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狼と茨の冒険者  作者: ゆの字
1章 旧友からの依頼
8/20

夜明けの後に

 あくる日の昼頃、警備隊宿舎の一室にてウォルフは、エルデストと仕事用の机を挟み向き合っていた。セオは昨日施療院でひと通りの手当てを受けた後、無理矢理宿へ帰って寝台に沈没したきりである。手当を受けた途端、帰ると言って聞かない彼を背負って帰ったのは、実の所ウォルフの方なのだが。

 エルデストは右の山から書類を取り、目を通しサインをしては左の山に移す作業をずっと繰り返している。たまにサインできないものがあるのか、いくつか紙の端にメモを書き込んでよけているものもあった。向かいに立ってその様子を見ながら、ウォルフは事件の顛末について彼と話し合っていた。

「……で、結局お前等の方も上手く行ってたわけな?」

「ああ。本意ではない戦闘はあったがな、何とか殺さずに捕まえることが出来た。まぁ、五体満足ではないが」

「そうか、そりゃあ何よりだ。ただなぁ、俺常々思うんだが、黒な奴は斬っちまっても別に構わなくねぇか……?」

 頬を人差し指で掻きながら発せられた大雑把な発言に、エルデストは無表情のまま相手の額を羽ペンで刺した。

「痛ってえ! つかインクつくっての!」

 手で振り払われる前にひょいとペンを引っ込め、インク壺につけなおす。そのまま一度書類作業を中断し、額を手で擦ってブツブツ言っているウォルフを彼は見た。

「昔から思うが、お前の発言は色々雑過ぎる。それでよく騎士などやっていたな」

「昔は昔、今は今だ。めんどくせーよ、もうやめてんのに宮仕え用の態度とか」

「やれないことはないんだろう?」

「そうだけど、嫌だ。大体やったらやったで周り中に心配されんだよ」

 眉根を寄せ、口をへの字にして嫌そうな顔をして言うウォルフに対し、エルデストはそうかとだけ言ってそれ以上は追求しなかった。その代わりに、さて、と小声で言って表情を心持ち引き締め、別の話題を切り出す。

「話がずれてしまったが……よくやってくれた。お前達二人がいなければ、今回の事件の解決はずいぶん遅くなったろう」

「犠牲は出ちまったけどな。セオの奴も怪我しちまったし、楽な仕事じゃあなかったよ」

 頭を振り、ぼやくように零すウォルフ。その様子を見て、エルデストは次の言葉を殊更に強調するように、ゆっくりと発する。

「それでも、だ。死者が5人で済んだのは僥倖だよ、彼奴の犯行間隔と……理性の侵食ぶりを考えればな。最悪、取り押さえるときにもっと被害が出たかもしれん」

 じっと相手を見ながら話すエルデストの視線と、ウォルフのそれが交わる。しばしの沈黙の後、先に視線を外したのはウォルフの方だった。

「……何か釈然としねーが、お前がそう言うならそう思っとく」

「ああ、誇れとは言わんがな。さて、仕事が終わったからには、報酬を渡さねばならんか」

 言葉を受け入れると宣言した相手にわずかに視線を和らげ、男は一旦椅子を押して下がると作業机の引き出しを開けた。中を探って、掌より少し大きいくらいの、中身がみっしり詰まった袋を取り出す。重さで中身の量を確かめてから、彼はウォルフに向けてそれを差し出した。相手は、無造作に片手を伸ばしてそれを受け取り、特に確認もせず懐に入れた。

「額を確かめないのか?」

 無防備にすぎないか、と聞く相手に、ウォルフはニヤッと笑ってみせる。

「お前が誤魔化すかよ」

「……危険手当も考えねばならんと思っていたのだが」

「今度飲みに連れて行ってくれりゃあ、それでいい。じゃ、貰うもんも貰ったし、仕事の邪魔になる前に失礼すらぁ」

 軽い動作で踵を返し、おい、と呼び止められるがひらひらと片手を振ることで返答に代えて、ウォルフは立ち止まらず扉を開け部屋を出ていった。その後ろ姿を見送ると、エルデストは軽くため息をつく。我が親友ながら相変わらず自由過ぎる、と。

「だから付き合いが続いているのかも知れんが、なぁ」

 珍しくぼやくように呟いて、椅子を元の位置に戻すと彼は残りの書類を片付け始める。ひと通り済ませると、ペンを置き肩を回して息をついた。少しばかり何もせずいてから、おもむろに先とは別の引き出しを開け、一つの冊子を取り出した。古さのを物語るかのように表紙が変色した、紐綴りのそれを開き、ゆっくりと頁を繰り始める。通常の文字とは違う記号で書かれたそれを数頁読んでから、置いたペンをインク壺ごと手元に引き寄せ、メモ用の紙を取り出すと、読みながら気になる箇所を書き出し始める。

