1-15 カノジョの前に妹とキスをした。
主人公の愛宕ちとせは高校3年になって初めての彼女である凪と付き合い、幸せな生活を送るはずだった。
ただ付き合ったことを妹である真保が知ってからというもの、スキンシップは度を越していき、彼女とより先に練習と言われキスをしてしまう。
「駄目だって、私たち姉妹なんだよっ」
「知ってる」
何を言っても真保は練習をやめる気配を見せず、ちとせも真保との関係を壊すことを恐れ強く拒絶することができない。
「ごめんっ、凪」
そんなある日、真保がちとせのことを姉ではなく彼女として友達に紹介してしまう。
凪と別れる予定なんかないのに、なんで……。
真保はちとせに彼女ができたと知った日から変わってしまった。
ちとせ好みになるためか、香水やメイクなどをどんどんと凪に寄せていく。
ただ真保と凪にも因縁があるようで……。
妹と彼女の狭間で揺れる、ドロドロの背徳浮気百合。
「駄目だって、私たち姉妹なんだよっ」
「知ってるし、それ昨日も聞いた」
私の言葉を一蹴すると、妹である愛宕真保の舌が優しく私の唇を割った。
さっきまで何の味もしなかったのに、口の中はすぐに真保の味で満たされていく。
力を込めて彼女を押し返していた手も、今は飾りのようにただそこにあるだけになっている。
直後は少しだけ頭を横に振れたが、今はそれすらも叶わない。
「練習だから大丈夫だよ、お姉ちゃん」
満足そうな笑みを浮かべた彼女は、何度か私の頭をなでながら尋ねる。
彼女がいるのに妹とこんなこと。
大丈夫じゃないってわかってるのに。
本当はやめなきゃと思っているのに、いつの間にか抵抗するのを私自身が拒んでいた。
身体に力が入らない。
ただこんなこと真保には言えるわけない。
口にしてしまったら、エスカレートするだろう。
そう考えると黙る以外の選択肢は私にはなかった。
「無視するならもう一回してもいい?」
彼女はさっきのキスで口の周りについた唾液を舐めとるかのように舌を動かした。
私はなんとかまた力が入るようになった腕で慌てて彼女を押し返す。
「駄目だよ。やめよ」
ただそんなことをものともしないかのように、真保との距離はまたキスできるくらいに詰められる。
「ダメって、初めにキスの練習しようって言った時乗ってきたのはお姉ちゃんじゃん?」
「それはそうだけど――」
確かに昨日誘われたとき「いいよ。しよ」とは言った。
ただそれはいつものふざけたスキンシップのようなものだと思っていたからOKしただけで。
「だからってあんなキスするとは思わないじゃんっ」
「私ちゃんと『恋人とのキスが不安なら練習しよっ』て言ったよね? あの時お姉ちゃん凪さんと付き合ったはいいけどどうしたらいいか不安て言ってたから提案したんだけど、忘れちゃった?」
「そうは言ったけど」
人生で初めてできた彼女である凪とのデートを明日に控え、昨日は心が押しつぶされそうなくらい不安だった。
その不安を少しでも軽くするためだったらと、真保の提案に乗ってしまったのは否定しない。
ただ高校生になってから激しくなってきたスキンシップを考えると、頼ってはいけないものだったかもしれないと今更になって思う。
「姉妹だからダメって言うなら、ちとせって名前で呼ぼうか?」
彼女は私の返事を聞く間も無く、追い打ちをかけるかのように耳元で囁く。
「ねえ、ちとせ。私とキスの練習しよう。いざする時失敗して凪さんに嫌われたくないでしょ?」
「嫌われたくは、ない。けど――」
凪に嫌われるという言葉がズキンっと心に突き刺さるが、なんとか言葉を絞り出す。
普段真保に名前で呼ばれないせいか、ちとせと呼ばれると妹じゃなくなったかのように思ってしまう。
真保は妹と何回か自分に言い聞かすように心の中で唱える。
「バレるかもって思ってるなら大丈夫だよ。私とお姉ちゃんが黙ってれば誰にもバレない。一緒の家に住んでるんだし、練習するときはお互いの部屋にいけばいいでしょ?」
「だからって――」
確かに場所を選べばバレないかもしれない。
ただバレないからといってなんでもしていいわけじゃない。
「やっぱりこういうことって良くないよ」
「良くないって、今してるのは凪さんとうまくいくための練習でしょ? 私を妹だと思うからいけないんだよ。凪さんだと思えば、ね?」
言い終わるや否や、彼女はまた唇を重ねてくる。
今すぐ離れなきゃ。
ここで受け入れたらどんどんひどくなる。
何度頭の中でそう繰り返えしても、だんだんと頭が溶けたかのように何も考えられなくなる。
