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特務魔導師真壁正義  作者: 安藤ナツ


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3/4

真壁正義は徒手空拳が好き。

 近接での徒手格闘が好きだ。

 勿論、剣も槍も斧も棍も鎚も使っていて楽しい。

 だが、やはり徒手空拳には徒手空拳の良さがあり、代替は難しい。

 人類の叡智の結晶たる武器を用いない蛮行。極めて原始的で野蛮極まりない、手足を使ったシンプルな攻防。これこそが、暴力の根源であり、ほっとする安心感がある。暴力にとって素手とは故郷だ。あの当代最強の尼僧がそうであるように、究極的に言ってしまえば闘争は四肢があれば足りるのだから。

 故に、格闘戦は柄にもなく、血が滾る。ただ暴力を楽しむだけではなく、文明人らしく闘争に昂ぶりを憶えてしまう。きっと、それはぼくだけが感じる錯覚等ではなく、過去にも同じ気持ちだった人間が無数にいたのだろう。そうでなければ、人をドツキ回すだけの技術を連綿と継承し続けるわけがない。この事実だけで、人類を愛するに十分な理由となるだろう。


「っふ!」


 ただ、残念ながらぼくが徒手空拳の格闘術を楽しむ機会は少ない。

 身長――二〇七センチメートル。

 体重――一三〇キログラムオーバー。

 両親の愛情の下でスクスクとツキノワグマのように育ったぼくにとって、大抵の存在は酷く小さくて脆弱極まって感じられる。技術を使うまでもない。恵まれた肉体を振り回すだけで、ぼくは大抵の相手を殺してしまえる。

 でかければ強い。

 この単純な真理を、ぼくの身体は体現している。

 これは極めて幸福なことであると同時に、やはり同じくらい不幸なことだ。

 踏み込み、腰を回し、腕を突き出す。すると、ネズミオニの小さな身体が大袈裟に吹き飛ぶ。貫き手にした指先から伝わって来るのは、奴の貧相な毛皮を貫き、貧弱な筋肉を穿ち、脆い頭蓋骨を砕いた感覚。身長と肉付きを踏まえて考えれば、奴の体重は四〇キロにも満たないだろう。体重差は八十キロ以上、ぼくと真っ向から勝負するにはあまりにも軽すぎる。連中の命と同じくらい、軽すぎる。

 たしかに、これはこれで楽しい。

 鎧袖一触。

 二十五年間鍛え続けた肉体が文字通りに叩き出す目の前の光景が自尊心を満たす。『無銘』を使うまでもなく、手刀でネズミオニの首が千切れ飛ぶ様には心が躍る。自分の力が不可逆な結果を産み出し、不俱戴天の敵たる界物の恐怖が掌から伝わって来るのはとても嬉しいことだ。機を窺って決死の覚悟で背後から飛び掛かって来た勇敢な彼の腹に、振り向きながら左肘を叩き込んだ時には満足と寂寥の相反した感情が胸に湧く。

 暴虐の渦となり、破壊を繰り返し、ただただ死を振り撒く。これ以上の贅沢も中々ない。

 だが、それでも贅沢を言いたくなるのが浅ましい人間の性。沢山の命を奪い屍の山を築いて血の河を歩きながら、もう少し歯応えが欲しいとぼくは願ってしまっている。

 ネズミオニ。正確にはコウヤネズミオニは、鬼種(亜人種の言葉はぼくが生まれる前に人権的な配慮から鬼種へと変わった。あまりにも下らないことだ)の中では小型よりの中型種で平均して一三〇センチ程度の身長しか持たない。メスを頂点とした女系社会を形成し、オスは精子提供以外の役割を殆ど持たず、ある程度成長すると群れを離れて他の群れを探す。障壁こそ持つものの戦闘的な魔術は一切持たず、代わりにあらゆるモノを摂食可能とする『不完全栄養摂食』によって生存競争を勝ち抜いて来たと考えられる。この術式は口にしたものを強引にエネルギーへと変換する術式だと考えられ、コウヤネズミオニは土だけを喰って半年以上の生存が可能だ。オスと地面さえあれば出産すら不可能ではなく、半年もあれば群れの規模は五倍に膨れ上がる。通常であれば、その爆発的な繁殖能力を環境が支えることができずに淘汰圧がかかるのだろうが、コウヤネズミオニは自らが不毛の大地へと変えた土地を喰って穴を掘って巣を作る。コウヤネズミオニ以外が生きることのできない、天敵の存在しない楽園の誕生だ。

