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短編集

逃げた令嬢は愛する自由を手に入れる

作者:



 


 ――ああ、どうして私じゃなく貴女なの?


 心の中で何万回問い掛けても答えは同じ。


 ――私よりも、貴女が美しいから。


 部屋の窓から見渡せる庭に植えられている大きな木の下で仲睦まじく談笑している男女を憂いの眼に納める一人の少女。

 スカーレット=ヴァーミリオン。ヴァーミリオン伯爵家の長女。庭にいる男性は、スカーレットの婚約者オルグレン公爵家の長男アシェリート=オルグレン。女性は、スカーレットの妹ラリマー=ヴァーミリオン。



「あの……お嬢様」



 気まずそうに声を掛けるのは、幼少の頃よりスカーレットに仕える侍女アメシスト。今日も自身の婚約者が妹と仲睦まじくしている様子を目にして心を痛める主にアメシストの胸がキシリと痛む。そして、その元凶である二人に果てのない憎悪が募る。

 アメシストの声に反応することもなく、スカーレットはぼんやりとその光景を見続ける。


 炎のように燃える赤い髪と瞳のスカーレットと青緑の髪と空色の瞳のラリマー。二人は二卵性双生児。スカーレットは父親、ラリマーは母親に似た。昔から、母親に似たラリマーは両親に溺愛されて育った。対して、双子でも先に生まれた姉だからとスカーレットは厳しく躾けられた。ヴァーミリオン伯爵家に相応しい令嬢となるべく、まだまだ親に甘えていたい年頃からスカーレットには何時間もの勉強が義務付けられた。

 最初は家庭教師の勉強が厳しい、自由な時間が少なく親に甘えていたいと泣いたスカーレットを両親は叱責した。


 “長女の自覚がない”

 “ヴァーミリオン家の令嬢として振る舞え”

 “この程度の簡単な問題も分からないのか”

 “スカーレット! いつまでサボっているの!”


 スカーレットへ両親が向ける言葉は何れも娘としてでなく、ヴァーミリオン家の令嬢としての言葉しかなかった。時に体調を崩して熱を出しても、両親からの重圧に耐えきれず精神を擦り減らしても、両親がスカーレットを心配することは18年経った現在もない。

 対して、片割れのラリマーはスカーレットとは全く正反対だった。転んで泣いただけで両親は顔を真っ青にして駆け付け、夜寂しくて眠れなくなれば母親はラリマーが眠るまで子守唄を歌い、家庭教師との勉強でもスカーレットが満点を取っても当然と褒めないのに、ラリマーにはスカーレットの半分の点数が取れなくてもよく頑張ったと頭を撫でて褒める。


 最初の頃はスカーレットも欲しかった。ラリマーに向けられている両親からの愛情を。だが、既にそんな願望はない。何をしてもスカーレットは出来て当たり前、寧ろ、出来なければ何時間と時間をかけて説教があるのに、ラリマーには何もない。だからスカーレットは、早い内から諦めていた。両親からの愛を。彼等が自分に求めるのはヴァーミリオン伯爵家に相応しい令嬢。


 だからだろう。



「スカーレットお嬢様」

「……なあに」

「お嬢様の好きなホットミルクを淹れましょうか?」

「あら、どうして?」

「……お嬢様のご気分が少しでも楽になるように」

「ありがとう。システィ」



 アメシストをシスティと愛称を付けて呼ぶのは、スカーレットが彼女を一番に信用しているから。そして、アメシスト以外にスカーレットが心の底から信頼している者はいない。一礼して部屋を出て行ったアメシストがいなくなるとスカーレットは窓から離れ、ベッドに腰掛けた。すると、控え目なノックがされた。どうぞ、と声を掛けると()()()()()()()()()()()が入ってきた。

 スカーレットは立ち上がると礼をした。



「スカーレット……」

「どうなさいました?()()()()

「っ……」



 何時しか、スカーレットは両親をお父様お母様と呼ばなくなった。お父様はヴァーミリオン伯爵、又は伯爵に。お母様はヴァーミリオン伯爵夫人、又は夫人。と呼ぶようになった。伯爵夫人と呼ばれた母親のアレイトの表情は、一礼して頭を下げたスカーレットには見えなかった。



