悪役令嬢なのに断罪回避?断罪されないなら、自滅してやるわ!
公爵令嬢ベアトリス・ド・グラシアスは、豪華絢爛な卒業パーティの広場で、静かに歓喜に震えていた。
この夜、彼女の婚約者であるアルフォンス王太子に公衆の面前で罵倒され、修道院送りを命じられる「断罪イベント」が実行されるはずだった。
(ああ、待ち遠しい。早く私をあの修道院に送ってちょうだい!)
この身体は18歳。しかし、その魂は、8年前に処刑された天才魔術師アリスの記憶を持つ、憑依した魂だった。
記憶の中のアリス(25歳)は、アルフォンス王太子(18歳)の魔術的な師だった。
アルフォンスはとてもアリスに懐いていたが、次第にアリスの才能と人望に嫉妬し、さらに、仄かな恋心を抱いていたアリスが自分ではなく近衛騎士シグルドと秘かに愛し合っていたことを知り激怒。
嫉妬と王権の維持という大義のもと、アリスに「邪悪な魔女」の冤罪をかけ処刑台の炎に送った。
処刑台でアリスが放った「復讐の呪い」と、恋人ユーリウスへ託した「自由の願い」が、ベアトリスの肉体へと憑依させたのだ。
ベアトリスが目指す修道院は、王権の魔力結界の外にあり、彼女が魔力を覚醒させ、復讐の薬を完成させる唯一の聖域だった。そのため、彼女は8年の間、「断罪される悪役令嬢」という完璧な役柄を演じ続けてきたのだ。
王太子アルフォンスは、王権の安定のための政略としてベアトリスと婚約していたが、彼の心は聖女セレスティーナにある。そして、「断罪イベント」は、王太子が愛する聖女と結ばれるための公認の儀式となるはずだった。
「ベアトリス様、まもなく王太子殿下がお見えになります」
王太子アルフォンスが、聖女セレスティーナを伴い、広間へと進み出た。しかし、彼の顔には、憎しみではなく、過去の師を殺した罪悪感と、深いトラウマが浮かんでいた。
王太子は、広場にいる誰よりも大きく、毅然とした声で宣言した。
「本日、私はここで、婚約者であるレディ・ベアトリスに対するすべての疑惑を、公的に否定する!」
広場が騒然となった。
王太子はベアトリスの前に跪き、その手を握り、真剣な眼差しで言った。
「ベアトリス、私こそが愚かだった。君が長年私にしてくれた献身を、今、ようやく理解した。私は誓おう。私は君を断罪などさせない。君は、この国の未来の王妃だ!」
(はぁ?嘘でしょ!? やめて! 私の復讐計画を台無しにしないで!)
ベアトリスは内心、絶叫した。アルフォンスの豹変は、過去の師を処刑した罪悪感によるものだと瞬時に理解できたが、それは彼女の修道院行きを無効化するものだった。
「王太子殿下、冗談がお上手ですわ」ベアトリスは冷笑した。
「冗談ではない、ベアトリス。私は本心だ」
「本心? ならば、なぜ今さら?」
彼女は優雅に王太子の手を振り払い、公衆の面前で、最も醜い言葉を吐き捨てた。
「私が聖女様を虐げてきたのは、貴方を試す愛の表現などではありません。貴方の傍にいるこの女が、私には見るに堪えないほど、醜く、愚かで、そして滑稽に見えたからですわ!」
そして、さらに致命的な一言を放った。
「そして、私は今日、貴方様との婚約を、私の方から破棄させていただきます」
王太子は屈辱と怒りに言葉を失う。
(断罪回避ですって?ふざけないで!)
ベアトリスは内心で決意した。
(断罪されないのなら、私が自ら破滅する。王太子殿下、貴方が私を裏切り者として排除せざるを得ない状況を、私自身で作り上げて差し上げます!)