 なんて素晴らしい生命の営みだろうか? 自らが産み出した不毛の大地が、天敵を退ける自然の要塞となる所が特に芸術点が高い。連中は荒廃させることに限って言えば人間以上の才能の持ち主だと言えるだろう。ぼくの敵と呼ぶに相応しい界物だ。

 だが、その性質が故に個としての限界が知れている。

 繁殖能力と生存能力に特化した結果、彼等彼女等の牙は頑丈であるが短く、その爪は貧弱極まりない。また、その心に闘争心は宿っていない。強力な武力を持つ天敵に侵入された場合、コウヤネズミオニは無数にいる群れの仲間が自分の身代わりになることを祈って逃走する以外の選択を持っていない。

 個人の武勇を持たなければ、群れで相手を襲う狩りすら知らない。その暴力の限界は、群れの中の喧嘩が精々。命を奪う闘争なんて、恐ろしくて仕方がない。

 だから、連中の攻撃は生温い。殺される寸前まで追い詰められても、相手を殺すと言う気迫がない。ぼくに襲い掛かって来るのも、狂乱の結果であってそこに本人の意思はないのだろう。

 そんな相手に拳を振るって生まれるのは虐殺であって、戦闘ではない。数日前に倒したウロコツノシカのボスの鋭さと威厳と比べて、この戦場にあるのはなまくらばかり。研鑽し高めた技術を使うには値しない。そこが少し物足りない。

 ぼくは暴力が好きだ。

 暴虐が、虐殺が、鏖殺が、蹂躙が好きだ。

 だが、そこに闘争がなくては少し味気なく感じてしまう。

 苦境が、苦難が、困難が、逆境が好きだ。

 だから、今回の作戦は少しだけ寂しい。

 しかし、命を奪っておいて、なんたる言い草だろうか? この傲慢も度し難い。


「誰かぼくを殺してくれないか? 一切の慈悲もなく」


 レーダーに映る最後の一匹の頭骨を踏み潰し、自身の罪深さに許しを請う言葉が思わず漏れる。神がいるなら、傲慢なぼくを裁いてくれ。


「御冗談を。あんたを殺せる界物が出たら、この世の終わりだよ。真壁正義特務魔導師殿」


 興奮状態から出た恥ずかしい独り言に、監視役の子安さんが大袈裟な相槌を打つ。多分、親父と同じ年頃。道中の所作を見るに退役軍人ベテランで間違いなさそうだ。三〇年の軍役後、地元で協会の魔導師として再就職した口だろう。手にした散弾銃型術式の山茶花が、何処か眠たそうな顔に良く似合っている。


「噂に違わぬ戦闘力。どちらが怪物なのか、わかったものじゃあねえ」


 しかしどうにも子安さんの台詞には棘がある。

 まあ、本部の横槍で無理矢理捻じ込まれた魔導師が好かない気持ちもわかる。ネズミオニの退治程度で援軍を寄越されるなんて、現場の人間からしてみれば『お前達だけじゃ頼りないから助力頼んどいたぞ』と言われたようなものだ。自ら進んで界物と戦う気概のある血の気の多い魔導師にとって、それは殆ど侮辱のようなものだ。

 だけど、ぼくだって上の命令で逆らえずに参加しているだけなのだが? 前の仕事の報告に行ったら、お宅の支部の偉い人に頼まれて仕方なく参加しているだけ。ぼくだって被害者だ。その怒りは戦場と魔導師のプライドを知らない事務連中にぶつけて欲しい。


「子安さん。これでここは終わりですか?」


 まあ、ただぼくも大人なので嫌味を無視して建設的な会話を試みる。足元に散らかしたネズミオニの死骸はどれも悲惨の一言に尽きる。子供から妊婦まで、徹底的に殺し尽くした。この倉庫でまともな形をしているのはぼくと彼だけだろう。掃除が大変そうだ、と他人事のように思う。

