1-17 異世界人骨生物群集
よく晴れた冬の夜に、そのうち斬り殺そうとしていた異世界人がいなくなった。
俺が殺すはずだったのに、その肉も、その骨も、その臓腑も、それら全てを切り開いてその中に触れていいのは俺だけだったのに。
そこにあったのは彼女の残骸、とっくに死んでる腐りかけの肉と骨とその他有象無象の塊。
許さない、許さない、許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでころしてやるころしてやるころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすぜったい殺す
……かえして
手を引かれて病院の外に出たら、大雨が降っていた。
「げえぇ、雨降ってきやがった、お天気おじさん嘘つきじゃん、夜まで降らねえって言ってたのに!」
先ほどまで自分達がいた病室に向かう時は自分の事を俵担ぎにしていた少年が心底うんざりしたような顔でそう言った。
一方わたしは、この世界でも雨が降るのだなと阿呆みたいな感想を抱いていた。
現代日本人、ごくごく普通の高校生だったわたしが、唐突にこの異世界に転移してから……多分、一月と少し。
この世界に流れ着いてすぐの頃は検査と称された非道な目に遭わされて、かなり酷い目にあったのに結局こちらの世界でわたしは無価値と断言され、これからどうするというところでこの少年に拉致された。
拉致されてようやくこの異世界がどんな場所であるのか、初めてそれを見た。
今まではずっとほとんど裸みたいな格好で実験室らしき部屋に隔離されていたから、ここがどういう感じの世界なのかは今まで知らなかったのだ。
周囲を見渡してみるとこの辺りは二ヶ月ほど前に紀行番組で見たロンドンに少し似ているような気がする、どうも魔法がある世界らしいのだけど、よくある西洋風ファンタジー世界とは異なり、普通に舗装された道路を普通に自動車が走っている。
ただし空を見上げると謎の物体に乗った人がビュンビュンと飛び交っていたり、街行く人々の姿を見るとところどころ純粋な人間ではない見た目の人がいる。
というか自分を拉致した少年もそのうちの一人で、彼の耳は人間のそれではなく猫らしき生物のものだ、最初は猫耳カチューシャでもしているのかと思ったけど、どうも自前のものであるようだった。
ついでにサラふわしていそうな黒くて長い尻尾が不機嫌そうに揺れている、思わず手を伸ばしたらその尻尾にバシンと手を叩かれた。
「あいった!」
「……触ろうとしてんじゃねーよ、つーか度胸あんなお前、普通触ろうとするかね?」
「反射で、つい」
母の実家にいる猫の尻尾を触ろうとして同じことをされたことがあるなと思い出して少しだけほっこりしかけたけど、そんな場合じゃないので顔面を引き締めてから彼の顔を見上げる。
「それで、いい加減話してください。なんでわたし、あなたのご兄弟に殺されそうになってたんです?」
「説明いる?」
「いりますよ! こっちはこの世界に来てから何もかもわかんねぇんですよ!! ……だからせめて、あなたが説明できることくらい話してください、もう色々あって頭おかしくなりそうなんですよ」
「そのまま完全に狂っちまった方が楽じゃね? どうせお前もこの先碌でもない目にあってゴミクズみてーに死ぬんだろうし」
「そういういらんこと言わないでもらえます!? というかなんでわたしそんな碌でもない死に方するって決めつけられてるんですか!?」
「だってお前、無価値だって断定されたんだろう? ならこの世界の誰にもお前を保護する理由も意味もない、今のお前には戸籍すらないからそもそも人間扱いされないし……その辺にほっぽりだされて強姦されるなりなんなりしてそのまま死ぬか、うまいこと気に入られればどっかの変態に飼い殺されるか、そのどっちかだろう」
その言葉を飲み込んで数秒、彼の言葉を完全に理解した直後に出てきたのは涙ではなく怒りだった。
「なんでわたしがそんな目に遭わなきゃならないんですか! というかこの世界、最初からわかってましたけど滅茶苦茶汚いドブの底の方がマシなくらいひっでえ世界ですね!!」
「人の生まれ故郷をそんな悪くいうなよ、これでもドブの上澄くらいまではマシになったんだぜ?」
「結局ドブじゃないですか!!」
吠えるように叫ぶと少年は悪戯っぽく笑った、顔がいいのでテレビ越しとかに見ればかっこいいとかかわいいとか思ったかもだけど、今は悪魔だとしか思えない。
「そうだよ、どれだけひっくり返して整備したところでドブはドブだからな」
「悪びれもなく言わないでくださいよ……もういいです、先のことは後で考えます。それで、なんでわたしはあなたのご兄弟に?」
「んー? 異世界人殺せば元に戻ると思ったから」
「……はあ?」
異世界人を殺せば元に戻る、あの病室で見た彼の兄弟、その目を思い出す。
深く暗い底なしの穴のような目だった、あれに似た目を何度か見たことがある。
隔離病棟に収容された、叔父の目が確かあんな感じの目をしていた。
