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狼と茨の冒険者  作者: ゆの字
1章 旧友からの依頼
3/20

縦糸と横糸

 塩漬け肉と野菜を一緒に煮込んだスープに、焼き締めた黒パンとチーズ、それに偶々仕入れたという卵を焼いたものが添えられた夕食を済ませ、セオとウォルフの二人は片や頼まれた用事を済ませるべく裏の井戸へ向かい、片や部屋へ先に戻っていった。後で打ち合わせをしなければならないというのに、ウォルフの手に葡萄酒の瓶とつまみにするのだろう干し肉があったのもまた、いつものことである。

 セオが若干胸焼けを覚えながら喧騒を背にして裏へ向かう木戸をくぐると、庭の風景はすっかり闇の中に沈んでいた。かろうじて、中央にある井戸の形と、洗濯に使う桶が戸口近くに伏せられていることや、少し離れたところに薪がつまれているのが分かる程度である。しかし、頼まれた用事をこなすのに問題はなかった。

 彼は井戸に歩み寄り、まずは中をのぞき込んだ。辺りにはもう完全に夜暗が落ちていて、街灯からも離れている裏庭であるから、本来は覗きこんでも様子が伺えるわけではない。だが彼には井戸の中が淡く発光しているように見えていた。光の視界ではなく、魔力の視界で物を見るとそうなるのだ。魔法を操る者にとっては初歩の技術であるが、2つの視界を両立させると非常に見ているものを判別しにくいという欠点があった。目を眇めてともすれば魔力光が強くなりすぎる視界を安定させようとしつつ、セオは井戸の底へ視線を向けた。

 深く、間違って転落したとすれば這い上がるのに難渋する高さにある井戸の水面に、千切れた縄をつけた木の桶がぷかりと浮かんでいる。なるほど、これは確かに取り出すのは面倒そうだと彼は思い、井戸の縁に片手をかけると、指先で水面に触れるイメージを形作りながら幾つかの音節を口にした。しんと動きのなかった水面が、その音が終わると同時に僅かに揺らめく。間をおかず、彼が起こしたのとは別の波が起こり、精神に何か問いかけるような思念が触れる。何処かひやりとしたそれは、井戸の水精からの応えであった。大体の精霊は応えてくるほどの個性は持たず命令を出せば従うものなのだが、長い間人の生活圏にとどまっているこの水精は、薄いながらも術者と交感するだけの自我を持っている。時間が切羽詰まっているわけではないのなら、大げさに魔力を使って従えるよりは、意思を交換して取引をした方が効率的であった。

「お休みのところすみません。少しお願いがありまして」

 囁くような声で水精へ語りかけると、水面がまたちゃぷんと波立ち、浮かんでいる木桶がゆらゆらと揺れる。願われることが嫌な水精であれば、この時点でもう反応がなくなるのだった。つまり今は承諾と受け取っても良い。セオはそっと微笑むと、次の言葉を口にした。

「貴方の領域に浮かんでいるその桶を、こっちに打ち上げてくれませんか」

 やや間があってから、ちゃぷりとまた波が起こった。微かに頷いてから、セオは覗き込んでいた井戸から一歩後退する。下がり終わるが早いか、激しい水音とともに木の桶が垂直に打ち上げられて滑車にぶつかり、音を立てて横に飛かけるのを手を伸ばして受け止める。固いものと手がぶつかる音もしたがそれよりも、どうも中にまだ水が入っていたらしく、重い衝撃が受け止めた側に来て、彼はよろけてしまった。

「っと! ……ああ、なるほど。これで代価をよこせってことですか」

 たたらを踏んで体勢を立て直すと、木桶の中の水が音を立てた。それは本来ああいう飛び方をすれば残るはずもない、手を浸してしまえるほどの量で、水精の意思でそうなったことは明らかだった。彼は桶を持ち直し井戸の縁に乗せたあと、左手は桶を支えるのに使ってしまっているので、右手の手袋の指先を噛んで外す。素手を水に浸すと井戸水特有の冷たさが肌に沁み、ふと、魔力を注ぐ寸前に彼は違和感を覚えた。水に水でない異物が重なっているような感覚。眉根を寄せ、その異物の方に意識を向ける。

 水でなく土でもなく、風でも火でもない。水が汚れている、とも違う。どこまでも異質なものが、水に紛れて存在している。彼はその異物から受ける感覚に心当たりがあった。2種ある魔法の源のうちの片方、この世でない場所に渦巻く混沌。水に重なっているのは、それの気配だった。

