森で遭遇した男の人
ゾーンゼロスが一人の少女と森で遭遇する数分前――。
うっそうと茂る深い森の奥、静かに佇むヴァンセリーヌ学園。
魔女の素質を持つ少女だけが通う、魔女育成学園世界で四つうちの一つがヴァンセリーヌ学園。
その廊下を、一人の少女が足早に歩いていた。
「――ジェーヌ!」
名を呼ばれた私はぴたりと歩みを止め、ゆっくりと振り返った。
「なに、アヤカ」
そこに立っていたのは、同じ寮の自室である、同居人のアヤカだった。
童顔で、くるりと大きな垂れ目と澄んだ青い瞳が印象的だ。
黒髪のショートヘアには、いつもと変わらず可愛らしい花の髪飾りが揺れている。
学園指定の漆黒の制服に、ひらひらとしたフリルのスカート。
すらりと伸びた足には黒のストッキングがよく似合い、彼女の可憐さを際立たせていた。
アヤカは、私の顔を覗き込むように小首を傾げる。
「お昼、一緒に食べない?」
誘いに私は一瞬、眉をひそめた。
「遠慮しておくわ。私、行く所があるから」
そう言い放ち、私はくるりと踵を返す。
「また、森で魔法の練習……しに行くの?」
アヤカの問いが、背後から追ってくる。
一歩、二歩と踏み出した所で、私は再び足を止めた。
振り返りはしない。
「ええ……そうよ」
わずかな沈黙の後、私は静かに答える。
「……そう。うん、わかった。気をつけてね」
「……ええ」
短い返事を残し、私は振り返る事なく、再び廊下を歩き出した。
ヴァンセリーヌ学園の正門を抜け、私は迷いなく森へと向かった。
◆ ◆ ◆
森の中へ深く進んだところで、丁度良い練習場所を見つけた。
「ここなら、ちょうど良いわね」
私は良い練習場所を見つけるなり、すぐに杖を構え、目の前に立つ一本の太い木と向き合った。
「すぅー、はぁー……」
私はゆっくりと目を閉じ、深く息を吸い込み、そして吐き出した。
意識を研ぎ澄ませ、体中の魔力を感覚で捉える。
「……!」
そして私は大きく体を右に捻るようにし、そして勢いよく、握りしめている杖ごと腕を真っ直ぐに突きつけ、一本の太い木に向けて。
「ファイアーボール!」
――ゴオォォォッ!
私の叫びと同時に、杖の先から淡い灼熱の炎の塊が勢いよく飛び出した。
それは空気すら焦がすような熱を放ち、一瞬で太い木へと吸い込まれていく。
――ドォンッ!
轟音と共に、淡い炎の球が木に激突した。
衝撃で周囲の葉が震え、熱波が顔を撫でる。
命中した箇所からは、焦げ付くような匂いと白い煙が立ち上っていた。木の幹は黒く焼け焦げ、表面がささくれ立っている。
「……よし」
私はゆっくりと杖を下ろし、荒い息を整えた。
額にはうっすらと汗が滲んでいる。
まだまだ完璧には程遠い。
威力は申し分ないが、狙いはもう少し精度を上げたいところだ。
私はもう一度、深く呼吸をした。
次こそは、もっと完璧な一撃を。
そう心に誓い、再び杖を構え直した。
森の奥には、まだ私の魔力練成につき合ってくれる木がいくらでもあった。
それから私は何度も一本の太い木に向けてファイアーボールを放った。
ファイアーボールの練習をひとしきり終えると、私は別の魔法の練習も始めた。
よし!次は雷魔法"のライトニング"だ。
「ライトニング!」
――バチィッ! ズザザザッ!
杖の先から淡い光が放たれ、狙い違わず太い木の幹に直撃する。
小さな亀裂が走り、焦げ付いたような跡が残った。
――その時。
(……!)
私は誰かに見られているような、そんな気配を察知した、私は反射的に振り返り、辺り一面を左右見渡しながら。
「……!そこにいるのは誰っ!」
私がそう声をあげると茂みから姿を現した。
いつでも攻撃できるように、私は直ぐに杖を構えた。
「悪い、驚かせるつもりはなかった」
(…男の人?)
