1-08 ちるさば!~Children, survive!~
誰もが淘汰されていくこの世界で、子どもたちは今日も生き延びる。
大切なものを守るため。
前へ進むため。
望みを叶えるため。
夢をみるため。
そして、幸せになるため。
ただ一日、今日を生き延びていく。
『大和魂は、ロリコン魂であります!』
時の首相・岸倍信次は、街頭演説で声高に主張した。かつての婚姻の形について熱弁し、それらを引き合いに出して『日本人は元来ロリコンなのだ』と主張する学者たちの意見を軒並み認める宣言を出したあと、国民的魔法少女ヒロインがどどめ色の触手にその若い肢体を弄ばれて、腹を膨らませながら恍惚の表情を浮かべている同人誌を掲げながら、続けて述べた。
『自分はロリコンなのだと恥じている方、隠れている方、悲観されている方! もうその必要はありません! あなた方もまた、いえあなた方こそが大和魂の体現者なのですから、恥じることなどないのです! 誇りましょう、胸を張りましょう!』
この演説は伝説となる。
日本という国を滅ぼした、破滅の引き金として。
そもそも岸倍がこの主張をした背景には、国家的な財源の不足があった。物価高騰の影響で人々は物を買わなくなり、必要なものは自給自足で賄う家庭が大半を占めるようになった。その事態を重く見た国は様々なものに課税して税収を維持していたものの、そこにも限りが見え始めた頃、ある議員が発案したのである。
「児童ポルノ所持者への課税とかできませんかね」
法規制が進んでいるとはいえ、まだ隠し持っている者も少なくはない児童ポルノ。確かに成功すればかなりの税収増を見込めそうではあるが、果たして現状隠れている児童ポルノ所持者をどう炙り出せるのか……考えた結果が、岸倍の演説だった。
かつて小児性愛者たちが引き合いに出しては自身を擁護していた古典作品を引き合いに出し、ひたすら肯定し、鼓舞し、課税対象をおびき寄せる──その演説は、想像以上の効果をもたらした。自信を持った課税対象者たちはここぞと名乗りを上げ、自らの秘蔵コレクションをSNS等で晒し始めた。政府の計画は見事成功したかに思われたのだが。
そんな岸倍の演説に、怒りの声をあげる国民が数多く現れたのである。
『ショタコンには人権がないってことですか?』
始まりは、都内の小学校教諭のブログからだった。
日頃どのように児童と接しているのかを赤裸々に書き、そして古典作品には少年愛と呼べるような描写も数多くあるにも関わらずそこに触れず、あたかもロリコンだけが古典に肯定されたかのように宣う岸倍への不信感を、およそ20000字にわたって書き綴ったブログは、掲載されていた自撮り写真の美脚も相まって反響を呼ぶ。
そして。
『小さい子が好きだとみんなロリコンロリコンって! 僕はアリコンなんだよ』
『ハイジコンプレックスを無視する日本、気持ち悪すぎだろ!』
『ロリコンしか知らない小児性愛にわか』
『ペドフィリアの風上にもおけない』
『日本ってお堅いのね』
『ベビコンだって立派な愛なんだが』
『てかロリコン政治利用されてて草』
『これだからチョロい弱男は』
『昔のロリコンは認知されなくても生きていけた』
『オネショタも認めろよ』
『ショタ縫い合わせはどうしたんだよ岸倍』
『小児カニバリズムの時代はいつ来るんだ』
『ビジネスロリコン政府くっさ』
『時代は胎児数珠繋ぎだろ情弱ども』
いわゆる『ロリコン』の範囲から漏れた小児性愛者たちによる怒りの声が、全国から何億と投稿されたのである。そしていよいよ児童ポルノ該当物への課税が始まったところ、岸倍支持を表明していたロリコンたちまでもが自分たちの愛を金儲けの道具にされたと怒りを露にしたのである。彼らの怒りが暴動に変わるまで、そう時間はかからなかった。
連日行われるデモに普段から国や社会への不満を募らせた人々が合流したことで過激化し、演説からひと月も経たないうちに岸倍内閣の閣僚が襲撃され、その首が国会議事堂前に曝される事件が起きた。
そこからはもう秩序など機能しようのない暴力の嵐。治安を維持するために動員された諸々の機関も意味をなさなかった──構成する人員の多くがショタコンだったからである。岸倍の安易な演説に疑問を覚え、ひいては国や治安を守ることへの不安を募らせた彼らもまた、暴動に加わったのだ。
国家としての機能はものの数日で損なわれた。『岸倍を倒せ』『愛を取り戻せ』などのスローガンの下に多くの国民が暴動に加わったために、反対する隣人を惨殺してもそれを逮捕するものもいなかった。
積み上げられた屍の数が生存者の数を上回っても殺戮は止まらず、やがて殺したいから殺すというものまで現れる始末。衝動に任せた殺戮までもが起きてしまい、やがて国とは名ばかりの列島だけが残ることになったのである。
* * * * * * *
時は流れ、岸倍の演説から数十年後。
たすけて! たすけて!!