 眉根を寄せながらもとりあえずそれについて考えるのは後回しにして、くわえたままだった手袋を一度右手でベルトに挟んでから、冷水に手を入れ直しぐるりとかき回す。紛れ込んでいる混沌、彼の感覚では黒い水に似た何かを固めて分離するイメージを明確に持ち、魔力を注ぎ込みながらキーワードを口の中で唱えた。桶の中で出来た小さな渦に魔力が染みこんでいき、やがて黒く艶を帯びた丸いものが一つ浮かんでくる。混沌に氷の性向を与えて結晶化したものである。指先ほどのガラス玉に似たそれを、彼は水に入れていた手で掬いあげた。

 強く外からの指向を帯びてしまったため、もう魔術の力源としては使えなくなってしまったが、本来自然には存在しないものが何故か存在していた、という証拠ではある。水から引き上げられて手のひらに収まる黒い玉を見つめながら、セオは頭の中に一つの考えがよぎったのを知覚した。


――――


「ん、おかえり」

 部屋の中へ入り扉を後ろ手に閉めると、ベッドサイドにあったはずのテーブルを窓際に移動させ、戸口が見えるように椅子に座って、陶器のゴブレットを使い葡萄酒を飲んでいたウォルフが反応した。寝台2つと今は窓際まで引っ張られているテーブル、それに椅子1つ以外家具のないこの部屋の中もまた、テーブルの上に置いてある蝋燭立ての明かりしかなく、薄暗かった。一応、部屋に備え付けのランタンはあるのだが、それに火を入れるのをウォルフが面倒臭がったらしい。

「ただいま戻りました。……酔ってないでしょうね、まさか」

「こんな薄酒でか? ほろ酔いにだってもう3,4本は欲しいとこだな」

 彼が確認を投げかけると、ウォルフは口の端を微かに上げて、もう3分の2以上中身のない瓶を指先でつまんで振ってみせる。つまみだったはずの干し肉はとうに食べてしまったらしく影も形もない。やれやれ、とセオは内心ため息をついた。歩み寄りながら言葉を続ける。

「酔ってないならいいです。情報交換するだけの正気が残ってるなら」

「そりゃあ勿論。俺としちゃ頭使うのはお前に全部任せたいけどな、そういう訳にも行かねぇ」

 そうのたまうウォルフに対し、おいコラ年上、とセオは思ったが口には出さなかった。その代わりに態度か表情に出たのか、目が合った瞬間に相手がさっと逸らす。その仕草に彼はつい笑ってしまい、なんだよ、とでも言うようにちょっとムッとした顔をして視線を戻したウォルフが、テーブルの上に転がっていた瓶の蓋だったコルクを指で弾き、セオの額に当てた。

「痛っ」

「痛くねぇだろそれくらい。てか、笑ってねえで避けろよ」

 こんとぽんの中間のような音を立てて跳ね返ったコルクが床に落ち、立ち止まって額を片手でさするセオを見ながら、ウォルフは呆れたような調子で言った。

「いや、つい。貴方もう二十代後半近いって自覚あります?」

「……藪から棒になんだよ。自分の年忘れるほどボケてねぇから安心しろ」

「でも先のは、まるで後ろ暗いところがある子供の反応でしたよ」

 思い出して少し笑いながら言うと、相手は渋面になって黙り込んだ。黙ったまま、残っていた瓶の中身をゴブレットに全部あけて、乱暴な動作で一息に飲み干す。

「っあー! やめやめ、じゃれてたら本題忘れちまう。するんだろ、打ち合わせ」

 彼は音を立てて空になったゴブレットをテーブルに置き、瓶ともども端に移動させた。セオはそれを見るとはなしに視界に収めながら、テーブルの近くまで歩み寄って、手の中にずっと握りこんでいた黒い玉を適当に置く。

「遅れても寝る時間が割を食うくらいですが」

「それが嫌なんだよ、ただでさえ早く起きなきゃなんねぇのに」

 それを言うウォルフは、眉間にシワを寄せ、口をへの字にした心底辟易したような調子の表情と声をしていた。分り易すぎる態度にまたセオは笑いかけたが我慢する。

「ならば、取り掛かりましょうか」

「おう、いつもの頼むわ」

 頷いたセオが呪文を小さく呟くと空気が揺らめき、ウォルフが軽く手を打ち合わせて部屋に響く音の調子を確認してから、二人は顔を見合わせた。

「結界よし、と……んじゃま、確認から始めるか?」

「ええ、その方が良いでしょう」

 セオが頷くのを見てから、ウォルフは懐より折りたたまれた紙を2枚取り出し、テーブルの上に広げる。几帳面に四角い筆跡で文字が綴られたそれらは、ウォルフの知り合いからの伝言が書かれた手紙が1枚、その知り合いから彼ら二人に仕事を頼んでいるという証明書が一枚という内訳であった。