その日から、レディ・ベアトリスは、復讐のための「自滅ルート」を加速させることになる――。
◇◇◇
王太子への侮辱と婚約の自発的破棄から数日後。
王太子アルフォンスが、婚約破棄を無かったことにするための工作を進める中、ベアトリスは次の致命的な一手に出る準備をしていた。
それは、王家の権威を根底から揺るがす「裏切り」の宣言だった。
ベアトリスは、夜陰に紛れて使用人の通用口の裏手にある物置部屋へと向かった。
部屋に入ると、漆黒の騎士服と兜で覆われたシグルドが立っていた。彼は、アルフォンスの裏切りに絶望し、アリスの最期の願いを叶えるため、敵対勢力の「謎の騎士」として暗躍している。
「ベアトリス様。文書は仕上がりましたか?」シグルドの声は低く、抑えられていた。
「ええ、完璧よ。これで、アルフォンスは私を裏切り者として断罪する以外の選択肢を失うわ」ベアトリスは、王家への反逆文書の複製(偽造)を彼に渡した。
シグルドは文書を受け取りながらも、静かに尋ねた。
「そこまでして、あの修道院へ行かれる必要が本当にあるのですか。我々は、別の場所へ安全に逃亡する手配もできます」
「いいえ、シグルド」ベアトリスはきっぱりと首を振った。
「修道院は、私が復讐の薬を完成させるための唯一の聖域なの。それに……王太子に最大の屈辱を与えるには、彼自身に、私を『最大の裏切り者』として断罪させる必要があるわ」
「承知いたしました。私が極秘で文書を仕掛けます。修道院での幽閉生活の間も、外部との連絡は私が極秘で担います。ご安心ください」
漆黒の騎士は静かに誓いを立て、闇夜の中に消えていった。
◇◇◇
翌日、公爵家の謁見の間には、アルフォンス王太子、そしてベアトリスの両親が揃っていた。
「ベアトリス、もう一度よく考えてほしい。君が私に求めているのは、本当に断罪なのか?」アルフォンスは懇願するように言った。
「愛? 殿下、貴方様の愛とやらには、何の価値もありませんわ」
ベアトリスは軽蔑の眼差しを向け、広間に響き渡る声で、真の復讐の目的を暴露した。
「私が心待ちにしているのは、修道院という『自由な場所』です。貴方様のような無能な傀儡が統治する王家に縛られるなど、私の高貴な血と卓越した知性が許しませんわ」
そして、彼女は偽造文書をテーブルに叩きつけた。
「私は、貴方様が憎む敵対勢力と、密かに通じています。貴方様が、私の断罪回避などという愚かな真似を続けるのならば――私は、この国の最高機密と、貴方様の致命的な失策をすべて敵国に売り渡し、貴方様の王権を根底から破壊しましょう!」
王太子アルフォンスの顔から、血の気が完全に失せた。彼は、庇おうとした婚約者が、過去の師を処刑した過去の自分と同じ「裏切り者」であることを突きつけられたのだ。
「わかった……わかったぞ、ベアトリス!貴様は、この国に対する最大の裏切り者だ。もはや、これ以上、貴様を庇うことはできん!」
「光栄ですわ、殿下」
ベアトリスは、ついに勝利の笑みを浮かべた。王太子は彼女を断罪する以外の選択肢を失ったのだ。
「直ちに、ベアトリス・ド・グラシアス公爵令嬢を修道院へ厳重に幽閉せよ! 決して外部との接触を許すな!」
ベアトリスは、修道院へと向かう馬車の中で、アルフォンス王太子への感謝の念すら感じていた。
(ありがとう、殿下。これで、私の復讐のための聖域が手に入りました。貴方様の地位と、貴方が愛するすべてを破壊するまで、しばらくお待ちくださいませ)
◇◇◇
ベアトリスは、王太子の命令により、修道院の中でも最も隔絶された北棟の地下室に幽閉された。冷たい石壁に囲まれたその空間こそが、王家の強い魔力結界が届かない、彼女が知る魔力的な「空白地帯」、すなわち復讐のための「聖域」だった。
彼女は、周囲の静寂と地下の冷気が、体内の魔力の炉心を刺激するのを感じた。
瞑想に入ると、魂の奥底に封じ込めていた過去の記憶が、鮮明な映像となって溢れ出した。
八年前、王太子アルフォンスは、アリスの自分への献身が師としての愛情でしかなく、彼女が密かに近衛騎士シグルドと愛し合っていたことを知り、私的な嫉妬と公的な大義を混ぜて彼女の処刑を決めたのだった。
灼熱の炎が迫る処刑台の上。アルフォンスの冷たい瞳と、横で微笑む聖女セレスティーナの姿。そして、群衆の中に、剣を抜こうとして他の騎士に必死に押さえつけられているシグルドの姿があった。
「やめろ、アリス様は無実だ!」
シグルドの叫びは、炎と群衆の歓声にかき消された。
アリスは、恋人の姿を最期に目に焼き付けた。アルフォンスへの「復讐の呪い」を放つと同時に、アリスはシグルドに向かって、魔力に乗せて最期の願いを託した。
「シグルド……生きて。私の魂を導いて……自由にして……」
その愛の願いが、彼女の魂をベアトリスの身体へと導き、シグルドの献身という形で実を結んだのだ。
過去の記憶と強烈な呪いの感情が、ベアトリスの魔力を完全に覚醒させた。
