1-21 悪魔72チュ~は世界を救う!
冗談じゃないわよ!
なんなの?
世界を救う為にソロモンさんとかいう人と
仲の良い72の悪魔にキスしてまわれだなんて!
私のキスをなんだと思っているのよ!
サキュバスといえば世界のアイドルなのに!
世界と私の乙女心どっちの方が貴重だと思っているの?
アーベンのバーーカ!
アガレスのジジイのアホーーーー!
でも放っておいたら、人間が亡びちゃうのよね。
お腹が減るのは嫌だし、やるっきゃないか。
……って納得いくかボケーーッ!
彼が私の後頭部をしっかりと掴んだ。
顔が前面に押し出され、勢いで身体が宙に浮く。
「はぁぁぁけぇぇぇぇ!」
「イィィィィヤァァァァ!」
彼の雄叫びを合図にぐんぐんと近づく鳥の顔。私は大口をあけ悲鳴をあげる。
鳥の硬そうな嘴が、ディープキスというレベルを超え、口の中へ突撃してきた。
「ぶもぉぉぉぉ!」
刺さってる! 喉に嘴が刺さってるから! 魔力が無駄に流れ込んできてるから!
私の乙女心が蹂躙されてるぅぅぅぅ!
……私がこんな酷い目に遭っている理由を語るには、少しだけ時をさかのぼらなければならない。
私と向い合い私の手を握る男子高生の瞳に、うっとりする私。
可愛いなぁ~。
彼の瞳に映る私!
もっとも彼には、私が彼好みの姿に映っているから、私の真の姿が見えていない。可哀想に。
「もう行かなきゃ。また会えるよね?」
「うん。君がまたいい感じに性欲が溜まったら、きっとまた会えるよ」
名残惜しそうに私の手を放し、ふらつく足取りで立ち去る男子高生の背中を、手を振り見送る。
「ご馳走様でした~」
「ご馳走様でしたじゃねえよ!」
怒声と共に重い蹴りが、私の後頭部に降り注ぐ。
私の可愛い顔が地面にめり込んだ。
「なにすんのよ!」
私は全力で顔をあげ、後頭部に乗っかっていた魂の双子を吹き飛ばす。
「サキュバスが手を繋いだだけで、人間を帰すな! エッチをしろ、エッチを!」
立ち上がり自慢の金髪ショートヘアについた土を払う私を睨み、インキュバスであるアーベンが叱りつけてきた。
「そんな恥ずかしいことできるわけないじゃない!」
花も恥じらう乙女の私に、なんて無茶なことを言うのだろうか。背が高く長髪であることを除けば、私にそっくりな美形なのに、性格は醜く捻じれている。
「説教してやりたいが、いまは時間がねえ。大ジジ様と大ババ様が急いで来いってよ」
吐き捨てるように言うと、背中の蝙蝠に似た翼をはためかせ飛び立ってしまう。この辺りの淫魔の大元締めが呼んでいるのなら無視はできない。仕方なく私も翼を広げ追いかける。
ネオンが遠ざかり道行く人も米粒になっていく。何人か上空を見上げているが、私たちの姿は夜空と同化している。普通の人間には見えないだろう。
暫く飛んだあと、とある灯りの消えたビルの一室へ、窓からするりと入り込んだ。
部屋の中央に置かれていたソファーに座る、大ジジ様と大ババ様の前に舞い降り、揃って片膝をつく。
「アーベン参りました」
「ライゼ到着で~す」
私達の挨拶に大ジジ様と大ババ様が微笑む。ジジババとは言っても姿は私達と同様に若い。
「よく来た。それでは我らは旅立つのでな。あとの話はアガレス様に聞くといい」
そう言い残し、私たちが入ってきた窓から飛んでいってしまう。
「どういう事よ?」
形の良い眉をひそめ問いかけると、アーベンが首を竦める。
「知らねえよ。俺は2人で来いって連絡を受けただけだ」
「お前達を呼ばせた理由は、私が説明しよう」
唐突な背後からの声に驚き、揃ってソファーへ飛び込み後方を振り返った。
暗い部屋の中でも、一際暗い闇の中からお爺ちゃんが現れる。でも人間じゃない。大きなワニの背に乗っているし、感じる魔力が人間じゃない。押し潰されるほど強大で濃い魔力。
私の喉が自然にゴクリと鳴る。
「わが名はアガレス。その昔、ソロモン王が封印し使役した72の悪魔が一柱よ」
お爺ちゃんが顎髭をさすり、目を細める。
「ワシが垣間見た未来にお前たちの姿が見えたでな。淫魔であることはわかった故、この辺りを仕切っておった淫魔に心当りの者を呼ばせた次第よ」
アーベンと顔を見合わせる。話がまったく見えない。ただ者でないことは魔力でわかるんだけどね。
「ソロモン王というのは聞いた事がありますし、アナタが偉大な悪魔だというのもわかりますけど、そのアナタが俺たちに何の用です?」
彼の質問にお爺ちゃんは窓の外に目を向ける。
「お前たちには我らの計画に協力してもらう。アヤツらは役にたたんから、先に逃がしたのだ。これから50㎞四方に結界を張るでな」
「は? なにそれ? よくわかんないけど、私達だけ置いていくなんて酷い!」
唇を尖らせるが、お爺ちゃんは動揺した様子もなく口を開く。
「あの2人だけではない。周辺に住んでおる下級悪魔で残っておるのはお主らだけじゃ。ワシを含め、強大な魔力を持つ悪魔が72柱、封じられていた箱から解き放たれた。制御する指輪を失くした状態でな。お前たち淫魔を含め下級悪魔では、糧にされてしまうのがオチ」