 そこに、控えめにノックの音が響いた。

「入れ」

「失礼します、隊長。書類を引き取りに来ました」

 少しだけ開けた隙間から滑りこんで、扉を後ろ手に閉めたのは彼の副官だった。今日は外を回らない予定のためか、甲冑は着ていない。頁を捲る手を止め、一度そちらを見て彼は応える。

「ああ、そこに置いてあるから、持って行ってくれ。それと、幾つか間違いがあって決済できないものがあった。山の横のものがそうだ」

「はい」

 返事をした相手に微かに頷いてみせ、彼は再び冊子を読み始める。メモ書きをするのも先程と同じだ。書類を取りに机の方に歩いてきた副官が、その様子が気になったように立ち止まる。しばらく逡巡してから、おずおずと質問を向けた。

「隊長、何を読まれてるんです? 何か、その本、見たことあるんですけど」

「あの魔術師の家から出てきた日記だ」

「え、それ日記だったんですか。暗号で書いてあるから、てっきり手製の魔術書か何かかと……」

「自分の秘術より何より、人には知られたくないものだったのだろう。だが書き記さずにはいられなかった、というのも人間らしいところだがな」

 曰く難い表情を浮かべそう述べる男を、彼女はどこか不安そうに見やった。

「……どんなことが、書かれているんですか?」

 尋ねる副官へ向け、彼は一つ頷いてゆっくりと言葉を紡ぐ。

「出来事の記録と感想。稀に書き始める前の思い出話、といったところだ。ここから動機も、読み取れなくはない。……簡単にいえば、あの魔術師には子がいたらしい。3歳になる前に亡くなったようだがな……そして子を亡くしたことが彼奴を狂わせた。死者を蘇らせる魔法の研究に、魅入られるように没頭し始めた」

 言いながらも、文面を辿る動作と、ときおりメモを取ることは止めない。同時に複数のことをするのは彼の得意技の一つであった。

「赫の魔術師曰く、死者蘇生というのは、未だ誰一人成し得ていない見果てぬ夢だそうだよ。力が足りぬのか、そも不可能なのかもわからん。彼奴は前者だと思ったのだろうな」

 メモを取った紙を軽くペン先で叩き、彼は目を眇める。副官はその目から感情を読み取ろうとしたが、いつもの様に静かで平坦な光をたたえるばかりであった。

「だから、もっと強い力を得るために罪を犯した。子を思うがゆえに他人の子を殺す。業が深いことだ」

 最後のところは半ば独り言のようにぼそりと言って、エルデストは音を立てて本を閉じた。剣を持つものの無骨な指に似合わぬ優雅な動作でテーブルの上に置くと、その横に置いてある既に複数の書き込みがしてあるメモに使っていた羊皮紙へ、長めに文章を書き入れる。

「それ、塔の方へ提出するんですか」

「証拠の一つだからな、写しを取って送ってやるさ。どう使うのかはわからんが」

 何か考え込んでいるのか、眉間にシワを寄せながら発した副官の言葉に、彼は羽ペンを走らせながら応える。応えた後に、ううんと彼女が唸るのも聞いたが敢えて黙殺した。

「……隊長、最後に一つ質問、よろしいですか」

「構わん、何だ?」

 ややあってから真剣な声音で問われた彼は、字を書く手を止めて副官を見る。その視線に彼女は若干怯んだようだったが、言葉を引っ込めることも出来ず結局続けた。

「隊長は……青の魔術師のことをどう思いますか」

「……どうも何も、な。縁が薄すぎる。その質問は赫の魔術師にしてやるべきだ、と思うがそれでは答えにならんな」

 そこで台詞を切り、副官から視線を外して考えこむ。そうだな、と独りごちて次の言葉を続けた。

「ある種、人間らしい罪人だと思う。だが親しみを覚えるには、いささか我々はまとも過ぎるよ」

 語調を和らげて言うと、副官はどこか安堵したように息をついた。

「ですよ、ね。隊長、時々まるでそういう人間と同じように考えてるみたいな話し方をするから……答えを聞いて、安心しました」

「獣をとるには獣にならねばならない、そういう事だ。君に心配されずとも、道は踏み外さんよ。さあ、仕事に戻るといい」

「は、はい。では、この書類、持っていきますね」

 無意識に語調が鋭くなったか、安心したような笑顔になっていた副官がびくりと体と表情を強ばらせ、慌てて机の上の書類をまとめて手に持った。

「頼む。それが終わったら休憩に入るといい」

「はい!」

 ぱたぱたと走って部屋から出ていく彼女をちらりと見てから、彼もまた椅子の背もたれに体重を預けて目を閉じた。他の事件の調査、遺族への通達など、片付けなければならない仕事はまだまだあったが、一時の休息を取ることにして。


――――


 宿へ帰ってきてからずっと、自室をうろうろと動きまわっているウォルフに対し、自分の寝台に仰向けに横たわったまま、力ない声でセオは言葉を発する。

「魔法は万能なれど全能じゃない……傷は塞いでも、痛手を負ったのは無にならないんですよ。特に内臓や骨の怪我は、幻痛がしばらく残ったり、熱が出たりする。何度も言ってるでしょう」

