第一章①
無限に広がる闇と無限に散らばる光の世界で私は漂っている。
重力がないのかフワフワと浮いているのか、いやなら『漂っている』と分からないはずだ。
しかし、現に私は漂っている。
よく分からない、言葉にするならば混沌の中に私はいる。
恐怖や怒り等のような負の感情はない。
愉快や喜び等のような正の感情もない。
何がどうなってこうなったかは知らない…分からない…しかし、確かなことはこれが私の予知夢であるということだ。
少し前に遡りたい、しかし、出来ない。
では続きを見たい、しかし、出来ない。
何故だ、予知夢ならばある程度コントロールが出来るはずなのに…私は最後に呟いた。
「次は…逃がさない…」
「…ス低下、被験体T…CAの…」
「メイ…ンの切り替えを急げ、早くしないと…」
「被験体の…タルチェ…三十八/六十九…八へ上昇…まだ上がります」
「直ちに…トを…せよ…」
「また…彼女は…も…女だな、しかし…」
周りが騒がしい、目を開けようとするが開かない。
何かに拘束されているわけではないが、何故か開かない。
いや、開けようとしないと言った方が正しいのかもしれない。
手足は動かない、体は何かで固定されているみたいで微かに重みを感じる。
生暖かい水の中に私がいる、懐かしいようで穢らわしい感じもする。
段々、耳もきちんと聞こえるようになったかと思うと頭痛とそして鼻腔から何かが湧き出るように感じた。
その瞬間だった。
「はぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!」
奇声が室内に響き渡るのを感じながら眼球が飛び出るぐらい目を見開き、頭を上げた。
「ハァァ…ハァァ…」
息が荒く、心臓が脈打つ感覚が全身に伝わっていく。
更に体中のあらゆる組織や臓器が活発に動いている感覚を覚えた。
少し冷静になり思考する余裕が出来た。
なんだ、ここは?全体的に清潔感がある部屋だがなんの部屋だ?
すると、また何か気持ちの悪い感覚に襲われる。
「あぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」
私は叫んだ、なんとも言い難い叫び声が部屋中に響き渡っていく。
ビリビリとガラスが揺れ、水面も波打っていく。
凄い声量だと我ながら思った。
こんな声だからこの部屋にいる者は思わず耳を塞いだだろう。
「うわ、こ、こいつ…起きたぞッ!」
「う、うるさい奴だ…」
「早く、電気ショックを与えろッ!テストは中止だろッ!」
「今の被験体に電気ショックを与えると危険です、それに拘束衣を破く力はありませんッ!」
周りの声は無視した。
何よりも気持ち悪さでいっぱいになった気分を落ち着かせたかった。
頭を下げると赤く染まった水面が見え、鼻血はゆっくり沈んで行くのも見えた。
水面には鼻血と鼻水がダラダラ流れていく私の顔が波で揺れる水面が映していた。
髪と眉毛とまつ毛が全て剃られており、目の下に隈が出来ており、目は充血している。
酷い顔だと悠長に思っていると少しだけだが冷静に考えることが出来た。
十字架のような台が縦に吊るされ、宙吊りの様な形で水の中に入ってある。
拘束衣を着ているようで白い服に黒いベルトのような物が巻きついている。
どうやら冷静に周りを観察する余裕はないようだ。
私は頭が割れるかのような頭痛と目の奥から眼球が抜けそうな痛みで頭を抑えたかったが出来なかった。
更に胃から何かが湧き上がっていくような気がし、かなりムカムカするのを感じた瞬間だった。
「うぅぅぅぅ…ぅぼぁ゛」
鼻血の次は嘔吐した。
まだまだ口からは胃の奥から何かが出て来るような感触と胃液により喉が焼けるような感覚、鼻からも鼻水だかよく分からない物が垂れ流れる。
ビシャビシャと嫌な音が響くと更に悲鳴や怒号が飛び交う。
「オイオイオイ」
「死ぬぞ、アイツ」
「何をボヤボヤしているんだッ!?良いから早く引きあげろッ!」
更に私は両大腿に何かが伝ったと思えば、腹部に温かさを感じた。
失禁したらしい、どうやら今の私の身体はかなりやばいらしいな。
「おい、医療班はまだかッ!?あいつは重要なサンプルなんだぞッ!絶対に死なせるなッ!」
「医療班もですが、念のため自衛チームも呼びますッ!被験体はかなり危険な状態でありますッ!」
遠くの部屋で明らかに私を実験台にしていた男が比較的若い男に怒鳴っているのが聞こえる。
どうやら私からかなり離れた部屋のガラスの向こうから言っているようだ。
しかし、おかしいな?私を中心に半径五百メートルは離れていて分厚そうなガラスで恐らくマジックミラーになってこちら側から顔が分からないのに…。
どういうことだ?
するとガコンと何かが駆動した音が聞こえるとキュラキュラと何かが回る音がした。
どうやらようやく私を引きあげるようだ、周りは更に騒がしくなっていく。
「ようやく起きたな」
「はい、これからが楽しみです」
「コールドスリープから目覚めさせたのは四人目ですが目覚める速さはこれぐらいがベストなのかもしれませんね」
何を言っているんだ?コールドスリープ?
私は冬眠していたのか?
私は何者だ?分かるのは女であることとだいぶ寝ていたことと一通りの教養はある…あるはずだ。
待て、一通りの教養はあるって何を基準だ?
それすらも分からない、そうだ…この世界で一から始める覚悟がないとやってはいけないのだと思う。
自分が何者かはいつか分かるはずだ。
チャンスを待て、そして…生きるんだ。
上がりきると水が溜まっている穴が閉じて無機質な床が見えた。
「起きたのね…おはよう」
キィーンと何かが響く音がする。
頭が痛い、なんだこれは?
「フフフ…黙って…いや、黙っての前に話せないか?そんなゲロや鼻水だらけの顔で汚いしね」
これは女の声?ちょっとだけ聞き覚えがある気がするが誰だか分からない。
「いつか分かるわ?また会いましょうね」
すると、頭痛がなくなった気がした。
なんだったんだ?あれは?と思っていると駆動音がし、床に台を下ろした。
そこで私はまた意識が遠のいた。