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狼と茨の冒険者  作者: ゆの字
1章 旧友からの依頼
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闇の底で

 目を覚ました時に感じたのは、飢えと乾きであった。

 そう、それは(かつ)えていた。身を起こそうとすると体中からミシミシと軋むような音がし、耐え難い痛みが苛む。甘い血潮滴る温かな肉が欲しかった。だがそれを得るために体を動かすこともままならない。

 苛立ちに押し出されるようにして、地を這うような怨嗟の呻きが漏れる。その音声は周囲の暗闇を震わせ、だが応えるものはおらず、沈黙ばかりが跳ね返ってくる。

 食わねば死ぬ、消え去る他なくなる。しかし周囲に食物になりそうな温かいものはおらず、冷たいばかりだった。

 目覚めると同時に食らうことに邁進していたそれにとって、食物もなければ体も自由にならないのは、異常事態と言える状況だった。焦りばかりがつのり、感情はままならぬ体を無理に動かすことで発露された。鉤爪が石をえぐり、尾が周囲にある何かをなぎ倒す。

「こらこら、お腹がすいたからって暴れちゃいけないよ。折角今ご飯を持ってきたのに、そんなに暴れてちゃあ、お預けかな?」

 突如暗闇に声が降って湧いた。いや、傍らにずっといた何かに今気がついた。それにとって言葉は理解不能なものだったが、感じた2つの生命の熱に狂おしいまでの食欲を感じる。動かぬ体に鞭打って、その熱の方へ首を向けた。2つの存在は、片方は先ほど声を出したもので悠然と構えており、もう片方はそこに居はするが意識がないのか動きも声もないものだった。

「食べたいかい? それならいい子にしてなくちゃあ」

 また片方が声をかけてくる。それの思考が少しはっきりとし、相手がいつも食事を持ってくる者で、彼に枷をかけている仮の主人であることを思い出した。ここのところ、暫く食事の間隔がまばらになっていたことも。それにしても、主人の抱えているもう一つの熱はそれにとって魅力的に過ぎた。与えてくれぬことにぐるぐると唸り不満を表すと、主人は機嫌良さげに笑ったようだった。

「ふふ、しばらく食べていなかったからね、少し気が立つのも当たり前か」

 悠然と歩み寄って、主人はそれの鼻先に抱えていた熱を投げ出す。どさっという重量がある程度あるものが地面に落ちる音がし、その衝撃で投げられたほうが目を覚ましたか、呼吸が乱れるような気配がした。だが、その他の反応がある前に、飢えたそれが牙の並んだ顎で掬いあげて噛み裂く。断末魔を上げる間もなく、一瞬の恐怖の残滓だけ残して餌はずたずたに噛み砕かれ、血とともにそれの喉に送り込まれた。滴った鮮血が床に点々と散り、すっかり血肉を飲み込んでしまったそれは未練がましげに零れた飛沫を舐める。

「……足りないかい? じゃあ、早いうちにもっと探してこよう」

 主人はどこかうっとりとした声で言い、撫で回すかのような視線でそれを見る。食物をとって存在が安定してきたそれは、主人へ向けて早くも体を巡り始めた力を示すかのように吠えた。

「そう、たくさん食べて、もっと力をつけておくれ……あの子のために」

 暗闇の底で、轟々とした咆哮にねっとりとした呟きが混ざりこんで響いた。


――――


「……昨夜のうちに、何か気づいたことは?」

 子供の眠っていた部屋の窓の近くで外を見ながら、警備隊所属であることを示す紋章のついた新緑色の外套を纏った赤毛の男は、静かな声で入り口に立っている夫婦に問を投げかけた。

 外は小雨が降っていて、部屋の中も底冷えしている。犬を使うにも難しそうだ、と彼は思った。

「いいえ、私も、妻も昨日は熟睡していて……もしも起きていたら、こんなことにはならなかったのでしょうか」

 すすり泣く妻を抱きしめて、夫は震える声で言った。男は窓枠に指を滑らせ、そこにある傷の感触に紫の目を細める。それは慣れているものの犯行ではないということを示し、同時に、同じ手口の2件目であるという証拠の一つだった。

「それはわからない。だが、手は尽くそう。許しがたいことだ、親元から子を攫うなど……」

 微かに頭を振って、男は窓枠から離れて部屋を出た。夫婦の近くに立ち、胸に片手を当てて礼をする。

「御二方は、どうか休んで欲しい。親が心労で倒れてしまっては、子も悲しむだろうから」

「は、はい」

 恐縮したように返事をする夫と、抱きしめられたままの妻の横を通り、戸口をくぐると男は外に出る。外、戸口の近くで待機していた同じ外套を纏った部下を目で探し、声をかけた。

「件の部屋の窓の外を調べろ。それから、一人ここの警備に残して周りの家に聞きこみを。……アルーア!」

 は、と返事をし少し離れた場所にいる他の隊員へ伝達をするべく走りだしたその部下から視線を外し、彼は副官の名を呼んだ。短い金髪を揺らして通りの向こうから走り寄ってきた女副官の息が整うまで待ってから、彼は声の大きさをかなり絞って次の言葉を発する。

「これで二人目、だが、幾らかは見えてきた。犯人は多分素人だ、少なくともこの手のことに関してはな。それ故に……少々厄介かもしれん」

「妙な後ろ盾があるか、普段の生業が尋常でないか、ですか」

「……そんなところだな。我々は後ろ盾持ちの人物が犯人と仮定して調べを進めるとする」

「では、もうひとつは?」

 副官の言葉に対し、我が意を得たり、といった調子に彼は頷いた。

「ああ、それでお前に一つ使いに行ってもらいたい。水楢通りの狼と茨亭に、この手のことにうってつけの知人がいるのでね」

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