「まず、エルデストから頼まれた仕事の内容から、かね。平たく言えば誘拐事件の犯人探しだったな」

「ざっくりしすぎて何が何やらですよ、本当にわかってるんですか?」

 椅子が片割れに占拠されているために立ったまま、セオはウォルフを半目で睨んだ。ウォルフは苦笑いして反論を口にする。

「わかってらい。お前もわかってるだろうし、面倒くせえからちょっと手を抜いただけだって。……あー、2件続いて素人っぽい手口の誘拐が発生、狙われたのはどっちもガキで、だが犯人に繋がる証拠が異常なほどなし。身代金の要求もなし、というか身代金が取れそうなほど裕福じゃないんだったな、どっちの家も」

 言葉を切り、セオの方を見やる。見られた方は頷いて、言葉の続きを引き取った。

「ええ。市民ではありますが、特に身分が高いというわけではない家庭です。後ろ暗いところもなし。家の中の物を盗まれた形跡もなし。ついでに言えば二件の家族に目立つ共通点はそれくらいで、怨恨とも考えにくい。……陸に糸を垂らしても魚は釣れるものじゃないですし、金目当てであれば子供自体を使うだろう、という予想がウィーラー隊長からもありました。手紙の内容は、こんなとこですね」

 テーブルの上にあった手紙をセオは取り上げ、一度確かめるように目を通してから元の位置に戻す。その拍子に先程置いていた黒い玉がコロコロと転がっていきそうになり、ウォルフがテーブルの端から落ちる前に拾い上げる。彼にとってはよくわからないものであるそれを、何とはなしに手の上で転がしながら、口を開く。

「被害者の保護が含まれてねぇのがアイツらしい、よなぁ。んで、今日のとこは、それぞれその予想に従って心当たりを探ってみた、と。お前は情報屋のとこ行ったんだっけか?」

「……あってはいますけど、組合の方も回ってきたんでそれだけじゃないですよ。交換での犯行含め、それらしい取引がないかとか、この辺に新入りの人買いが入り込んでないか聞きに行ったんですけどねぇ」

「目立った収穫なし、か」

「はい。ここ数年、ウィーラー隊長が勤め始めてからになりますか、締め付けが大分厳しいですからね。掻い潜って入り込んでくる新入りもいなければ、闇市も随分立ってないし、立つ予定もないそうですよ。念の為自分でも調べましたけど、ほぼ間違いないかと。……ただ、胸の悪い話が一つあって。どうもここ最近、ひどい殺され方をした動物の残骸が、地下水路で捨てられてることが続いてたらしく。それが止まってから暫くしてこの事件なんですよね……」

「……動物から人間に標的が移った、ってか」

「そっちの犯人がはっきりわかってれば調べようもあったんですが、何とも。貴方の方は、どうだったんです」

「俺はまぁ、食い詰め者が思い余ってやらかしてねぇか調べちゃみたがよ。ナシのつぶてだった。仮にやらかしてたとして、組合通さないでさばくのは無理だよなぁ。仮に物盗りがガキに見られて口封じしたにしても、何も盗ってないのはありえねえし」

 頭をガリガリと掻いて唸ったウォルフに、セオは首肯して同意を示した。

「明日からは方針を変えるべきでしょうね。どうも面倒な方になりそうで」

「そうだな。問題は具体的にどこを調べるか、かー……ところで、普通に弄っちまってるけど、これ何だ?」

 考えながら黒い玉を軽く放り上げて、手で受け止め直した時に、ふと気づいたようにウォルフが問を投げかけた。これ、つまり今彼の手の中に収まっている黒い玉を見やり、セオは苦笑いした。

「気にするのが大分遅いですよ。まぁ、丁度触れようと思っていましたが。それは、さっき井戸の水から取り出したものなんです」

「……んー? 井戸に混ぜ物でもされてたか?」

「いいえ、井戸と言うより恐らくは地下水脈にですね、それも、水精の助けがあったからようやく感知できる程度ですし……。今は何の変哲もないガラスか石の玉に見えるでしょう、それ。でもそうじゃないんです」

