運命の出会いは突然に。
「……はぁ〜ん……運命!」
金髪の青い瞳をした美少女が口を手で抑えながら悶えている。
「えっと……失礼します」
取り敢えず礼をしながら扉を閉めて、後ろ手に鍵を掛ける。
それから数秒後に聞こえてきたのは何度も扉を叩いているのだろう打撃音と、アニメキャラもかくやという程の可愛らしい声。
まるでホラー映画のような状況だけれど、本人なりに気を使っているのか叩く強さは控えめで声も落とされている。
しかしこのアパートは築五十年を超えたベテラン勢であり、きっと、というか恐らく下の階の人にも聞こえていると思われる。
……いや、流石にないか?
「……それにしても……これどうするよ……?」
「私を入れてくださればいいんですよ!」
「……それがやなんだよぉ」
扉に背を預けながらズルズルと擦り付けて玄関に腰を落とす。
ズボンが汚くなるがこの際どうでもいい。
今は扉の向こう側から掛けられる「そんな事ないですよ!」という声に対する返事を考えなければならない。
無視して奥に入れば楽なんだろうけれど、流石にそこまでやるのは可哀想だし、俺の精神的にも辛いものがある。
「……どうして、こうなったんだろうな」
必死に掛けてくる声をBGMにしながら脳裏を過ぎるのは、つい昨日の出来事。
高校に入って初めての夏休み、その初日に意気揚々と新作ノベルゲームの発売日であった為に電気屋に行き、予約しておいた商品を開店直後に購入して帰宅の途についた時のこと。
今にして思えばゾッと背筋が凍るような寒気が起こるし、あの時にした選択は後悔していないが、それにしてもこんな事になるなんて予想していなかった。
というよりも、予想できる奴なんているのだろうか?
時は前日まで遡る……
「おーれはしんじ〜! とーんちーきち〜!」
夏休み初日、三ヶ月前から予約しておいたゲームの購入、ガチャで神引きした昨日……というか今日の朝が明ける前の事件。
その他諸々の要因もあって俺のテンションは最高潮に達していると言って過言ではない。
こうやって家までの帰り道を歩く足取りにもそれが現れているのだろう。歌う声に合わせて勝手に足がリズムを刻み出すのだ。
周りからの視線なんてなんのその、緩やかな坂道をコケないように気をつけながら大股歩きで進んでいく。
時折顔見知りとなった個人店の人と挨拶しながら長い長い坂道を下っていくと、かなり人通りの多い道という事もあって非常に混んでいる踏切が見えてきた。
坂道の終わりにある踏切はかなり長く待たなきゃいけなくて、付け加えて言えば快速が何本も通っているからくっそ速い電車が通り過ぎていくのだ。
間近で見ていると未だにヒヤヒヤするが、恐らく今の俺なら何処吹く風と優雅に見ていられるのだろうな。
ほら、もう目の前に件の踏切が……は?
「っ! うっそだろい!」
坂道ということも忘れて走り出す。
手に持っていた袋が邪魔だったから適当にぶん投げて兎に角全力で突き進む。
踏切を待ってる人達は全員が線路を見て口々に何かを言っているが、今の俺にはそんなことどうでも良かった。
「てめぇらどけ!」
人混みを掻き分けて進めば迷惑そうに俺を見る大人達の視線。
そんな視線を向けてくるぐらいなら先にやるべき事があるだろ!
怒鳴り散らしてやりたいが、そんな事をする時間が無いことは俺が一番分かってる。
「おい! 大丈夫かあんた!」
「……?」
棒をジャンプして飛び越えて線路の中に躍り出る。
カンカン鳴る耳障りな音が五月蝿いが電車の姿は見えない……が、安心なんて出来ない。
この踏切は先がカーブになっていて、いきなり電車が出てくるのだ。
だから兎に角早く線路で右往左往しているこの人を外に出さないといけない。
「何やってんだよ! 早くでるぞ!」
つい口が悪くなるのは勘弁してくれ。
今はそんな場合じゃないんだ。
「…………! ………………!」
「何言ってっか分かんね……これか!」
立ち止まってた人はやっぱり見た目通りの外国人の人だった。
英語だと思うけど何を言っているのかさっぱり分からんが、ジェスチャーで何となく言いたいことが分かった。
多分だけどこの人が持ってるスーツケースのタイヤが溝に嵌ってる。
「きたぞ!」
その声が聞こえた瞬間に微かに汽笛みたいな音が聞こえてきた。
不味い、これは不味い! どうにかしないといけないけどもう……あ〜もう! 知るか!
「ソーリー!」
「……? ………!?」
火事場の馬鹿力と言うやつだろうか?
思いっきりスーツケースに付けられた取手を引っ張れば勢いよく溝から外れて、反動で体が浮きそうになる。
それを何とか堪えてこの女の人の尻の辺りに腕をやって持ち上げた。
柔らかい感触に頭が沸騰しそうになるが、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
後で通報されるかもしれない、罵倒されるかもしれない、だけど……こんな事で目の前で人が死ぬ所を黙って見れる訳ないだろ!