彼女は、修道院の地下で、覚醒した魔力を用いて、復讐のための特殊な薬を完成させた。その薬は、対象者の『最も大切なもの』を、彼自身の意志で破壊させるという、冷酷な効果を持つものだった。
(これで、準備完了よ。アルフォンス。貴方が最も大切にするものを、貴方自身の手で破壊してもらうわ)
◇◇◇
ベアトリスが精製した復讐の薬は、修道院からの「献上品」という名目で、アルフォンス王太子が主催する重要な建国記念パーティの祝いの酒に、極秘裏に混入された。
王城の大広間。王太子アルフォンスは、建国を祝う高らかな乾杯の号令と共に、祝いの酒を口に含んだ。
その瞬間、薬が発動した。
薬はアルフォンスの理性を破壊し、彼の最も深いトラウマと、王権を守るために隠してきた醜い真実を、公衆の面前で晒し始めた。
「国民よ! 貴族諸君! お前たちは、この王権の真実を知るべきだ!私は、この王権という虚飾を維持するために、裏でどれほど汚い金銭取引と不正を行ったかを! 国庫の金の半分は、私の私腹を肥やすため、そして軍事機密を買い取るために、消えている!」
アルフォンスの突然の、そしてあまりにも生々しい告白に、広間は一瞬で静まり返り、その後、凄まじい動揺の波が広がった。集まった貴族たちは顔面蒼白になり、自らの耳を疑った。
王太子のその手は次に、傍に優雅に立っていた聖女セレスティーナを力任せに指差した。
「そして、このセレスティーナだ!彼女は純粋な聖女などではない! 彼女は、隣国が送り込んだ内通者、スパイであり、私に甘い言葉を囁き、私を操って国を混乱させようと企んでいた!」
聖女セレスティーナは、顔から血の気が完全に失せ、美しい顔を怒りと恐怖に歪ませた。
「な、何を馬鹿なことを…! アルフォンス様、どうか正気に戻って! 私は、あなたを愛している聖女です!」
セレスティーナは慌てて王太子の腕にすがりつこうとしたが、彼は彼女を激しく突き飛ばした。その瞬間、セレスティーナの懐から、隣国との密約を示すような、小さな紋章入りの巻物が転がり落ちた。
王太子は、自らの手で、彼が最も守りたかった「王権の威厳」と、「愛する者」の真の姿を、国民の前に晒し、破壊した。
王家の権威は瞬時に崩壊し、聖女への告発は隣国との開戦の危機を引き起こす、歴史的な大混乱となった。
◇◇◇
ベアトリスが部屋を出ようとしたその時、地下室の扉が静かに開いた。
「ベアトリス様。計画通り、王都は混乱しています。お迎えに上がりました」
漆黒の騎士服を纏ったシグルドが、そこに立っていた。彼は、長きにわたる贖罪の旅の終わりに、敬愛する「アリスの意志を継ぐ者」に再会したと信じている。
「ありがとう、シグルド。私の復讐のための聖域は、もう用済みとなりました」
ベアトリスは、彼の騎士服の襟元に縫い付けられた、銀の百合の紋章に目を向けた。それは、処刑の炎の中で、二人が交わした永遠の愛の秘密の印だった。
ベアトリスは静かに微笑み、彼が誰にも話していない、処刑直前の最も切ない言葉を口にした。
「その百合の紋章は、『私が自由になるまで、決して外さない』と、炎の中で誓ってくれた約束の印でしたね? あなたの涙の誓いを、私は決して忘れていませんでしたよ」
シグルドの全身が、激しい衝撃と戦慄で大きく震えた。その言葉は、処刑台の炎の中で、騎士としての職務に縛られながらも、彼がアリスへ向けて静かに流した涙の、唯一の証だった。
「……その言葉……」
シグルドは、音を立てて兜を地面に落とした。彼はベアトリスに駆け寄り、その足元に崩れ落ちるように跪いた。
「アリス様……! 信じられない……あなたが、まさか、このベアトリス様の身体で……! 私の愛しい、あなただったのですね! 8年間、私を許さなかったあの炎の中で、本当に生きていてくださったのですね!」
シグルドは、ベアトリスの小さな手を力強く握りしめた。彼の流す涙は、傍観者としての深い贖罪と、最愛の恋人との再会という、耐えきれないほどの歓喜の入り混じったものだった。
ベアトリスは、シグルドの頬に優しく触れ、涙を拭った。
「ええ、シグルド。私は、あなたとの『自由になる』という約束を果たすために、戻ってきたのよ。あなたの愛が、私の魂を導いてくれた」
彼女の瞳は、もはや憎悪の炎ではない。愛する人の前で、初めて、ベアトリスではない「アリス」としての穏やかな微笑みを浮かべた。
「さあ、立って私の騎士様。もう、跪く必要はないわ。私たちはこれから、誰も邪魔できない、私たちだけの自由な人生を始めなければなりませんから」
シグルドは立ち上がり、ベアトリスを抱きしめた。それは、8年間の孤独、苦悩、そして復讐の旅路が報われた、愛の成就の瞬間だった。
夜明けの光が修道院の小さな窓から差し込み、二人の姿を照らした。
ベアトリスは、シグルドと共に、復讐という名の呪縛から完全に解放された、愛と自由の旅路へと、静かに、そして力強く踏み出した。