 実際、他人事だ。


「ああ。レーダーに反応はねーよ。皆殺しだ。たった一人でよくやる」


 忌々しそうに子安さんが吐き捨てる。そんなに嫌わないでよ、傷つくなあ。

 そもそもの話、結界でネズミオニを狩場に追い込んだ後に包囲殲滅すると言う今回の作戦で、ぼくは追い立て役に終始するつもりだった。招かれざる客は大人しくしてようと思っていたのだ。だが、その提案は蹴られた。余所者が混じると連携に支障が出るとか言って。

 だから、仕方なくぼくは狩場の一つを単独で請け負った。別に地元の魔導師と協力しても良かったんだけど、他所の物が混じると邪魔だと言う話だしね。


「特務魔導師ってのは、全員があんたみたいに出鱈目なのか?」

「どうでしょうね? 結局、ぼくは資格だけとって軍を辞めちゃいましたから」


 嘘。

 本当は、歓迎会で元特務魔導師だと言う偉い爺のお洒落な帽子を踏んでしまったことが原因で軍から除籍された。帽子の中身が入ったまま踏んづけたのが不味かったらしい。でも、まあ、むかついたんだもん。仕方ない。


「お喋りはほどほどにして、他の隊の助勢に向かいましょうか」

「必要ない。ネズミもどきに足元を救われる奴等じゃあないからな」


 ネズミもどき。

 だったらぼくらは『サルもどき』だろう。


「退役軍人らしからぬ物言いだ。界物はぼく達の敵。殺し尽くすまで油断は大敵。作戦室に帰るまでが作戦。敵を侮り、油断した者から死んでいく。貴方が軍役を満期で終了できたのは、それを理解していたからでしょう?」

「だったな。流石は特務魔導師殿。雑魚相手に戦っている時にもまるで隙を見せねえ。味方の俺ですら、あんたは常に警戒していたな。大したもんだよ。きっと、俺達とはモノが違うんだろうな」


 そりゃあ、まあ、ぼくと貴方は別の人間だからね。この世に同じ人間なんて一人もいない。当然のことだ。わざわざ口にするまでもない。


「真壁正義特務魔導師。あんたは軍人だ。俺だって軍人だった。あんたが正しいのはわかっている。俺がやっていることは八つ当たりさ」


 それも知っている。わざわざ口にすることでもない。


「でもよ! どうしても思わずにはいられねえ! あんたほどの男なら、孫を助けられたんじゃあないのかってな!」


 ん? んん?

 急に話がわからなくなったぞ? 孫? 助かった? 


「あの、何の話ですか? 勘違いしていませんか?」

「勘違いなんてするわけねえ! 孫のことだ!」

「いや、孫って言われても」


 本当に何の話だ? 確かにぼくは小さな子供を見ると可愛さに噛り付きたくなる衝動に駆られることもあるが、実行したことはない。勿論、夜な夜な子供を攫ってスープにして食べたこともないし、その柔らかな肌を使った革製品を作る趣味もない。子供を故意に傷付けたことなど一度もないと、破壊と殺戮の神に誓っても良い。


「二年前の晴丘動物園。幼稚園の遠足に行った切り、孫は帰ってこなかった」


 二年前の晴丘動物園。

 これは良く覚えている。不運にも天使が堕ちた日だ。彼女を中心に三キロ弱の範囲の法則が書き換えられ、数多の動物と一万人に届く来場者が異形の界物へと変貌した。軍と協会が共同で天使の討伐に挑み、ぼくもその中の一人だった。

 おぞましい快楽の天国だった。

 或いは、素晴らしき地獄の底だった。

 死闘の末に天使は討たれたが、魔導師の損耗率は三〇%を超え、被害者の九十九%以上が亡くなり、数少ない生存者も肉体や精神に甚大な傷を残し無事な者等一人もいなかった。ここ五年間でも三本の指に入る悲惨な事件であっただろう。

 彼はその被害者家族だったか。

 でも、ぼく関係なくないか? 


