1-19 推しの鑑定、お断り!
魔石を専門に取り扱うフォルスタ商会では鑑別業務の他、魔石を使った家具や雑貨──いわゆる〝魔道具〟のケアも承っている。
駆け出しの魔石鑑定士ミアの初めての訪問業務はとある伯爵家の魔道具メンテナンスに決まった。
伯爵家には頭脳明晰・容姿端麗で将来を期待される一人息子がおり、ミアにとっては存在が眩しい長年の推しである。
当日は相性最悪の同僚ノルドがパートナーとなり、ミアは渋々仕事をこなしていた。
そこに舞いこんだ追加の鑑別依頼。
案内された別室で二人を待っていたのはなんと光り輝く伯爵令息その人だった。
「待って、冗談抜きでほんとに眩しい!!」
「無理を承知で頼みたい。僕を調べてくれないか」
人間の鑑別など当然したことがない。
途方に暮れつつもミアとノルドは原因究明に乗り出すが……。
夜の始まりを知らせる鐘が微かに窓を震わせた。
天蓋のついたベッドの前で女は俯いた。隙間からもれる光が手指を仄かに照らしていた。この光の源が何かと考えると薄ら寒いものを感じる。
「伝言をお願いできますか母上」
額を撫でた声に顔を上げた。でんごん、とおうむ返しに呟けば厚いカーテンの向こうで小さな溜息が落とされた。
「どうか寛大なご処分を、と。医師も薬師も匙を投げたのです。一介のまじない師にはさすがに荷が重いでしょう。父上が無慈悲な処断を下せばかえって支持を失いかねません」
「ユリウス。これは我々に害意ある者の仕業。あなたが外に出られなくなることで得をする誰かがいるのですよ」
「……ひとつ思い出したことがあります。魔石鑑別に秀でた鑑定士なら、あるいは──」
衣擦れの音がした。気配が近寄ったと思うとカーテンが細く開き、眩い光が溢れ出す。女はたまらず目を瞑った。
「魔石鑑定士を呼んでくれませんか。僕の推理が正しいか確かめさせてください」
* * *
親指と人差し指で透明の石をつまみ上げた。いろんな角度から矯めつ眇めつ眺めて少女はうっとりと吐息をもらした。
薔薇色に輝く朝焼けの峰々。
裾野に広がる針葉樹林。
手前には色とりどりの花が咲き乱れ、上空に浮かぶ黒点はその形からして渡り鳥の一種だろう。
絵画にも匹敵するような、精緻を極めた風景だった。それが水晶と見紛う小さな石の中に閉じこめられている。ここまで具体的な形をした包有物は初めて見た。
芸術品をケースに戻すと少女は再びペンを取った。
「鉱物名、天然星燐石。含有元素は地、と」
最後の一画が最も美しく見える角度で線を引いた。詰めていた息を静かに吐き出し、ペン立てにそっとペンを戻した。
「終わったあー」
眼鏡を外して鼻の付け根を軽く揉む。首をぐるりと回してから大きく伸びをした。今日も一日よく働いた。
窓の外に見える街並みは夕陽を浴びて黄金色に輝いていた。一行書いては見入っていたせいでずいぶん時間がかかってしまった。
晴れやかな気持ちで眼鏡を掛け直すと空の紙挟みを手に取った。できたてほやほやの鑑別書に誤字がないことを確かめて収める。あとは所長の許可を貰って完了だ。
「ミア、終わった?」
背後からの声に振り向けば穏やかな眼差しとぶつかった。
「シェーレさん!」
「私の鑑別は間違いなかったかしら」
「もちろんです! わたしも同じ結果になりました。本当に素敵ですね、この魔石」
ファイルを渡すとシェーレは書面をひと通りなぞって口角を持ち上げた。その笑顔のまま「ねえ、」と小首を傾げた。
「上がる前にお茶を飲んでいかない? お客さまがね、タルトを差し入れてくださったの」
「えっタルト!?」
「『黒猫と花籠カフェ』の期間限定品ですって」
「うそっ! クロハナのタルトなんですか!?」
途端にどっと笑い声が上がった。一足先に仕事を終わらせた先輩方だ。ミアの声は彼女たちのお喋りを中断させてしまったらしい。
「ミアったらほんとお菓子に目がないんだから」
「ミアの分もちゃんとあるわよぅ! 安心して行ってきなさいな」
「やったー! すぐ戻ります!」
返されたファイルを掲げてぴょんと跳ねた。にこやかな先輩方に見送られ、ミアは揚々と部屋を飛び出した。
* * *
人気のない廊下にリズミカルな足音が響く。
「タールトっ。タールトっ」
疲れなんかなんのその。人気店のタルトが部屋で待っていると思えばスキップの合間に時々ターンが入るのも無理はなかった。いつ行っても行列ができている店のスイーツ、それも期間限定品なんてそうそう口にできるものではない。
さっと出して、さっと戻ろう。
ミアはご機嫌で角を曲がった。その瞬間、
「きゃあ!」
「ぅわっ!」
思いきり尻餅をついた。打ちつけた箇所を唸りながらさすって痛みをやり過ごす。
角の向こうからも人が来ていたなんて。
相手は知らない男の人だ。歳は同じくらいだろうか。彼が訝しげに眉を顰め、じろじろと不躾な視線を向けてきてミアはハッと自身の顔に手をやった。
──眼鏡がない。