「……いいえ、何でもないわ。邪魔をしたわね」



 そう言うとアレイトは部屋を出て行った。

 一体、何をしに、何を言いに来たのか。母と娘として、一度も接して来なかったスカーレットには分からなかった。


 スカーレットの伯爵と伯爵夫人呼びは、飽くまでも邸内だけでの呼称だった。第三者や公の場ではきちんと()()()()()()と呼んだ。だが、邸内に戻ればまた同じ。


 初めてスカーレットが両親を伯爵と伯爵夫人と呼んだ時の二人の反応は見るに耐えなかった。その時のことを思い出しスカーレットはクスリと笑んだ。そして、どうしようもない空虚が胸に広がる。スカーレットに愛情をくれる親は何処にもいない。いるのは、実の娘なのに伯爵家の完璧な令嬢しか求めない両親。片割れしか愛さない両親。


 だからこそ、スカーレットは期待してしまった。


 婚約者なら……アシェリートなら、自分を見てくれると。貴族の政略結婚に愛が芽生えることは稀にしかない。それでも、家族として愛していける筈だと思った。アシェリートに一目惚れしたスカーレットは期待した。……けれど、初めて好きになった男性もまた両親に愛される片割れを好きになった。

 アシェリートの綺麗な、誰をも魅了する紫水晶の瞳に映るのは何時だって片割れのラリマー。彼はスカーレットが隣にいても、瞳に映すのはラリマーだけだった。



「……」



 スカーレットはもう一度、窓越しから庭を見た。

 そこにいた筈の男女の姿は、もうなかった。


 コンコンコン。


 ノックが三回。これは、アメシストだけがするノック。どうぞ、と声を掛けた。



「失礼致します」



 相手はやはりアメシスト。アメシストは一礼すると両手に持つトレイを室内のテーブルに置いた。



「スカーレットお嬢様の好きなハニーホットミルクです」

「ありがとう」



 マグカップ一杯に対し、入れるハチミツの量はスプーンで大さじ二杯。スカーレットが好きなハニーホットミルク。これを知るのはスカーレット本人とアメシストだけ。他は誰も知らない。娘のことなら、何でも知っておかなければならない両親でさえも。また、片割れのラリマーも。



「ねえ、システィ」

「はい」

「私が前に言ったこと覚えてる?」

「はい」

「システィは反対しないの?」

「それがお嬢様の意思なら」

「システィの意見はないの?」

「……本音を言いますとお嬢様には、自由になってほしいのです。ここにいては、お嬢様はいつか壊れてしまいます。わたしは、それが何よりも怖いのです。お嬢様には自由に生きてほしいのです」

「ありがとう。……でも、貴女まで付き合う必要はないのよ? システィは私の専属侍女だけど、雇い主は伯爵よ?」

「いいえ。わたしの主はお嬢様です。それに、かなり稼がせて頂きました」

「そう」

「はい。わたしは、お嬢様に何処までもお供します」



 アメシストの強い意思を持った眼差しがスカーレットを見つめる。スカーレットはハニーホットミルクを一口飲み、その美味しさに頬を緩めた。



「ありがとう……システィが私の侍女で良かった」

「わたしも、お嬢様にお仕え出来て良かったです」



 それはこれからも――。

 そう言おうとしたアメシストの声を遮るように扉がノックされた。基本、スカーレットの部屋へ来るのはアメシストだけ。先程のアレイトは例外中の例外である。相手の予想が出来ない。アメシストが出るといたのはラリマーとアシェリートだった。



「お姉様! アシェリート様が来て下さっているのに挨拶もないなんて酷いですわ! 婚約者の自覚がありますの?」



 それ以前にスカーレットは、今日アシェリートが訪ねて来ることさえ知らなかった。

 大方の見当はついている。ラリマーに会いに来たのだろう。婚約者ではなく、婚約者の妹に恋をしているのだから。


 入室のマナーを無視し、アメシストを押し退けてずかずかと入ったラリマーはスカーレットに詰め寄る。吐き出しそうになる溜め息をぐっと堪え、痛む頭にスカーレットはアシェリートを見、頭を下げた。



