは出来ません。この国からは出られません。そう思ったら、自然とここに足を運んでました。ジーロには、後で謝らないといけませんね」
シランは諦めるように、自嘲するように笑う。シランの言葉に、やよいはギリッと歯を鳴らして拳を握りしめた。
「そんなこと、ない! 今は無理でも、いつか絶対に……ッ!」
絞り出すような必死な叫びを聞いたシランは、力なく首を横に振る。
「……無理、なんです」
「どうして……ッ!」
「私が病気なのは、もう知ってますよね?」
「知ってる、けど……」
シランは目の前に広がる緑白色の花畑を遠い目で見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「__転移症候群。それが、私の病気です」
「てんい、しょうこうぐん……?」
聞き覚えのない病名に、やよいは首を傾げる。俺も聞いたことがない病気だった。
言葉から察するにどこかに転移してしまう、病気ってことか? だけど、この世界にはそんな魔法は存在しない。
シランは目を伏せながら、病気について語り出した。
「転移症候群は言葉通り、どこかに転移してしまう病気です。自分の意志とは関係なく、勝手に、場所も分からずに」
シランが空から落ちてきた理由。それは、その転移症候群によって上空に転移したからなのか。
シランはまるで他人事のように、淡々と病気について説明し続ける。
「この病気は罹患者の魔力を強制的に使用して、突発的に転移させるもの。しかも、その消費魔力は、並の魔力量ではまかなえないほど膨大なんです」
「そ、それじゃあ、魔力量が少なかったら、どうなるの……?」
やよいはシランの話を聞いて、何かを察してしまったんだろう。
恐る恐る問いかけるとシランは一度話を区切り、そしてはっきりと答えた。
「私の魔力量は、幸いにも普通よりも多いです。それでも、転移に使用される魔力には足りない。結果、限界以上の魔力を使い……足りない分は、命を削って強制的に引き起こされます」
「命を、削って……」
「そうです。私は……もう長くないんですよ、やよい」
事実を告げたシランは、今にも消えてしまいそうなほど儚い笑みを浮かべる。
長くない。つまり、命を削り続けたシランは……もう限界ということ。
それを聞いたやよいは、力なく膝を着いた。
「そ、んな……で、でも、ライラック博士が研究してるんだよね? だったら、治療法が見つかればその病気も……ッ!」
藁にも縋る思いで、やよいはシランを見上げて叫ぶ。だけど、無情にもシランは首を横に振っていた。
「パパは私のために、病気について研究してくれています。色んな薬や治療法を試しました。ですが、進行を遅くさせるだけで、治すまでには至っていません。パパとジーロは頑張って治療法を模索してくれていますが……私の命は、それまで持たない」
死期を悟っているのか、淡々と事実だけを語るシラン。やよいはその姿を見て勢いよく立ち上がり、シランの肩に掴みかかった。
「どうしてそんなこと言うの!? どうして、諦めてるの!?」
寄りかかるように詰め寄られ、シランが尻餅を着く。やよいはそのままシランの胸に顔を埋め、きつく抱きしめた。
「せっかく友達になれたのに……こんなのってないよ!」
「……やよい」
肩を震わせ、慟哭するやよいの頭をシランは優しく撫でる。
シランはやよいの頭を撫でながら、綺麗に咲いている緑白色の花を見つめた。
「ねぇ、やよい。この花の名前を知っていますか?」
シランの問いかけに、やよいは顔を埋めながら首を横に振る。
そんなやよいに小さく笑みを浮かべ、シランは口を開いた。
「この花の名前は__アングレカム。私のママが好きだった花なんです」
「あんぐれ、かむ……?」
目に涙を浮かべながら顔を上げたやよいは、目の前に広がるアングレカムを眺める。