 セオの言葉に、相手は首を傾げてそれをまじまじと見やる。見て分かるものではないが、そうせずにはいられなかったのだろう。

「じゃあ、何だってんだ」

「混沌ですよ、別の次元が源の、魔術師の使うパワーソース。本来ならひとりでに発生はしないものです」

「ふん……混沌ってーと、昔に次元の裂け目ができて駆り出された時に聞いたな。あんときゃ、妖魔は大発生するわ、訳分からん規模の嵐は起こるわで引っ張りまわされたが、ここんとこそういう話は聞かないぜ?」

「ええ、だから余計にくさく感じましてね。薄すぎて無害ですし、直接絡んでいる証拠はないのですが、どうにも、無関係でないような気がするんです。動物の死骸の件といい、贄が必要な魔術ってのはありますから……」

 その言葉が切れた後二人共黙り込み、ややあってから、真顔で考えこむようにして視線を下げていたウォルフが再びセオの顔を見て声を出す。

「お前の勘ってのは、馬鹿になんねぇからなぁ……じゃあ、明日はそれに関して調べてみるか?」

「それでよろしいのであれば」

「パッと他の目標が思いつかねーし、構わねぇよ。俺にとっちゃ苦手分野だしな、調査ってのは。だから、そうやって自信なさそうにすんなよ」

 少しだけ表情を和らげて、ウォルフは言った。その視線を追って、また護符へ服越しに手を触れていることに気づいたセオは、ぱっと片手を下ろした。派手にではないが、相手がはは、と笑ったので頬が熱くなるのを自覚する。それを紛らわせるように彼は口を開いた。

「……オーケイ、では具体的な行動を決めておきましょうか。そこでもう一つ提案なんですが」

「おう?」

「明日のウィーラー隊長への中途報告の方は私が行くんで、貴方は、まず赫の魔術師のとこに行ってきて下さいませんか」

 その台詞に、黒い玉を転がらないようテーブルに置き直していた相手がきょとんとする。察しが悪いような反応だが、わざとなのかそうでないのか、セオには判断できなかった。

「アイツのとこに? 構わねぇってか、嫌っていう理由がねぇが。何か聞くだけなら魔術師は他にもいるだろうし、何でわざわざアイツだ」

「聞きこみの他に、頼みごとがあるんです。お誂え向きに先日借りを作りましたしね。……下品になりますが、もうひとつの理由もいいましょうか?」

 彼が問いかえすと、ウォルフはちょっと考えてから頬を右手の人差指で数度掻いた。今まで真っ直ぐ見ていた彼の顔から、ほんの少し目をそらす。

「いんや、それはいい、何となくわかった。あー……花か菓子でも買ってかないとなんねーか……」

 眉根を寄せて唸りながら言っている後半は、もはや完全に独り言だった。セオは聞かないふりをして、話を続ける。

「細かいことは、後で手紙書いて渡しますから、それを彼女に渡して下さい。口頭の伝言で細かいとこ抜け落ちても困ることなんで」

 彼が視線をわざわざあわせて言い直すと、おうなのか、ああなのかよくわからない曖昧な音で返事がある。どうも、ウォルフは手土産のことに完全に思考がむいてしまってるらしい。

「……目安はつきましたし、このくらいにしときますか」

 思わずその状態に苦笑いをして、軽く手を打ち合わせると流れがねじ曲げられていた空気の層が元に戻り、微かな風が起こる。そして夜間であるために五月蝿いほどではないが、外の音も再び聞こえるようになった。階下からは丁度団体の一つが帰るところなのか、それぞれ別れを告げたりする声が聞こえてくる。

「ぅあー。喉乾いたし、俺、水もらってくるわ」

 うんうん唸っていたウォルフが、唐突に唸るのをやめ、椅子を押して立ち上がった。ゴブレットを片手で持ち、空になった瓶を同じ腕で抱えて部屋の出口へ歩いていく。妙にすっきりした顔なので、考えるのを一旦投げたのかもしれないとセオは思った。

「ん、ではその間、テーブル使わせてもらいますね」

「おーう。つか、手紙書き上げるまで使ってろ。どーせ俺そのまま寝るから」

 扉を潜る前に一度振り返って、空いている方の手をひらっと振るとそのまま外へ出ていった。

 それを見送ってから、セオは椅子に座ってベルトの物入れから筆記用具と紙を取り出す。入れ替わりに卓上に広げたままだった手紙と証明書を畳み、しまいこんだ。本来の用件の他に、ウォルフをフォローする内容でも書いておいてやろうと思いながら、文面を考え、木筆を走らせ始める。彼らの夜はそうして更けていくのであった。

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