一瞬焦ったが幸いファイルのそばに転がっていた。急いでそれを掛け、散らばった物を拾い集めるとパッと立ち上がった。
「すみません! 前をよく見てなかったから」
「……能天気に走ってんじゃねえよ。レマーかよ」
「え?」
きょとんとしたミアの耳にわざとらしいほど大きな溜息が届く。
遅れて立ち上がった彼は服の裾を軽く払った。ミアより頭一個分背が高い。黒髪を掻き上げ、サファイアのような青い目をスッと半眼に閉じるとミアの手の中の物を荒っぽく取り上げた。その後突きつけられた言葉にミアの息が止まった。
* * *
「なになに、ミアがいじめられたって?」
「悪口言われたんだってさ」
「わるぐち、」
カップを手にした先輩が目を丸くしていた。ミアは不機嫌全開で唇を尖らせた。
「レマーって言われたんですよぅ。足踏み外してさっさと落ちてしまえって。酷くないですか!? そりゃあぶつかったのはわたしが悪いんですけど、初対面ですよ!?」
「レマー……童話の暴れ牛? 崖から落として退治されちゃうあれ? 誰がそんなこと」
「ノルド・グレスナーみたいよ。ほら、今年入った子」
不思議そうに首を傾げる彼女に訳知り顔の同僚が耳打ちした。
「ミアと同じくらいの歳で黒髪に青い目だって。あの子しかいないでしょ」
「上手いこと言うよねぇ。ミアも急には止まれないもんね」
「せんぱいぃぃ!」
「ミーア。ほら、これで元気出しなって」
横から白い箱が差し出された。お待ちかねの限定タルトだ。ジュレを纏ったオレンジやベリーはまるで宝石のようで、ミアは両手指を組み合わせて歓声を上げた。
ひとくち頬張り、目を閉じる。レモンの効いた爽やかなチーズクリームと甘酸っぱいオレンジの相性は抜群だった。やっぱりクロハナのタルトは正義だ。
「でもノルドくん、とてもいい子だったわよ。仕事も丁寧だったし」
思案げに口を開いたのは右隣でタルトをつついていたシェーレだ。
「この間一緒に組んだけれど何も問題なかったわ。逆に私がフォローされちゃったくらい」
「あ、仕事できるって噂は聞いたことある」
「運命の出会いじゃない! いいなぁミア。なんだか素敵なことが始まりそう」
「どこがですかっ! あんなやつ、ユリウスさまの足元にも及びませんから!」
大きな音を立ててタルトの皿を置いた。
室内が笑いの渦に包まれる。左隣の先輩がミアを宥めるように肩をぽんぽんと叩いた。
「ユリウスさまを引き合いに出されたら誰も太刀打ちできないわ」
「ミアのユリウスさま贔屓も筋金入りねー」
「素敵って言葉はユリウスさまのためにあるんです。あんなに格好良くて眩しい方は他にいません!」
「そういえば今度の訪問業務はミアですって? 大抜擢じゃないの。憧れの伯爵令息さまに会えるわね」
笑顔でパチンとウインクする先輩にミアの口許が緩んだ。そうなのだ、先方の希望に一番合致するのはミアだろうとシェーレが推薦してくれたのだった。もしかしたらと胸も踊るがそれ以上にせっかく寄せてくれた期待だ。応えたい。
「一緒に頑張りましょうね、ミア」
「はい!」
元気よく返事をするとタルトの残りを口に放りこんだ。
優しいシェーレと温かく見守ってくれる先輩たち。みんなと一緒ならどんな仕事も大丈夫だと思えた。──このときは。
「おい、レマー」
ハッと意識を前に向けた。踏み台に乗って壁掛けランプをいじっていた黒髪の青年がミアを見下ろしていた。彼はサファイアの双眸に冷ややかな光を浮かべ、上向けた左の掌をひらひら上下に振った。
「火」
「あ、待って……」
「ぼーっとしてんじゃねえよ。まじで走るしか脳がねえのか」
「はっ……!?」
ぎりぎりと奥歯を噛み締めどうにか堪える。火のエレメントが宿った魔石を渡せば青年は無表情で受け取り、再びランプに向き直った。
まさかシェーレが体調を崩すなんて。しかも代役として白羽の矢が立ったのはあのノルド・グレスナー。前回シェーレの助手を見事に務めたからとかなんとかで。
「フォルスタ商会さん」
使用人を伴った女性の登場にミアの胸が跳ねた。リーデルラント伯爵夫人だ。金の髪は頭の後ろでひとつにまとめ、エメラルドの色をした目は少し垂れ気味でどことなくユリウスを思わせる。──いや、ユリウスが似ていると言うべきか。なんとも血の繋がりを感じずにはいられない。
踏み台から降りたノルドは一礼し、室内の壁掛けランプを見渡した。
「火の石は全て交換しました。まだ元気なものもありましたが、」
「ここはもういいわ。ついてきなさい」
──きた。
ミアは両手を拳の形に握りこんだ。今回の呼び出しはずいぶん早い。おそらく鑑別の依頼だろうとはシェーレの見立てだった。曰く付きの石を入手した貴族から秘密裏に呼びつけられることがあるらしい。
夫人の背を追いかけた。階段を上がり長い廊下を進んでいくと彼女はある部屋の前で足を止めた。
「ここでのことは他言無用です」
夫人の目配せで厳かに扉が開けられた。入室を促され、ノルドとミアは薄暗い室内に足を踏み入れる。