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(2)

 少女が目を覚ますと、近くに綺麗な人が居るのがわかった。女性の良い匂いがする。

 膝枕をされながら、頬を冷たい氷袋で冷やされているのが、徐々に感覚となってわかってきた。



「あら、目が覚めたの?」



 その女性が、少女に優しく言った。目が合ったからか、少女は少しだけ恥ずかしくなる。



「お話できるかな?」



 女性は、更に少女に尋ねた。少女は、頷いて返事をする。



「そう。じゃあ、質問するから、いくつか答えて欲しいの。まずは、一つ目。あなたは、前の記憶がある?」



 そう聞かれて、少女は少し困った。父親に、打たれた記憶が蘇ってくる。



「お父さんに打たれて・・・」



 少女が答える。頬が腫れて、少し喋りづらそうだった。



「ううん、そこじゃないの。もっと、前の記憶よ。マッチを売る前の事よ」



 女性は、優しいけれど、真剣な口調で言った。少女は「お祖母ちゃん・・・」と言い掛けたが、女性は首を振った。

 それよりも前の記憶を、少女は覚えていない。赤ん坊の頃の記憶なんて、曖昧で色落ちしている。



「わからない・・・」



 少女は、絞り出すように言った。



「そう。わかった。じゃあ、二つ目の質問ね。あなたを叩いた人は、あなたのお父さん?」



 女性は、そう聞いた。少女は、その当たり前の質問に、「はい」と即答する。少女にとっては、それ以外の答えは無い。



「うん、わかった。もう大丈夫よ。頬っぺた、痛いのにごめんね」



 女性は、真剣な雰囲気が消えている。少女の痛くない方の頬を、人差し指で軽く触れながら、そう言った。

 少女は、その砕けた感じに、漸く笑顔を出す。何か、仕事の事だったのだと思う事にした。



「私は、あの机と椅子がある所で、少し仕事をしてくるから、あなたは、もう暫くここで横になっていなさいね。その後は、身体を拭いて、パジャマに着替えましょう。

 今日は、一緒に、ゆっくり寝ましょうね」



 優しく頭を撫でながら女性は言った後、膝枕の代わりに大きなクッションを、少女の頭の下に置いた。机まで歩いて行くと、ベルを鳴らして人を呼ぶ。

 少女は、フワフワの大きなクッションが初めてだったので、それだけでなんだか嬉しかった。人が入って来ても、その事に夢中で気にならない。



「お呼びですか」



 侍女が、ヘネの元へやって来た。横目に、奥のソファーの方を見る。



「彼女は、白だった」



 ヘネは、言った。仕方ないという顔をしている。



「そうですか。最近は、記憶が少し劣化した者が多いですが。白とは」



 侍女はそう言いながら、もう一度、ソファーの方を見た。



「これは、あくまで推測だけれど、転生者は、ある時を境にオリジナルに近づくのかもしれない。記憶のパーセンテージが、最近は低い子の方が多い。彼女の場合は、ゼロだった訳だからね」



 ヘネはそう言って、侍女の目を見た。



「新しい対処が、必要だという事ですね。確かに、そう動くしかありません。わかりました。機関の方へは、そう伝えておきます」



「お願いね。後、彼女には何も伝えない事も、併せて連絡を回しておいて。彼女は、彼女のラインの上で、生きて行くべきだから」



「わかりました。では、早急に通達しておきます」



 そう言うと、侍女は部屋から出て行った。扉の閉まる音がする。ヘネは、フゥと息を吐くと、ソファーの方を見る。

 ソファーの上では、氷袋そっちのけで、フワフワの大きなクッションで遊んでいる少女の姿があった。

 ヘネは、それを羨ましいと思う。誰にも描かれていない物語を、自分も生きてみたいと思った。



 フワフワの大きなクッションに、満足していた少女は、あの綺麗な人を見た。椅子から立ち上がると、自分の方へ向かって来ている。それにしても、この部屋は広い。たくさん、人が眠れるような気が、少女はした。



