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狼と茨の冒険者  作者: ゆの字
2章 犬頭と鏡
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貧乏暇なし

 冒険者という呼称が一般的になり、ギルドが成立する時代以前には、彼らの常宿がその代替となっていた。何処の馬の骨ともしれぬ彼らの身元を常宿の主が保証し、依頼人と彼らとの橋渡しを行なっていたのだ。

 また、そういった宿の主人同士でも情報交換が行われていて、街を移動した冒険者が、移動先の宿で引き続き仕事を受けられるなど、ある程度の横の繋がりも保持されていた。

 言うまでもないだろうが、上記のようなことは冒険者と宿の主どちらにもリスクがある行為だ。トラブルも非常に多かったと記録されている。

 しかしそうであったからこそ、熟練から新人まで宿単位での関わりが最も強かったのが、この時代なのだ。


 『冒険者達の黎明』フェオ・ネーベル著 より引用


――――


「昼間っからだらだら呑んでるんじゃないよ、ウォルフ。あんたは元気だし若いんだから!」

 太陽が正中にさしかかろうとしているそんな時間に、狼と茨亭で馴染みの一喝が響く。宿の主である中年のおかみさんが皿を拭く手を止めぴしゃりと放った声、それの今回の対象は、カウンターの隅の席で一人酒を飲んでいた長身の男だった。白い衣服を身に纏い、得物である鉾槍の槍頭を厚布で包み壁に立てかけ、眉根を寄せて難しい顔をしながら琥珀色の酒を舐めるようにして飲んでいた彼は、突然に叱られて思わず噎せかける。宿にたまっているロクデナシに対して主がそういう行動に出るのはいつもの事とはいえ、毎度タイミングが予想出来ない為、馴染みであっても驚かないものは彼を含めてもあまりいないのだった。

「別にだらけてる訳じゃねぇよ! 用事片付けて一休みしてただけだって」

「一休み? 休憩するのにそんな強い酒を呑む奴があるかい。しかも朝に仕事があるかどうか、聞きもしなかったくせして」

 彼が手の甲で口を拭って言い返すと、即座にそれ以上に長く返ってくる。真昼間で宿泊客が全員出払ってしまっている上、娘さんも使いに出ていて不在の為、宿で飼っていて今は日当たりの良い場所の椅子で丸くなっている、灰色縞の年寄り猫くらいしかそのやり取りを聞いているものはいなかった。彼は眉間の皺を深くしながら、残りの酒を一口飲んだ。片手に収まってしまう程度のサイズのタンブラーに、もう3分の1も残ってはいなかったが。

「それは否定しねぇけどよ。俺は忘れたんじゃなくて敢えて確認しなかったの、おかみさん」

「相方寝込んでるからかい? そうだとしてもね、動けるうちに働いとかないと後で怖いんだよ。便利屋ってのは仕事のあるうちが花なんだ」

 唸るように言った彼に対し、新しい皿を拭き始めながらおかみさんは淀みなく弁じる。

「……違うったら。それだけなら別の奴と即席で組んで仕事してるっての。ちょっと何時までかかるかわからねぇ用事だったんだよ、たまたま早く終わっちまっただけで」

 男がぼやくように発した言葉は嘘ではなかった。先日の依頼中手荒に扱ったせいで、予備武器である長剣が使い物にならなくなったのを、2日経った今日ようやく行きつけの鍛冶屋に見せに行っていたのだ。刃は剣というよりのこぎりかと思うくらいギザギザに毀れていたし、鞘に収めると鍔から柄までが横向きへ斜めになってしまう状態に曲がっていて、そもそも直すのと新しく買うのとどちらが得なのかわからないくらいだった。その判断がつかないので、かかる時間もわからなかったのである。

「じゃあ、ぐうたらしようとして、今そうしてるって訳じゃないのかい」

「そうだとも。まともな仕事が残ってりゃ、そりゃあ無論働くさ。貧乏暇なしってな」

 彼は器にわずかに残っていた酒を飲み干し、カウンターに音を立てて置く。特に酔いは感じなかった。前回の仕事の報酬は、いつもよりいい酒を嗜む程度には残っていたが、決してのんべんだらりと暮らせる量ではなかった。彼のように荒事をこなすのであれば尚の事。衣食住のための生活費もそうだが、武具というのもまた金食い虫なのであった。

「ほーお。その言葉、嘘じゃないだろうね?」

 残ってるわけがないと言わんばかりなその言葉への、おかみさんの反応はどことなく嬉しそうな調子の念押しで表れた。働け働けとよくせっつく以上は妥当な反応ではあるのだが、と彼は考えたが同時に少しばかり嫌な予感を覚える。さりとて一度口に出してしまった発言を撤回するのも、男らしくなく思え癪であった。

