唸れ!~財団神拳~②完
橘がサイト”道場”に通い始めてから暫く経ったある日のこと――――
「インストラクション 唱和!」
段位クリアランス上位の門下生の男が大声で叫ぶと、それに続けて道場に集まった下位門下生が一斉に復唱する。――その中には橘の姿もあった。
『『其の一、最短の道を選ぶなかれ!』』
『『其の二、研鑽を忘れるなかれ!』』
『『其の三、書を捨てよ、己が道を歩め!!』』
『『『No神拳!!No収容!!!』』』
「ではこれにて解散」
『『押忍!!!!!!』』
その掛け声とともに、門下生たちはぞろぞろと道場を退出していく。1日3時間までを上限とする、本日の稽古時間が終わったのだ。日々の業務の隙間を縫って道場に通い詰めている橘も、稽古で汗を流し疲労を覚えていた。しかし、心地よい疲労である。まるで山を登り切った時のような、はたまた42.195㎞を走りぬいた時のような、爽快な気分であった。
「はぁー、疲れた」
橘も他の財団職員同様、着替えなどの荷物を纏めて自室へ帰ろうとしたその時だった。
「橘君」
「は…ッ。師匠。何か御用でしょうか?」
武者小路に呼び止められたのである。彼女は、初日に出会って以来武者小路を師匠と呼び慕うようになっていた。
「基礎ができてきたな。そろそろお前には奥義を教えても良い頃合だろう。」
「本当ですか!私、アレを……拡散強化型バタフライドリルを是非とも習得したいです!あ、でも実用性重視なら神拳型Pクラス記憶処理プロシジャ-Aも捨てがたい……!!」
地味で厳しい修行を耐えてきた甲斐があったというものだ。ようやく師匠や上位門下生のように、派手で実用的な奥義を習得できるこの時を橘は大層心待ちにしていたのである。年甲斐なく喜ぶ彼女を見て、武者小路も顔を綻ばせた。
「ふぉふぉふぉ。まぁまぁ、焦るな。お前はまだ学び始めたばかりだ。初歩的なものから習得するのがよかろう。」
すっ、と武者小路がある1点を指さした。
「あの的を見ていろ」
10m先の壁に、コンパネで作られた的が壁に掛けられていた。突然、武者小路は流れるような所作で構える。そして息を細く吐くと――目にもとまらぬ速さの拳を突き出した。
「―――共振パンチ!」
驚くべきことに、一切手を触れる事無く、的がけたたましい音を立てながら粉々に砕け散った。
「……ッ!なんて精度……。師匠、今のは……」
「共振――という現象を知っておるな?」
「えっと……音叉を使った理科の実験のアレですか?……かなり昔に習った事なので、あんまり覚えておりません。」
「よい。説明しよう……。」
――振り子の実験がもっとも分かりやすいだろう。様々な糸の長さの振り子を用意し、1つの振り子を揺らすと、その振り子と同じ紐の長さの振り子が揺れ出す、というものだ。このように、個々の物体が持つ固有振動数と同じ振動数の揺れを外から加えると物体が振動を始める現象を共振という。
「……共振パンチは物体の固有振動数を測り、同じ固有振動数の共振現象をパンチで与える奥義だ。財団神拳の中でも初心者が習得する目標の1つとして良い課題だろう。」
「成程……。では、その肝心な固有振動数はどのようにして把握するのですか?」
「勘じゃ……。というのは半分。経験を積むと、物体の重さやばね定数が目視だけで何となく分かってくるようになる。」
「目視で?……常人にできることでしょうか。」
「……励めよ、橘。」
橘はそう言い残し去っていく武者小路の背中を唖然と見つめるのであった。
この日以降、橘は修行をよりハードなものに切り替えることにした。滝に打たれ、筋トレと体力作りに励み、瞑想にて精神を統一。更に、あらゆる物質の密度や固有振動数を調べ、パンチにより発生させる衝撃波を微細にコントロールする特訓に明け暮れた。
晴れの日も雨の日も雪の日も――――橘は隙間時間を見つけては足しげく道場に通い訓練に励んだ。