「自己紹介は、まだだったね。私の名前は、ヘネ・アーラン。市長は、私の夫なのよ」



 ソファーへ座ると、ヘネは少女に言った。少女は、そうなんだという顔で、ヘネを見ている。



「あなたの名前は?」



 ヘネは言った。だが、少女は、首を横に振る。少女は、名前で呼ばれた事など無い。自らのお祖母さんにすら、呼ばれた事は無かった。

 ヘネは最初から、それがわかっていたが、敢えて聞いている。名前があるのが普通なのだ、という事を教えるには、丁度良いのである。

 少女の反応に、ヘネは、そっと頭を撫でながら笑顔で言う。



「私が、名付けても良いかな?色々な事は、私がやっておくから」



 少女は、それを聞くと頷く。名前があるのが普通なら、今直ぐにでも欲しいと思ったからだった。少女は、早く普通になりたかった。それで、あの楽しそうな、窓枠の中の住人になりたかった。

 ヘネは、「そうねぇ・・・」と言いながら、遠くを見つめると思い付く。



「アンナ、アンナにしましょう。今からあなたは、アンナ・クリスチャンセンと名乗りなさい」



「アンナ・クリスチャンセン・・・」



 少女は、小声で呟いた。



「気に入らなかった?」



 ヘネは、少女の顔を、覗き込むように聞いた。それを聞いて、少女は、首を横に振る。



「ありがとうございます・・・」



 この部屋に入って、一番の笑顔だった。少女の頬には、綺麗なラインが入っている。



「なら、良かった。私の事は、ヘネと呼びなさいね」



 ハンカチーフで、アンナの顔を優しく拭きながら、ヘネは言った。本当は「お姉さん」と付けて欲しいと、ヘネは思っていたが、この年齢になれば、それを聞かれた方が恥ずかしいと思って自重した。少女と呼ばれ過ぎた人間の、よくわからない感覚かもしれない。



「ねぇ、ヘネ。着替えるの?」



 アンナは聞いた。初めて、人の名前を呼ぶという、張り詰めた糸が声色から窺えた。



「えぇ、そうよ。お腹は空いてない?」



 ヘネは、それに普通に返す。過剰に反応せずに、淡々とした方が良い。

 アンナは、首を横に振った。その返事を見た後、ヘネは言った。



「じゃあ、早く身体を拭いて、着替えて。

 眠る前に、ホットミルクを飲んで寝ましょう。きっと、ぐっすり眠れる」



 アンナはホットミルクの単語に、小さなキラキラの反応を見せたが、まだ顔が、何かを言いたそうだった。

 ヘネは「遠慮せずに、お話して」と、アンナへ促す。ヘネの何でも聞くという顔が、アンナを後押ししていた。



「あの・・・」



「うん、なに?」



「私の靴とフードとハンカチーフは」



 アンナが言う。



「大丈夫よ、安心して。今、綺麗にしている所だから、明日になれば、アンナの所へ持って来させるから。誰も、アンナの物を取りはしないよ。アンナが、自分で掴んだ物だからね」



 ヘネは、そう言って笑った。アンナは、少しだけ、安心した顔を見せる。



「さぁ、身体を拭いて、着替えましょう」



 ヘネはそう言うと、ベルを鳴らして人を呼んだ。さっきとは違う侍女がやって来て、ヘネが、その人にお湯とタオル、着替えを頼んでいる。

 アンナは、そのやり取りを、クッションを抱き締めながら見ていた。



 そんなに時間はかからず、頼んだ物は、二人の元へやって来た。これから楽しくなるだろう、話の途中でやって来た感じである。

 侍女は、それを指示された位置へ置くと、部屋を出て行った。出来るだけ関わらせないという、ヘネのアンナに対する配慮だろう。



「さぁ、脱いで」



 ヘネが、丁度良い温度のお湯で、タオルを濡らして絞った後、両膝をついて拭きやすい姿勢になると言った。



「うん」



 アンナは恥ずかしそうに頷くと、着ている物を脱いだ。色褪せたワンピース。所々、繕ってあるのは、お祖母さんの針仕事だったかもしれない。



「じゃあ、首まわりから拭こうね」



 ヘネはそう言うと、首筋から拭き始める。胸、お腹。チャプチャプとタオルを濡らし直す。

 アンナは拭かれながら、くすぐったくてくすぐったくて、途中で笑ってしまった。



「あら、くすぐったい?もう少し、我慢してね」



 ヘネが言う。「うん」と、アンナは答えた。だが、たまに、本当にくすぐりながら、ヘネは拭いた。アンナが、直ぐに冗談だとわかる行動を、きちんと取りながらだった。アンナも、その遊びが気に入ったようだ。そうやって、二人で笑った。

