杖と鉾槍・前編
相棒が野外へ出るための装いをした上、自分の愛用の武器を持って迎えに来たのを見やり、ウォルフは怪訝な顔をすると本を閉じて机に置いて立ち上がろうとした。だが、それはセオ本人に制される。
「まだ座ってて大丈夫です。私も赫のに用がありますから……今はお出かけされているようですが」
「アイツはまだ塔に行ってるな。しっかし、どうした? 俺の武器わざわざ引き取ってから来るとか」
「……急いで動く準備をしてたんですよ。最新の現場を見て、手がかりを得てきたので」
その言葉に、ウォルフは片眉を上げた。セオが背負ってきた鉾槍を、長さを持て余しつつ重そうに両手で壁に立てかけるのを見てから口を開く。
「情報交換に行ってたんじゃなかったのか」
「ええ。ですが、その時に新しい被害者の報告がありまして」
「……そうか。ちょいと打ち合わせし直さなきゃなんねぇみたいだな」
表情を曇らせてそう言うウォルフに対し、彼は一つ頷いてみせた。元よりそのつもりだった。現場からここに来るまでに集めた情報もまとめ、相棒に対してセオは伝える。その話の途中に赫の魔術師も戻り、彼女からの情報を交えての話し合いとなった。
「怪しいの、いたよ。あたしと同時期に組合に入った奴だ……青のライナー。偏屈でね、魔術師だってのにここに住まないで、白樺通りからずっと裏の方に入ったとこ、ほぼ街の防壁の隣に住んでる奴さ」
溜息をつきながら、どっかりと椅子に腰を下ろした彼女が言う。その顔には酷いやるせなさが表れていた。
「動物の死骸が出てた頃、だったか。その辺りから塔に連絡を入れねぇでいたらしい。あそこは確か、地下道の入口も離れてるわけじゃない。場所的にもまぁ、間違いねぇだろうな……何閉じこもってんだと思ったら。糞、気になった時に、会いに行ってやりゃぁ良かったのかねぇ」
半ば独りごちるように言って、未だに残っていてすっかり冷めてしまったウォルフの茶を横取りして一気に飲み干した。
「……今更後悔しても仕方ねぇよ。もしかしたらただ閉じこもってるだけかも、って可能性もないわけじゃねえんだ」
「実際、低いと思いますけどね」
「ああ、うん……まぁ、分かっちゃいるさ」
ウォルフの慰めるような声と、セオのやや冷えた声音を聞き、頭を振ると、彼女はカップを置いて一度大きく息をついた。
「感傷はここまでさね。で、どうするつもりなんだい、あんたら」
一度目を閉じ、再び開いた時には動揺をすっかり押し隠した表情で彼女は二人を見る。
「……出来るだけ、直ぐに向かいたいところです。問題は、飼っているものを隠している場所が奴の塒と別であろうことですが、優先度は術師の方です。家にいればよし、いなければそっちに行くだけと」
セオの言を聞き、赫の魔術師は眉根を寄せて口元に手を当てた。
「……そりゃちょいと困ったね。どんだけ急いでも、術具ができるまでにゃ1日はかかるよ。アンタらが青のに対抗するなら必要だろうが……」
精霊使いと混沌使いが単純にぶつかり合えば、力の総量の関係で混沌使い、つまりは魔術師の方に分がある。上げ底されている状態なら尚の事だ、そう彼女の言は語っている。
「頼んでいた対魔術のですか。内容を変えるとかでは、何ともなりませんか」
確認するように投げかけられた言葉に対し、赫の魔術師は首を横に振る。
「ならん。出力高めるのにかかる時間なんだもんさ、弱くし過ぎると役に立たねぇし。これから乗り込むってなら、ナシで行くっきゃねぇか……」
「道具が間に合わんなら人で補うしかあるまい。赫の魔術師、手を貸してはくれまいか」
不意に、会話に割り込む声があった。驚いてセオが声のした方を見ると、先に別れたはずの男が腕を組み入口近くの壁に寄りかかるようにして立っていた。警備隊の印である外套と紋章は身につけたままの甲冑姿だが、単独で来たらしく彼以外の人影はない。
「や、行くつもりではあったけどね。法を犯した魔術師は塔からも追討命令が出るからね……てかどこから湧いたのさ警備隊長」
