0匹のイナゴ
SCP財団日本支部。とある日の昼下がり。
橘が売店でエナジードリンクを購入し、事務所に戻ろうとしていた時だった。財団職員たちの憩いの場である休憩スペースに見覚えのある男の後姿が見えた。
彼はうーん、うーんと頭を抱えて何かを悩みながら読んでいる様子だった。背後からそっと手元を覗くと、見慣れた冊子が開かれていた。
「何を熱心に読んでいるかと思えば。月刊財団員だよりじゃないの。有坂も読んでいるのか?」
橘が声を掛けると、その男――有坂は驚いたように振り向いた。
「わっ。センパイかよ。……いや、丁度良かった。これ。意味分かんないんだけど、分かる?」
有坂が見せてきたそれは「月間財団員だより」である。SCP財団日本支部が定期的に各部署に配布している小冊子だ。社内広報の為に製作されているらしく、娯楽の少ない館内において密かに楽しみにしている財団職員も少なくない。かくいう橘もその一人だ。SCiPに関しての知識も増えるし、食堂の1か月献立や著名な博士へのインタビュー記事など、ホットなニュースが盛り沢山で毎月飽きることが無い。今月の特集はとある研究員監修による人肉食アレンジレシピだったのは記憶に新しい。
「これだよ、これ。算数クイズだよ。」
橘は有坂が指を刺した文章に目を落とした。ポップなフォントで書かれたその見出しは、およそ大人向けとは思えないかわいらしさだった。強面の有坂とのギャップに思わず橘が噴き出した。
「《5分で脳トレ!財団算数クイズ》?なんだ、有坂ったら計算が苦手なのか?」
「……得意な訳無いじゃん。まともに学校通って無かったし。」
「あ、あぁ。まぁそうか……。ごめん。」
有坂のプロフィールを見て、彼が母子家庭で金銭的に余裕の無い家庭だったのは分かっていた。もしかしたら学校に通うのも苦しかったのかもしれない。そうだとしたら悪い事を口走ってしまった、と橘は即座に反省した。家庭の事情というやつに他人がずかずかと土足で踏み入るのは失礼極まりないと思ったからだ。
「気にしてないって。謝られると逆に気ぃ悪いって。」
かく言う本人はこのようなやり取りに慣れきっているのか、顔色一つ変えずにさらりと流した。
気を取り直して、橘は問題文を読み上げる。
「ごほん、第一問。ここに何の変哲もない飴が5個あります。2つ、飴を食べるとすると、残りの飴は幾つ?」
「馬鹿にしてるよな。3つに決まっているじゃん。」
橘はぺらぺらとページをめくる。答えは冊子の一番後ろのページにひっそりと小さく書いてあった。
「答えは3。」
「これは別にいいんだけど、次だよ、次。」
「……第二問。ここに0匹のイナゴがいます。そのうち、4匹が病気で死に、2匹が鳥の餌になり、*匹は財団職員によって破壊されました。さて、イナゴは何匹でしょうか。ただし、イナゴはとあるアノマリーとする。」
「そう、ここが意味わからないんだよな。とあるアノマリーなんて言われても俺知らないっつーの。……というか問題文がめちゃくちゃ。*匹って隠したり、0匹のイナゴがいますって……意味不明。誤植かな。」
「誤植?まさか。財団の制作物だぞ。何重にもチェックされてる筈。そんなに正解が気になるならハナから答えを見てしまえば良いのに。」
「なんか嫌なんだよ。自分に負けたっていうか、なんていうか。悔しくない?」
「そうかな。私なら諦めてすぐ答えを見ちゃうけど。」
変なところを気にする奴だと橘は呆れた。生憎、彼女はそのようなタチではないので答えのページをさっさと見てしまった。
「答えは0匹。」
私に読ませるのであれば、それはもう答えを見たのと一緒なのではないか、と彼女は思ったが面倒なので黙っておいた。
「ん?何で?おかしくない?」
「ちなみに、元々いたイナゴも0匹だな」
「は?何で?」
「とあるアノマリーだって言ってるでしょ。普通のイナゴじゃないんだよ、コイツは。まぁ有坂が知らないのも無理はないけど。」
「センパイは何で知ってんの?」
それはね、と続ける橘はどこか得意げだ。
「経験値の差ってやつだよ。コイツはね、有名だから。」
「何で有名なの?」
「そりゃあ……収容違反が起こったり、今ではトンチキな事になっちゃってるからしばしば問題視されてるんだよ。だから時々コイツのことを耳にする。」
