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Owner Of Spell  作者: 鴨音 浅葱
水晶の剣
1/3

-1

死を見て、目を覚ました。

テルトスアの王城の地下牢に、可憐で、重い、そんな音が響く。

一定の速さで何かを刻んでいるかのような音。

決して軽んじてはいけないのだと、本能が必死に囁きかける一つ一つに、囚われた魔物は顔を上げた。

誰かの靴音だと気づくまで、どうしてこれほどに時間を要したのか。

きっとそれは、眠りが深かったから。

「魔力主……」

音の主は亜麻色の波打つ髪に表情を遮られ、どうしても憂いに見えて仕方が無い。

何を憂鬱に思っているのだろう。

伏し気味の目の水色は、茜に混ぜられて、鈍く汚れている。

「この世界は、まもなく混乱に落ちるはじめるでしょう」

牢に漏れ落ちる微かな夕日が彼女の頭で光を返した。

銀を含んで更に痛みを増した夕日が、囚われたものの目を刺す。

頭の奥が、訳も無く痛い。

「それを、貴女が救うのです」

彼女は魔物にそう告げた。

魔物は彼女を見つめ返した。

「貴女が英雄になるのです」

冗談ではない真剣さ。

けれども真っ直ぐではない思想の欠片。

女王は何を欲しているのか。

絶えず流れる不穏の静寂の戦闘曲を打ち破るように、囚人は呟くように答えた。

「俺は今でもこの国の王が嫌いなんだ」

気だるいように演じているのかもしれない緩い言葉。

「逃げ出すと、普通分かるだろう」

吐き捨てるように出した答えを、彼女は普通の事だと言うように、何事もないように笑った。

「貴女は逃げないわ」

その言葉が、ひたすらに隠そうとしていた真理を突いて吐き出させようとしているかのように、魔物の胸を抉る。

気づかれたのか、否、単に勘のいい姫君だというだけなのか、確信犯。

「栄光の言葉に飢え、求め、全て変えようとした貴方は逃げられないわ。レッシュ=クレンス」

魔物は毛を逆立てて震えた。

嫌な懐かしさを煽られたから。

どうして、と問う前に自分自身で何もかもを理解してしまう自分が、どうしてだろう、悔しい。

心なしか憂いていた彼女の表情は少し明るくなり、そしてほんの少しの恐怖を漂わせたように感じる。

それを見て魔物は絶望の淵にまで走らされる。

そして囚われているこの現実に、ただ言い返すだけの、安い言葉を掴んだ。

「違う」

だというのに、答えははっきりと返っていく。

非情だ、異常だ。

「ヴァシア=クレンス、だ」



Owner Of Spell -水晶の剣-



*1*


「はい、どうぞ」

心地良いようなグラスの置かれる音。

中では不恰好な氷が水に浮いている。

それを見つめながら、彼女はグラスに手を当て、目を伏した。

「ありがとうね。こんな暑い中、いろいろしてもらっちゃってさ」

少年は自分の分のグラスを持って彼女の向かい側に座る。

「でも、本当、助かったよ! 俺一人じゃ手がまわらないところまでしてもらっちゃった」

嬉しそうに明るく話す少年とは対照的に、彼女は机の木の節でも見つめているのか、上の空なのか。

「ねえ、聞いてる? ヴァシアー」

話を聞いてもらえていないと思った少年は、机に顔を乗せて不安げに聞いてみる。

「聞いている」

イヤリングの金属音を鈍く鳴らしながら、彼女はやや顔を上げ、答えた。

考え事をしていたのだろうか。

何処と無く不機嫌そうにも見える。

いや、元からそういう顔だった、ような気もするのだが。

「あ、ごめん」

「何故謝る?」

「いや……」

言葉を濁しながら少年は思う。

彼女という人間が全くつかめない事に困惑し続けている。

テルトスアで会ってからここ、クリノト・スファンに来るまで、彼女において分かったのはほんの少しだけ。

女であること、桁違いの魔力と二色の髪を有す未解明の存在である「魔力主」と呼ばれる者であること、それとヴァシア=クレンスという名前のみである。

それから、本当にそう思っているのか分からない思想だけだ。

彼女はこの何処か虚ろな表情と揺ぎ無い力で本当にそれを望んでいるのだろうか?

