九曲目『不穏な空気』
「……ただいま」
アスワドを撒くために森から街まで走り続けた俺たちは、疲れ切った顔をしながら家の中に入る。
すると、リビングでシランと話していたやよいが、「おかえりぃ」と怠そうに出迎えてくれた。
「遅かったね。で、お土産は?」
「土産話ならあるぞ?」
「え? 何? 面白い話?」
「アスワドがいた」
土産話としてアスワドと会ったことを話すと、やよいは辟易とした表情で「うぇ……」と声を漏らし
ていた。
それを見たシランが、クスクスと笑みをこぼす。
「アスワドさんって、やよいが話していたあの?」
「うん、そうだよ。こんなところまで追いかけてきたのかぁ……」
「フフッ。やよい、モテモテですね」
「……ストーカーにモテても、嬉しくないし」
やよいが面倒臭そうに机に突っ伏すと、シランは頭を優しく撫でた。
シランがアスワドを知っていることに疑問に思って聞いてみると、シランは微笑みながら答える。
「やよいに今までの旅のことを聞いたんです。タケルさんたちが、異世界の人ってことも」
「シランは信じるのか?」
「はい。やよいが嘘を吐くはずありませんから」
普通なら、異世界の存在なんて信じないはず。だけどシランは信じていた__やよいを信頼して。
こんな短時間にここまで信頼関係を築けているなんてな、と驚く。
すると、シランに頭を撫でられていたやよいは、照れ臭そうに顔を伏せていた。
「もう……恥ずかしいなぁ」
「フフッ。やよいは本当に可愛いですね」
「やめてー! 恥ずいってばぁ!」
机に顔を突っ伏しながら足をバタバタさせるやよいに、シランは優しく笑いかけながらふと天井を見上げる。
「本当、羨ましいです。色んなところを旅して、色んな国を見て、色んな人に出会う……私も、そんな旅をしてみたいです」
シランは遠い目をしながら呟く。
それを聞いたやよいは、勢いよく顔を上げてシランの顔を見つめた。
「__行こうよ!」
「……え?」
「旅! 一緒に旅しよう! あたしたちと一緒に!」
やよいの提案に、シランは目を丸くさせ……そして、静かに目を伏せる。
「出来ないですよ。だって私は……」
「病気なら大丈夫! 絶対に治る!」
やよいはそう言って、シランの手を握った。
「シランの病気がなんなのかは分かんないけど……絶対に治るよ!」
「どう、して……」
「シランのお父さんは、頑張って研究してるんでしょ? だったら、すぐに治療法が見つかるよ! タケルたちだって協力するし! もちろん、あたしも!」
やよいの言葉に、シランは目を見開いた。やよいは信じてるんだ。ライラック博士が治療法を見つけ出し、シランの病気が治ることを。
「そうしたら旅をしよう! 色んなところを! 色んな国を!」
明るい笑みを浮かべて、やよいはシランを旅に誘う。するとシランは目を閉じ、静かに微笑んだ。
「……えぇ、そうですね。私も、そうしたいです」
「じゃあ、決まり!」
やよいはシランに向かって、小指を立てる。
「__約束だよ?」
小指を向けられたシランは、戸惑いながらゆっくりと小指を立てる。
そして、やよいの小指に恐る恐る絡めようとして__。
「む? 戻ってきたのか?」
そこで。ライラック博士がリビングに入ってきた。
ライラック博士の登場に、シランはピタッと動きを止める。
「おぉ! ルナフィールを採ってきてくれたのか! 助かる!」
「え? あ、はい……どうぞ」
俺たちが持っているルナフィールを見て、興奮しているライラック博士に手渡す。
チラッとシランを見ると、自分の立てた小指をジッと見つめていた。
「よし! 早速調合しよう! シラン、今からちょっと診察したいから部屋に戻っていてくれ!」
「……はい。分かりました」
ライラック博士に言われ、シランは自室に向かう。その時、シランはやよいの方に目を向けていた。
その目は悲しいほど儚く、今にも消えそうな目だった。
そのままシランが自室に戻り、俺たちだけがリビングに取り残される。
「……絶対、だもん」
やよいはシランの背中を見送りながら、小さく呟いていた。
何かを決意したような言葉に、俺たちは何も言えないまま__次の日を迎える。
俺たちは家でまったり過ごしていると、一人の男性が家を訪ねてきた。
「こんにちわ。タケルさんたちはいらっしゃいますか?」
その人は、ユニオンメンバーだった。
用件を聞くと、ルイスさんが俺たちを呼んでるらしい。
どうしたんだろう、と首を傾げつつ俺たちはユニオンに向かった。ユニオンは変わらずバタバタと忙しそうにしている。
「来ましたね。皆さん、執務室にどうぞ」
そこで前に会った時よりも目のクマが酷くなっているルイスさんが、俺たちを執務室まで案内してくれた。
執務室に入ると、ルイスさんは疲れ切った表情で深く椅子に腰掛ける。
「今回来て頂いたのは、ある情報が入ったので報告するためです」
「情報、ですか?」
俺が聞くと、レイラさんは深刻そうに頷く。
「__王国から探りが入りました」
レイラさんの言葉に緊張が走った。
この国に王国__マーゼナル王国からの探り。つまり、俺たちがいることがバレたのか?
