スミレの花に別れを告げて
スミレの花言葉 『××』『××××』『×××××』
「菫ちゃんはお利口さんね」
幼い頃、私がよく言われた言葉だ。お利口。大人しい。無欲。そんな言葉を褒める意味でもけなす意味でも私に使われた。
実際そうなんだろうな、と私も思っていた。私には欲というものがない。幼稚園の頃、兄がデパートの床で泣き叫んで新しいおもちゃを欲しがる理由が理解できなかったし、誕生日の時も欲しいものなんてなかったから何でもいいと言っていた。周りの大人の言うことにも逆らわなかった。
中学校に上がり、高校に進学してからもその性格は変わることはなく、校則通りに制服を着て、先生の言うことに素直に従って、似たような繰り返しをする毎日。そこそこに友達は作り、でも恋人はいないし片思いの相手もいない。そんな日々を送っていた。
「要するにさ、菫っちは本当に欲しいって思ったものがないってことだよね」
これは私の高校の頃の友達の言葉だ。その子は欲のない私が言うのもなんだけれど変わった子だった。大人びているというか、悟っているというか。やる気なんてみせずにテストで百点を取ってしまうような子だった。
それでいてクラスの中で孤立していて、話をするのは私だけというのだから相当だ。
「そうなのかな」
「そうそう。あたしは菫ってにも人並みの欲ってやつはあるんだと思うよ?だってさ食って、寝て、ヤんなきゃ人は生きていけないし、種として存続できない。菫にも食欲、睡眠欲、性欲はあるでしょ?」
「…うん」
デリケートな話を彼女はあけすけに話す。恥ずかしそうにする私に彼女はニヒヒと笑った。
「ね?つまりかのマズローの階層欲求論に照らし合わせれば、菫っちは生理的欲求はきちんとあるわけだ。学校に行って、身綺麗にしているから安全欲求もあるね。ただそれより上の欲求が極端に薄いんだ。社会的欲求やら、承認欲求やら、自己実現欲求やら。ただ単純に生きていくより上の欲が足りてないんだねぇ。だから欲しがらない。欲しがる必要性を感じてないんだ」
「馬鹿にしてるの?」
「いんや。かのマズローも欲求は下から満たされていくって言ってたし、菫ってもいつかは欲が出てくることもあるよ」
そんな日が来るといいね。夕日に照らされた彼女の顔はなぜかとても楽しそうだった。
*
そんな私だからか。ある日突然異世界に召喚されて、世界を救ってほしいと言われても首を横には振らなかった。
「この国は今、魔王率いる魔族に脅かされています。魔王に国を乗っ取られてしまえば、我ら人間は奴隷のように酷使されることでしょう。どうかあなたがたのお力で世界を救ってはいただけないでしょうか」
別に王様のその言葉に感化されたわけでも、強い正義感にかられたわけでもない。悟った彼女とお話していた私にしてみると、勝った国が負けた国の民を酷使するのは当然の権利だし、奴隷のようにという王様自身が奴隷を使っているのはどうなのかとか思うところはいくつもあった。
それでも異世界に来てしまったし、頼まれたことは聞くべきだという私の価値観に従って私は魔王を倒す旅に出ることにした。そこで私は初めての恋をする。
私のように日本から召喚された人は全部で6人。顔見知りだった人はおらず、男女比率は3:3だ。勇者、戦士、射手が男で、巫女、魔法使い、盗賊が女。私は盗賊だった。気配を殺して背後から急所をプスリ。地味で目立たない私にはぴったり。
私達は3か月王城で訓練を重ねた後、6人だけで旅を始めた。召喚した王国からの援助はほとんどなし。召喚者の中には私のように流されて旅に出た人もいれば、嫌々の人もいたので、旅の始めの頃はかなり荒れていた。
現代日本に生きていた私達にとって、いかにもダークファンタジーな魔物が襲い掛かってくることは恐怖でしかなかったし、そもそも愛着も何もない世界のことだ。救ってやる義理なんてないと思うのも仕方がなかった。
そんな中で旅が進むにつれて仲間たちがまとまってきたのは、リーダー格の勇者の存在が大きかった。彼は正義感の塊のような人で、王様の話を聞いてならば救いに行こうと心の底から思うような人だった。