グラスを手で包みなおし、また目を伏して何かを思う表情からは、何も伝わってはこない。

顔を覗き込みながら、この沈黙が嫌になった少年は立ち上がってみる。

「お礼、と言ったら何だけど、ご飯作るよ!。ねえ、何がいい?」

何か希望を言うとは思えなかったが一応聞いてみる。

答えはなんとなく想像がついているが。

「オムライス」

「へ?」

つい言葉が出てしまった。

自分から聞いておいて、とは思ったが、てっきり「何でもいい」と返ってくるとばかり思っていたため、頭が一瞬混乱したようだ。

「何だ、その顔」

「あ、ううん。何でもないよ。じゃあ作るね」

しかもオムライスとは。

少々子供っぽいのが不思議な気持ちを膨らませる。

そっとヴァシアの顔を遠くから覗くように見ると、少しだけ嬉しそうな顔をしているように見える。

できればいつもその穏やかな顔でいてくれればいいのに、とため息が少し零れ落ちた。

「ミュークトー」

少年が料理をはじめようとすると、自分の名前を呼ぶ声と一緒に家のドアが開いた。

植物とは違う色味の黄緑の髪と、透き通った琥珀の瞳。

その瞳はゆっくりと家の中を見渡して、ヴァシアの方へと視線を落として落ち着いた。

「ミュークト?」

にしては違いすぎる。

服装も髪も目も雰囲気も、多分種族も。

その前に性別が。

見つめ返す赤い瞳は緩くほの暗く、まるで夜のよう。

どうしてだろうか。

心臓を刺しつくすような痛みを感じている。

「クジーア!」

ミュークトは台所から彼の元へと走ってきた。

驚いているの半分、もう半分は喜びと怒りだろうか。

「ミュークト!」

今度は本物だ。

「ああ! もう! 何処行ってたの!」

「いろいろ俺も忙しいんだよ! 連絡が無かったのは謝るって!」

長身の彼に目線を合わせるように上目遣いと爪先立ちをしながら、母親がするように心配ゆえの怒りを見せる。

しかしその顔もすぐに崩れる。

嬉しそうな満面の笑顔にうつりかわり、クジーアの両手を素早く取る。

「まあいいや! お帰り!」

「た、ただいま……」

早すぎる切り替えに困惑しつつ、しかしあのまま説教が続いたら面倒だっただろうと思えば、これでよかったのだろう。

握られた手を優しく解きながら、彼は彼女の斜め向かいに座った。

「お昼食べてないでしょ? オムライス作るから待ってて」

「お、ありがと。 あ、水、貰えっか?」

「ああ、ごめん、出しちゃった」

どうやら彼女に出したグラスが彼のものだったらしい。

両手で包まれた、もうそれほど冷たくは無い輪郭に、ヴァシアは視線を落とした。

「じゃあ妹の貸してくれ」

「はーい」

ミュークトは軽やかな音を引き連れて台所へ戻っていく。

クジーアに久々に会ったのが嬉しくてたまらない、まるで物音がそう言っているように聞こえる。

その後姿を見送りながら座りなおして前を見ると、斜め向かいの彼女と目が合った。

いつの間にか顔を上げていたようだが、グラスと手の関係はそのままのようだ。

赤い目は彼を見つめているのだが、ただ見つめているだけで、一言も言葉を発しない。

彼は目を逸らそうとしたが、いや、これほどはっきりと目が合ってからでは失礼すぎると思い、声を掛けてみることにした。

「あ、どうも、はじめまして。 ええと…… 俺はクジーア=キリュ。 よろしく。 それで、君は?」

「ヴァシア=クレンス」

目を合わせたまま、彼女の口だけが動く。

機械的というのはこういう事を言うのだろう。

ただ動いている。

まるで、動力だけを持った人形のように。

「はい、お水」

痛みを感じるにもかかわらずその赤い目に見入っていると、カップと机の当たる音がした。

「ああ、ありがと」

柔らかい色合いの花柄をしたマグカップに、大き目の氷二つと、澄んだ水。

そしてまた台所へ戻っていく少年の足音。

そっと彼女の様子を伺うようにしながら冷たい水を含むと、さっきと同じようにまた目が合う。

