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暖色・中間色・寒色短編集

とある男の話

作者: むあ

 出窓から吹き込んだ風が、その窓を覆う純白のレースのカーテンを揺らした。

 そのカーテンを見やり、小さく息を吐いた貴方は、一体何を考えているのだろう。


 未完成のキャンバスの前に長い時間居座っては、こうしてカーテンが風にそよぐたびに、何かをその場に期待するかのような瞳で視線を向け、そして悲しそうな表情をして、再びその目の前の作品に目を移す。貴方の気持ちはまるで、そのキャンバスを見つめていれば、去って行った彼女がまた戻ってくるのではないかと、期待半分、絶望半分をごちゃ混ぜにしたような、そんな色をしていた。



 貴方はいつまで、そんなことを繰り返しているのだろう。

 時は過ぎ、記憶は色あせていかなければならないものなのに、それを拒むかのように毎日彼女を想起させるモノを見つめては、こうして苦しみ続けている。貴方は貴方のものなのに、貴方はまるで彼女に今でも支配され続けているような、そんな笑みを浮かべていた。



「誰かを、お探しですか」


 貴方はどこからか聞こえてきた声に、目を大きく見開いて振り向いた。

 何もやましいことなどない、そう言っていたはずなのに、その表情には罪悪感が明らかに見え隠れしている。返事はしばらく口ごもってからのNo、ノーだ。何も探していないふりをして、再びキャンバスに目を向ける。


「お探しですよね」


 貴方はいいや、探していないと、自分の欲しいものを隠す幼子のように、数回呟いてから沈黙した。窓のカーテンが再び風にあおられた。視線は無意識なのか、勝手にカーテンを見た。貴方は悲しげに伏せ目がちにキャンバスに手を伸ばした。


 未完成のこの絵は、貴方の作品だ。貴方はこれを完成させたいのだと強く願った。

 彼女の為にも、自身の為にもと、必死にここまで書き続けてきたのだ。

 それなのにもう、貴方が筆を持っている姿を、見ることは叶わないのだろう。


「お探しの物が見つかれば、完成させられますか」


 貴方はどうでもよいさと、自分を卑下するような笑みを浮かべて、色素が沈着した木製のパレットと筆を手にとった。手に取っただけで、貴方は筆を持ってキャンバスに思いを叩きつけるような、感情的な行為はもうしてはくれない。



「どうしたら、完成しますか」



 貴方は愚問だと囁いた。



 作品は何があっても完成させると言ったのに。

 完成させないの?












 貴方の頭の中でふとリフレインされた、彼女の声が、彼の心を強く締め付けた。筆が、パレットが、木製の床の上で何度か跳ねて転がる。服の胸ポケット辺りをそのやせ気味の指でかきむしり、貴方は何度か何かを言おうと、その言葉を言うには空気が足りないとでも言うように何度か口をぱくぱくさせていた。




「完成、できない」



 貴方はとうとう口に出したその言葉を何度も自分に言い聞かせるように、咳き込み続けながら繰り返した。最後の数回は、何を言っているかなど、貴方にしかわからないほど空気の音しか漏れていなかっただろう。しばらくすると、例の発作が治まったのか、貴方は滑り落ちてしまったパイプいすを立て直して、再び座った。そこでようやく正直に言うよと、口を開くのだった。



「完成なんて、彼女がいなくなって以来、はなから不可能だと分かっていた」

「このぽっかり空いた中にはまるのは彼女だけだったから」

「出来の悪い息子を育てた、彼女(ははおや)の姿だったから」











 "貴方はとうとう、自分の大切な人が誰だったのか思いだしたですね。

 貴方はずっと、忘れていたその何かを、思いだすことができていたんですね"



