それほどNじゃない①
「あの、ボス……私休暇中なんですが……」
相手に見えないにも関わらずに身振り手振り交じりで電話口で慌てふためくエイダ・キャンベル。彼女を横目に「また厄介ごとか」と思う大荷物を抱えたチャーリー・アンダーソン。
2人はアメリカ在住のSCP財団職員である。普段は、とあるアノマリーの監視の為にTVクルーとして国内の球場を転々と移動しながら暮らしている。今は12月。メジャーリーグのシーズンオフ真っ最中だ。2人の野球関係の仕事もグッと減る。上から1か月の休暇を貰えたので、チャーリーがエイダを誘って2人仲良くヨーロッパ旅行を楽しんでいたところだ。
「待ってください!あっ………。あぁ、もう!」
エイダは一方的に切られた電話に口汚く悪態をついた。
「……何て言ってたんだ?」
休暇中に上司から掛かってくる電話ほど嫌なものはない。あのエイダの様子じゃ、碌な内容ではなかったのだろうとチャーリーは予想した。
「……明日リーズに来いですって。酷いわ!明日の予定が台無しよ。市内を観光して夕方からウェストエンドで『マンマ・ミーア!』を観る予定がね!……チケットだって買ってあるのよ!?ほんと、人使い荒いんだから!」
チャーリーは「この間もブロードウェイで同じタイトルのミュージカルを見に行ってなかったか?」といった言葉をぐっと飲みこんだ。火に油を注ぎかねない。それにこのままだと怒りの矛先がこちらに向きそうだと思った彼は話をすり替えることにした。
「エイダ、こう考えろ。ボスに借りを作ったってな。この旅費も請求してみたらどうだ?休暇中に仕事を入れる上司はクソだ。そうだろ?俺達には請求する権利がある。それに、リーズにだってグランドシアターがあるだろ。ミュージカルも観れるしあそこはオペラだってやるぜ。チケット代も請求すると良いさ」
エイダはちょっと考えた後、目をギラリと鋭く光らせた。
「……それ良いわね。」
「だろ?勿論S席のな。……まぁそれは置いておいてよ、ボスがわざわざリーズまで呼び立てるなんてどんな用件だったんだ?」
「……それが、曖昧で。君の力を貸して欲しいとしか教えて貰えなかったわ。」
曖昧な業務連絡が来るときは決まって厄介なことが多いのだ。あぁ、それくらいなら……と油断させておいて多大な労力を掛けさせる。ボスのいつもの常套手段だ。だが、これをエイダに言うと高確率で機嫌を損ねるだろう。チャーリーはそのことを黙っておく事にした。
「へぇ、有名リポーター様の力が必要なSCipがいるってのかよ?」
「それともこの美貌が必要なのかも」
そういうと、エイダはウインクしてみせた。可哀そうに、厄介ごとを押し付けられているというのにこの能天気さは泣けてくる。それに、彼女の素性を知らない一般人ならこのウインクだけで大喜びするところだが、生憎10数年来の付き合いのにとっては何の関心も引かない動作である。
「調子に乗るなよ。兎に角、明日はさっさと仕事を片付けよう。ま、ホテルでチェックインを済ませて荷物を片付けよう。飯でも行こうぜ。」
「えぇ、そうしましょ。お腹すいた。私、あれが食べてみたいわ。」
「フィッシュアンドチップス?」
「そう、それ。」
リーズでの仕事が一体どれだけ時間が掛かるのかわからないが、ある程度の覚悟はしておいた方がいいだろう。エイダの事だ、今も両手に余るこの大荷物を持っていくと言い出したら大変なことになる。荷物を置いて、リーズに持っていく荷物を厳選するよう言わなくてはならない。ひとまず食事をして正常な判断を取り戻そう。
こうして、2人は休暇中捻じ込まれた業務を遂行する為に現場へと向かう事にしたのだ。翌朝、ロンドンから電車で約2時間揺られると、あっという間にリーズに到着した。イングランドで3番目に多い人口を誇る大都市である。
「思っていたより人が多いわね。」
「あぁ。観光名所てんこ盛りだからな。ラウンドヘイ・パークだろ?テンプル・ニュウサムなんかもあるな。王立武器博物館ってのは一度は行ってみたい。」
「チャーリー、貴方なんだか詳しいわね?」
「調べたんだ。折角だから、仕事をさっさと済まして観光でもしてからロンドンへ戻ろうぜ。」
「えぇ、それがいいわ。ついでにその王立武器博物館ってところでボスをやっつけるにふさわしい逸品を探しましょう。」
「で?どこへ来いって?地図を見せてみろ」
「ええと……ここね」
エイダが携帯電話に送られてきたメールを開き、添付されていた地図をチャーリーに見せた。
「……徒歩30分か。丁度良い。あそこに見えるタクシー拾おう」
「チャーリー……30分くらいなら歩いたってすぐよ。そんなだから太るのよ。ダイエットがてら歩いたらどう?景色でも見ながら歩きましょうよ。」
自身の腹周りがだらしないのは今に始まった事がないが、30分なんて歩いたら汗だくになってしまう。見た目に気を遣っているエイダは確かにスリムだが、掛かる時間を短縮できるうえに体力も温存できるのだから、どう考えてもタクシーに乗るのが効率を考えると最善だと思った。
「ダイエット?やだね。この俺という素晴らしい存在が1ポンドでも地球上に増える。……何が悪いってんだ?」
「調子に乗らない事ね!」エイダは呆れながらそう言うのであった。




