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死にたがり風情(短編集)

死を救済だという人間

作者: ヤブ

 大元(おおもと)さんの訃報が御手洗(みたらい)さんの耳に入ったのは、彼の死から既に二時間が経ったときでした。僕は社長さんから一番にそれを聞きました。その時、御手洗さんはつい数分前に仕事に向かったばかりで、戻ってくるのは一時間程度後だろうと社長さんに言われ、僕は先に大元さんの遺体が安置されている病院に向かいました。看護婦さんに案内された部屋に、大元さんの遺体がありました。扉を開けると、そこから光が入り込み、それはまるで大元さんを何処(どこ)かへ連れていこうとしているようで、恐ろしく見えました。看護婦さんが扉を閉める前に、僕が慌てて閉めると、看護婦さんは不思議そうに僕を見ましたが、追求するようなことはしませんでした。


 顔には白い布がかけられていたので、一目では大元さんの表情を見ることはで出来ません。なので、彼が死んだことが感じられませんでした。彼の前に立ちましたが、まずは彼をじっと、穴が開くように見つめました。


 大元さんは、任務に失敗して亡くなったと聞きました。信じられません。彼の腕は、御手洗さんも社長さんも黙るほどです。もし彼が亡くなるのならば、夕日(ゆうひ)ちゃんが怒ったときだろうと、彼がそう言ったのです。夕日ちゃんは絶対に怒りませんから、つまり、彼が誰かに殺されて亡くなることはないはずです。それなのに亡くなってしまったのは、きっと、何かの手違いです。僕や御手洗さん、他の人たちを驚かすために、病院の方にも手伝ってもらって、驚かすつもりなのでしょう。それほど、彼の死は信じられないものでした。


 僕は意を決して、白い布に手を触れました。決したのは、きっとこれをとった途端に彼が驚かすかもしれない、そのために、驚かないために、心臓が飛び跳ねないようにです。もしかしたら、心のどこかで、彼は本当に亡くなってしまったと考えていて、それを受け止めるために意を決したのかもしれません。ですがそのことは、自分のことであっても、僕には分かりませんでした。何故か震えている指を抑えながら、それを(めく)りました。


 彼の死に顔は、あまりにも綺麗で、すぐには死を受け入れられませんでした。それは、まるで、眠っているようでした。ですが、体を揺らしても叩いても、彼が目を開けることはありませんでした。それでも、やはり信じられませんでした。こんなに綺麗な死に顔をしている方を、僕は生まれてこのかた見たことがありません。まだ四半世紀も生きていませんが、それでも、曾祖父母も祖父母も、こんな顔で眠ってはいませんでした。彼らは見るからに死んでいて、すぐに死んでいるんだと実感することが出来ました。それなのに、彼はどうでしょう。眠っています。ただ、眠っています。



 僕が彼は死んだと感じられたのは、御手洗さんがやってくるほんの数分前でした。つまり僕は、二時間程、大元さんの前に立ち続け、死を実感できずにいたのです。

 御手洗さんはゆっくりと扉を開けていました。この格好が素敵に見える、と言って愛着している黒のコートを身に付け、男にしては長い黒髪を一つに纏めていました。シャツもズボンも黒色の彼はいつも通りなのですが、何故かその場で映えているように見えました。


 僕は彼を見て、疑いました。笑っていたのです。知人が亡くなったと言うのに。彼の心は、一体どうなっているのでしょうか。確かに彼は、死んでも喜ばれる立場だと思います。人を悲しめる職業です。彼が亡くなったことで、喜ばれる遺族は多いと思います。ですが、その遺族の中に御手洗さんは入りません。知人でありながら、その死を見て笑っているだなんて、僕には意味が分かりませんでした。


 御手洗さんは(かかと)を鳴らし、大元さんの顔が見える位置まで来ました。その時の音が、僕には不快でしかありません。御手洗さんはポケットに手を突っ込んだまま覗き込みました。じっくりと見つめることもせず、軽く見た程度でした。顔をあげた御手洗さんの表情は、やはり笑っていました。ですが、彼はその笑顔の中に、悲しみを混ぜ込んでいたのです。どうやったのかは分かりません。確かに彼は、大元さんの死を、悼んでいるように見えたのです、笑っているのにも関わらず。しばらくした後、こう言いました。


「君は面白い奴だ。まるで死んだように眠っているね。人を(あや)める仕事よりも、役者の方が向いているんじゃないのかい?」


 彼の言葉に、僕は何も出てきませんでした。

 確かに大元さんは、眠ったように亡くなっている。御手洗さんが言ったことにより、本当に彼がただ眠っているだけなのではないだろうかと思えてしまう。それほど、御手洗さんは自信を持ってそう言った。

 御手洗さんは間もなく去って行きました。僕は慌てて彼に付いて部屋を出ました。


 御手洗さんは言いました。「生きることは、必ず死に繋がる。彼は、その事を一番知っている。だから、彼の死を悼むことは、彼が許さないんだよなぁ。そういう奴なんだ、彼は」


 足を止めて振り返った御手洗さんが問いました。「タケちゃんは、死が怖い?」

「……怖いです。怖くないと言う方はいるんですか?」

「いるよ」断言した。「おれ」

 僕は驚きの声を出す代わりに、息を吐きました。


「きっと、彼も死を恐れてはいなかった。君のように美しい人生を送っている者は、死を恐れる。だけど、汚れてしまった者は、死を救済(すくい)だと考えるんだ」


「……(なに)で、汚れたんですか」


 僕は、きっと心のどこかでその答えを知っているのだと思います。だけど、その答えは嘘だと言って欲しかったのでしょう。御手洗さんがそんなことをしただなんて、信じたくなかったから。

 御手洗さんは不適な笑みを溢しました。


「――分かっているんだろう?」

 どこか、泣いているようでした。

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