「……え」


 貴方はようやく、声の主を探しパイプ椅子から自らの意思で立ち上がった。振り向いても、下を向いても、横を見ても、窓際を見ても、誰もいるはずはない。


 貴方の母親は56歳、この世界ではまだまだ若い年齢でこの世を去った。そして彼女の息子である21歳の貴方はまだ若く、それでも必死になって死に向かおうとする。死を早く迎えるために、作品作りと称しこの何もないアトリエで何日も過ごし続けていた。貴方一人(・・・)で。



 でも貴方はここで収まっていて良い人間ではない。あの日の輝かしい作品と情熱的な瞳を、貴方は捨てることなどできないはずなのだ。貴方はこの言葉に目を大きく見開き、ようやく目の焦点をある一点に合わせた。



「……そんな、馬鹿な。幻覚じゃ、ないのか」


 貴方はしばらくその一点を見つめ、自身の論が正しいことを証明した。すると何を思ったのか、先ほどの発作で床に放りだされた筆をつかみ、大きな音を立てて真っ二つに割ってしまう。


「は、ははははは!」


 貴方は気でもふれてしまったかのように高々と笑い、その後熱意のこもったまなざしでキャンバスを見返した。筆はないのに、貴方はどうやって描くというのだろう。









 未完成の、蒼い空が塗られたキャンバスに、ぽっかり空いた穴。そしてくしゃくしゃになって近くの棚に投げ置かれていた黒いジャンパーのポケットから取り出した、正方形のケース。


 中から取り出された黒の何かが、貴方の瞳に情熱の炎を再び灯してくれたようだ。



 描けないと言ったその空白――シロを埋めるのは、貴方のクロッキー、貴方が母親から最初に誕生日プレゼントだと貰ってずっと使わなかったその黒い塊だ。丹念に塗り込むその黒がかたどったのは。













 母の顔を持った、白い翼をもった天使の姿だった。

 貴方は気がふれたわけではなく、その感情を再びキャンバスに向ける決意を固めたようだ。



「もう、夕方か」








 気がつけば空の前にあったはずの太陽は、西の空に今にも沈みかけていた。その太陽を眩しげに見つめる貴方は、キャンバスと、画材と、パイプ椅子、それからわずかばかりの家具だけ並べられた小さな部屋の片隅の。


















 籠の中の止まり木で貴方を見つめていた"私”を、籠の蓋を開けて部屋に放した。



「そういえば、お前は鳥を題材にした作品展で入賞した時、その作品の中に出てくる鳥そっくりの鳥をと、母さんが必死に探しまわってくれた奴だったな」



 貴方は取り戻したその情熱的な瞳で、"私"の目を覗き込んだ。



「ほら、もうそろそろ自由になりたかったんだろう?」





 出窓は網戸などない、無論風が吹き込んでいるのだから自由に外に出ていくことができると、貴方は揺れるカーテンを指さした。野生でひっそり暮らしていた、半野生化したインコを籠の中に閉じ込めた貴方の母。すまなかったと謝る貴方に、"私"はいいたい。




【いいえ。野生で生きづらくて、やせ細っていた私を、こうして長い間、友として連れたってくれた貴方に感謝しているんです】







 貴方は、飛び立たない小鳥(わたし)をしばらく見つめて、そして肩に乗せたままキャンバスを抱え上げた。車のカギを探し、キャンバスを小脇に抱えると、貴方はもう一度だけ肩のワタシを見返してから、前を向いた。











「そうか、これからも一緒にいてくれるんだな。(とも)よ」









 そう。

 私はこの小さな自身の命が続く限り。

 貴方のそばにいるのですよ。







 FIN






お久しぶりです、そして初めての方には初めまして。

 むあです。

 性懲りもなく何個も何個も短編ばかり書くんですが、何かいつもとは違う書き方出来ないかなぁと二人称小説に挑戦するつもりが結局一人称の語り手から見ての二人称(貴方)だったという落ちになってしまいました。なかなか新たな挑戦をしても成功することがほとんどありません……


 という、思考錯誤を繰り返すむあでした。


 霧明(MUA)

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