そんな彼の思想に影響を受ける人がいて、反対に彼のことを放ってはいけないと思う人がいて。他の5人それぞれの理由はあったけれど、勇者の彼を中心に私たちはまとまったのだ。そこで私が恋をしたのは件の勇者、ではなく戦士の人だった。
きっかけは私自身よく覚えていない。というか分からない。気づいたら好きになっていて、その好きはいつの間にかに私の心の中に深く根付いていた。
『恋には本物の恋もあるけど、吊り橋効果もあるから気をつけなよ』
とは悟った彼女の言葉だ。私も最初危険な旅路で勘違いしたのかと思った。でもそれはおかしい。吊り橋効果が発揮されるなら勇者の人の方に発揮されないとおかしいのだ。
何せ戦士の彼は目立たない。勇者の人が色んな意味で目立ち、射手の人が気障な発言ばかりでやはり目立っている中で戦士の彼はとても地味だった。
中肉中背で特別かっこいいわけでも、不細工なわけでもない中の中を地で行く彼。戦いぶりも堅実で、前線で仲間を支えるタンクの役割を果たしているが、それも地味。ならばこの感情はどこから来たのだろうか。それが分からなくて、私は気持ちを自覚してしばらくの間彼を観察することにした。
私は盗賊。相手に気づかれずに盗み見することは得意だ。
その結果、私はこの気持ちは共感から来ていることと分かった。私と彼は同じなのだ。欲しがらない。求めない。周囲の言うことに唯々諾々と従い、求められた仕事はきちんとこなす。その姿は私そのものだった。
それが分かって私は困った。共感。この気持ちを恋と呼んでいいものなのだろうか。誰かに相談したかったけれど、相談できる相手もいない。旅の仲間たちは仲こそいいが、それだけに話すのは怖い。ついうっかり話してしまえばあっという間に話が広まってしまう。
悟った彼女がいないことを悔やんだのはその日が初めてだった。
ともかく、艱難辛苦を乗り越えて、私たちはついに魔王の元へとたどり着いた。たどり着くまでに5年かかった。
魔王は強かった。私たちの実力は旅を始めた5年前とは比べ物にならないほど高まっていたけれど、そんな私達が束になってもなお魔王との実力は逼迫していた。一手間違えれば簡単に殺される。そんな状況。いつもならその状況を切り開くのはリーダーである勇者の役目だったけれど、魔王にとどめを刺せるのは勇者の光の剣だけ。勇者に万が一があれば勝てなくなる。それを考えると迂闊なことはできなかった。
状況を打ち破ったのは戦士の彼だった。
「うぉぉぉぉっ!」
魔王との戦いが始まって一時間。戦士の彼が雄叫びを上げて魔王に詰め寄った。その突然の攻撃に魔王はおろか、仲間たちの意表もついた行動だった。
「なんだと!」
今まで防御に徹していた戦士の彼の不意打ちに、魔王はついに手傷を負った。それをきっかけに戦いの天秤は私たちの方に傾いた。
でもそれは戦士の彼が魔王の怒りを一身に集めることも示していた。
射手が後方から矢を放ち、魔法使いが魔法で援護する。巫女が仲間たちの傷を癒し、盗賊の私が魔王の隙を作る。勇者は魔王の弱点になる光の剣で攻め立て、魔王の攻撃を戦士の彼が受け止める。
戦士の彼は魔王の攻撃と憎悪を誰よりも受けながら、誰よりも奮起して戦った。その姿に私の胸は熱くなる。小さな恋の種火は大きく燃え上がる。
そしてついに魔王が勇者の光の剣の前に屈した。魔を滅する光で切り裂かれ、魔王は口から血を吐き出して崩れ落ちた。そのままドチャリという音を立てて魔王はうつ伏せに倒れた。
「やった、のか…?やった、やったぞぉ!!」
動かなくなった魔王を見て、勇者は歓喜の雄叫びを上げた。それにつられて他の仲間たちも手を上げて喜ぶ。
戦士の彼も顔に疲労を浮かべながら、嬉しそうに手を上げた。私も胸に宿る思いを彼に伝えたくて、彼のもとへ歩み寄った。
そして聞こえる。小さな音と、頭の中で鳴り響く警告音。相手の隙を伺うために磨き上げた私の観察眼が、魔王がわずかに動くのを見た。
「油断!」
最期の力を振り絞って魔王が死の光線を放った。狙いは戦士の彼。戦いの天秤を崩した彼のことを、魔王は許すつもりはなく、魔王は彼を道連れにしようとした。