こういうときは驚いて、なのだろうか。

水を噴出しそうになったのを必死に押さえマグカップを置き、どう話を繋げればいいのか、そんなことを十分に考える暇も無く、とりあえずなんとなく聞いてみる。

「出身は?」

「クレア島」

本当に一言だけそう答えられ、話は終わってしまった。

沈黙は辛い。

目が合い続けているならなおさらだ。

「と、年は?」

「……17」

「そ、そうなんだ! 俺は19だから、年上になるな」

「そうだな」

また終わってしまった。

分かっていたような気もするが、どうやら彼女には会話を続けようとする感覚が無いらしい。

しかし、それならばどうして目を合わせ続けてくるのだろう。

話しかけられるのを待っているのか、その彼の目が珍しい黄色をしているからなのか、もしかしてただぼうっとしているだけなのか。

いずれにせよ、このままでは二人は無言で、何だか気まずいような不思議な気持ちのまま見つめあうことになるのだ。

どうにか打破したいと強く思うクジーアは何かまた話題を探す。

暑いほどに晴れたスファンの日差しによるものとはまた別の汗をかきそうになる。

そのせいなのか、全く話題が浮かばない。

今日は暑いですね! ああ

その格好暑くないんですか? ああ

魔力主ですよね? ああ

駄目だ、話が続かない。

会話のキャッチボールとはよく言うが、これでは会話のボールキャッチである。

とりあえずごまかしがてら水を一口。

冷静になれよ、といわんばかりに冷え切り、井戸の水だろう、甘さが通り過ぎていく。

本当は味わっている暇など無いが。

順調に減るカップの水を見ながら、クジーアは限界を感じていた。

どうして久しぶりの帰郷で限界などという言葉を連想し、その状況に陥らなければならなかったのか、とりあえず自分の不運等をそれとなく呪った。

そして強く、いち早く、オムライスが完成するのを心から願った。

らしくもなくマグカップを両手で包み込んで握る。

沈黙が相変わらず痛い。

もしかして赤い目から感じるあの痛みより、痛いかもしれない。

「おまたせー!」

心の奥底から願っていた一声。

彼には天使か何かに思えたに違いない。

トレーに三つのオムライスとサラダを乗せて持ってきたミュークトは、ピンクのエプロンをしている。

「待ってました!」

本当はピンクのエプロンにつっこみたい。

だけどもうそれどころじゃない。

一刻も早く、この黙りこくった空間を開放して欲しい、その思いでこの部屋は一杯だ。

「何だよ! クーとヴァシア、おそろいじゃん!」

上半身だけ振り返るクジーアを見て、ミュークトは笑った。

「え?」

恐る恐るヴァシアの方を見てみる。

手でグラスを包むように持って、ミュークトの運んできたオムライスとサラダを見つめている。

しかも急に嬉しそうな顔で。

言い表しがたい気持ちが、一瞬体中を走り回った。

「まあ、いいや。 ねえ、早く食べよう! 美味しくなくなっちゃうよ」

少年はほとんど気にしていないようで、手際よくテーブルにオムライスとサラダを並べる。

すこし酸っぱい、懐かしいトマトソースの香りが漂う中、そっと、本当にそれとなくを装い、彼はカップから手を離す。

陽の光を浴びて熱を持った肩当てと、すっかり湿ってしまったグローブを外しながら、いろんなものが一緒にはずれたような気がした。


* * *


「はあい、冷たいお茶」

不思議な気持ちと甘酸っぱい香りはとっくに消え、何事も無い時間が過ぎているような気持ちを感じながら、彼は彼女の存在に目をやる。

「ありがと」

それだけは、日常をはみ出している。

「はい、ヴァシア」

魔力主―これまで何度か見かけたことはあった。

性別も容姿も様々。

きっと性格も普通の人と同じように多種多様で、心を持ち、喜び憂いて生きているのだろう。

「ああ……」

でも、彼女は普通の人と同じと言えるのだろうか?

