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アノマリー -from SCP foundation-  作者: 梶原めぐる
審判:SCP-1608に関する重要参考人
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少年Sと空飛ぶクジラ⑤完


 渋谷氏は岬から遠くの空を眺めていた。


 

「う……うぉ……。」



 有坂はぎょっとした。渋谷氏が静かに涙を流していたからだ。

 皺だらけの干からびた頬を涙がほろほろと伝い落ちていく。有坂は何か気に障る事をしてしまったのではないかと思い、慌てて彼の涙を袖で拭った。



「えっ、ちょっと。渋谷さん、どうしたんですか?」

 

「……俺……俺ぁ……。」



 問いかけても呻き泣くばかりで何も話してくれない。橘は何かを決心したのか、渋谷氏の前に跪いて彼の手を握った。



「渋谷さん。私たちは、貴方の任務の命を解きにやってきました。今まで、報告ご苦労様でした。貴方の功績を讃え、財団から勲章を預かっています。」



 橘が手に握っていた何かを彼の手のひらに静かに置いて握らせた。渋谷氏が震えながらゆっくりと指を開いていくと、そこには銀の装飾をあしらわれたピンバッチが現れた。

 


「…………そうか……。」



 渋谷氏は理解したようだった。



「東さんは……?息災か…………?」


「……東氏は23年前に亡くなられています。」


「…………そうかい。」


「さぁ、ホームに帰って温まりましょう。」



 有坂たちは老人ホームへと帰ることにした。

 渋谷氏を部屋に戻した後、彼の看護は今後2人が受け持つように橘が担当エージェントと交渉した。交渉が無事に済むと、2人は休憩室に戻ることにした。



「……センパイ、良かったのかよ。」


「何が?」



 有坂が辺りを見渡し、人がいない事を確認すると小声で橘に耳打ちする。



「記憶処理。さっきやっちまえばよかったのに。」

 


 渋谷邦夫氏のSCP⁻1608に関わる記憶を消してしまえばこのミッションは無事に終了となる。彼の認知症が進行し、一般人にその秘匿情報を漏らしてしまう前に早急に何とかしなければならないのは事実だ。



「いや……。もう必要ないと思う。彼は長くないだろうし。……最後くらい、自然な形で終わって欲しいんだ。投薬で何だか彼の人生を台無しにしてしまう気がして。」


「そういうものかな」



 記憶処理剤にもレベルがあり、クラスA~クラスFまでの段階がある。レベルが上がるにつれ、取り扱う事ができる職員のレベルと投薬条件のハードルが厳しくなり、記憶処理の効果もより強くなる。記憶のどこまでを消すかで使用するレベルが決定するのだが、今回はクラスB処理剤を使用する指示が下っている。なお、橘がクリアランスレベル2を保有しているので、使用条件はクリアされている。

 


「さぁ。記憶処理をされた経験が無いから何とも言えないけれど……。大事な記憶まで財団に弄られてしまうなんて、なんだか遣る瀬無いでしょ。」


「財団って、自分たちの事神様かなんかだと思っているよな、絶対。」


「……そんなことは無いよ」



 橘は目を伏せた。





 それからというもの、渋谷氏のケアは橘と有坂の2名に委ねられた。これは渋谷氏を監視する目的と、もし記憶処理剤を投与することがあれば、投与後の彼の体調変化を他スタッフに気付かせない為でもあった。普段財団職員として働いている2人だが、数日の訓練と事前に仕入れた情報を頭に叩き込めば、何とか彼1人の身の回りの世話をすることが出来た。この老人ホームに常駐しているエージェント:ハンナの手伝いもあり、何の問題もなく束の間の穏やかな日々を送っていた。

 


「え!?渋谷さん、囲碁できるんですか?」


「あぁ……昔はね、よくやってたよ。」


「すげー。俺にも教えて下さいよ!」


「あぁ、あぁ、いいよ」



 有坂は人懐こい性格の様で、渋谷氏の世話をするうちに彼とすっかり仲が良くなっていた。橘はその様子を”ターゲットと親密にならないで欲しい”という思いと微笑ましいと思う、複雑な思いで見ていた。

 数か月前、有坂翔馬は突然橘に預けられた。彼の事はSCP-119-JPの任務の時にDクラス職員として使用したが、その後脱走騒ぎを起こした大問題児だと認識していた。てっきりその後死亡したか終了させられたと思っていたが、Cクラス職員として橘の元に再び姿を現した。その際、彼女に直接SCP財団最高評議会である”O5”から極秘指示が下った。


 Cクラス職員:有坂翔馬を監視せよ。この一文のみがメールで送られてきたのである。


 何故、SCP財団の最高権力者たるO5が彼の監視を指示したのか、何故自分が指名されたのか。全く理由は分からなかったが、深淵に足を踏み入れてしまうような気がして深く詮索しようという気にもならなかった。彼がDクラス職員の時の記憶を持っているのか、それすら聞くのが恐ろしい。彼の人生が財団によって歪められ、そこに自分も加担しているという事実に橘は罪悪感を少なからず感じていた。


 窓際で渋谷氏と囲碁に興じる有坂の姿を眺める。いたって普通の青年だ。渋谷氏と並んでいると、まるで祖父と孫のようにさえ見える。渋谷氏は有坂を気に入ったようで、昔の話をよくするようになった。一般人に聞かれさえしなければSCP財団同士でのScipに関係する話をするのは問題ない。なので、渋谷氏がSCP-1608の話を有坂にするのも全く問題は無いのだが、橘はいつどこで聞かれているのか分からないんだから、と気が気じゃなかった。渋谷氏の個室でだけという約束を有坂と交わした。



 翌日、2人が出勤すると渋谷氏は息を引き取っていた。

 安らかな顔でベッドに横たわる彼の羽織の胸元には勲章が窓から射す朝日で煌めいていた。


「渋谷さん……。」

 

 有坂は、彼のベッドの傍にしゃがみ、冷たく硬直したその手を両手で握りしめた。

 

「有坂。任務終了だ。本部に戻ろう。」

「……うん」


 もうここにいる必要はない。2人は身支度を整え、後の事はエージェント:ハンナに任せ老人ホームを後にした。冷たく澄んだ空気が満ちた、清々しい冬の朝だった。


「なぁセンパイ」

 

 橘の後ろを付いて歩く有坂が彼女に話しかける。

 

「なに?」

「…………。いや、何でもない。」


 老人ホームの駐車場に停めてあったバンに乗り込み、車を発進させる。有坂が助手席の窓を開けると、潮風が車内を満たした。有坂が水平線までずっと続く海を眺めていると、不思議な音色が聞こえてきた。

 

 ――グヲォォォーーーン…………

 ――グヲォォォーーーン…………


 きっとクジラの鳴き声だったのかもしれないし、或いは鎮魂歌だったのだろう。それは灯台が見えなくなるまで聞こえていた。


この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。



Author: C-Dives

Title: SCP-1608 -禺彊-

Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-1608

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