「元はああじゃなかったんだよ。もうちょい喋ったしちゃんと自発的に生きてた。だけど今はあんな腑抜けになっちまった……それで、ああなったのは多分、お前よりも前にこの世界に流れてきた異世界人をあいつが殺し損なったせいなんだよ。だからアレと同じ異世界人を殺せば、って思ったんだが……それじゃないって言われちまったからな……アレじゃなきゃダメらしい。一体何が違うっていうんだか」
「え、と……ちょっと待ってください」
聞いた話を一度まとめてみようとしたけど、どうにもよくわからない。
「まず、あなたのご兄弟はわたしよりも前に来た異世界人さんを……そもそもなんで殺そうと……?」
それと何故殺し損なったのかその理由も聞こうとしたけど、口にする前にその理由に思い至った。
理由なんて二つくらいしか思いつかない。
「アレがあいつが斬ったことのないヒトだったからだよ。あいつはな、いわゆる大剣豪ってやつで……この世界に存在するすべての生物、とまではいかないがこの世界で現状確認されているすべての人種を切断して解体している。だから異世界人っていう未知の『ヒト』を斬りたい、って」
「趣味が悪い」
「人の弟を趣味が悪いとかいうな」
「え? 弟さんだったんですか?」
「は?」
すごい顔で睨まれてしまった、完全に失言したなと思いつつ「ごめんなさい」と口先だけで謝っておく。
「それで……なんでその異世界人さんを殺し損なったせいでああなってしまったんです?」
「知るか」
回答はまさかの三文字だった、そんなバナナ。
「知るか、って……なんか思いつかないんです?」
「ない」
「ちなみに殺し損なったのって、ひょっとしてその異世界人さんが元の」
「それはない。この世界に流れ着いた異界のものは基本的に元の世界に返還できない。お前に帰る方法なんざねぇよ、妙な希望持たれる前に否定しとく、それは絶対にあり得ない」
「そ、そうですか……」
実はワンチャンあるのではないかと期待していなかったわけではない、それでもこうも頭ごなしに否定されるとは思っていなかった。
「それじゃあやっぱり……その、弟さんが異世界人さんを殺す前に、異世界人さんが死んでしまった、という?」
「そ、死んだってか殺された。この世界でもまあまあ悲惨な死に方をしたらしい」
殺された、それも悲惨な方法で。
それなら彼がああなってしまった理由としてパッと思いつくのは……
「なら、弟さんが異世界人さんを殺そうとしているうちに、その異世界人さんに情がわいてしまって」
「ない、それは絶対ない。だって不細工だったし、性格もドブとゲボを煮詰めたようなクソ女だったもん」
即答だった、しかも滅茶苦茶な例え話まで出されてしまった。
「でも、話を聞いているとそれ以外に思いつかない……あなた視点では酷い人だったとしても、弟さん視点ではそうではなかったとか、逆に弟さんがそういう酷い人を好きになりやすい人だったとか、そういう可能性ってあったりします?」
「ねぇよ。うちの弟をなんだと思ってるわけ? そんな悪趣味なわけないじゃん」
「斬ったことがない未知のヒトだからっていう理由で人を斬り殺そうって発想が出てくる時点でよっぽどだと思いますけどね」
そう言ったら尻尾でお尻を思いっきり叩かれた。
「いった! なんでそんなさらふわな見た目のくせにこんなに攻撃力高いんですかその尻尾!!」
「はあ? この程度で痛いのかよ異世界人……これでも手加減してやってんだけど?」
「ええ……」
結構な一撃だった気がするのだけど、あれで手加減されてたというのなら本気だとどうなってしまうのだろうか?
「で、結局理由は分からずじまいってわけですか」
「ああ。アレの死体見つけた後にああなったからあいつがああなった原因はわかってる。けど具体的にどうしてあいつがあそこまで壊れたのかその理由がさっぱりわからねぇの……直接問い詰めてみたこともあったけど、ずっとダンマリだったからお手上げ……理由さえわかれば元に戻せるかもって思ってた時期もあったんだけどな」
「うーん……それじゃあ、そこそこ酷い死に方したって言ってたじゃないですか、その……ご遺体の損壊が酷すぎてショックを受けたとか?」
「は? んなわけあるか、そこそこ酷かったが大したことねぇよあんなの。戦場にはアレより酷い死体がゴロゴロ転がってるからな、それに見慣れてるあいつがあの程度でショックを受けるかよ」
「そ、そうですか……ちなみにその、ご遺体ってどんな状態だったんです?」
「どんなって……ああ、最初に見た時あれに似てるって思ったな、クジラ」
「くじら?」
この世界にも鯨っているんだなあと思いつつ、遺体を見て鯨みたいだと思うってどういうことだとも。
「あー……この世界の海には鯨っつークソでかい生き物が生息していてな? この鯨って生物、死んで海の底に沈んだ後にその死骸……骨を中心に特殊な生態系が築かれるんだよ、これを鯨骨生物群集っていうんだが……オレがアレの死体……いや、残骸を見て最初に連想したのが、それだった」