最悪の影
今日、王都では100万貴族たちの報告会を行っていた。
「西部戦線は魔軍が攻勢に出ていないため、安定状態です。ただし、旧総大将のレビィ様の暴走で冒険者や騎士など兵隊を多く失ってしまいました。そのため攻勢に出られない状態です。そこで、ゼロ様とイースト様の超人薬の力を借り、軍を整えたいと思っています」
西部戦線の100万貴族であるルークがゼロとイーストを見る。
「報告は終わりですか?」
王妃はループが口を閉じると、部屋に響き渡る声で聞く。
「以上です」
ルークはお辞儀をして着席する。
「では、私、イーストが報告いたします」
次にイーストが立ち上がる。
「まず北部の復興はゼロ殿のお力添えで順調に進んでいます。あとひと月もしないで終わるでしょう。次に超人薬を服用した領民の様子ですが、今のところ副作用は見られません。一方で筋力や動体視力は飛躍的に向上、西部戦線で訓練を行えば、西部戦線で戦えるレベルだと考えます」
「軍の規律などを教えれば、力のない民でも最前線で戦えると?」
王妃はイーストの話を興味深そうに聞く。
「その認識で間違いないかと」
「結構」
イーストは王妃が頷くと報告を続けた。
「――以上で報告を終わります」
イーストが着席するとゼロが起立する。
「で、では次に、僕から報告しま、す。えっと、初めてなので緊張してますが、頑張ります」
慣れていないため、口が回らない。しかしそれを正直に話すと、イーストや王妃、ルークなど会議室のすべての人に笑みが咲く。
「落ち着いて喋りなさい」
王妃は額のしわをとって語り掛ける。
「はい!」
それから堂々と喋り出す。
「万年樹の森は力を取り戻しています。年内には以前と同じくらいの虫人が暮らせます。それに合わせて、森の秘薬などの原料も多く取れます」
会議室の人々はゼロの言葉を一字一句聞き漏らさないように注意しながら、詳細が記されている資料に目を通す。
「来年には国中に森の秘薬が行きわたる予定なのですね」
「はい。ただ、作り手が足りないので、人員を増やして欲しいです」
「分かりました。何人増員できるか、明後日話し合いましょう」
「ありがとうございます! 次に、超人薬も製造できる段階です。ただし、今の段階では作るつもりはありません」
「なぜです? 超人薬は魔軍と戦うために必要なのに?」
「超人薬と森の秘薬で戦争が起きたからです。慎重に事を進めたい」
「具体的には?」
「信用できる人間だけが摂取できる制度が必要です。例えば、犯罪歴のある人物が摂取すると怖いことになると思います」
「なるほど。最もですね。ただ、現時点ではそのような制度はありません」
「失礼、発言宜しいか」
「許可します、イースト」
「犯罪歴を記録する制度を作りましょう。冒険者ギルドを国家で運営していた経験がいきるはずです」
「分かりました。三日後の会議で、具体的な方法を検討しましょう。それで、ゼロは他に何か報告することはありますか?」
「報告というより文句です。どうも僕の万年都にスパイが来ているようです。心当たりはありませんか」
会議室が静まり返る。
「ゼロ、滅多なことを言わないでください」
王妃はコホコホとせき込む。
「しかし、もしも本当でしたら大問題です。すぐに調べましょう」
「ありがとうございます」
報告会は終わった。
「最後は良い立ち回りをした」
部屋を出るとイーストに褒められる。
「ああやって皆の前で言えば、舐められない」
「そうですか?」
「俺は知っているぞ。それもまた立派な脅しだ」
「僕は文句を言っただけですよ」
「はは! 天然か。手ごわい相手だ」
バシンと背中を叩く。コホコホとせき込む。
「次は皇太子リーの誕生会だ。笑顔を絶やすなよ」
「食事会なんてめんどくさい……はやく家に帰りたいです」
「残念だが、これもまた100万貴族の仕事だ。マナーよりもまずは、笑顔を絶やすなよ」
イーストはゼロに激励すると一足先に会場へ向かう。
「疲れるー」
ゼロは、うえー、と舌を出してため息を吐いた。
夜、皇太子リーの誕生会にゼロは出席する。
「乾杯」
リーがグラスを上げると、参加者も一斉にグラスを上げる。
「あなたがゼロ!」
そしてお喋りが始まる。
「そうだけど、君は?」
「私はアントワネット! あなたと同じ100万貴族よ! さっき報告会で喋ってたの見てなかったの?」
アントワネットは金髪の巻き髪をフリフリと振る。
「ご、ごめん! 緊張してて気づかなかった!」
「じゃあこれでお友達ね! よろしく! 同い年だから気軽に話しましょう!」
「同い年! その歳で凄いね!」
「あなただって凄いじゃない!」
キャッキャと笑いあう二人を遠目から盗み見る者たちが居る。
お喋り好きなメイドたちだ。
「アントワネット様! 一番にゼロ様と仲良くなったわ!」
「他の貴族が喋りかけないようにする絶妙な立ち回り! あの若さで凄いわ!」
「いやいや、周りも負けていないわよ! ほら、フランソワーズ様が仕掛けるわ!」
メイドたちの言う通り、ゼロの隣にすっと、宝石を散りばめたドレスを着る女性が立つ。
「こんばんわ、お若い領主様」
「えっと、あなたは?」
「100万貴族のフランソワーズよ。あなたにぜひお会いしたかったわ」
すっと、自然な手つきでゼロを抱きしめる。
「あなたが作ってくださった森の秘薬で、娘の病気が治ったわ。本当にありがとう!」