「申し訳ありません。アシェリート様。何も聞いていなかったので。ですが、先に婚約者ではなく、婚約者の妹と会うのは如何なものかと?」

「スカーレットに会いに来たら、最初に会ったのがラリマーだったんだ。未来の義妹になるんだ。今の内に仲良くして何か問題があるか?」

「いいえ。御座いません。それで、何のご用でしょうか?」

「……用が無ければ来てはいけないのか?」

「貴方は私に一切用はないでしょう?」

「お姉様っ、そんな言い方っ」

「用がないのならお引き取りを。私は、ラリマーと違って暇ではないので」

「なっ」



 あんまりな言い草にラリマーは言葉を失う。スカーレットのラリマーに対する当たりが年々キツくなっていくのを感じていたアシェリートが顔を顰めた。



「スカーレット。実の妹に対しての言い方ではないな」

「事実です。それより、アシェリート様。一体、どういったご用件で訪問されたのでしょう?」

「……何度も同じことを言わせるな」

「そうですわね。貴方は私に会いに来たという口実を作ってラリマーに会いに来ているのですから」



 スカーレットの放った言葉にアシェリートの表情が分かり易い程に歪んだ。ラリマーはスカーレットを非難するも、その顔は満更でもないといった様子だった。

 もう、アシェリートもラリマーも見たくない。スカーレットは「お引き取りを。アシェリート様」とラリマーにアシェリートを見送るよう告げた。



「スカーレットっ」

「お引き取りを。……出て行かないのであれば、私が出て行きますわ」

「スカーレット!」

「お姉様!」



 二人の制止の声を無視し、スカーレットは部屋を出た。

 早足で向かうのは裏庭。屋敷の者は誰も来ない此処は、スカーレットが唯一心安らぐ場所だった。……が、それを邪魔する者がスカーレットを追い掛けて来た。



「待て、スカーレット」

「あら? 何故追って来るのです? 貴方の大好きなラリマーといれば宜しいのではなくて?」

「お前は何か勘違いをしていないか? 俺はラリマーをどうとも思っていない」

「お戯れを。皆、知っていますよ? 貴方がラリマーを好いていることくらい。そしてラリマーも貴方を好いている。お似合いでは御座いませんか。両想いの二人の仲を引き裂く私は、さしずめ悪役令嬢といったところかしら」

「スカーレットっ、自分を卑下するな」

「してはおりませんわ。私はもう決めましたの。ああ、丁度良いですわ。アシェリート様。我が伯爵家からでは出来ませんので、貴方から私との婚約を破棄するよう進言しては下さらない?」

「なっ」



 突然過ぎるスカーレットの要求にアシェリートは瞠目する。言葉を失うアシェリートに構わず、スカーレットは話し続けた。



「きっと、子供思いな公爵様なら了承して下さいますわ。アシェリート様も愛する女性と一緒になれて万々歳ではなくて」

「何を言っているのか分かっているのか」

「伊達に教育は受けていませんわ。大丈夫です。きっと、貴方も私も幸せになれます。貴方は心の底から愛する女性と結婚出来て、ヴァーミリオン伯爵と夫人も愛する娘の幸せな姿を見られて幸せ。そして、私も幸せです」

「幸せ?」

「ええ。私も()()()()()と一緒になれるのですから」



 きっと、この時にきちんと説明したら良かったのだ。

 スカーレットの口にした愛する()()が何なのかを。


 スカーレットの告白に茫然とするアシェリートの顔色は、真っ青を通り越して真っ白に染まっていた。どうしたのだろう?とスカーレットは素で首を傾げるも、それはアシェリートを追い掛けてきたラリマーの登場にすぐに消えた。

 アシェリートとスカーレット。二人の異様さに気付いたラリマーが心配そうに見つめてくる視線が鬱陶しい。ラリマーにアシェリートを頼み、スカーレットはその場を後にした。



 ――十日後の夜。

 屋敷の裏から外へ逃げたスカーレットは、目立つ赤髪を隠し夜道を歩く。

 向かう先は、ずっと前から手配していた馬車。


 明日の朝になれば、屋敷は騒然となるだろう。スカーレットは、18年育った屋敷から、国から出ていくことに何の躊躇いもなかった。両親に愛されないと悟った瞬間から、アシェリートに愛されないと自覚した瞬間から、ずっと準備をしていた。

