二曲目『シラン』
「もう! いつもいつも私のことになると、そうやって大声で昔のことを色んな人に! 恥ずかしいんですよ!?」
色白の顔を真っ赤にさせて、ライラック博士に詰め寄るシラン。
だけど、ライラック博士は気にした様子もなく、むしろそんなシランの姿が可愛くて仕方ないと言わんばかりにニヤニヤと笑う。
「ハッハッハ! こらこら、シラン。お客様の前だぞ?」
「もう! もう! そうやっていつも話を逸ら……して……」
プンプンと怒っていたシランは、ライラック博士に言われてようやく俺たちの存在に気づいたようだ。
思考停止していたシランは、途端に顔をトマトみたいに真っ赤にさせて恥ずかしそうにイスに座って俯く。
「し、失礼しました……お恥ずかしいところをお見せして……申し訳ございません」
「あぁ、いや、別に……」
蚊が鳴くような声で謝るシランにどうフォローしていいのか分からず、とりあえず気にしてないと伝える。
ゆっくりと深呼吸したシランは、ほんのり頬を赤く染めながら俺たちの方に顔を向けた。
「私の名前はシランと申します。どうやら皆様にご迷惑をおかけしたようで……ありがとうございました」
「あれ? 覚えてるの?」
気絶していたはずなのに覚えているような口振りのシランに、やよいが首を傾げながら聞く。
するとシランは苦笑しながら「朧気ながら、ですが」と答えた。
とりあえず俺たちも自己紹介すると、ジーロさんが手にクッキーが入った器を持ってテーブルに置く。
「どうぞ。シランが作ったクッキーです」
「ありがとうございま……」
「……おいしい」
俺がジーロさんにお礼を言う前に、素早い動きで手を伸ばしてクッキーを食べたサクヤが満足げに呟く。
少しは遠慮というものを、とサクヤに注意しようとするとジーロさんはサクヤを見てクスクスと笑みをこぼした。
「それはよかった。シランは菓子作りが得意でして、ボクよりも上手なんですよ」
「最近はジーロもお菓子作ってますよね? 私、負けそうなんですが……」
「ハハッ、ボクはまだまだですよ」
褒められて照れながらプクッと不満げに頬を膨らませるシランに、ジーロは優しげな眼差しを向けて謙遜する。
婚約者、というだけあって仲がいいな。お似合いのカップルだ。
サクヤに全部食べられる前に、俺たちもクッキーを口に運ぶ。ほんのりと花の香りがする、ちょうどいい甘さのクッキーだった。
「美味いな、これ本当に手作りなのか?」
「ハッハッハ! こいつは美味い!」
「うん、おいしい」
「きゅー!」
手作りとは思えないほどおいしいクッキーに俺たちが舌鼓を打っていると、やよいがグヌヌと悔しそうにする。
「本当においしい……凄いなぁ、あたしと同じぐらいなのに婚約者もいてお菓子も作れるとか……しかもかなり可愛いし、女子力凄いし」
「ハッハッハ! やよいとは大違いだグブゥエ!?」
余計なことを言ったウォレスは、やよいのボディーブローを喰らった。
そのままテーブルに額をぶつけて崩れ落ち、悶えている。
そんなウォレスを、やよいは鼻を鳴らしながらまたクッキーを一口かじった。
「シラン……さん。このクッキーに使ってる花って、バラですか?」
「はい、そうですよ。食用に栽培したバラの花びらを乾燥させて、生地に混ぜてます。あ、シランでいいですよ? 歳も近いでしょうし、敬語もいりません」
シランの申し出を聞いて、やよいは嬉しそうに花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「ならそうするね、シラン! 他にどんな花を育ててるの?」
「えぇとですね、バラの他に、チューリップや……」
同年代で同性ということもあってか、やよいとシランはすぐに仲良くなっていた。
黒髪でつり目のクール系なやよいと、緑がかった白髪でたれ目のほんわか系なシラン。
正反対な二人だけど、気が合うのか花の話題で盛り上がっている。
その光景を見たライラック博士は、穏やかな表情で嬉しそうにしていた。
「シランに友達が出来るのは初めてだな」
「え? そうなんですか? 友達多そうに見えるのに」
「……まぁ、ちょっと事情があってな」
優しくて人当たりが良さそうなシランに友達がいないことを意外に思っていると、ライラック博士は眉をひそめて言い淀む。
何か理由があるのか……と、やよいと楽しそうに会話しているシランを見て、俺はあることに気付いてしまった。
これは、明らかに異常だ。そして、何か嫌な予感がする。
どうにも気になり、意を決して俺はライラック博士に聞いてみた。
「あの……シランはどうして、空から落ちてきたんですか?」