会って数時間、だというのに訳も無く妙に惹かれていく心がおかしい気がする。

どうしてあの赤い目は、何よりも心を吸い込もうとしてくるのだろう。

「クジーア……」

「あ、ああ」

「汚い」

慌てて彼は口元をお絞りで拭いた。

大分長く見られていたのかもしれないと思うと、非常に恥ずかしい。

俯いて、ほんの少しだけ赤くなった顔から彼女の顔をのぞいてみるが、やはり何処と無く虚ろに見える。

笑いもしない、らしい。

「そういや、何でヴァシアは家にいるんだ?」

「テルトスアで会ったから一緒に来たの」

クジーアはよく分からなくなった。

何故テルトスアで会ったら、はじめまして、でも一緒に来るんだ。

昔から行動、言動、こんなものだったが、明らかに違和感がある。

典型的な「抜けている人」であるミュークトを使いこなすのは、なかなかに難しい。

「もう少し詳しく言ってくれるか?」

「テルトスアに行ったついでに、お城の庭見てきたんだけど、そこで会ったから一緒に来たの」

「もう少し詳しく」

「母さんのお見舞いにテルトスアに行ったついでに、お城の庭見てきたんだけど、そこで会ったから一緒に来たの」

「あの、もう少し……」

「ミュークトが……」

急に別の声が会話に割り込んできた。

決して大きな声ではない。

けれども合わせたかのように、二人の話は止まる。

「ミュークトが、行き場の無い俺を連れてきてくれた、というとこだろうか」

新しくした冷たいお茶のグラスに、同じように手を当てている彼女は、視線をそのままに呟いた。

戸惑うように、二人は会話の型を解く。

「そうか……」

行き場の無い魔力主。

出身はクレア島と言っていたが。

いや、何かあったのかもしれない。 聞くのをやめた。

少年は何も聞かず、無力だと語る力の核そのものを、ただ守ろうとしたのだろう。

「そうだったんだ……」

「え」

違ったようだ。

「何だよ! そうだったんだ……って! お前が何で今納得してるんだよ!」

「だ、だって、そういう意味じゃないと思って!」

「じゃ、どういう意味なんだよ!」

クジーアは心の中で反省を繰り返した。

一人しんみり、行き場の無い彼女の事を哀れみ、その彼女を守りたいと思った少年に痛く感動してしまった彼は、自分が恥ずかしい。

その前にそんなこと思ったことが恥ずかしい。

顔は真赤だ。

「俺は! 何だか、放っておけなかったんだよ」

どんどん小さくなる少年の声は、多分そう言っていただろう、ぐらいにしか聞こえなくなっていた。

躊躇ってしまうような事。

本人の前では、そうそう言えない事。

「放っておけない……ねえ……」

散らかってしまった頭の中を整頓しながらお茶を一口。

彼は彼女を一瞬盗み見る。

あんなに自分のことでいろいろ言い合っていたのに、こちらを向いてはいなかったようだ。

お人よし、何処か抜けていて、天然というものにあたるのだろうか。

少年を時々無性に心配になるのは、心にまで義務付けた、必要も無いだろう兄貴面のせいなのだろうか。

「本当、母親似だな」

呟いた言葉は花柄のカップの中に吸い込まれていった。

守りたい、あながち間違ってはいないらしい。

「え? 何? 何か言った?」

「いや、何でも」

「ふうん」

何か引っかかるような気がしつつ、ミュークトは氷で少し薄くなったお茶を飲んだ。

そして何気なく前を見てみると、ヴァシアがこちらをじっと見ている。

さっき言ったことを気にしているのだろうか?

それとも殆ど二人で会話していて、空気のようになってしまったことへの不満だろうか?

目が合う。 無言。 気まずい。

「あ、ああ! そいうえば、クジーアは何してたの? もう1年近くあってないよ。 ね、ヴァシアも気になるでしょ?」

わざとらしくでもいい。

話題をふって彼女をどうにかせねば。

「ああ」

本当にそう思ってますか?