茂みの中から現れたのは、歳は二十歳ぐらいの若い青年でしかも――。
「ちょ…ッ!?///」
私は咄嗟に両眼を左手で覆い隠した。
「あ、あなた…!何で裸なのよ!?///」
「…む?」
私の指摘に、彼はなぜか首を傾げる。
「ああ、すまない。眼が覚めたら、この姿のままだったんだ」
一瞬、「どういうこと?」と問い詰めたくなったが、それよりも先に言うべきことがある。
「と、とりあえず!///その辺の枝とかツタとかで、下半身だけでも隠して!?///」
「ああ、わかった」
若い青年は渋々といった、様子で背を向け、ツタと枝を拾い集め、下半身だけをなんとか覆い隠した。
だが、それでもやはり…うぅ〜…///。
「コホンッ!えーと…まずは質問していい?変質者さん」
「ん?変質者?誰が」
「アンタよ!」
「俺が?失礼な。俺は変質者ではない!」
(いや、その姿で変質者じゃないって否定できないでしょうに!なに、堂々と仁王立ちしてるの!?この人は!?)
「と、とにかく!ここは神聖なる、立派な魔女を目指す、“ヴァンセリーヌ学園”近くの森よ。一般の人はまず入れないはずよ」
「…ん?それはどう言う事だ?」
「あなた…本気で言ってる?」
彼の動きと態度からして、私は彼が本当に状況を理解していないのだと悟った。
怪しい事この上ないが、警戒心よりも困惑が勝ってしまう。
まるで世間知らずの子供が、初めて社会のルールに触れたかのような反応だった。
「もしかして、記憶でも失くしてるの?」
「いや、そんな事はない。現に自分の名前ぐらい覚えているぞ」
「ふーん…。ちなみにあなた、なんて名前なの?」
私はまず、先に彼の名前を知る事から、話を進めようと考えた。
「俺か?俺の名前は――"ゾーンゼロス"だ」
「ゾーン…ゼロス…?変わった名前ね」
「そうか?これでも次元の狭間を守護する戦士の名に相応しいと自分自身、気にっているんだがな…」
ゾーンゼロスと名乗る青年は、腕を組みながら顎に手を当て、「むむむ…」と難しそうな表情を浮かべる。
その様子は、まるで世界の存亡に関わる重大な問いに直面しているかのようだ。
(――ん?)
彼の言葉に引っかかりを覚えた私は、思わず問いかけようとした。
「ねえ、あなたさっき――」
「シー…ッ!」
私の声にかぶせるように、彼は険しい表情で人差し指を唇に当てた。
その真剣さに、私は息をのむ。
「な、何?急に」
私が戸惑う中、彼は周囲を警戒するように森を見渡す。
そして今度は、空を見上げ、視線だけを動かし何かを探している。
――ピキッ。
耳元で、ガラスにひびが入るような乾いた音が響いた。
思わず「え…?」と呟き、私も彼と同じように空を見上げる。
――ピキッ、ピキッ、ピキピキピキッ。
「な…何…あれ…?」
私の視線の先、澄み渡る青空に、まるでガラスの破片を散りばめたような亀裂が出現していた。
それは瞬く間に広がり、不気味な模様を描いていく。
――パリーンッ!
ついに、空の亀裂はけたたましい音を立てて砕け散った。
無数の破片がキラキラと光を反射させながら地上へと降り注ぐ。
そして、その破片が散った後には、巨大な空間の亀裂に穴がぽっかりと口を開けていた。
その亀裂の穴から「ギャ"オ"ォ"オ"ォ"オ"オ"ー!」と、世界の理を捻じ曲げるような咆哮が響き渡る。
音の震えが鼓膜を突き破り、全身の細胞を不快に揺らした。
巨大な空間の亀裂の穴から、現実を塗りつぶすかのような影が姿を現す。
それは鋼鉄の鱗に覆われ、無数の歪んだ目が光る、異形の巨大生物だった。