「……言っとくが、ドブさらいとかはやんねぇぞ。迷い猫探しもだ」

 ただ彼にはそれを考えても、言わずにはいられないことはあった。雑用が嫌いなわけではない、両方共れっきとした理由があると、彼は聞かれたなら大真面目に答えただろう。前者は単純に場所が狭くて身動きが取れなくなるというか詰まる為で、後者も同じく単純、猫に嫌われている為だ。彼は顔見知りのはずの宿の猫すら触れた試しがない。いつもあるわけではない仕事だが、出来ないものを振られるのは依頼人にもこっちにも不幸のもとにしかならない、と彼は今までの経験から学んでいた。

「安心おし、相方ナシのあんたにそういう仕事振るほど耄碌するのは、私の歳じゃちょいと早いさ」

 彼女は悠然とした様子で言って拭いていた皿を棚へしまい込み、手をエプロンで拭きながらカウンターの中、水気のあるものを扱う場所と離れたところに置いてある台帳の方へ歩いて行く。安心しろと言われても、どんな仕事を持ってくるやら彼には予想がつかず、出来るのは不安であるという態度は出さずに席に着いたまま大人しく待つことだった。やがて、台帳に挟んでいた質が様々な紙の中から一枚を取り出し、おかみさんが彼の目の前に歩いてくる。大きく狼と茨を象った黒い判が押されているそれは、この宿で一旦預っている依頼が記されたものであった。

「ほら、これはどうだい。あんたの言うマトモな仕事の部類だと思うけどね?」

 空になって置かれていたタンブラーをひょいと取り上げ、代わりにその紙を机上に置いて差し出される。彼は片手でそれを引き寄せ、紙面に綴られた文字へ目を向けた。さっと黙読して内容を把握する。

「悪かないな、ちっと腑に落ちない点はあるが」

 書かれていることは至極真っ当なものであった。ここ、つまりフェイヒューの近郊にある、農業地区の近くの森に犬頭の妖魔が出、小作人を襲った為退治て欲しいとのこと。依頼人は最も近い区画の責任者で、報酬は銀貨500枚。ちなみに先日の依頼の報酬はこの1.5倍くらいである。犬頭の妖魔なら下級妖魔の一種コボルトだろうし、一群退治する必要があっても報酬額は妥当なところ。変に短く期限が切られてもいない。そして依頼人の身元ははっきりしている。たちの悪い依頼人に当たるリスクを考えると、良い依頼の部類だろう。

 だが、下手に条件がいいことがウォルフの感覚に引っかかっていた。便利屋が宿を仲介して受ける依頼は、基本的に早い者勝ちだからだ。

「条件はいいだろう? どうだい、仕事をする気はあるってなら、受けてみないかい」

「んー……おかみさん、ひとつ聞いていいか」

 水を張った盥にタンブラーを沈めた後、人好きのする笑みを浮かべて勧めてくるおかみさんへ、片手を紙の上に置いたまま少し考えた後、彼は彼女の目を見て質問を投げかけた。

「これ、引き受けるのはいいんだが、何か訳あって横にのけといた奴じゃねぇの? 普通だったらこんな仕事、朝のうちに掃けちまってるだろ」

 そもそも、宿に留まっている便利屋の数と釣り合わないほど依頼を預かってくる主でもないのだ。不自然だと言わんばかりに紙をつまみ上げ、ひらひらさせながら尋ねる彼に向かい、おかみさんはにっこりと笑ってみせた。その表情に彼は、ああ、嫌な予感とはこれだったかと、うっかり言質を取られた少し前の自分を引っ叩きたくなる。

「そうさ、依頼とは別にちょいと頼みたいことがあってね。その分私からも報酬を出すから、構わないだろう?」

「……内容を聞かせてくれ」

 頭を片手でガリガリと掻き、渋いものを食べてしまったような、世辞にも上機嫌とはいえない顔で彼はそう応えた。彼女には普段から様々な世話になっている分、義理が彼の立場を縛るのであった。おかみさんは彼のそんな態度もよそにして鷹揚に頷くと、休憩用に置いてある彼女の椅子を引いてきて向かいに座った。

「簡単に結論から言うとね、この仕事は新人と組んで二人一組で片付けてもらいたいのさ」

 どう考えても訳ありで厄介事の臭いが色濃い言い回しだった。わざわざ経験に差のある便利屋同士を組ませることは、無いわけではないのだが、それをやる場合は先に双方を引き合わせて様子を見てからが普通だった。依頼を受けてしまってから人間関係でトラブルになっては、ましてやそれで仕事に影響があっては宿としてもたまらないからだ。