俺の質問に、ライラック博士はピタッと動きを止める。シランも会話を止め、暗い表情で俯いてしまった。
「実は、私は……」
「__シラン!」
ポツリと話そうとしていたシランを、ライラック博士が止める。
途中で止められてしまったシランは何か言いたげにしながらも、そのまま押し黙った。
そして、ライラック博士は険しい表情で机に両肘を立てて手を組み、額に当てる。
「すまない。キミたちを信頼していない訳ではないが……今は、聞かないでくれるか?」
絞り出すように嘆願してくるライラック博士に、俺はこれ以上何も言えなかった。
俺たちには話せない、深刻な事情。もう一度俺はシランの方に目を向ける。
俺が気付いた、明らかな異常。
それは__シランの体に纏わりついている、うっすらとした黒いモヤだ。
意志を持っているかのように蠢き、シランの体を縛っているその黒いモヤに見覚えがあった。
旅の途中、ある村で出会ったマーゼナル王国の貴族の男。
やよいが倒して縛り上げた時__その貴族の男から吹き出した黒いモヤと、シランの体に纏わりついた黒いモヤは同じものだ。
その正体が何かは、分からない。でも、直感だけどライラック博士が話すのを躊躇い、シランが何か話そうとした事情の原因は__その黒いモヤのような気がする。
気になるけど、これ以上の追求は出来ないな。
「……ライラック博士。博士はどんな研究をしているんですか?」
暗い雰囲気を察した真紅郎が話題を変えると、険しい表情を浮かべていたライラック博士がニッと口角を上げる。
「私の研究は、魔法を使った医療だ」
「魔法を? この国では、、魔法を兵器に転用する研究をしてるって聞いたんですけど……」
研究内容を聞いて真紅郎が首を傾げると、ライラック博士は火が着いたように語り出した。
「そう! だが私は魔法の使い道は兵器だけじゃなく、医療や人のためになることにも使えるのではないか、と考えたのだ!」
「それは興味深いですね。この世界では、魔法を武器としてしか使わないと思っていたのに。でも、魔法を医療に使うって発想は面白いですね」
「この世界……? いや、いい。それより真紅郎、キミは中々見所がありそうだ。どうだろう、私の研究を見てみるかね?」
「いいんですか? なら、是非見させて下さい!」
「ハッハッハ! いいだろう! 私の研究所を披露しよう!」
研究の話になると暗い雰囲気は霧散し、テンションが上がったライラック博士は真紅郎を連れて研究所に向かう。
その時、真紅郎は俺に向かってウィンクしてきた。俺はニヤリと笑みを浮かべて、こっそり親指を立てる。
真紅郎のおかげで、気まずい空気が払拭出来た。ナイスだ、真紅郎。
「はぁ……やれやれ、博士はいつも研究とシランのことになると子供のようにはしゃぎますね。さて、ボクは夕食の準備をします」
「あ、ジーロ。私も手伝いますか?」
苦笑いを浮かべながらジーロさんが夕食の準備に向かおうとすると、やよいと談笑していたシランが立ち上がろうとする。
だけど、ジーロさんは優しく微笑みながら首を横に振った。
「折角ですからシランは、やよいさんとお話ししてて下さい。夕食はボクに任せて、ね?」
「分かりました! そうします! やよいさん、私の部屋でお話ししましょう!」
「え? ちょ、ちょっと待ってよー!?」
ジーロさんの言葉に、シランはパァッと花が咲いたような笑顔を浮かべる。
そして、やよいの手を引いて部屋に向かった。
ジーロさんも台所に向かい、リビングに残された俺とウォレス、サクヤ。
そこで。俺は誰にも聞かれないように小さな声で二人に聞いてみる。
「なぁ、シランの体に纏わりついている黒いモヤ、どう思う?」
「あん? なんだそれ? オレはそんなの見えなかったぜ?」
首を傾げるウォレスに、俺は思わず目を丸くさせた。
あの黒いモヤが見えない? 見えたのは俺だけなのか?
そう思っていると、サクヤはコクリと頷く。
「……ぼくも、見えた」
「はぁ? マジで?」
「そっか。サクヤには見えたんだな……」
俺とサクヤは見えて、ウォレスは見えていない。
やよいや真紅郎の様子を見るに、多分あの二人も__いや、ライラック博士とジーロさん、シランも見えてないだろう。
どうして俺とサクヤだけが、あの黒いモヤを見ることが出来るのか。そもそもあの黒いモヤはいったいなんなんだ?
「サクヤはどう思う?」
「……分からない。けどあの黒いモヤ、嫌な感じがする」
サクヤも俺と同じことを思っているみたいだ。
空から落ちてきたシラン、ライラック博士が話したがらない事情。
そして、黒いモヤ。
謎を残したまま、とりあえず考えるのをやめて俺たちはライラック博士の家で一夜を過ごすのだった。