〇プロローグ
東風吹かば
にほひおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ
菅原道真
望月の下、異形の二人が大路に影を落とし下っている。
ひとりは大刀を背負った従者と思しき痩せた男、かたや長い黒髪に烏帽子、白い狩衣姿に葡萄染の指貫が高貴な身分であると示す服装ではあるが顔を隠す表情のない面は月あかりを受け青白く輝いていた。
「梅が見事咲き誇っておるのう。こうして牛車を降りて月を明かりに歩いてみるのも一興」
「ですかね」
黒髪に少しハネ上がりのあるくせ毛の従者はそっけない返事で答える。
「まったく無粋なやつだな。そろそろ参ろう」
あとを付いてくる牛車の車夫に合図する。
「オオガミの旦那には風流なんて似合わないだす」
そう吐き捨てるように言うのは車を轢く真っ青な牛、なんとマッチョな人の姿をしていた。そうギリシャ神話ミノタウロスのように牛男車とでも呼んだほうがよいのであろうか。オオガミに悪態をついた牛男は月を見上げたまま立ち尽し鼻を膨らませ梅の香をかいでいるようだ。
はたと気が付き唐車の御簾をおもむろに開け放つ、ふわっと浮いたように法師様が乗り込むとオオガミと呼ばれた痩せ男は
「ただ普通に花が咲いてるだけじゃないか、ただそれだけだ」
「たまにはオオガミも風流を味わえ。タウロ、お前は粋を感じよく味わっているな。さすがだよ」
二人の名前はオオガミとタウロ、牛車は静かだが驚くほどの速さだ。オオガミは伴走して物集女街道へと向かった。
しばらくの刻、左手に桂川を望む集落付近を進んでいるとオオガミはタウロを制し車を止めた。
「法師様、なにやら餓鬼どもの匂いが、この先に群れを成しているようですぞ」
「それは面妖な、付近に被害が出てはいかん。こんな荒事には鼻が効く、オオガミ任せたぞ」車の中から法師が答える。
うなずくと唸り声をあげ獣人化しながら道を無視して藪を直線で突き抜ける。口は少し裂けて牙が覗いている。耳も頭上付近に移動し体中の毛が伸びしっぽまで生えてきた。まさに狼と化した。
開けた場所に飛び出ると十数体の餓鬼と呼んたモンスターがいた。緑色の肌に知性のかけらもない目つきの醜悪な姿態、ゴブリンだ。棍棒をもってオオガミに襲い掛かる。オオガミはにやりと笑うと、大刀を軽々と振りおろす。一度に何体もの餓鬼が真っ二つになっていく。よほどの剣技の達人であろう、無駄な動きなく紙切れのように切り捨てていく。餓鬼たちの力も強い。周辺の木々をいとも簡単になぎ倒し、オオガミに向かってくるのだが、相手が悪い。
あっという間に物言わぬ塊の山が出来上がった。
牛車がたどり着くと、法師がゆっくりと降りてきた。オオガミは刀に着いた血を振り払って少し人らしい姿に戻っている。戦いに物足らないといった表情を浮かべて。
「後始末をしていくか」法師が手のひらをかざすと面に不思議な魔法陣が浮いたと思うと、炎が巻き起こり餓鬼の死体を灰と化した。
「こんなところにゲート?」
見上げる空にぽっかりと裂け目が開いているではないか。法師様は懐から呪符を取り出し、裂け目に向かい投げつけた。
キーン!!!
その空間亀裂は金属音と共にみるみる小さくなり消えうせた。タウロは燃え尽きた餓鬼の灰の中の宝石のようなものを集め袋に集めた。ドロップアイテムといったところであろう。
彼らは気が付いていたのだろうか。裂けた空間からもう一体この世界に侵入者がいたことを・・・
二時間ほど山道を抜け一行は目的地にたどり着いたようだ。車を止めるとため池、いや硫黄の匂いが立ち込め湯気を上げている温泉のようであった。この場所は枕草子にも謡われた名泉で金泉とよばれる効能豊かな温泉地である。彼らは京から有馬までやって来たのであった。
露天に湧き出た温泉は澄んで青い月に照らされている。法師様は湯の上に魔法陣を描き出した。古代文字のような文様の魔法陣は闇夜に銀色に輝いた。
そして五行の印を結ぶとタウロが車内から男の子を取り出して魔法陣の上に置いた。死んでいるかのように少年はピクリとも動かない。
「蝕みが始まるぞ」