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1.テオドール

「ねえミレナ、このお部屋に、とーさんがいるの?」

「うん、ここがテオドールのお部屋だって、ここにマルコスのとーさんがいる。開けてみよう」


 ミレナは明日結婚して夫となる人の部屋の前にいた。


 同じ屋敷で暮らしていると聞いていたが、彼と顔を合わせたことはまだ無い。

 いくら待っても彼はミレナとマルコスに会いに来ない、だからこちらから来たのだ。 


 何度ノックしても返事が無い扉を、思い切って開ける。中は昼だというのにカーテンが閉められて薄暗い。マルコスが手を繋いできた。4歳の男の子の手は小さくぷにっとしている、ぎゅっと握り返して、そおっと中に入った。


 ベッドの上に横たわる男性の体があった。

 獣騎士団で最強と名高ったグリフォンの騎士、テオドールが眠っている。暗闇の中に見える白い顔は眉根を寄せて苦し気だった。


「ミレナ、怖い」

 17歳の女である自分も正直怖い。寝ているとはいえ知らない男性の部屋に勝手に入ったのだ、彼がいきなり起きて怒ってきたらどうしよう。


「あのねマルコス。このねんねしている男の人は心がだんだん冷たくなって、放っておくと凍って死んでしまうの、だから助けてあげたいの。マルコスお手伝いしてくれる?」


「死んじゃう? 母上みたいにお空の国へ行ってしまうの?」


 小さなマルコスの体を抱きしめた。

「テオドールはマルコスの父上を守ってくれたの。だからとっても大事な人なの。だから死んでしまわないように……」


 ミレナはそこで何と言えばいいのかはたと考えた。どうすれば冷たくなっていくテオドールを助けることができるのだろう?


「ええとね、心は胸の所にあるのかな…… だから胸のところにお手てをくっつけて、あったかい、あったかいしてあげよう」


 自分で言ってはみたものの、そもそも若い男性に触ったことなどない。かなり怖かったが人指しゆびで肩の所をちょんっとつついてみた。彼はピクリともしない。

 マルコスも真似て指でちょん、ちょんと触った。


「なんか……くちゃい」

 もわっと漂う体臭。確かに臭い。テオドールはどうやら長いこと風呂に入っていないようだ。髪はベトベト髭も生えている。

「いいこと考えた、お風呂に入れてあげよう。そうしたら胸もあったかくなる。マルコス手伝ってね!」


                ◇◇◇   ◇◇◇


 空が真っ赤になるほど王宮が燃え上がった日、ミレナはグリフォンの背に乗せられて隣国ファジランへと逃がされた。兄アレックスとミレナの祖母の実家である大公家の別荘にアレックスの嫡男マルコスと共にかくまわれている。


 獣騎士団と第一王子であるアレックス兄は、反旗を上げ王都を占領した王太后と第二王子派と戦い、王位取り戻すべくバトラン国に帰った。3カ月の後、兄は王都を取り戻しバトラン国王となった。


「ミランよ、私との約束を実行する時が来た。テオドールと夫婦となり、マルコスの母となって旅をしてバトラン国へ帰ってきておくれ」



 大公家の別荘には大きな浴場ある。

 大理石でできた浴室の床に、背の高い大男が仰向けに寝かされている。その下には毛布があり、頭側の両端をつかんだミランとマルコスが、赤い顔でハアハア息をついている。


 長い廊下を、毛布に大男を乗せて、うんしょ、うんしょと引きずってきたのだ。途中で見かけた使用人の女性が手伝ってくれたのでなんとかたどり着けた。


 ベッドから降ろす時に、ほとんど落としたといっていい勢いでドスンと落ちたがテオドールは起きなかった。それで二人はもうこの怖い感じの男は目を覚まさないと確信して、ちょっと安心した。それからテオドールの扱いがかなり雑になった。


「よーっし、お湯をかけよう!」

 大浴場の大きな湯船から、桶にお湯をくんでどぱーっと彼の上からかけた。マルコスが喜んで、何度もお湯を運んできては掛ける。顔にお湯が掛かると、テオドールの顔がふるふるとちょっと動いた。


 石鹸をたくさんつけて、服の上からごしごし擦る、彼の体はとにかく大きい、足も手も長いし、胸やお腹は硬い。マルコスと一緒に「ごっしごしー」と歌いながら、彼の体を泡だらけにした。何度か洗うと黒い髪がようやく泡立った、泡まみれにして、ついでにマルコスをはだかんぼにして、いっしょに洗ってあげた。きゃあきゃあマルコスが喜んで、テオドールの頭の泡をつかってシャボン玉をつくって遊んだ。


 テオドールが「ううう」と声を出した。

 ミレナとマルコスはびっくりして黙ると、彼の頭の両側に座り込んで顔を覗き込んだ。

 黒い髪と同じ、黒い長い睫毛がぴくぴく動く。

 ゆっくりと目が開くと、そこには少し青みがかった美しい黒い瞳があった。


 黒い瞳はぼんやりとしていたが、ミレナをみると「ああ?」と何かを聞いた。低い心地のいい声だった。そしてむくりと体を起こしたので、ミレナとマルコスはびっくりしてちょっと後ずさった。


 テオドールの頭から泡がボタボタ落ちる。彼は手で髪をかき上げると「なんだ?」と不思議そうにあたりを見てから、はっきりと目覚めた顔で、ミレナとマルコスを見た。


「初めましてテオドール。あなたの妻になるミレナです」

「マルコスだぞ。4さい」


 髭面(ひげづら)の大きな男は、目つきを鋭くした。それはまるで、おまえ達のことなんかどうでもい、ここからすぐに出ていけと言っているようで、ミレナはすごく怖くなった。牙を見せて唸る大型犬のような近寄り難い雰囲気だった。