「ど、どういたしまして」
照れるゼロ。遠目でメイドたちははしゃぐ。
「フランソワーズ様! 見事な泣き落とし!」
「フランソワーズ様のお子さんって病気だったっけ?」
「お腹出して寝て風邪引いたって聞きました」
メイドたちはさらに、穴が開くほど観察する。
「フランソワーズ、アントワネット。私の友人を困らせないでくれ」
「あら、イースト」
「お久しぶり!」
イーストが現れると、アントワネットは満面の笑みで、フランソワーズは微笑で迎え入れる。
「そちらのご婦人は?」
フランソワーズはイーストの隣でカチコチに緊張するコメットを見る。
「私の妻だ。先日結婚した」
「こ、ここ、コメットです! い、イースト様の妻です!」
コメットは何度も何度も忙しくお辞儀をする。
「慌てなくて良いわよ」
「よろしくね!」
アントワネットは満面の笑みで、フランソワーズは困ったような笑みでコメットを受け入れる。
それを見てメイドは騒ぐ。
「イースト様! 結婚したんだ!」
「田舎娘っぽいけど」
「玉の輿に乗ったんだわ! 羨ましい!」
そうやって騒いでいると後ろからメイド長に頭を叩かれる。
「こらこら! 遊んでないで仕事しなさい!」
「はーい!」
「あー! 私もゼロ様とお話ししたーい!」
「一番勢いに乗ってる美少年! そそる!」
誕生会は何事もなく、終始笑顔で進んだ。
それから一週間後、ようやくゼロは万年都へ帰宅する。
「うわー! おっきいオオカミ!」
「これは想像以上ね」
王都の外で帰りを待っていたきな子に、アントワネットとフランソワーズが群がる。お付きの騎士たちは遠目で震える。
「お待たせ、きな子!」
「待ちくたびれたぞ」
きな子がゼロの頬を舐めると、どよめきが走る。
その中でアントワネットとフランソワーズは冷静だ。
「ねえねえ! 触っていい!」
アントワネットは子供らしくはしゃぎ回る。
「どうぞ」
「ありがとう!」
ペタペタと鼻に触る。
「オオカミみたい!」
「オオカミだからね」
「私も触ってよろしいかしら?」
「どうぞ」
アントワネットとフランソワーズが交互にきな子を触る。きな子は愛おしそうに二人を眺める。
「乗っていい!」
「私も試しに乗りたいわ」
二人は太陽にも負けないほど輝かしい笑みを浮かべる。
ゼロはチラリと気持ちよさそうなきな子を見る。
「良いですよ」
「やった!」
「オオカミに乗るなんて初めて」
二人はパンツが見えるのも構わず、スカートの裾を掴み上げる。
「いけませんお嬢様!」
「フランソワーズ様!」
慌てて付き人が止めに入る。
「もう! じいのケチ!」
「でも、そろそろ戻る時間だわ」
「ほんとだ! ごめんねゼロ! もっと遊びたいけど時間なの! 二週間後遊びに行っても良い?」
「良いですよ。お待ちしてます」
「ありがとう! じゃ明後日万年都へ行くわ!」
「私も一緒に良いかしら?」
「フランソワーズさんもぜひ来てください」
「ありがとう! 二週間後を楽しみにしているわ」
こうしてゼロは二人と別れた。
「何が狙いだろ?」
草原の涼やかな風を受けながら、ゼロはきな子の頭の上で難しい顔をする。
「どうした?」
「アントワネットさんとフランソワーズさんの狙いは何かなって」
憂鬱そうに地平線を見つめる。
「ジャックさんに言われたんです。貴族は笑顔の仮面を張り付けるって。だからきっと、あの二人も笑顔の下で何か企んでいると思って」
「何を企んでいる?」
「それが分からないんです」
「じゃあ、気にするな」
きな子は風を切りながら笑う。
「あの二人から殺意は感じなかった。ならばしばらくは仲良くしてやれ」
「それで良いのかな?」
「お前はそれでいい。人を疑うことが嫌いだと分かっている」
「……そうですね」
コテンと頭の上に寝転ぶ。
「二週間後を楽しみにしましょう」
初めての持て成しだ。そう思うとワクワクする。
万年都へ着く。
「戻ったよ!」
見張りの蜂人に手を振ると、蜂人、蜘蛛人、蟻人、オオカミが出迎える。
「ゼロ様。おかえりなさい」
そして遅れて騎士が現れる。
「ただいま」
ゼロは皆に頭を下げると、きな子の頭に乗って万年都の中央へ向かう。
「広くなったな」
ゼロはしみじみと成長した万年都を眺める。
万年都は巨大な万年樹が至る所に生息している。
見上げれば巨大なスズメバチと蜂人が、木漏れ日のシャワーの中飛び回っている。
万年樹には蟻人が樹液を吸うために行列を作っている。
地面には作物を荒らすネズミを追う蜘蛛人たちが走り回っている。
万年都はまさに、万年樹の森というダンジョンに作られた町であった。
「ゼロ様!」
人々はゼロを見ると一斉に手を振る。
「て、照れる」
照れ笑いをしながら手を振る。
食べ物が豊富な万年都は笑顔が絶えない。
大通りは出店が並ぶ。
肉と野菜の串焼きと麦酒。
リンゴ飴にわた飴。
ジャガイモのバターソテー。
どれもこれも頬っぺたが落ちるほどの臭いを放つ。
「お腹空いたな」
口の中に溜まる唾を飲みこむ。
「きな子! 止まって!」
突然ゼロはきな子から下りて、大通りを走る。
「……気のせいか」
汗びっしょりで息が荒い。
「どうした?」
「苦しい?」
赤子とスラ子が追いつく。
「何でも無いです」
青くなった顔でため息を吐く。
「気のせいだ……絶対に」
ゼロはまるで、幽霊を見たかのような表情だった。