そんなことは無いですよね。

「俺はなあ、まあ、いろいろありまして……」

「……なんではぐらかす気しかないの?」

なぜか完全に逃げる準備を整えているクジーアの腕を掴む。

「そ、そんなわけねえだろ!」

「じゃあ、座ってよ」

渋々座るクジーアの腕は掴んだまま。

「そんなに握らなくてもいいんじゃないですか? ミュークト=イーディアム君」

「だってさ……」

「あ!」

急にクジーアは何か思い出したらしく、言葉をこぼした。

「イーディアム……そうだ、イーディアムだ!」

「え? 急にどうしたの?」

突然おとなしく席に着くと、ミュークトの手を振り払い、ポケットからくしゃくしゃの紙切れを取り出した。

「どこかで聞いた事があると思ったら、そういうことかよ!」

丁寧に、少し荒く紙切れを伸ばしていく。

そこには円形の、細かい模様の入った図面が現れた。

どこかに取り付けてある図を見ると、何かの部品のようだと伺える。

「だから、どういうことなの?」

「これはな、アイの水力変換機なんだ。」

「……何それ? あっ! ヴァシアも気になるよね!?」

全く聞き覚えの無い言葉とヴァシアの視線に戸惑う少年。

危うくまた彼女を空気にしてしまうところだった。

「ああ」

こちらを見てくれているが、関心があるのか、いや無いだろう。

それでもどうにか会話に参加させたい故の力技か。

「簡単に言えば、水の魔力を妖精の干渉の無いまっさらな魔力に変える装置ってこと」

「神族が使う、無属性のやつってこと?」

「うん、まあ、そういうこと」

ミュークトは分かっているか分かっていないか、どちらともつかない表情を見せて頷く。

大分これでも優しい解説だと思っていた側は、少しのショックと戸惑いを受ける。

「あっ! ヴァシアは、分かった?」

「ああ」

「よ、よかった!」

無理に会話しようとしているために容量を割いているからなのか、頭がついてこないのかもしれない。

いや、元からそうすんなり理解してくれるわけじゃなかったのだが。

「まあこれがな、どうも最近調子が悪くて、ちゃんと動かないらしいんだ」

「へえ……」

何気なく、というよりも当たり前に相槌を打ったはずなのに、ミュークトはクジーアにものすごい速さでにらみつけられた。

「へえ……じゃねえよ! あのな、これがちゃんと動かないと、火も起こせない水も飲めないで大変なんだ!」

クジーアの今日一番くらいに叫んだ声。

必死になって怒っているのかと思えば、どうやら違う、やっぱり理解してないと思って少しあきれているらしい。

とはいえそのまっさらな魔力で何ができるか、何ていうのを教えてもらってないため、少年は相槌しかできないのだ。

「アイには魔力の強い種族は殆どいない。 

 お前みたいなアクアスとか俺みたいなサンスとか、ヴァシアみたいな魔力主とか、魔力の強い種族なら当たり前に魔法で火も水も何とかできるだろうが、そうはいかねえ。 

 そんな土地でライフライン切られたら国だって壊滅するだろ」

「う、うん。 そうだね……」

探り探り言葉を捜しているうちに結局また相槌になってしまうが、彼をまた怒鳴らせてはいけない。

少年はそのことで頭が一杯なのか、彼女に会話のボールをパスするのを忘れて、そのまま彼に返すでもなく、自分で持ってしまっている。

「それで、その写し貰ってきて、誰か使えそうなやつ見つけたら戻るって言ってきたんだ」

「使えそうなやつ?」

クジーアはミュークトに、伸ばしてもまだくしゃくしゃの紙を突き出す。

「見覚えあるだろ?」

「無いよ」

「これ自体じゃなくて、ほら、こことか」

円の中に描かれた五角形の頂点一つ一つについている様な小さな円を順々に指差す。

図形自体が小さく、更にその円も小さく、中に書いてある文字らしきものもとても見にくいが、紙に近寄り、目を凝らして見ようとする。

「水、音、海、羽、雨……あっ!」

少年は何か思い出したようにして、自分自身の左腿の辺りを見て、そして何かを懸命に外そうと金属音を鳴らしている。

「これと一緒だ!」

外したものを机の上に出す。

銀の小さなプレートのついたチェーン。