後悔は、なかった。私は戦士の彼と魔王の間に割って入り、彼の体をトンと押す。押し出された彼は魔王の攻撃の範囲から逃れる。彼の驚きの顔が目に入った。
そして衝撃が走る。
*
「菫はスミレの花言葉を知ってる?」
悟った彼女との雑談の中で、そんな話をしたことを覚えている。
「花言葉?知らない。興味なかったし」
「そうかい。さすがは菫だ。ぶれがないね」
彼女はニマニマと顔に笑みを浮かべる。笑みを浮かべたまま彼女は言った。
「スミレの花言葉は『謙虚』。中々菫にマッチしてると思わない?欲を知らず、求めない菫はとっても『謙虚』だと言えるね」
「そうかもね。それで、あなたは何を言いたいの?」
「んー。言いたいことはそれだけだよ?」
「嘘つき。あなたがそういう顔をする時は何かをたくらんでいる時よ」
私がそう言うと、彼女はふふふと小さく笑い声をもらした。やっぱり何か余計なことをたくらんでいたらしい。
「べっつに~。あたしはただ菫とお話したいだけだよ。ま、それはともかくスミレの花言葉は何個もあるからね。『謙虚』ってのもその一つ。他には…」
*
「…み…!みれ!」
誰かが私を呼ぶ声がする。私はゆっくりと瞼を開いた。
「…みれ!すみれ!菫!」
「あれ?わた、しは…」
目の前には戦士の彼がいた。彼は今まで見たことがないような必死の形相をしていた。なんでそんな顔をしているのと言いたかった。だけどおかしいな。体に力が入らない。
「あ、そか。私」
そこで私は思い出した。魔王の最後の一撃。それを私は戦士の彼の身代わりになって受けたのだ。目線を下に向ける。私は苦笑をもらした。
「だめ、だね。これ…」
戦士の彼に抱きかかえられた私の体は見るも無残なことになっていた。胸には大穴が空き、両手足は滅茶苦茶にへし折れちぎれかけている。体の随所から肉が裂けてそこから血と骨が見え、もう致命傷であることが容易に分かった。
そんな私が未だに生きながらえているのは、私の体を癒そうと頑張る巫女の魔法のおかげだろう。彼女は涙をながしながら私の治療をしている。そして私を取り囲むように他の仲間たちも膝をついて私に目を向けていた。
皆、目から涙を流している。誰もが分かっているのだろう。私はもう助からない。普段の巫女の癒しの力なら治せただろうが、今の巫女は魔王との戦いで限界まで消耗している。こうして私が意識を取り戻せただけでも奇跡なのだ。
「ぁ…」
「どうして!どうして俺を!」
戦士の彼が顔を涙でぐしゃぐしゃにして叫ぶ。そんな顔もできたのか。場違いにも私はそんなことを考えた。そのことすら、今は愛おしい。
「そんなの…」
「え?」
『知ってるかい?菫。スミレの花言葉は『謙虚』の他にも『小さな恋』とか『小さな幸せ』とかあるんだぜ』
格好つけた彼女の言葉が頭をよぎる。でもそんなこと知るもんか。私は菫だ。スミレの花じゃない。『謙虚』でいたいと思わないし、『小さな恋』、『小さな幸せ』なんて「小さく」で終わらせたいとも思わない。
共感でも、同情でも、なんでもいい。私は彼が好きになった。最期くらい。それでいいじゃないか。胸に宿ったこの想いに、この欲に任せてもいいじゃないか。
「そんなの…あなたが好きだからに決まってるじゃない」
じゃなきゃ自分の命を捨てて助けるはずがない。私の言葉を聞いて、彼は目を一杯に開いく。涙が彼の目からボタボタと零れ落ちた。彼の涙が私の頬に落ちて伝う。
「俺も、俺だって菫のことが!」
そして彼の口から素敵な言葉が紡がれた。
「ずっと好きだった!」
両想い。その言葉が私の胸の中に染み込んでいく。言葉が私の胸に宿った炎にくべられて、燃え盛る劫火となる。私の胸に一杯の幸せが広がって、口元がにやける。その想いのまま、私の瞼はまたゆっくりと閉じられる。両想いだった彼の声と大事な仲間の声を聞きながら、私は長い、長い眠りについた。
『小さな幸せ』。そんな花言葉を持つスミレの花に別れを告げて。
スミレの花言葉 『謙虚』『小さな恋』『小さな幸せ』
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