応えてしまってから思わずといった調子で零したエディスの言に、警備隊長もといエルデストは無言で戸口を指さした。全員の視線がそっちに集中し、そういう意味じゃない、という雰囲気が間に満ちたが、結局誰もそれを口にはしなかった。本人から更に一応の説明があったからだ。
「ギルドの方に件の事件について話を聞きに行ったのだがな。同じ動きをしているものが他にいたと聞いた故、見に来たまでだ」
男は重い足音を立てて壁から離れ、話し合っていた3人へ近寄る。
「どうやら、お互いの目標はここで重なったらしい。そこで、共同戦線を提案したい」
そう告げて、他の人物の顔を感情の窺えない紫の目でざっと見やる。最も早く反応したのはウォルフ、次がエディスだった。セオは相棒に一旦やり取りを任せて黙りこむ。
「そりゃあ、聞かんわけにもな。お前に今は雇われてるわけだし」
「まぁ、アタシも構わんさ。つーか、塔からもかかるならそっちに応援要請しろって言われてるしね」
「そう言ってくれると助かる」
頷いて、男が告げたのは以下の様なことだった。犯人が潜んでいそうな場所は少なくとも二箇所あり、また、犯人が養っているであろう大型の落とし子は術師を排除しても脅威となる可能性が高いため、逃亡を防ぐためにも両方へ同時に対処を行う。分担に関しては、対魔術師の戦闘に長けている男と赫の魔術師が犯人の家に向かうこと。そして。
「……化け物の隠し場所の方は俺達がやれ、ってか?」
「すまない。警備隊には少数でお前達ほどの対応力がある人材は、まだいなくてな。場所は……」
「分かります。混沌の化け物にせよ、生贄を要求するような妖魔にせよ、近郊でそういう大物を隠しておける場所は、限られますから」
男の言葉を遮り、セオが口を挟む。
「何せ情報収集は私の仕事の一つなので。条件さえわかっていれば絞り込めないわけじゃない」
そして近郊にある、枯れて久しい一つの遺跡の名を口にした。確認するようにエルデストへ視線を向けると、満足気に首肯される。枯れて、というのは、そこに眠る財宝などの価値あるものがすっかり運びだされているということだ。後に残っているのは建造物だけ。そこに厄介な妖魔が住み着いたりせぬよう定期的に見回りはされるが、殆ど放置されるのが常な存在であった。
「頼めるか?」
「最初の依頼内容からは外れますが、承りましょう。両方単独で処理せよと言われれば依頼を下りるところでしたけど」
胸に片手を当て、依頼主へ向けて承諾の意を伝えるセオ。有難い、と男は答えたが表情は変わらない。話はまとまったと見て、ウォルフが立ち上がって壁に立てかけてある自分の得物を取りに行った。
「んじゃ、早速出るか。俺らの方が到着に時間食うしな」
ウォルフは片手で自分の身長よりも長さのある鉾槍を軽々と持ち上げ、自分の相棒に声をかけた。相手が頷いて出口へ歩いて行くのを見てから、一つ思い出したようにエルデストへ向かって告げる。
「エルデスト、いつも悪いが、お前の騎獣を借りるぞ。相変わらず、俺が馬に乗ると怯えて使い物になりゃしねぇ」
騎獣。つまり馬ではない乗用の獣で、全体的には巨大な犬に似ている。ただし犬にしては首や足が長く、また肉よりは草を好む雑食の生き物だ。肉食獣を怖がる傾向のある馬と違い、猛獣を目の前にしても恐れることが少ないため、危険地帯でよく使われる。しかし、必要とする餌の量が馬よりも多いためか、全体的な頭数は馬よりずっと少ない。ウォルフはある理由で馬に乗れないため、遠出する時は貸馬ではなくエルデストの騎獣をよく借りていた。
「ああ、門の詰所に預けているから使うと良い。話は通してある……それと、もし犯人がそちらにいたら迷わず逃げ戻ってこっちに伝えろ」
「わかってらい。流石に両方は荷が重いかんな」
表情は変わらないものの気遣うような調子で告げられた内容には、にっと不安など欠片もないように笑って見せて、ウォルフは外套を翻し部屋から出ていく。戸口で頭をぶつけないように身をかがめて通って行った姿が扉の向こうに消えると、エルデストは一人残った赫の魔術師へ向き直った。