「──────っ!」
青白い月明かりの差す廃墟で、高瀬信吾は全身を汗に濡らしながら目を覚ました。周囲を見回し、それから響いてくる音に耳を澄ませる……どうやら、夢だったらしい。安堵する信吾だったが、その端正な顔には深く刻まれたような影があった。
隣で眠る弟分の陸を見やり、とりあえず自分たちが平穏に過ごせている幸運に感謝した。大人たちは、まだ来ていない。今のうちに眠っておこう。信吾は不安や焦燥感から逃げるように、また瞳を閉じた。
国が滅び、まず絶望したのは大人たちだった。
通貨が意味をなさなくなり、インフラを維持するものもいなくなった。現代人が当たり前のように享受していた便利な生活を、彼らは奪われてしまったのである。無論、機材そのものは残っているのだから自分たちで復旧させることもできたはずだが、怒りのまま短絡的に行動することを覚えてしまった彼らに、そんなことを試みる気力などあるはずもなく。
その代わりに彼らがしたのは、新しい“元凶”を探すことだった。政治家たちの次にロリコンが滅ぼされ、次の“元凶”を決めるとき、誰かが言ったらしい。
『そもそも、子どもたちが蠱惑的なのがいけないんだ』
信吾が生まれるよりも、かなり前のこと。
大人たちは、誰かが唱えたというそんな責任転嫁の極みともいえる言説に挙って賛同したという。それ以降、大人たちによる子ども狩りが始まった。恐らくそれは責任転嫁だけでなく、突如生活が困窮したストレスの解消法としても受け入れられたのだろう。
それ以来、子どもたちは隠れながら暮らさなくてはならなくなった。ドブネズミのように影から影へ移ろい、或いは浴槽の底を這うナメクジのように息を潜めていなければ、見つかってしまう。
大人たちに見つかった子どもを待つ末路は、悲惨の一言だった。
まず数人がかりで押さえられて殴る蹴るの暴行を加えられ、男女問わず慰みものにされる。泣こうが喚こうが凶行は止まらず、ただ大人たちが飽きるまで弄ばれ続けるのである。
欲望さえ満たせば、大人たちは疲れる──そのことに一縷の望みをかけようとした聡い子どもを待ち受けるのは、更なる絶望。慰みものにすることに飽きた大人たちの多くは、その場で子どもを殺害してしまうのである。ストレス発散、食料の確保──大半の理由はそういったところ。
信吾はそういった子どもたちを何人も見てきたし、その中には行動を共にしていた仲間も少なくなかった。
捕まった仲間を庇おうとして屍を並べたもの。
見捨てて逃げた後、心を病み命を絶ったもの。
逃げる仲間を見つめたまま大人に捕まるもの。
そんなものは見慣れたつもりだが、それでも食い散らかされた亡骸を見ると吐き気がして、胸焼けが酷い。悲痛な断末魔のこびりついた耳など切り落としたくなるし、絶望した泣き顔を焼き付けてしまった目だって、いつ潰しても構わない。
だが、今は陸がいる。
姉のように慕っていた仲間が蹂躙の果てに産み、命懸けで信吾に託した遺児。その陸がいる限り、自分は生き残らなければならない。ここまで成長を見届け、命を繋いできた陸が健やかに眠っていられる“今”を、この手で守り通さなくては。
決意と共に両目を開いて暁の空を見据える。
いろいろなことを思い返していたせいだろう、眠っていたかすらも曖昧な微睡みからの覚醒は無理やりに近く、頭も重たい。
それでも、大人たちが来るまでに発たなければ。
「陸、起きろ。そろそろ次の場所に行くぞ」
眠たげに目を擦る陸の手を引き、信吾は歩き出す。
当てなどない。ただ逃げるだけの旅路は果てなく、険しい。それでも生きるために、理不尽な苦痛を避けるためには逃げなくてはならなかった。
荒涼たるゴーストタウンを歩きながら、心を蝕む虚無感に抗っていた信吾の手を、陸の小さな指が引っ張った。
「しんご、おんなのこ」
「え?」
陸が指差した先にいたのは、キョロキョロと辺りを見回すひとりの少女。ポニーテールに結ばれたブロンドの髪に赤と青のオッドアイも目を引くが、信吾が驚いたのは着ている服があまりにも綺麗なことだった。まるで滅びる前の日本で流行ったという体操着のような……?
少女は視線に気付いたのか、こちらを見て、ハッとしたように問い掛けてきた。
「あの、高瀬信吾さんですか?」
「え、まぁ、あぁ」
突然名指しされて戸惑う信吾に、少女は更に言葉を続けた。
「突然ですが、私たちの天国に来てみませんか? もちろん、陸くんも一緒に」
「……え?」
少女の笑みは穏やかで、しかしどこか逆らいがたいものを秘めていて。
信吾は思わず唾を飲んだ。