1-02 鏡映しの忌み子と、鰐の花婿
大学院生の水主戌成はある日、姫池卯咲と出会う。薄紫色の髪の彼女は最近、狐面を付けた男たちに追い詰められ、黒い闇に飲みこまれる夢を見るという。
かつて卯咲と瓜二つの少女、姫池悠巳を守れなかった戌成は卯咲だけでも守るために調査を進めると、桜鼠色の髪を持つ生娘は忌み子として扱われ、“豊玉姫”として産土神である“火遠理命”に捧げる秘祭、三股祭が残る戌成の出生地、綿津見村にたどり着く。
五十年振りの祭の当日、二人が現地で見たのは偽物として異形となった悠巳の姿だった。
実父から本物の“豊玉姫”は卯咲であり、当代の“火遠理命”として“豊玉姫”を食べ、村の安寧を守るよう命じられる戌成。
卯咲がただ守るだけの存在ではなくなっていた戌成は……--。
『酋長、このあたり一帯探しましたが、桜鼠の娘はいません』
『そんなはずはない。アレはまだ生身の身体だ。そう遠くへ逃げれまい。もっと茂みの奥深くまで探せ』
もっと先まで逃げなきゃ。
そう思って逃げたのはいい。けれど、普段から歩かない生活を送らされたツケがこのざまだ。罰当たりだとは思いつつも、ここしかないと思って村の入り口にある祠に逃げこんだ。
まだ息が整っていないのに、私を捕まえにきた男たちの会話が聞こえてきた。声も立てられない状況で格子の扉越しに様子をうかがうと、まだ祀りの途中だったからか、狐面を付けたままの男たちが松明を持って四方八方に走っていく姿が見えた。
『そこに隠れているのはわかっていますぞ、豊玉姫様。悪いようには致しませんので、この明酉の前においでいただけませんでしょうか』
ただ一人残っていた酋長と呼ばれた男が、私がいる祠のほうに向かって叫んでいた。
気配は完全に消していたはずなのになんで、居場所がばれたんだろう。扉を押しとどめている身体が震えるのがわかった。
そのとき背後から聞こえた獣の唸り声に振り向くと、私は闇に取りこまれた。
* * * * *
「ったく、クソ教授、自分で取りにくりゃいいのに、学生をこき使って」
大学院生の水主戌成は、バイト代も出ない手伝いにぶつくさ文句を言いながら薄暗い書庫中をさまよっていた。
「なんだこのクソ分厚い本は。タイトル間違って……ないのか。チッ」
一瞬、教授の頼んだ本と違っていたというオチを期待したが、残念なことに間違っておらず、がっくりと肩を落とした戌成。
「ま、一回で持って帰れるか」
厚さと大きさからなんとかなるだろうと判断した戌成はそれを両手で持ち、これで教授を殴ってやろうかと考えながら書庫から出ようとしたとき。
「ごめんなさい‼︎」
本棚の陰から出てきた女性とぶつかってしまった。彼が持っていた本はかろうじて落とさなかったが、相手が持っていた本はすべて床に散乱してしまっていた。
「いきなり出てくるなよ」
「ごめんなさい」
謝罪ばかり口にしている彼女は持っていた本を必死に拾おうとしているが、最後の一冊がどうやら本棚の下の奥のほうに入ってしまったらしく、取るのに苦戦していた。
「しょうがないな」
いくら彼女のほうがぶつかってきたからって、彼女を一人きりにして帰ることができなかった戌成は、彼女の探し物を手伝うことにした。本を近くの踏み台において反対側に回ると、隣の本棚は可動式で、それを移動させるとすぐに取れた。
「探し物はこれだろ?」
「そうですっ! ありがとうございます」
「いや、構わない。ケガはないか」
「はい。本当にご迷惑をおかけしました」
「気にするな」
女性は戌成が止めなければずっと謝罪をしていそうな雰囲気だったので、帰るぞと彼女の本を渡そうとした瞬間、髪の色がはっきり見えた戌成は自分がなんでここにいるのかを思いだしてしまった。
「おい、悠巳」
「へっ?」
「なんでお前はここにいるんだ? なんでお前は俺の前から消えた? なんでお前はっ……」
戌成は目の前の彼女を知っていたーー
「……苦しいですっ!」
はずだった。
「私は、あなたの探している〝悠巳〟さんじゃありませんっ‼︎」
先ほどから謝ってばかりの彼女は、はっきりと拒絶を示した。
「……っ! すまない」
慌てて彼女の首元から手を離した戌成は、咳きこむ彼女を地面にゆっくりと座らせる。
「私は姫池卯咲と言います」
咳が収まったあと、ネームホルダーに入っている学生証を見て、もう一度、すまなかったと戌成は謝罪した。
日本の大学の中でセキュリティがもっとも厳しいと言われるこの大学では、偽学生証は作れない。それに卯咲という女性には、戌成の中の悠巳とは違って右頬にホクロがあるから、事実なのだろう。
「姫池、だと……‼︎ 君は、なんでこんなところに? まだゼミに配属されてないんだろ」
学生証に書かれていた所属は彼と同じ文学部史学科だったが、まだ一年生だ。なんで大学に入りたての彼女がこんなところにいるのだろうと思ってしまった戌成に、薄紫色の髪の先っぽををいじりはじめる卯咲。