「へー。で?そのアノマリーが答えにどう関係するのよ?」
「このアノマリーはな、死んだ瞬間に死んだ事を無かった事にする。……いや、間違えた。生まれた事実を改変してしまうんだよ。」
「……ん?どういう事?」
「事実が湾曲されて生まれなかったことになる。つまり、このアノマリーは今現在全滅してしまっているって訳でしょ。だから、元々いた数も0匹って事に改変されたんだ。厄介な事に、この現実改変能力は文字や人の記憶にも及ぶから収容違反が起きたんだ。そのテイストが問題文にも反映されたんだよ。出題者の遊び心だね。」
「訳わかんねー。」
「まぁこれは知識が無いと分からない問題だったね。」
「つーか、何でこんな訳わかんないScipが存在するんだろ。野生で自然発生するもんなのかね。そもそも、イナゴ側にメリットがあるのかね。」
「このアノマリーは自然発生じゃない。日本生類総研が産み出したんだ。」
「日本生類総研?初めて聞いたけど何それ」
「迷惑な奴らだよ。私たちから見たら要注意団体ってところかな。」
「悪の組織?」
「うーんどうかな。少なくとも私たちにとっては憎むべき相手の時もあるけれど。他の組織から見たら私たちの方が悪の組織に見える場合もあるだろうしね……。なんとも言えないな。」
「じゃあ、そいつらは何のためにアノマリーを作ってんの?」
「さぁ……。只の愉悦って噂もあれば軍事利用目的なんじゃないかって噂もある。詳しいことは分かっていないんだ。」
事実、異常が報告され調査してみると、日本生類総研が関与していたという案件が過去にいくつかあったが、いずれもその遺物によって引き起こされた異常であり、日本生類総研の関係者や本拠地の足掛かりは掴めないでいる。対してSCP財団はあちこちにばらまかれた地雷を1つずつ処理していくような、そんな地道な対処をせざるを得ない状況だ。
「他にもいんの?その……要注意団体ってやつ。」
「んー……如月工務店……石榴倶楽部……。……ごめん、私もあんまり知らない。国内だけでも他にいろいろいるってのは知ってるんだけど。」
財団職員にSCiPに関わる全ての情報が周知されている訳では無いのだ。より重要な情報は秘匿され、クリアランスレベルの高い職員しかその情報を閲覧できないような仕組みがあり、コンプライアンス遵守に努めている。O5評議会のような選ばれた一握りの財団職員しか知らないこともあるが、それを橘や有坂といった一般職員が知る由もない。従って、橘が知るのも氷山の一角に過ぎないのだ。
「私の先輩で要注意団体に詳しい人がいるんだけど……。彼が日本支部に帰ってきたら一緒に色々聞いてようか。」
「覚えてたらでいいよ」
「コラ、折角教育担当である私が教えてやるってのに!」
「いてっ!」
丸めて筒状にした月刊財団員だよりで有坂の頭を叩くと、ぽかりと間の抜けた音がした。
「ほら、空っぽな音しかしない。もっと勉強したまえ、有坂君。」
「スパルタ教育反対。」
橘はこれくらいスパルタでも何でもないと叫びそうになるが、口を開いたところではたと止まる。一歩やり方を間違えれば、今の時代は揚げ足を取るかのようにパワハラだのセクハラだのと訴えられる時代になりつつある。自分が平気だったからと言って部下が平気とは限らないものだ。それに、もし万が一それを告発されでもしたら自分の信用を失うことになるだろうと彼女は逡巡した。
「――――そうだな、人には得意不得意がある。勉強が苦手だと焦らなくていい。私が丁寧に教育してあげるから安心しろ。」
「言ってることが最初と違うぞ。きしょいって。」
「なんだと!」
「いっっっっ……!!暴力反対!」
――橘の強烈なげんこつを脳天にお見舞いされた有坂はその場に撃沈するのであった。
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author: dr_toraya
Title: SCP-240-JP - 0匹のイナゴ-
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-240-jp
要注意団体‐JP
Source:http://scp-jp.wikidot.com/groups-of-interest-jp