 彼は微かに頷いて先を促しつつ、内心で嘆息した。

「名前はレオノーラ。そこから分かるだろうけど女の子さ。歳は18って言ってたけど、まだ女ってより子供の顔つきをしていたから、せいぜいが15,6ってとこだね。見た目の特徴としちゃ、青い目に薄い栗色の髪をしてて、背が小さいってくらいか。ちょっと前からこの宿にいるんだけど、あんた話したことあったかい?」

 内容を順次頭の中に収めていたところに問われて、彼は一度目を閉じて考え込んだが、そうかからずに目を開けると首を横に振った。同じ宿なら一度くらい言葉を交わしていてもいいはずだが、全く記憶になかった。

「いいや。男連中とはよく話すし、そいつらとつるんでる女共とも話すがよ。やんちゃ坊主は兎も角、そんなガキが混ざってたこたぁなかったな」

「だろうね。あの子、こっち来てからずっと朝一に仕事に出て、帰ってくるのは一番遅いから。あんたどっちかって言うと寝坊してくるし、そのくせ仕事は早めに切り上げるだろ?」

 その言葉にウォルフは片眉を上げる。おかみさんは珍しく憂えたような表情で少し視線を下げていた。

「どうも他の便利屋とも打ち解けなくてさ。一人で女で子供ってなると、雑用以外危なっかしくて回せないよって言っても聞かないんだよ。かと言って荒事を避けてるわけでもないんだ、毎回聞いてくるしね。一人でも出られそうな討伐やら護衛やらはないかって」

 そこまで言って、おかみさんは一つ息をついた。特に口を挟むでもなく彼は、言葉の続きを待つ。話されている内容は、この稼業に足を踏み入れてすぐの若者がよく陥る心理のように思えた。若者特有の万能感のせいなのか、英雄物語に憧れてでもいるのか、若い便利屋には兎角無茶をしがちな者が多い。だが仲間を作ろうとしないのは若干引っかかった。男ならなんとなしにわかるが、女であるのに。

「他の宿に所属してたってわけでもないし、世間知らずなのか自分の実力を見誤ってるのか、その内仲介なしで妙な仕事を拾ってきそうで、心配なのさ。一旦宿に受け入れた以上は、あたしの子供のようなもんだしね。だから、一回自分より経験を積んでる人間と組ませて、その辺の勘所を養わせようと思ってたのさ」

「……なるほどな。大体事情はわかった。だが、何で俺だよ?」

 半分納得、といった調子に彼は一つ頷いた。だが、すかさず質問を挟む。熟練というだけなら彼よりも上のものはこの宿にもいたし、別の宿にもいるだろうと。新人向けに取っ付き易い人柄がいいなら尚更だ。昼間に暇を持て余してる時をわざわざ狙わなくとも、依頼を探しに来た朝にでも頼めばいい。そこから考えられるのは、他に理由があるということだ。

 壁に毬をぶつけた時のように聞き返され、おかみさんはため息をついてから言葉を発した。

「聞かれると思ったよ。私としても正直、こういう理由で選ぶのはどうかと思うんだけどねぇ……あんた、普段は名乗ってないけど姓持ちじゃないさ。同じじゃあないだろうけど、姓持ちの子の扱いは、他より慣れてるだろうと思ってさ」

 姓持ち、つまりは本人か親族が国から姓を賜る地位にあるか、功績を上げているということだ。内訳を上げるなら大抵は貴族、一部が名誉貴族扱いの功労者である。面倒というレベルではなかった、が、悲しいかな彼にはおかみさんの頼みをきっぱり断れるほどの立場の強さもまたなかった。

「つまり、子守か……悪いが、勘所を養うどころか下手すりゃ便利屋やめちまうぞ、俺に任せると」

「それならそれでいいさ。実家に戻ってやり直すなり、別の働き口を見つけるなりするだろうしね。少なくとも命を落とす危険が減りゃあ、私の頼みは充分果たしてる。……あの子今日は別の仕事に出ているし、出発は明日で大丈夫かい?」

 ああとも、うんとも付かない中途半端な声で彼は返事をする。今遠回しの断りは却下され、結局守役を受ける他なくなったのだった。どうしたもんかと思考を巡らせる彼をよそに、昼寝から目を覚ました猫が伸びをして、椅子から飛び降りると半端に開けられている宿の扉から外へ出ていった。

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