 だいたい自業自得なんだから放っといて下さい、とまでは言わなかった。弱っているせいで、心配が逆に鼻につく状態になってるだけなのは彼自身理解していたからだ。その代わりに、目を閉じてそちらを見ないようにする。ウォルフは椅子を引き出して座ることにしたらしく、落ち着きなく動き回っていた気配が、ややあってから近くの一箇所に留まるようになった。

「毎度言われてるのは覚えてるし、頭ではわかってるけどよ。心配しないかっつったら別だろ、それは」

 ため息混じりの声。ぽんぽん、とかけ布越しに片手で胸を叩かれる。丁度普段は護符がある辺りで、仮につけていたなら今ちょっと痛かったんだろうな、と目を瞑ったまま関係のない思考をする。

「……一理ありはしますけどもね、そんないちいち気を揉んでたら身が持ちませんよ。自分のことは無頓着な癖して」

「俺はいいんだよ、怪我しても尾なんか引かねぇで、すぐ治るし」

「いくら丈夫だって具合悪くするときはします。絶対」

 妙に確信を持ってる語調で言い張るセオに、ウォルフはちょっと機嫌を悪くしたようだった。わずかに唸るような声が聞こえる。

「そんときゃそんときだ。今調子悪いのはお前で俺じゃねぇ。だからちっとぐらい心配させろ」

 ある意味議論を投げたような台詞を吐いて、それでも傍から離れないウォルフの気配に、セオは思わず微かに笑って目を開けた。思った通り憮然とした表情で、ベッドの脇においた椅子に腰掛けている相手が見えてますます笑いが深くなる。笑うな、と言わんばかりに拳を握ってぐりぐりと側頭部へ押し付けてくるのを、力が入らないなりに彼は押しのけて笑い続けようとするものだから、若干の取っ組み合いになりかけた。

 だが、体に残った痛みと落ちた体力のせいでセオがすぐダウンしてしまい、それでウォルフも相手が怪我人だということを思い出したか大人しく椅子に座り直す。セオが乱れた息を整える間、しばしの沈黙が二人の間に漂った。

「……そういや、疑問だったんだが」

「うん?」

 相棒から急に話を切り出され、若干生返事気味に彼は応えた。特にそれを気にする様子もなく、声が続く。

「何でお前、決定的な証拠が出るより前に混沌の化け物が絡んでるって分かったんだ?」

 確かに、捜査中幾つか先回りしたような結果になったことがあった。当然といえば当然の疑問に、セオは天井を見るでもなく見て答える。

「ああ……それですか。簡単なことです、私も類似したものに食われかけたことがあるので」

「えっ、そんな事あったか!?」

 驚いたように一瞬目を丸くし、すぐさま眉根を寄せて考えこむウォルフ。セオはそれを目だけ動かして見やりながら言葉を続ける。

「貴方と組む前ですよ。野良犬暮らしをしてた頃ですから、知らなくて当然です。……運良く助かったから、ここにいるわけですが」

 そこまで話すと、疲れたように長く息をついて、一度開いた目を彼は再び閉じる。まだしばらくの眠りを体が欲していた。

「すみません、ちょっと眠ります。仕事の方、暫く一人でやれますね?」

「……しゃーねぇ。お前はしっかり体治しやがれ」

 目を閉じたことで状態を察したか、笑い混じりの声とともに、軽く額を叩いて手が離れる。足音が遠ざかり、戸を開ける音がした時不意に、セオの頭によぎるものがあった。慌てて目を開けるとウォルフを呼び止める。

「すみません、ウォルフ! あと一つ、頼みが」

「ん、なんだ?」

 大声を出したことでくらりと歪んだ視界から、目をきつく瞑ることで逃れつつウォルフを手招きする。戻ってきたのを恐る恐る目を開けて確かめてから、言葉を続けた。

「今から言う場所に、花を置いてきて下さいませんか。まだ、警備隊の方がいるかも知れませんけれど」

 そうして小声で、最後の現場の場所を告げた。ウォルフがそれを聞いて、僅かに目を丸くする。

「知り合いだったのか?」

「ええ。……一回会っただけですけども」

 じっと探るような目でウォルフはセオを見やり、セオはその視線を逸らすことが出来ずにまともに受け止める。やがて、ウォルフは一つ息をついて、普段の態度に似つかわしくない優しいといえるような表情を浮かべ頷いた。向けられた方は意図を見透かされたことを悟り、頬に血が上るのを感じて掛布の下に潜り込む。

「分かった。引き受けてやっから、お前は一旦忘れて寝てしまえ」

 その行動を見て普段ならげらげら笑うだろうに、今回は言葉だけを残し、彼は再び踵を返すと部屋から出ていった。

 あとに残されたのは、感情を処理しきれていない子供が一人。


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