真剣な面持ちで、私達に視線を戻す。
「魔力だけなら人間は影響をうけんが、その魔力で起こされる現象は人間を滅ぼしかねん。再び封印すべきだが、ワシらには簡単に封じられる程の力の差がない。仕方なく、友人に広範囲の結界を張れる者がいたので協力してもらうことにしたのよ。被害を最小限にするためにな」
「はぁ。なんとなくヤバいのはわかりましたが、具体的に俺達に何をさせようっていうんです?」
「お前たちには72の悪魔を封印するための手伝いをしてもらう。お前たち、他の淫魔と少々違うのであろう? 他の淫魔は人間と性行為をしなければ魔力の受け渡しができんがおぬしらは違う。サキュバスは触れるだけで人間の精力を奪え、インキュバスは普通にそれを魔力に変換し放出できる。そうであろう?」
アーベンが面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「俺にはアーベン、コイツにはライゼって名前があるんですけどね」
「我らのように個体名で存在を維持しておるわけでもないのに、名前にこだわるとはな。やはりお前たちは面白い」
アーベンとは対照的に、お爺ちゃんは面白そうに口角をあげ私達を見つめる。
「語り明かしたいところだが、時間がない。簡単にまとめる。72柱の悪魔が自由を得たことで人類は滅亡の危機にある。存在を人間に依存する淫魔には死活問題。生き残るには再度封じるべきじゃ。お前たちは淫魔を代表し、我らに力を貸すのだ。特異体質を活かしてな。細かいことや柱の悪魔の情報はワシが生み出した本に記載してある。これを預けよう」
ワニの上からひょいと1冊の本をアーベンに投げてよこす。受け止めた彼が表紙を開いたので、彼の肩にアゴを乗せて覗き見る。
「悪魔72チュ~?」
そう呟くとアーベンが私の額を小突く。
「この場合は「はしら」と読め」
私の目に飛び込んできた『ソロモン王が使役した72柱の悪魔』という1文を、トントンと指先で叩きながら訂正した。
「要するに、放っておくと俺らもやべえから、もう一度封印するのを手伝えってことっすよね? 弱らせないと封印できないからコイツに魔力を吸い取らせるという意図はわかるっす。でもコイツが触れただけで魔力や精力を吸い取れんのは、抵抗力の少ない人間だからっすよ。アナタと同格の悪魔から、触れただけで魔力を吸い取れるとは、思えないんすけど?」
お爺ちゃんはしっかりと頷く。
「そうだな。ただ触れるだけではいかんだろう。ならばより深い接触をすればよい。とはいえ悪魔の形態は様々。人のように性行為には及べん。そこでキ……チュ~じゃ! ディープな方のな」
何故か言い直したお爺ちゃんが、私の顔を見てニンマリと笑う。
「い、嫌よ! 私の乙女心を何だと思ってんの!」
全力で拒否するが、お爺ちゃんは笑みを浮かべたまま。
「コイツの乙女心はどうでもいいんですけど、それで実際に吸い取れるかわかんないでしょう? 失敗した時点で俺ら消されちゃいません?」
私の心からの主張をあっさり流したアーベンの反論に、お爺ちゃんは手をパンと打つ。
すると彼が出てきた闇から、真っ赤な鳥が颯爽と現れる。
鳥は翼をはためかせ、私たちの前に降り立つ。
「鳥?」
私が超絶可愛らしく首を傾げると、お爺ちゃんが苦笑する。
「フェニックスだ。我と同じソロモン王の悪魔の一柱にて協力者。今回我らの代わりにお前の力を試してくれる。さあ、遠慮なく『チュ~!』しなさい」
チュ~だけ強調すんじゃないわよ!
元々赤いくせに頬だけピンクにしている鳥もムカつく。
実際に強い悪魔から魔力を吸い取れるか、実験しようというのはわかるけれど、キスってなんなのよ!
「安心しろ、ライゼ。お前には俺がついている」
「アーベン!」
肩を抱き寄せ、私を励ましてくれる魂の双子。
うん。アナタのことは信じていたわ。
「誰だって初めてのキスは緊張する。まずは落ち着け。深呼吸してみろ。息を大きく吸え」
「助けなさいよ! 私の乙女心がどうなってもいいの?」
「従うしかねえよ。存在がかかってんだ。乙女心なんかトイレに流してしまえ」
「私みたいな可愛いアイドルは、トイレに行かないの!」
「サキュバスだからだろうが!」
乙女心を踏みにじられたのは気に食わないけれど、賢い彼が従うしかないと言うのなら、そうなのだろう。
諦めてアドバイス通りに息を吸い込む。
「す~」
「もっと吸って!」
口をすぼめて、可愛さを増しながら指示に従う。
「すーーーー」
「気合入れて吸え!」
「すーーーーーー!」
胸を張り、胸の中にさらに空気を送り込んだ。
唐突にソファーから立ち上がったアーベンが、私の後頭部を掴む。
顔が前面に押し出され、勢いで身体が宙に浮いた。
「はぁぁけぇぇぇぇ!」
「イィィィィヤァァァァ!」
……これは世界と私の乙女心の存亡をかけた、戦いの記録である。