 しがみついてきたマルコスを抱きかかえてすぐにここから逃げ出したかった。それでも彼にどうしても伝えねばならないことがあった。

「明日結婚の誓いをするので神殿に行きます。だから起きてくださいテオドール」


「けっこん……」

 テオドールがつぶやくと泡が垂れて彼の目に入って痛そうに片目を閉じる。

 桶にお湯を入れてミレナが差し出すとマルコスが「おめめいたい、いたいね」と言った。


 テオドールが桶のお湯で顔をぬぐって、不思議なものを見るように、はだかんぼのマルコスを眺めてから思い出したように言った。


「そうだ、アレックス王子と約束をした。ミレナ王女殿下と結婚して夫婦となり、マルコス王子の父となる。そして王都に二人を無事送り届けたら……俺は、グリフォンの谷に連れて行ってもらえる」


                ◇◇◇   ◇◇◇


 翌日、髭を剃ったテオドールは堀の深い顔立ちで、目がきりっとした男性だった。ひどく痩せこけているのでご飯をたくさん食べさせなけれはとミレナは思った。昨日のお風呂の甲斐が会って、彼の隣に立つととてもいい匂いがした。だから神殿で並んで誓の言葉を言う時、ミレナはとても気分が良かった。

 結婚の誓いはあっという間に終わって、なんだかとても簡単に結婚ができた。


「あのねマルコス。これからテオドールのことを父さんと呼ぶの、それから私のことは母さん」

「えー、ミレナはミレナだよ」


 マルコスがむうと不機嫌になる。

「じゃあ、テオドールは父さんで、私はミレナ。それから私はテオドールを旦那様って呼べばいいのかな?」


 見上げる長身のテオドールに聞くと彼はちらりとこちらを見て「なんでもいい」と低くぼそりと興味なさげに答えた。


「それならテオにする。私のことはミレナと呼んでね」

 

 兄が待つバトラン国までの、かりそめの親子だけれど……自分に家族ができる。

 6歳からずっと山の中の神殿で暮らして、最後の2年は一人ぼっちで塔に閉じ込められていた。


 この3カ月一緒に暮らして仲良しになったマルコスと、なんだか怖そうだけどいい匂いのするテオが私の家族になる。嬉しいなとミレナは心が躍る。


 一人ぼっちじゃない、なんて素敵なんだろう。

 王都に戻ったら、またあの塔に閉じ込められる。そうしたらまた一人で生きていくのだ、ずっと死ぬまで。これからする旅の間だけ私に家族ができる。だからこれは私がもらう人生最高のご褒美なのだ。


「あのねテオ、とってもいいことを教えてあげる。マルコスのつむじはすごくいい匂いがするの、これをくんくんしたら、ほわーっと幸せになれるの、かいでみて」


 テオドールが眉根を寄せる。マルコスがかいでもいいぞと頭を彼に向けた。栗色のサラサラした真っすぐな髪はおでこのところで切りそろえれらている。青い瞳は得意満面だ。なぜなら毎日ミレナに「いい匂い」と言われ続けて、僕の頭は最高!と思っている。


 そんなかわいい王太子様に気を使ったのかテオドールはしぶしぶといった顔をしながらも、しゃがんで、マルコスの頭に顔を近づけた。


 おおっ! と彼の顔が驚きを見せた。

「でしょ、すごくいい匂い!」

 テオがうなづくと、よしよしとマルコスの頭を撫でた。

 マルコスがテオの頭をかぎたいというと、彼はしゃがんだまま頭を下げる。マルコスがくんくんした。


「ミレナ、とーさんはすーごくいい匂い。あわあわの匂い」


 それは匂いたい! ミレナが慌て「私も」と鼻を近づけるとテオドールが素早く立ちあがった。


「断る!」

「なんで?」


 テオドールが思い切り眉根をよせて、不可解なものでも見るかのようにミレナを見下ろした。


「結婚は、旅をする時に周りから怪しまれないようにするためだ。本当に夫婦になった訳じゃない。俺はあなたに触らないし、あなたも俺に触らないでくれ。話し方は庶民の夫婦のようにするけれども、あなたは王女なのだから慎みを忘れてもらっては困る」


 ミレナはとても残念だった。良い匂いのするものが大好きで、日々それらを求めて生きている。この目の前にいる旦那様になった人は、隣に立っただけでいい匂いがするのにくんくんできないとは……


 それでも、このテオドールがどんな人かはまだ分からないけれど元気になって欲しいと思う。

 兄の命を救うために、大切な魂の友を失ってしまった人。

 グリフォンの騎士は自分のグリフォンを失うと自分の中に閉じこもって飲まず食わずで生きることを放棄して衰弱して死んでしまうのだという。


 昨日テオドールはグリフォンの谷へ連れて行ってもらえると言った。

 その言葉にミレナは胸が痛くなる。


 死んだグリフォンの魂は騎士の心の中に残される。グリフォンの谷に連れて行くと、ようやく魂は騎士から離れて天へ還ることができる。その時、魂の友であるグリフォンは騎士を呼ぶのだという「共に天に還ろうと」だから、死んだグリフォンの魂を追って、騎士は谷から飛び降りる。


 なんて悲しいんだろう。テオドールは兄様と約束をした、だから私達と旅をすることにしたのだ。旅の終わりに、褒美として兄様がテオドールをグリフォンの谷に連れて行く。


 テオドールは結局のところ、じっと閉じこもって衰弱して死んでしまうか、グリフォンの谷に行って、魂の友を追って谷から飛び降りて死んでしまうか、そのどちらを選んでも死んでしまうのだ。


 旅の間しか一緒にいられないけれど……

 それでもこの人の心が少しでも温かくなりますように。どうすればそれができるのか分からないままに、ミレナは強く願った。

 

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