1-01 真夏の幽霊に、さよならを。
この世界には、不思議なことなど何もない。
少なくとも、僕の過ごす日常はそうだった。
クラスには馴染めずに、窓ぎわの席で外を眺め。
たまにやってくる幼なじみにウザ絡みされては、適当にあしらう。
それだけの、退屈な繰り返し。
笑っちゃうくらい普通だろう?
重ねて言おう。この世界に、不思議なことなどない。
僕の高校二年の日々は、特にイベントもなく終わる。
そう思っていたんだよ。
幽霊──オカルトに、遭遇するまでは。
これは、アイツの死で始まる夏に。壊れた日常に。
僕たちが終わりを告げるまでの。
「不思議なこと」が存在する、そんな世界の出来事。
夏空の下で、からりと風は凪ぎ。
電柱に融けて磔になったアイツは。
息をしてない。生きてない。
なぜ、こんなことになったのだろう。
ジリリ。どこかで蝉が鳴いた。
【7月9日/風祭 圭一】
じりじりと照りつくような日射しが、開け放たれた窓から注ぎこむ。
それが鬱陶しくて、まばゆさから逃れるように、机に突っ伏して眠ったふり。
こんな暑さのなかだというのに、教室のなかは騒がしい。
まぁいいさ。ホームルームの時間までは、こうしてやり過ごそう……。
「おはよっ、圭一。朝からぼっちムーブしてんじゃないわよ」
そんな目論見は、聴き慣れた高い声に妨げられた。
おもむろに顔をあげると、視界に映るは薄紅色のツインテール、そのひと房。
覗きこんでくるようにして、整った童顔がフレームインしては。赤く大きな瞳と視線があう。
「……おはよう、双葉。そういうお前は、ずいぶんとご機嫌なようで」
これ見よがしに、フゥとため息をついてみたりして。
仕方なしに身体を起こし、改めて向き直る。
幼なじみだからって、毎日律儀に声をかけてこなくてもいいのだが。
コイツはただでさえ目を引く容姿をしている。そのうえ、クラスカースト最下層の僕と話してちゃ、そりゃ結果は自明。
さっきから羨望やら好奇の視線が集中しているんだよ。居心地が悪いったらこの上ない。
「なにやら他の連中も騒がしくしているみたいだが。夏休みが近いから、いまからテンション高いのか?」
「それもあると思うけど……。もしかしてアンタ、知らないの? 転校生のこと」
「んん?」
完璧に初耳だ。
こんな時期に、転校生だって? 中途半端にも程があるだろ。
「ほんとに知らなかったのね。ちゃんとみんなと交流しないからよ」
「ぐっ。悪かったな、ぼっちで」
「あたしがいなきゃ、何も解らない圭一くんは。盛大に感謝するように」
双葉は演技ばった口調で、ない胸を反らしふんぞり返ってみせる。
はいはい、ありゃとごぜーます。と気のない返事をして。窓の外なんか、興味もないのに眺めてみた。
無駄に澄みわたった、青い空である。
「またそうやって、“興味ありませんが?”みたいなムーブして」
「実際そうだろう? 人気者のお前ならともかく、逸れ者の僕には関係のないことさ」
あくまで視線は外に向けたまま、心がけておざなりな言葉を返す。
「でも、めちゃくちゃ可愛い子みたいだけど?」
「…………」
「あっ、一瞬いま反応した! このむっつりスケベ!」
「誰がむっつりだよ」
め、めんどくせぇ……!
「まったく。もうすぐ先生来るぞ、席戻れ」
「ふん、けーちゃんなんてもう知らないんだから! この色情魔!」
「意味わかんねぇよ!」
学校でその呼び名はやめてくれ。クラスがざわっとしてるだろ。
去っていくちびっ子を後目に、またひとつ嘆息する。
タイミングを見計らったように、教室の前方扉が開かれた。
クラス担任の初老の先生……と。彼に遅れて、少女がひとり。
その儚げな美貌に、つい目を奪われてしまう。
「今日から転校してきた、三日月 氷織です。みなさん、よろしくお願いします」
腰まである銀髪は、さらりと柔らかそうで。
伏せられた長い睫毛に、うっすら覗く緑の瞳。
引き締まった細い手脚は、簡単に折れてしまいそうだ。
双葉も同様に痩せているほうではあるものの、彼女と違い身長があるぶん、より華奢な印象を受ける。
まるで、作られた人形のようだ。
ポケットのなかでスマホが振動する。
こっそり取りだして通知を確認。双葉から「見過ぎ、むっつり」と送られてきていた。
「そんなことねーし」と返信し、視線を戻す。
案の定、転校生はクラスメイトたちの質問の矢に晒されていた。
まったく、騒がしい連中である。
もう一度寝たふりでもしようか……と考えたところで、彼女と目があった。
「あっ、圭一くん。やっほー」
さも当たり前のことのように、平坦な声音を崩さぬまま、氷織はこちらに手を振ってくる。
……あれ? 面識、ないはずだけど。
「久しぶりだね。元気にしてた?」
「えーっと、あー。どこかでお会いしたことがおありで?」
「覚えてないの……?」
待て待て、急展開にも程があるだろう。
やめてくれ。クラス中、すごい雰囲気になってるじゃないか。
「なんだ、三日月は風祭と知り合いだったのか。なら近くの席にしておくか」
やめてくれよ!?