相手が真保じゃなくてもいけないことをしてるはずなのに、なんで拒めないんだろう。
「ね、練習だと思えばなんともないでしょ?」
唇を離すと彼女はいやに上機嫌な様子を見せ、続けた。
「私がうまく付き合うための練習台になってあげる。だから私のこと好きにしていいんだよ」
彼女はぎゅっと私のことを抱きしめる。
「これも練習だよ、お姉ちゃん」
「練習って……」
キスされる前から抱きつかれることはあったけど、今は前と同じような軽い気持ちで抱き返すことはできない。
「すごい心臓の音聞こえるけど、緊張してる?」
「緊張、はどうだろう」
真保に言われるまでは気が付かなったが、指摘されるとどんどんと鼓動が早くなっていくのがわかる。
早く普通に戻ってと願っても一向に遅くなる気配を見せない。
「私とキスして抱きつかれただけでこうなっちゃうんなら、凪さんにされるとどうなるんだろうね?」
「……どうだろうね」
自分でもこんなになるなんて思ってもいないかった。
凪が相手だと考えると緊張も幸福も今日の比ではないだろう。
「お姉ちゃんは凪さんのこと好きなんでしょ?」
「好きだよ。じゃなきゃ付き合ってない」
真剣なトーンで目を見ながら話しかけてくる真保に私も同じように返す。
「だよね。私はせっかくできた彼女なんだし、長く幸せに付き合えたらいいなって思ってるんだよ。ただお姉ちゃんどうしたらいいとか、わからないでしょ? だから私のこと頼ってよ、姉妹なんだし。私ならいくら失敗してもやり直せるよ」
本当にいいのかな……。
相手が真保じゃなければ今やってることは明らかな浮気だろう。
ここでやめられなければ今後どうなっていくかはある程度想像できる。
ただ真保に対し恋人にしたいとかいう意味の好きはないし。
真保もきっと私に対しそんな感情は抱いてないだろう。
なら失敗して凪に嫌われたり、ほかの人で練習したのがばれて振られるとかよりも何倍もいいのかな。
「わかった、頼るよ」
「よかった。私お姉ちゃんが凪さんとうまくいくように頑張るから」
彼女は私の手を取ると満面の笑みを見せた。
「……、ありがとう」
本当にこれでうまくいくんだろうか。
けど付き合った時どうしたらいいかとかは私はわからない。
確か真保には前付き合っていた人がいたはずだし、その時に感じたことや後悔したことがあるのかもしれない。
それだったら練習相手になってもらったりするのもいいのかも。
「それよりさ、そろそろデートの時間じゃない? 平気?」
彼女の指さした先を見ると、時計は待ち合わせの時間まであと少しであることを示していた。
「平気じゃない。遅れるっ」
慌てて残りの支度や真保によって乱された服を整える。
これで大丈夫だよね?
身だしなみに変なところがないか何度か姿見の前で回って確認するが、ぱっと見問題はなさそう。
よかった、と胸をなでおろしていると彼女が後ろから覗き込んできて、言った。
「その服かわいいよね、似合ってる」
「ありがと……」
あんなことの後だと真保がどんな意味で言ったのか分からなくなる。
下手に何かを言っても墓穴を掘りそうだし、無視するのも感じが悪い。
当たり障りのない言葉を口に出すと、逃げるかのように玄関まで駆け下りる。
靴に片足を入れたところで、私を呼ぶ声が2階から聞こえた。
「お姉ちゃん忘れ物!」
彼女はバタバタと音を立てながら階段を下りてくると、一冊の本を手渡してくる。
「なにこれ?」
「なにって数3の教科書。今日凪さんと勉強するって言ってなかった?」
「言ったけど」
バッグの中を確認すると、代わりとでもいうかのように数Bの教科書が入っていた。
「まだ進級した実感なさそうだね」
彼女は笑いながら教科書を取り換えると「これは適当なところに戻しておくよ」と軽く掲げて見せてきた。
「まああんまり時間経ってないからね。じゃあ行ってきます」
普段は見送りなんかしないせいか、珍しく真保に見送られると思うとさっきのこともあって少し気恥ずかしい。
「行ってらっしゃい。凪さんとのデート楽しんできてね」
「わかった、ありがとう」
正直こんな気持ちで楽しめるのかという不安はある。
真保の顔を眺めるとさっきの恍惚とした彼女の表情がよみがえり、凪に対する罪悪感も湧いてくる。
ただ「楽しめないよ」なんて言っても、なにも解決しないのはわかっているので、簡単に返事をすると外へ出た。
彼女は私がドアを閉めるまで手を振り続けていた。