「考えちまうんだ。あんたが助けた子供が、俺の孫だったら良かったのにってよ」


 本当に苦しそうに、子安さんが台詞を絞り出す。

 心が弱った時、人は何かに縋りたくなる。だが、それと同じくらい、弱った人間は誰かを恨みたくなる。悪者を糾弾し続ける限り、そうする自分は正しい側でいられるからだ。

 突然に愛する孫を失った子安さん。可哀そうな子安さん。恐らく晴丘動物園にも自ら参戦したのだろう。あの狂気の支配する地獄で僅かな希望に縋った子安さん。その結末は絶望で終わり、自らを散々に責めたに違いない。そして、その自責にも耐えられなくなり、他人の成功を妬むようになった。

 なるほど。

 理解に苦しむ。そんな弱い気持ち、ちっとも共感できない。

 まったく。元軍人とあろう者が、蒙昧極まる。

 退役したとは言え、それでも誇り高き日本魔導師か?

 脆弱な精神。

 軟弱な魂。

 そんなのは、ぼくの趣味じゃあない。

 弱さから産まれた全てのモノを、ぼくは憎む。


「それで? 恨み言をぼくにぶつけて意味あります? 失ったモノを数えて、救えるモノを見捨てますか? 同じような被害者を出さないためにも、ぼく達は他の助勢に行くべきだ。他の倉庫では今も皆が、戦っている」


 弱さは悪だ。唾棄すべき邪悪だ。

 権力争いごっこの範疇なら嫌味でもなんでも言えば良いけど、戦場に弱さを持ち込まれるのを許すことはできない。此処は聖地であるべきなのだ。

 子安さんの態度に、らしくもなく語調が少し厳しくなってしまう。


「ああ。わかってる。俺は間違っている。だけどさ、もう、戻れねーのさ!」


 いや。戻るって言うか、みんなの場所に行こうって話をしているのだが。

 興奮のし過ぎなのか、イマイチ話の通じない子安さんを訝しく睨むと、彼は泣き笑いのような表情でポケットから手のひらに収まるサイズの奇妙なものを取り出した。

 奇妙なものは、もう奇妙なものとしか言いようがない。無理矢理例えるなら、干し肉みたいになった猿の脳味噌だろうか? 流石のぼくも直接ポケットに入れるのを躊躇うようなグロテスクな一品だ。

 それを、あろうことか子安さんは自身の口の中へと押し込んだ。

 親父もそうだけど、あの年代のおじさんの衛生観念の無さには辟易する。子安さんも、飲みかけのボトルコーヒーを一晩常温で机の上に放置して、翌朝には平気で飲んでしまうタイプのおじさんだろう。きっと、トイレでもさっと湯通しみたいな時間しか手を洗わないに違いない。

 って言うか、仕事中に物を食べるって普通か? しかも論争していた相手を目の前に。脈絡なさ過ぎるだろう。意味がわからん。もう、子安さんに対して怒っているのか呆れているのかもわからんくなって来たな。


「『正義。マナ濃度が高まっている!』」


 硬そうな肉片? を咀嚼する子安さんを眺めること十秒足らず。珍しく瑠々が通信で叫んだ。


「『次元振も感知。尋常じゃあない!』」


 そりゃ、この人は尋常じゃあないよ。

 そう冗談を返そうとした時、ずずっと子安さんの足元の死体が動いた。生きていたわけじゃあない。はらわたが蛇のようにうねうねと床を這い、眼球がころころと転がって軍靴へと溶けるようにめり込んでいく。坂を転がる石のように、肉片や血潮は刻々と速度を増し、倉庫中の一斉に死骸が粘度の高い液体を思わせる動きで子安さんへと集まって行く。


「『瑠々! 何が起きている!』」

「『小規模ながら次元に穴を空けている! 死体を対価にした生贄に近い儀式術式だ! 恐らく、上位者とコンタクトを取っているぞ!』」


 相棒オペレーターの推測は正しいのだろう。

 しかし、異界の上位者との接触? そんな術式をぼくは知らない。

 どんなに力を欲したとしても、忌々しい異界の神々から力を借りるような術式を日本人が望むわけがない。ならば、目の前で発動しているのは異端どころか異教の術式だ。こんなもの、退役した地方の境界の魔導師が知っていていいものじゃあないぞ?

 しかも、倉庫中の死骸が集まって冒涜的な巨大肉塊となった子安さんの姿は、どう考えても真っ当で平和的な術式には思えない。


「『で、瑠々。これから何が起きるんだ?』」

「『それは俺にもわからん。ただ――』」

「『ただ?』」

「『――友好的な展開にはならないだろうな』」


 良いね。

 大好物だ。

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