 手、膝まで拭き終わると、ヘネは、チャプチャプとタオルを濡らし直す。



「じゃあ、次は背中ね。それが終わったら、これを着て、ホットミルクを待ちましょうね」



 ヘネは、笑顔で言う。アンナも、笑顔で答えた。ヘネが、タオルを綺麗に畳んで、準備をすると、アンナは後ろを向く。

 そうやって、アンナがヘネに背中を見せた時だった。



「あぁ・・・なんてこと・・・」



 ヘネは、思わず声を出してしまった。アンナが、心配そうな顔で振り返り、ヘネの顔を見る。それに気づいたヘネは、気持ちの少し引き締めた。



「大丈夫よ。拭き終わったら、お薬つけようね」



 ヘネは、なるべく明るい声色で言った。

 アンナは、変わらず明るい声で返事をする。ホットミルクの事が、頭の中で先行しているのだろう。



 アンナの背中には、無数の傷があった。火傷痕らしき物もある。

 ただ、それらがあるだけでは、あんなヘネの声は出ない。その傷の一つ一つは、数はあるが、小さな物であった。医者に見せる必要の無い、勝手に治ってくれるような傷だった。そして、その傷で、背中には値段が書かれていた。

 将来、その値段で、アンナは、何かをさせられるような気持ち悪さがあったのだ。その事に対して、ヘネは声を上げてしまったのである。もしかしたら、父親の考え方と存在が、そこに居たからかもしれない。



 膿んだ傷を、優しく拭きながら、ヘネは考えていた。

 転生しているのは、私達側だけでは無いのはわかっている。もしかしたら、父親側にも特異点が来ているのか。より凶悪になるようになっているのか。だとしたら、問題になる。



 拭き終わると、アンナが服を着ようとしたので、ヘネは止めた。箱から塗り薬を取り出す。



「少し、ジンジンするかもしれないけど」



 ヘネは、アンナに言う。アンナは、「大丈夫」と答えた。

 ヘネが、薬を指先につけて、アンナの背中へ触れると、アンナは少しだけビクンとなった。あの痛みがあるに違いない。



 少しだけ塗った所で、ヘネは、塗るのを止める。アンナは、もう一度「大丈夫」と答え、前を向くと自分の指を咥えた。声が出ないようにする為だった。父親に教えて貰った、唯一の事かもしれない。



 ヘネは、傷痕に薬を塗りながら、気分が悪かった。自分自身もアンナに対して、この値段だと言っているような感覚になるからだった。出来るだけ、早く丁寧に終わらせたいと思う。



 ようやく塗り終わると、ヘネは、肌着を着せてから服を着せた。

 アンナは、ソファーに座ると笑顔で待っている。楽しみで仕方がないという様子だった。

 ヘネは侍女を呼ぶ。先程の自分の考え伝えてから、ホットミルクを頼んだ。そして、アンナの座っているソファーへ座る。

 二人は、他愛もない事を話した。アンナは、ずっと良い顔をしている。

 暫く経つと、侍女がホットミルクと砂糖、クッキーを台車で運んで来た。ソファーの前の低いテーブルへ、それを置いていく。

 それが済むと、侍女は一礼して、部屋を出て行った。



 二人は、ホットミルクに砂糖を入れて、飲んだ。アンナには、久しぶりの味と初めての味が合わさっていた。



「美味しい」



 アンナは、ヘネの方を見る。ヘネも、「ねっ」という顔を返した。それが、アンナには嬉しかった。



「新しいお父さんとお母さん、欲しい?」



 ヘネほ、アンナへ聞いた。アンナは、目を丸くしている。



「そんなこと、出来るの?」



「出来るよ、私がなんとかする」



「じゃあ、欲しい」



「そう。じゃあ、しばらく此処に居て、色々と見ましょう」



「うん」



 アンナの元気な声が、部屋に響いた。

 ホットミルクの湯気も、少し甘く感じられる。その白い水面には、オリジナルの顔が映っていた。


もう少し書くべきだけど、今はこれで終わります。

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