シランは頷くと一輪のアングレカムに手を伸ばし、優しく触れた。
「私のママは転移症候群ではありませんでしたが、病気で亡くなっています。ママはいつも言っていました……もしも私がいなくなっても、私の命はこの花と一緒にシランとパパのそばにいる、って」
ふと、一陣の優しい風が吹いた。風は綺麗に咲き誇ったアングレカムの花を揺らす。
「私の命も……この花と一緒に、やよいのそばにいます。大切な友達のあなたのそばに、ずっと」
シランは優しく、やよいに語る。優しい言葉は、まるで祈りだ。
柔らかな風のような言葉を聞いたやよいは、肩を震わせる。
「……やだ」
ぽつり、と。やよいは呟いた。
そして、感情を爆発させて叫ぶ。
「嫌だ! そんなの、あたし聞きたくない! 認めない!」
「やよい……」
まるで駄々をこねる子供のように叫んだやよいに、シランは困ったように苦笑する。
「あたしは諦めない! 絶対に、諦めない!」
「でも……」
「でもじゃない! 絶対って言ったら、絶対! あたしは、花じゃなくてシランに一緒にいて欲しい! 元気なシランと一緒に! だから、シランも諦めないでよ! お願いだから、生きてよぉ……」
やよいの叫びは徐々に弱々しくなり、最後には泣き崩れる。頬に流れた涙がぽつり、ぽつりと落ちていく。
泣き出してしまったやよいを慰めるように、頬を撫でるシラン。
俺は、そんな二人の姿を見つめながら拳を強く握りしめた。
俺には何も出来ない。悔しさに、無力感に苛まれていく。
「ちくしょう……ッ!」
俺は研究者でもなければ、医者でもない。ただのバンドマンだ。歌うことしか出来ない、ただの人間だ。
そんな人間に何が出来る? 何をしてやれる?
「ふざけんなよ……ッ!」
自分に、そしてどこかにいるであろう神様に対して悪態を吐く。握りしめた拳から血が滴る。
隣にいるサクヤも悔しさを堪えるように、噛みしめた唇から血が流れていた。
俺たちは、無力だ……ッ!
「本当に、やよいはいい子ですね」
ふと、シランが呟いた。
やよいの頬に流れている涙を手で拭いながら、シランは優しく微笑む。
「もっと早く、あなたに出会いたかった」
「シラン……」
「そうしたら、きっと……私も……ッ!?」
話している途中、シランはいきなり手で口を抑えた。
ゴホッ、と咳が漏れると手の隙間から赤い液体……血が吹き出す。
「え?」
呆然としているやよいの頬に、吹き出した血が付着する。
強く咳をし続けるシランの手から、血が流れていく。
「ごほっ、ごほ……ッ!」
「し、シラン!?」
咳込みながらシランは倒れ、吐血しながら苦しそうに悶え始めた。
やよいがシランに呼びかけるも、シランは咳をし続けている。
俺には、見えていた。
__シランの体に纏わりついている黒いモヤが、激しく蠢いているのを。
「__まずい!?」
その光景を見た瞬間、悪寒が走る。
黒いモヤはシランの体を縛り付けるように蠢くと、シランの体が淡く光り始めた。
「し、シラン! しっかりして、シラン!?」
光り始めたシランを、やよいが慌てて抱きしめる。どこにも行かせないように、守るように。
だけど光は強くなっていき、徐々にシランの体が透けていく。
__これはもしかして、転移症候群の予兆か!?
このままだと、シランがどこかに転移してしまう。
俺とサクヤは急いでシランのところに向かおうと動き出した瞬間、俺たちよりも先にシランの元に向かって小さな影が飛び出した。
「きゅきゅきゅきゅー!」
それは、キュウちゃんだった。
弾丸のようにシランに飛び込んだキュウちゃんは、俺とサクヤだけが見える黒いモヤに向かって体当たりする。
そして、勢いのままシランの胸元にしがみつくと、黒いモヤの動きが遅くなっていき……最後には薄くなっていった。
すると光は消え、咳が治まったシランはそのまま気を失う。
「__シラン!」
やよいの悲痛な叫びが、裏庭に響き渡った。