「さて。我々も少し打ち合わせをしておこうか。彼らのように以心伝心というわけでもないしな」
「そーさなぁ。っても、そんなに内容あるか? あんたらにアタシが同行して、まずアイツと外部魔力を繋ぐラインを切る。後は魔法戦になった時に働くのと、塔の名代をするくらいだろ」
「違いない、が。魔法戦についてはそう心配あるまいよ」
僅かに微笑んで見せてそう言った男に、赫の魔術師は行儀悪く片手で頭を掻いた。
「……んじゃ、できるだけ楽させてもらうかい」
そう言って、自身も椅子から立ち上がる。本来の得物である片手剣を壁の武器掛けから取ろうとしたのだが、視線の向きで察したらしいエルデストが先に歩み寄って、壁から鞘に入ったままのそれを外すと、両手で彼女へ差し出した。悪いね、と礼を言って片手で彼女は受け取り、鞘から伸びているベルトをローブの腰に巻き付けた。
「準備はそれだけで構わんのか?」
「ああ。さ、アンタの可愛い部下たちのとこに行こうじゃないの」
それからの行動は迅速であった。午後を過ぎ徐々に日が落ちる中、男は一度街中央の詰所へ戻ると、最小限の数の部下だけを引き連れて犯人の家へ向かう。到着すると、家の明かりはすっかり消えていたが、中に人の気配はしっかりとあった。それを確かめると彼は副官を含めた部下たちに家の周りを包囲させ、エディスにはライン遮断用の結界を作らせ始める。そして、それが終わるのを待たず、彼は家の中へ踏み込んだ。
死んだように静まり返った、傾いた家。ノックの応えがないことを確かめてから、男は戸口の鍵がかかっているか確かめる意味も込めてドアノブをひねった。踏み込む人間への警戒をしていないのか、もし入り込んだら餌食にすれば良いと考えていたのか、すんなりとドアは開く。ぎしりと床板を軋ませながら、エルデストは室内に入り込んだ。目標の人物を見つけるのは難しくないことであった、何故なら、彼は戸口からまっすぐ奥の机に向かっていたからだ。
灯りをすっかり消し、赤くなりつつある日が僅かに差し込むばかりの室内にいた魔術師は、まるで幽鬼のような佇まいであった。黒に近い青のローブを、指先すら露出しないほどの袖の長さにして着用し、フードを目深に引き下げている。表情など伺いようもないが、わずかに見える口元はすっかり血の気を失い青ざめていた。そんな見た目の男が、部屋の奥の椅子に座り、書物に目を通している。
「何の、御用かな」
彼はエルデストの存在に気づいていたのか、足音が止まるのを待って、ゆっくりとした軋るような音の交じる声で静かに尋ねる。そして座っていた椅子から妙に不安定な様子でゆらりと立ち上がった。立ち上がってしまってからも、微妙に揺れているのが収まっていない。彼が体を動かす際に聞こえた何か、金属的なものが擦れるような音はローブの下の防具なのか、はたまた護符の類が元であったのか。
「青のライナー殿、突然の訪問ご容赦下さい。私はフェイヒュー警備隊のエルデスト・ウィーラーと申します」
普段とは明らかに変わった口調で彼が名乗ったところ、ゆらゆらと揺れていた魔術師の動きがピタリと止まる。エルデストは表情を動かさず、言葉を続けた。
「昨今、この街で連続して起きている児童誘拐事件について、貴方の話を聞く必要が有るとの判断が下りました。つきましては、ご同行願いたいのですが」
「まさか警備隊長が直々にいらっしゃるとは。だけど、済まないね。私はどこにも行く訳にはいかないんだ、研究を完成させないと」
帰ってくれないか、と上滑りしそうな調子の声で魔術師は告げる。それを聞いたエルデストは、剣の柄に手をかけることはしなかったが、引き下がりもしなかった。
「それはこちらも困ります。貴方の話は実に重要なのですから。……しかし、研究、ですか。ひとの命を使うような魔術の?」
普通の人間に向けては決して言えないような語り口で、魔術師に向けて言葉を投げかける。魔術師はフードに覆われた頭を横に振り、ぼそぼそと答える。