――しかし、どうにも身につかない。いくら訓練を積めど、共振現象を引き起こすようなパンチが打てないのだ。最初は前向きに取り組んでいた橘も次第に道場へ通うのがおっくうになり、無意識のうちに何かと理由をつけて次第に足が遠のいていった。
決定打だったのは、出張だった。赤城に招集され遠く離れた地方都市に出かけることになったのだ。何日間拘束されるか未定だという。
そもそも、道場の門下生は本来SCP財団としての業務が本業である。各々の業務推進状況によって、クラブ活動に必ずしも参加しないといけないなどという決まりは一切無いのだが、そうは分かっていても、財団神拳の習得に熱中していた橘にとっては「通わなくては」という気持ちを抱えたまま他の事柄に集中するのは大きなストレスであった。
そして、ようやく出張から帰還したのは一週間後のことだった。日本支部に戻ってきた橘は、謝罪を兼ねて、武者小路への手土産を片手に、久しぶりに道場に顔を出すことにしたのだ。土産を渡すついでに、「仕事が忙しくて通えなかった」という言い訳を赦してもらい、肩の荷をどうにか下ろしたかったのだ。――打算的だ。そう橘は自覚していた。だが、自分が気持ちよく生きていくためにはどうしても彼に逢わなくてはならない。そのような覚悟を決めて道場にやってきた橘は、驚くべき光景を目の当たりにする。
道場の入り口に掛かっていた看板も、敷き詰められていた畳も、すべてごっそりと姿を消していたのだ。
「……あれ?ここにあったはずなのに。」
道場が、きれいさっぱりなくなっていたのだ。夢でも見ていたのだろうかと疑った。
「狐……いや、猫にでも抓まれたか?」
いくら見ても、すっからかんのもぬけの殻だ。混乱しているとはいえ、此処に突っ立ている訳にもいかないので、橘は不思議に思いつつも諦めて仕方なく自室へと帰っていった。
「変な夢を見たんだよね……。いや、現実か夢か分かんないんだけど。」
「なにそれ。夢と現実の区別がつかないとか、ある?」
橘はこのことを誰かに話さずにはいられなかった。手っ取り早く、身近な存在である有坂に例の不思議な体験を聞いてもらうべく話題にしたのである。
「わかんない。なんか……道場みたいなところで修行してた気がするんだけど。」
「道場?財団に?……漫画の読み過ぎじゃない?」
「そんな訳……。最近マンガ読んでないしな。」
確かに、直近に見た漫画や映画が夢に反映されたという経験はあるが、格闘技漫画はおろかスポーツ漫画など久しく読んでいない。
「修行ってどんなの?」
「こうやって……共振パンチ!みたいな。」
こうだったかな?なんて、軽い気持ちで振るった拳の先端が、ほんの僅か1μ有坂の身体に触れた刹那――
――ッパァァァァァァンッッ!!!!!
有坂の衣類が風船が割れるかのように勢い良く弾け飛んだのである。
「キ……キャーーッ!??」
咄嗟のことに、有坂は露わになった自らの身体を手で覆い隠し女子の如く絶叫した。
「な……何ィーーーッ!?」
無論、橘もまさか共振パンチが放たれるなど露にも思っていなかったのである。それに、習得はできていなかった筈の技だ。突然のことに開いた口が塞がらない。
「俺の……俺の団服がぁッッ!!」
哀れにも有坂は、はらりと舞い散る服の切れ端を掴んで目に涙を浮かべていた。数少ない彼の私物である。無残にも枯れ葉の如く床に散乱していた。
「財団神拳は……ジョークじゃなかったのか……!?」
忽然と姿を消した”道場”、謎の修行の記憶、そして放たれた財団神拳奥義「共振パンチ」。
財団神拳は、実在するのか?
答えは、神のみぞ知る。
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author:Kwana
Title:SCP-710-JP-J -財団神拳-
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-710-jp-j