 この国の貴族は魔力を持つ者が多い。特に王族や公爵にもなれば、強大な魔法を扱える者が多くなる。アシェリートもその一人。だからこそ、伯爵家に生まれながらも王族にも引けを取らない膨大な魔力量と魔法の才能があるスカーレットが婚約者に選ばれた。オルグレン公爵家は、初代国王の弟が初代公爵となった家柄。何度か、王族の姫君や王位継承権を持たない王子がオルグレン公爵家の子と結ばれている為、貴族の中で唯一王族の血を持つ。


 スカーレットは、待たせていた御者に先払いとしてお金を渡して馬車に乗り込んだ。スカーレットが乗ったのを確認すると馬車は動き出した。


 スカーレットは、私室に伯爵家の令嬢を18年間育てるのに必要な分と勝手に家を抜け出した詫びに10年以上密かに稼ぎ続けたお金を置いて行った。また、除籍を求める離縁状も置いた。あとは、父親であるヴァーミリオン伯爵の判が押されればスカーレットはただのスカーレットとなる。要は平民となる。そして、アシェリートには個人で手紙を出した。これも明日の朝届く。内容は至極シンプルにした。


 “ラリマーと結ばれてどうぞお幸せに”


 たったそれだけ。



「……馬鹿ねえ」



 分かっていたのに。

 何時だって、愛されるのは妹のラリマーだけ。自分はただのオマケ。

 ポタポタと質素な黒いワンピースに染みが広がっていく。スカーレットが落とした涙を布が吸収していく。

 それでも、好きだった。……否、好きなのだ。今でも。



「きっと私は、貴方以外の人を好きになれない」



 きっと、屋敷に居続けたら、自分とアシェリートは夫婦になれただろう。だが、愛する夫が他の女性を愛している姿等誰が見たいと思うか。

 スカーレットは、自分が思うよりも執着心が強い。だから、専属侍女であるアメシストが自分に付いて来てくれると言った時は酷く安堵した。アメシストは計画実行の九日前にスカーレットの侍女を辞めて、実家へ帰った。表向きは、病の弟の病状が悪くなり、一刻の猶予もなくなった為。事実は、一足先にスカーレットが行く国へ行き家の準備をする為。アメシストには、確かに弟がいる。病の弟が。しかし、その病はスカーレットが一年前発見した治癒術によって治った。なので、今アメシストの弟は通常の人以上に健康で頑丈な体を手に入れてアメシストと共にスカーレットの到着を待っている。


 育った街から、どんどんと離れていく。



「さようなら」



 誰に向けた訳でもない別れの言葉をスカーレットは紡いだ。


 これからスカーレットが手に入れるのは、ずっと渇望していた――



 愛する自由(もの)


 それを手にした瞬間から、スカーレットは幸福に満たされる。



 ――だからこそ、スカーレットは気付かなかった。

 自分が消えたことで絶望のどん底に叩き落とされる人間が何人もいることに……。

 その中に、彼女がこれからも愛し続ける婚約者がいることにも……。







スカーレットだけが最後に自由という名の幸せを手に入れました。

後は……ご想像にお任せします(笑)


※2019.07.21 婚約者視点の続編を更新しました。

https://ncode.syosetu.com/n4159fq/


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― 新着の感想 ―
[一言] 追加された、婚約者側視点(情報補完)と併せてよめば理解できますわ。ここまでこじれれば、逃げるのも納得 うん……だけど、がどうしても付くけどね お互い踏み込まなかったのが悪いし、婚約者の馬鹿…
2019/07/26 15:23 通りすがり
[一言] もう片方の方も見ました。そして、無性に腹が立ちました。こんな焦れったい恋があって良いのでしょうか。鈍感と勘違いを通り越してもう悲劇ですよ。今すぐハッピーエンドにしたいくらいです。そう思うと、…
[一言] 育てたように育つものである。 多分、間違っているのは主人公なんだろう。周囲は愛を与えているつもりだったと思う。 けど、それを受け取れないような与えかたしていたら取りこぼす。 あくまで主人…
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