「人聞きの悪い。命を救うためだ、あの子をまたこの手に抱くためにしている研究だ。完成させるには、非常に強い魔力が必要でもあってね。私はその為なら何を代価に払っても、全く惜しくはないんだ」
話すうちに魔術師の声に熱が入り、上から降る何かを掻き抱くかのように、彼は腕を伸ばした。ローブの袖がめくれ、今まで隠れていた手指が顕になる。それは、両手とも既に人のかたちではなくなっていた。細く折れそうな、虫の足に似た五指が、鱗のようなものに覆われた手より突き出している。ゆっくりとその手が握り締められると、きしきしという音がエルデストの耳へ小さく聞こえる。それは、先程彼が立ち上がるときに聞こえた音によく似ていた。
「……否定、しませんでしたね? 貴方がそれに捧げたものは、己の体だけではありませんね?」
エルデストはその光景を見ながらも触れず、剣の鞘に左手を掛けると静かに言った。そのまま親指で剣の鍔を押し上げ、鯉口を切る。本格的に抜くための右手はまだ体の横にだらりと下げたままだが、目を眇めて射抜くような視線で魔術師を見やっている。魔術師からの答えは返らない。耳が痛くなるような沈黙が場に落ちた。
ぱたり、と魔術師の掲げられていた腕が下がる。その次の瞬間だった。
「光よ!」
はっきりとした音声で呪文に代わるキーワードが紡がれ、青いローブを纏った魔術師の周囲に4つの光球が浮かぶ。甲殻に覆われ、人のものでなくなった指で彼が敵たる相手を指さすと、光の玉は光の矢となり、標的を射抜かんと高速で襲いかかる。しかし、着弾するより前に片手で抜かれ鋭く振り抜かれた長剣の刃が、光の矢の全てをあっさりと両断した。縦に真っ二つになった矢はそれを構成していた魔力が解け、地に落ちる前に霧散する。全て瞬きよりやや長い程度の間に終わったことだった。
「その程度でどうにかなると思っているのなら、俺も舐められたものだな」
その速度にて必中であるはずの矢を叩き落とした男は、常の口調に戻り、剣を握り直しながら敵を真っ直ぐ見て言葉を口にする。思考形態や魔力の感知能力といった魔法の素養のあるなしと、魔力が高い低いは実の所関係がない。そして単純に保有する魔力が非常に高ければ、魔法が使えなくともそれに対する干渉力は強くなる。それを体現しているのが、エルデストという男だった。
「ほんっと見るたびに思うけどバケモノだよねぇ、アンタって。……青の。悪いこたぁ言わない、下手に足掻かないで降参したほうが身のためだよ」
家の戸口の方から拍手の音とともに、赫の魔術師の声がする。青の魔術師がゆらりと視線を向けると、開いた扉に寄りかかるようにして彼女が立ってその場を見つめていた。
「……仮に抵抗せず捕縛されたとして、こっちには未来がないよね? 赫の、君が来たってことは……そういう事だろう?」
笑い混じりに青の魔術師がそう口にすると、赫の魔術師はあからさまに眉根を寄せ嫌そうな顔をしてため息をついた。
「……厭だねぇ、そういうとこばっかり察しがいいのは。そこまで頭を回す理性が残ってんなら、どうしてこうなったのさ。なぁ、青の」
「さぁねぇ……少なくとも君にはわからないよ」
言いながら、青の魔術師は指で幾つかの印を切り、呪文を唱えようとした。大掛かりな術に向け、魔力が集中するのに釣られるように、わずかに彼へ向けて風が動く。エルデストが剣を構え直した。だが、呪文の一節目が声になったと同時に青の魔術師の動きと声が止まる。魔力が、思うように集まらないからだ。
「悪いね、この家の周りに結界を張って、アンタと落とし子のラインは切らせてもらった。呼ばれても、力を使われてもこっちにとってマズイことになるんでね」
魔力を見るための冴え冴えとした、どこか非人間的な目で、赫の魔術師は元同胞を見やり静かに告げた。
「アンタのことは嫌いじゃなかったよ。さぁ、降伏するか、叩きのめされて連れてかれるか。2つに1つだ」
答えは、新たな呪文の詠唱にて返った。