そのプレート一つ一つに、図の中にあった模様と同じものが刻まれている。

「この円形のやつは、イーディアム盤って言うらしい」

「イーディアム。 ああ、そっか! さっきクーが言ってた!」

「その前にお前の姓だけどな」

「あ、そうだね」

イーディアムという自分の持つ名が、そんな遠い北の地で使われていたとは。

少年は不思議なものだな、と思いながら、何処となく誇らしかった。

まあ、このイーディアムはとても遠い親戚なのだろうけれども。

「だからお前なら何とかできるんじゃないかと思ってな」

「え? でも俺、機械とか全然駄目だよ」

「機械自体は俺が見るし、お前はその『イーディアム』の力を貸してくれればいいんだ」

「そっか。 ならいいけど……」

そこで急に少年ははっとする。

「あれっ!? いつの間にかにアイに行くことになってる!?」

勢い任せで立ち上がってしまったため、自分の座っていた椅子が後ろにひっくり返ってしまった。

「何だ、行かねえのか?」

「だって遠いじゃん。 アイってすごい北でしょ?」

自分で派手に倒してしまった椅子を元に戻しながら聞いてみる。

思っても居なかった展開と先程の話が絡まって、頭は大分絡まっている。

「大丈夫! そんなこともあるだろうと!」

そんな心配と不安をよそに、クジーアは紙切れとは別のポケットから真っ青な紙切れを取り出した。

今度のは、皺一つ無く、それに常に色を海のように波打たせている。

「転送紙!」

「何でそんな高級なものを!」

ミュークトは高級品に驚き、身体は後ろに引いていくのだが、それでも生まれてはじめて見るものへの好奇心から、顔だけは近寄っていく。

「向こうの知り合いが、水力変換機について何か情報があったらこれでって、くれたんだ」

「すごいや……」

何処で売っているか、どんな姿をしているか、もしかして架空のアイテムか何かなのか。

そんな、一生見ることなんて無いだろうと思っていたものを、目の前で親友が揺らして見せてくる。

「だから大丈夫。 そういうわけで、早速行くか」

クジーアがそう言うと、手の中で青い紙が光りだす。

先程までは見えていなかった、目の痛くなるほど細かく難しい魔方陣が、青白く紙に現れた。

「あ! ちょっと待って!」

ミュークトが言うと同時に、青い光はゆっくりと収まる。

「何だよ」

「お皿洗っていかなきゃ」

「洗ってなかったのか?」

「後でやろうと思って水にだけつけてきたの」

少年はそう言うと、机の端に置いておいたピンクのエプロンを付けて台所へ戻って行こうとした。

しかし、少しして何かに引き止められたかように急に足を止める。

「あ!!」

それからミュークトは非常に素早く振り返った。

どうしよう、と顔に書いてある、どうしたらいいのかよくわからないでいる顔で。

「ヴァシア……ごめん……」

いつの間にか彼女を会話に加える事を忘れて、彼の話を理解しようとすることばかりに気を取られていてすまなかった。

そういうことなのだろう。

申し訳の無い気持ちが渦巻いているのか、何処となく疲れているように見えた。

「だから、何故謝るんだ?」

しかし本人は気にしていなかったらしく、何のことか全く分かっていない。

嫌味ではない。

本当に何に対してそう言われているか見当がつかないようだ。

そのお世辞にも可愛げのある顔とは言えない重い瞳であるのに、幼子がするように軽く首を傾げてみせた。

「いや、ええっと…… あ! ヴァシアはどうする?」

もうよく分からないが、とりあえず質問を投げかけて逃げようとした。

「な、どうするって、何をだよ」

しかしよく分からなくなって投げた質問は、クジーアにキャッチされた。

「い、一緒に行くかどうか!」

「何だ、一緒に来てくれるもんじゃねえのか?」

意外に思ったのか、彼は驚きながら少し残念そうにして強めに言って出てみる。

一緒に来てもらいたい、と言う気持ちを込めて質問を返す。

すると少年は彼に近寄り、耳元で小さく話しはじめる。

「ヴァシアは何か、何か、ね。 いろいろあったみたいだからさ。 そんないろいろ連れまわしてもいけないかな、なんて……」