「私、こんな髪の色をしてるじゃないですか。それを調べていたんです。まったく外国の血が入っていないのに、こんな髪色って気持ち悪くないですか?」
ちょこんと首を傾げる姿は、確認というよりもその言葉を求めているようだった。
「小さいころから両親や親戚に気味悪がられて、小中学校でもいじめられて、高校でも……あは、当たり前ですよね」
悠巳と同じ色の髪は、彼女にどんな過酷な人生を与え続けていたのだろうかと戌成はつい卯咲を抱きしめてしまった。
「綺麗だ」
「ですよ……へっ?」
今までずっと貶され癖がついていた彼女にとって、戌成が放った言葉は驚きのものだったらしい。目をぱちくりさせている姿が可愛かった。
「ちょうどいい。俺と一緒にそのルーツを調べないか?」
「はあ」
戌成はこれ以上、彼女を悲しませたくない。
彼の研究は悠巳が消えた謎を探ることだ。二人の持つ髪の色の由来もわかるはずだと直感でそう思ってしまった。
「……ありがとうございます。でも、なんで私のために?」
「俺の幼馴染、姫池悠巳というヤツがいたんだ」
「姫池、悠巳さん、ですか」
「そうだ。親戚か?」
「いえ、両親も祖父母も一人っ子らしいので、違うと思います」
珍しい苗字にもかかわらず、知り合いではないと否定されてしまった。
「そうか……で、そいつも同じ薄紫色の髪なんだ。で、そいつは五歳のときに忽然と消えた」
「消えた?」
同じ苗字で同じくらいの歳、そして同じ髪色の少女。
これは偶然なのかと戌成はふと思いいたってしまった。
「ああ。彼女だけが忽然と。彼女の母親にもまったく記憶がない状態だ。で、なにか伝説が残っている村や地域を徹底的に洗っているんだ」
「なるほど。でしたら、参考になるかわかりませんし、こんなところで恐縮なのですが、私、最近、夢を見るんです」
彼女は髪と同じく色素が薄いまつ毛を伏せる姿に、構わんとぶっきらぼうに言ってしまった戌成。
「どんな夢だ?」
「どこかわからないのですが、白い和服っぽいのを着させられ、祭壇のような場所に座らされていたんです。で、狐面の人たちに囲まれていたから、怖くてそこから逃げだして祠に入ったのはいいんですけれど、その狐面の人たちに追いかけられた挙げ句にそこの奥にいた真っ黒な闇に飲みこまれるんです」
よくある、というべきか、典型的な生贄の話だが、それがどこの話なのか見当もつかなかった戌成。
「まあ、大丈夫だ。俺が守る」
「守るって……えっ?」
「悠巳を守れなかった。けれども、かならずお前だけでも守る」
戌成の言葉は卯咲にとって予想外のことだったらしく、ぽかんとしていた。おそらく彼女はだれにも頼るということを知らなかったのだろうと思って、温めるように戌成は抱きしめた。
一瞬、体を強張らせるのがわかったが、それでも振りほどこうとしなかったのをいいことに、優しく頭を撫でた。
しばらくして体を離すと、卯咲は一つ尋ねてもいいですかと上目遣いで尋ねてきた。
「なんだ」
「あなたの名前を教えていただけませんかっ?」
肝心なことを言いそびれていたことに、戌成は恥ずかしくて穴に入りたくなった。
「水主戌成だ。文学部史学科郷土史専攻の博士課程後期二年、よろしく」
三十分後、戌成は卯咲とともに彼女の家に向かっていた。
彼女が生まれたときからずっと持っている、だれかが売ろうとしても絶対に戻ってくるという真珠の数珠を見てほしいと言われたのだ。
「なんか焦げ臭くないですか?」
「たしかに」
卯咲の家のほうに向かうにつれ、木材が燃えたような臭いが漂っていた。
「火事ですかね。うちじゃないといいんですけど。まあ、家電は冷蔵庫以外は全部コンセントから抜いてきたので大丈夫だとは思うんですけどね」
歩きながら卯咲は呑気に会話をしていたが、悪いことは命中するものである。
「なん、で……?」
呆然とする戌成と卯咲のもとに、一人の制服警官が近寄ってきた。
「姫池卯咲さん、ですか?」
「はい、そうですが」
「あなたの部屋から出火したのですが、この男に見覚えはありませんか」
写真を出しながら尋ねられた卯咲は知らなかったようで、首を横に振る。
「そうですか。あなたの部屋から遺体で見つかりました。これを着けて」
差しだされたもう一枚の写真を見た卯咲の顔が真っ白になったのに気づいた戌成は、卯咲の肩を引く。
「これ以上、やめていただけませんか。彼女は今、家が焼けたばかりなんです」
「あなたは?」
「大学の知り合いで水主戌成と申します……ああ、本当に知り合ったばかりで、性的なことは一切なにも」
一刻も早く卯咲を休ませたい戌成はそう言って、警官から彼女を引き離す。
「水主さん、ありがとうございます」
「いや、気にしなくていい。それよりもなにを見たんだ」
明らかに様子がおかしい卯咲を問い詰めると、一瞬、言おうか迷っていた彼女だったが、協力するといった手前、口を開くことにしたようだ。
「死んだ男の着けていた仮面。それは私の夢に出てきた狐面と同じものだったんです」