そう思っていると、レイラさんは首を横に振った。
「まだ、タケルさんたちがこの国にいることを確信していないでしょう。ですが、いる可能性があると疑っているはず。近い内に王国の追っ手が来るかもしれません……いえ、もしかするともうこの国にいるかもしれない」
あの国のことだから、あり得るかもしれない。
俺たちの追っ手がこの国にいる可能性がある以上、警戒する必要があるな。
そこで、考え事をしていた真紅郎が口を開く。
「そうなると、気軽に外に出るのは控えた方がいいかもしれないね」
「そうですね。どこに王国の者が潜んでるのか分からない以上、外出は控えた方が無難でしょう」
真紅郎の言葉にルイスさんが同意する。
今のところ、王国の追っ手らしい人間は見ていない。だけど、これから出くわす可能性もある。
今後は外出はしないようにしよう。そう決めた俺たちは警戒しながら家に戻ろうとした__その時、血相を変えたジーロさんがユニオンに飛び込んできた。
「__み、皆さん! シランが、シランがいなくなりました!」
ジーロさんの言葉を聞いた瞬間、やよいは勢いよくユニオンから出て走り出した。
「や、やよい!? ちょっと待て!」
王国の追っ手がいるかもしれない現状、一人になるのは危ない。
そう思ってやよいを呼び止めようとしたけど、やよいは無視して走り去っていく。
「ちくしょう! 俺とサクヤでやよいを追うぞ! 真紅郎とウォレスはジーロさんと一緒にシランを探してくれ!」
「……うん」
「分かったよ!」
「オッケー!」
全員に指示を出してから走り出し、サクヤが併走する。真紅郎とウォレスはジーロさんと一緒に俺たちと逆方向に向かった。
魔法を使っているのか、やよいとの距離が離れていく。
「サクヤ!」
「……分かってる。<アレグロ>」
俺の呼びかけにサクヤは敏捷強化を使い、俺も使って人混みをジグザグに抜けながら、やよいを追う。
やよいはどこにシランがいるのか分かっているかのように、迷いなく走り続けていた。
向かっている先は__街の郊外。ライラック博士の家みたいだ。
穏やかな風が吹く緑の丘を走り抜けていってようやく、やよいに追いつくことが出来た。
「おい、やよい! ちょっと落ち着け!」
俺の声に、やよいは耳を貸さずむしろ速度を上げていく。心の中で悪態を吐きつつ、俺たちはやよいを追った。
そして、とうとう__やよいは足を止める。
そこは、家の裏庭……シランの育てている花が咲き乱れる場所だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ずっと走り続けていて息が上がっているやよいは、静かに裏庭に足を踏み入れる。
裏庭の奥__綺麗な緑白色の花が咲き誇っている場所にいた華奢な背中に、やよいは近づいていった。
「見つけ、たよ……シラン……ッ!」
名前を呼ばれたシランは、ゆっくりと振り返った。