僕の、平穏な生活が……!
◇ ◆ ◇
波乱のホームルームを経て、放課後。
今日はやたらと時間の進みが早かった。
結局のところ、あれから大きな動きはなく。僕も彼女のことを思いだすわけでもなくて。
クラスメイトに「双葉という正妻がいながら……」「このラノベ主人公!」などといわれのない謗り(?)を受け、やたらと虚脱感に包まれている。
今日はさっさと帰ろう。そう思って下駄箱までやって来たら、双葉がすごい形相で待ち構えていたってわけ。
「よう。お前、部活じゃなかったっけ?」
「今日は早抜け。ほら、帰るわよ」
目だけで「どういうことか詳しく話しなさい」という意思が伝わってくる。
こうなってしまっては、どう断ってもついてくるだろう。諦めてスニーカーを手に取った。
じめっとした空気と、汗がにじんでくる感覚。
ぬるい風じゃ、温度はさして和らがない。
下校路の景色はいつもと変わらず。並ぶ家々と、遠くに広がる青々とした田んぼ。
「久しぶりね。こうして一緒に帰るのも」
「そうだな。お前はオカ研の部長で、忙しくしてるみたいだし」
「けーちゃんも入ればいいじゃない? 好きでしょ、オカルト」
じじっ、蝉が鳴く。
「いつの話してるんだよ」
「アンタの影響でこうなったんだから。まったく」
「彼氏の趣味に合わせる彼女みたいだな」
「かれっ……!? なに言ってんのよ!」
「そんなに顔を赤くして騒ぐな。余計にしんどくなる」
二人きりのときの双葉は、やたらと距離が近い。
そのせいで、暑さも倍増だ。
「オカルトなんて、だいたいは否定されているだろ。秘密組織なんていないし、超常現象はプラズマだ。不思議なことなんて何もない」
なんとも言えない空気に耐えきれず、話題を戻す。
すこし態とらしかっただろうか。
「夢がないなぁ。昔のけーちゃんは『不思議な力を研究して、みんなを助けるんだ』なんて言ってたのにさ」
「やめろ、恥ずかしい」
子どもの頃の戯言を持ち出されると、ほんとに顔から火が出そうになる。
「はいはい、この話題は終わり! 別のことを喋ろう」
「うーん……。あっ、そういえば。アレってどういうことなのよ」
「転校生のことか。生憎だけど、僕もよく解らないんだよな」
しまったな。下手なことを思い出させてしまった。
もちろん、その返答で追及が止むはずもなく。
「そんなわけないでしょ。向こうはアンタのこと、よく知ってたみたいだけど?」
「ところが、びっくりするほど記憶にない。嘘じゃないよ」
「遊び? 一夜の過ち……? この、すけこまし!」
「なんか勘違いしてないか?」
すけこましって、きょうび聞かない言葉だな。
「もう、けーちゃんなんて知らない!」
「ちょっと待てよ、しっかりと誤解を解いてだな……」
制止むなしく、双葉は走り出してしまう。今朝の再現のようだ。
なびくツインテールを追おうとした、そのとき。
地面が、激しく揺れた。
「きゃぁ!?」
「地震……っ? おい、大丈夫か!」
あまりにも振動が強すぎて、立っていることすらままならない。
這う姿勢のまま、ゆっくりとアイツに近付いてゆく。
瓦や塀からは離れるようにして、なんとか安全を確保しないと。
「しっかりしろ。ほら、捕まれ!」
汗ばんだ右手を、差しだしてゆく。
指先がかすめた刹那のこと。ひときわ強い光が視界に満ちて、世界が真っ白になった。
そうして、目を閉じているうちに揺れも止み。おそるおそる、まぶたを開いてみる。
「収まった、か」
やはり塀の一部は崩れてる。アスファルトの地面もところどころ、ひびが入っているようだ。
双葉の姿はない。さっきまで目の前にいたのに。
どこだ? 不安にかられ、両手をついて身体を起こす。
そうして、視線を上げると。
「……は?」
意味がわからない。
さっきまで、なんでもない話をしていたじゃないか。
くだらないことに、笑い怒っていただろう。
それなのに、どうして。
見上げた先、電柱のなかほど。
矮躯は吊るされ……。いや、融けて合わさってしまったように、胴から下は完全に一体となって。
磔にされたまま、見るも無惨に黒焦げと化している。
もう息をしていないのは明らかだった。
なぜ、こんなことになったのだろう。
ジリリ、どこかで蝉の鳴く。
「なに、これ」
僕の背後で、音がした。
聴き慣れた高い声に、思わず振り返る。
そこには、自らの死体を見上げる双葉がいた。
半透明の身体で、呆然と立つ姿。
真夏の幽霊を前にして、ぬるい風がぴたりと凪いだ。