話しながら、最初は彼女の方にやっていた視線は徐々に床の方に落ちていく。

出会った時、テルトスアで何かがあったのだろう。

言葉を交わしたとき、引っかかることが起きたのだろう。

「ねえ、どうしたい? ここ、今は俺……とクーだけだし、誰か来るような家でもないから、嫌だったら家で待っててもいいよ」

床から彼女へと視線を戻し、その水色の目は真っ直ぐに赤の瞳を見ていた。

どうしてそれほどに、少年は彼女を、その目を見つめることができるのだろう、彼は思った。

守りたい、という思いからなのか、ただ単に、話すときは人の目を見て、という教えをしっかり守っているだけなのか。

彼はあの赤い目にうずく何かと、何故か騒ぐ胸を押し付けて、自らその視線から目を外す事はできなかった。

「それにさ……」

「いや、俺も行く」

言葉は急に走り出してきた別の言葉に遮られるようにして止まった。

それと同時に彼女が椅子から立ち上がり、床と脚の擦れる音が耳を通る。

「そっか、分かった。 じゃあ、洗いものしてくるから準備しててね」

「ああ」

愛想の無い彼女の言葉と姿を見てから、少年は台所へ小走りで向かっていく。

そうして今まで追っていた視線が無くなると、彼ははっとして瞬きを数回した後に、手に持ったままにしていた青い魔法の紙を何気なく見た。

相変わらず波打つ青が水、いや、海そのものを切り取ったように見える。

その輝いている、多分魔力の波をただ見つめていればよかったのだが、どうしてもクジーアは気にしてしまった。

目が合っているわけではないから気まずくはなく、気になってしまっただけ。

立ち上がったヴァシアを紙の脇から覗き見てみると、彼女は窓から何の面白みも無い、永遠に広がっていると錯覚してしまうような緑の野を眺めていた。

いや、本当に眺めているのだろうか。

ここからその表情を知ることはできない。

部屋の日陰ですっかり冷たくなった肩当てと、日陰に置いたせいで全く渇いていないグローブをはめて準備を整えると、思ったよりもはやく足音が聞こえた。

「お待たせ! 終わったよ!」

ミュークトは椅子にエプロンをかけ、先程外したチェーンを取り付けながら言う。

「そうか」

彼はくしゃくしゃの紙切れを元のポケットにしまい、青い紙を手に取り、彼女を呼ぼうとする。

すると彼女は声をかける前に、二人のもとへと近づいてきた。

「よし、じゃあ、出発だね」

チェーンの取り付けが終わって少年がそう言ったのとは直接関係無く、彼は何かを思い出したらしい。

「あ!」

「どうしたの?」

「これ、定員二人って言われたんだよ……な……」

クジーアは申し訳なさそうに、二人ともから目を逸らすようにして呟いた。

「えっ!? それじゃあ誰か残らないといけないじゃん!」

何やってるの、と少しだけ責めながら、少年はどうしたらいいのかあたふたするところだった。

「大丈夫だ。 俺が何とかする」

ヴァシアは言いながら、クジーアの手にしている青い紙に触れる。

途端に紙上の波と彼の心は騒がしくなっていく。

「何とかなるの?」

「何とかする」

赤い目を横目で覗くと、紙と同じように波を打たせているように見える。

光の反射ではなく、それそのものが波打つようして。

「それじゃあ、行くぜ」

彼が紙に力を込めると、さっきと同じ目の痛くなるような細かい魔方陣が同じようにして現れる。

ただその色は、血の色をして輝いていた。

クジーアは驚いて力を弱めようとするところだったが、その前にもう転送が開始されており、紙と身体が少しずつ消えはじめていた。

ミュークトはどうだろう。

さして驚いてはいないようだ。

止めれない状態の中、なるべく光を見ない様にしていたが、どうしても視界にその赤が現れて、まるで誘っているようにたゆたうのを止めない。

彼は赤い誘惑が嫌になって、目を瞑って真っ暗にしてやる。

すると一瞬見えた気がした。

真っ白のワンピースと、青く長い髪をサイドテールにした少女の後姿。

目蓋の中に映るはずも無い姿に驚いて目を開けてみても、もうそこは遠い北の地だった。

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