◎晴明とヤジロウ
十年、天鼓たちが失踪してこの世界にムーンクエイクが始まってからの月日だ、晴明は勤めた出版社をやめてフリーのライターを生業としようとしていた。二十五歳の決断だ。住まいは東京のまま今は自らにご褒美を与え温泉で休養を取っているのだ。とは言っても実家のことである。一週間の里帰りと言ったところである。
自分の部屋は年の離れた妹たちの遊び場と化していてベッドを使うくらいだが幼い頃の思い出に浸りながら近所を散歩することが息抜きであった。
満腹寺付近の紅葉を愛でって帰ってくると自宅用の玄関の前で男の子が入ろうかどうか躊躇をしながらうろうろしている。
「どうしたの君、ひなたのお友達?」
「あっひなたのお兄さん」
「えーと君は喜多屋君だったっけ」
昔ひなたたちと遊んでいた男の子だった。
「はい、ジローです」
「遊びに来たのかい。ひなたは今日は土曜日だからアカネたちとお出かけしているよ。でもいいじゃないか。おはいりなさい。ジュースでも飲んでいきなさい」
晴明は喜多屋を自宅に招き入れた。
「おーいお袋、ひなたのお友達が来たよ。飲み物でも持って来てよ」
事務所にいるであろう陽子に声をかけた。食堂で待っていると少し顔を見せて
「あらジローちゃんじゃない久しぶりね。ひなたはお出かけしているのごめんね。オレンジジュースでいいかな」
「お邪魔してます。お兄さんから聞いてます。すぐ帰りますので」
「いいじゃない、ゆっくりしなさい」
顔を引っ込めるとオレンジジュースと炭酸せんべい、晴明には紅茶を入れて持ってきた。
「でも何年振り、二年生くらいまでだったわね。毎日来ていたんじゃない。どうしたの」
「三年生から別のクラスになって習い事も増えて時間が合わなくて僕も一緒に遊びたいなとは思ってたんですけど」
「あら大変ね。ゆっくりして行ってね。おばさんは戻るから」
陽子は宿の方へ帰っていった。
「ジロー君、悩みがあるんだろ。お兄さんでよければ相談に乗るよ」
喜多屋は下を向いてズッズッとジュースを飲んだ。
「内緒にしてくれる」
「ああもちろん、習い事さぼったんだろ。無理することないよ。いやならお母さんに打ち明けるんだよ」
コクリとうなずいた。
「どうしてわかったんですか」
「ヴァイオリンだろ。そのケース、ちょっと推理してみたんだよ。こんな時間にどうしてここに来たのかを」
「探偵さんみたいですね。お兄さん、パパとこれからスタジオで稽古するんだけど別のことに興味を持ってそっちをやりたいんだけどお母さんにもパパにも言えなくて逃げてきたんです」
「それで何をしたいんだジロー君は」
「オリンピックのBMXフリースタイルを見たら興味が湧いてきて僕もやってみたいなと思ったんです」
自転車で競技フィールドをジャンプや回転などの華麗さを競う競技である。
「へージロー君はスポーツが得意なのかい」
「うん、走りっこは学校で一番早いんだ。球技はそこそこかな。あと鉄棒も得意だよ」
「お父さんとお母さんにそのことと打ち明けてお願いしなよ。きっと応援してくれるよ」
「うん、わかったお願いしてみるよ」
「うんじゃなないよ。はいだよ。でもヴァイオリンは嫌いなのかい」
「ううん?はいいん?」
「いいよそこは普通で」
「好きだよ。コンクールで優勝したこともあるんだよ」
「そりゃすごいな。ちょっと聞かせてみてもらえるかな」
「はい」
ケースから楽器を取り出し調律すると、奏で始めた。晴明はその音色に驚いた。陽子は飛んで食堂にやってきて聞き惚れている。そして演奏が終わるとお辞儀をした。
「すごい!!ジローちゃんステキじゃないのひなたいやアオイも惚れ直しちゃうわよ」
「サン=サーンスだね。すごいね。よく練習しているじゃないか。もったいないながんばって両方やってみればどう」
「なにジローちゃん楽器辞めちゃうつもりなの勿体ないよ。さんさんさんだっけ、素敵だったのに」
「ひなたママ、僕やめないよ。ひな兄から勇気もらったからパパとお母さんに打ち明ける、今から行ってきます!ありがとうございました」
というと本当に走って行ってしまった。
「面白い子だなジロー君は」
「いい子よ。ひなたたちに優しいしみんなを楽しくさせてくれるの、そうだ晴ちゃん知ってた。あの子園長先生の息子さんでミーちゃんのいとこよ」
「晴海の親戚か、道理で懐かしい妖気を感じていたよ。不思議な縁だな」
複雑に絡まる縁の糸、離れてはまた絡まり一枚の布を織りあげていくのであった。