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
魂から叫び声を出して走る。
横目で電車が来てるのは分かった。
だけどどうにか間に合う為に全速力で走り抜ける。
大丈夫、絶対に救ってみせる。
俺はヒーローじゃないけど……一人くらいの命なら絶対に助けられる筈だから!
もうすぐ向こうの道路までを塞いでいる棒に辿り着く。
そこになって漸くもうそこまで迫っている電車の存在に気付いた。
「っ……?」
線路内で右往左往していた外国人の少女は頭を抑えながら呻き声を上げて体を起こす。
少女は急に現れた人がお尻を触ってきたかと思ったらいきなり体が浮いて、訳も分からない間に投げ飛ばされたまでは覚えていた。
その後にコンクリートに後頭部を打ち付けた少女は目の前に星が舞い、数秒間意識が途絶したが直ぐに目が覚めるとこうして体を起こした。
周りには心配そうに声を掛けている人々がいるが、少女の関心は己を助けてくれたのだろう誰かに向いていた。
いきなりの事で顔はよく覚えていないが、自分と同じかそれよりも少し高いくらいの身長だったことは分かっていた。
だから体を起こしてその姿を探そうとする少女だったが、ガヤガヤと五月蝿く同時に叫び声も上がっている方向に気を取られて目を移す。
そこは線路側の方らしく、少女を轢こうとしていた電車は途中で停車し、その前に人混みが出来て中が見えない。
「……!」
もしかしたらあの中にいるかもしれない。
少女は漠然とだが、何故か確信を抱いて声を掛けて中に入れてもらう。
少女が話す言葉は外国語だったが、先程まで線路にいた少女であることは分かっていた為に人混みは二つに別れていく。
感謝を告げながらその中に飛び込んだ少女の瞳に映し出されたのは、右足が有り得ない方向に曲がって地面に倒れ込む少年の姿だった。
気を失っているのだろう、ピクリとも動かないがそれは幸いだったのかもしれない。
電車が来た方向、左側から直接当たったのだろう左足はぐちゃぐちゃに潰れて血だらけであった。
「っ……! うっぷ!」
少女はその光景を見て胃の中の物を吐き出すと極度の緊張を抱いていたのか、目からは光が失われて少年同様に地面にうつ伏せで倒れた。
少女の最後の薄れゆく意識が捉えたのは周囲の悲鳴と、倒れた際に頭の横に来た手が少年の手に重ねられた瞬間と、何故か安堵の様な表情を浮かべている少年の顔だった。
「そう……良いぞ、その調子だ。この分ならきっと数ヶ月後には元のように歩けるだろう」
「へ、へへ……ありがとうございます、先生」
横に立って俺を励ましてくれているまだ若そうな女の先生が気持ちの良い笑顔で言った。
まだ足が震えて覚束無い足取りのせいで歩みが遅く、手摺がないと満足に歩くことの出来ない俺は結構というか、かなり遅いと思うが全く気にせずに隣を着いてきてくれる先生は絶対に良い人だと思う。
「はい、ここまで来れたな。これで規定数が終わったので車椅子に座って良いぞ?」
「いえ……歩いて帰ります。早くこの足を治したいですから」
「……ふぅ、全く。無茶し過ぎも足に毒だ。休む時は休む、それが一番早い完治への道だぞ?」
「……すみません、焦ってたみたいです」
確かに、今の俺はかなり自分でも焦りで余裕が持ててなかった気がする。
素直に謝りながら車椅子に座れば、先生が微笑んで後ろに周り取手を握ったのだろう、勝手に車椅子が動き始めた。
「……あれから三ヶ月か」
踏切事故の日から今日で丁度三ヶ月。
色々とあったらしいが、俺が目を覚ました時に見えたのは泣きじゃくる家族の姿と、包帯で雁字搦めになった俺の両足。
右足も酷かったらしいが左足はもっと重症で、あと少しやばければ切断とか言われた時は心臓が止まりそうになったけど、手術が良い感じに進んで難は逃れたらしい。
だけど確実に後遺症は出るようで、具体的に言えば足の痙攣とか走ることが出来なくなるかもしれないとか。
スポーツとかは以ての外だとも言われたが、俺は元々インドア派なので特に問題は無い。
……何も感じないと言えば嘘になるけれど、そんな事を愚痴ったって何も解決しないばかりか心配を掛けるだけだ。
寧ろこれから体育を休む口実が出来たと笑顔で皆に言ったら、全員が複雑そうな表情で俺を見てくる。
そんな顔を見ていたら……何故か必死に塞き止めようとしていた涙が溢れてきた。
必死に拭っても次から次に出てくるばかりで寧ろ量は増えていった。
それと共に出てくるのは嗚咽で、もうすぐ高校生になるのに恥ずかしいったらありゃしない。
だからそんな俺を全員で抱き締めないでくれ、あの時の俺は泣きながらそんな事を考えていたと思う。
「でも、本当にここまで回復するのは奇跡よ? 本当は絶望的だったけど、たった三ヶ月でここまで歩けるようになったのは真司君が凄かったからよ? 本当にあの時の足はぐちゃぐちゃで原型無かったんだから」
「あ、あはは……まぁ、今も酷いもんですけどね……あの時はこれ以上に酷かったのか……」
包帯が取れた左足は事故の跡か、右足と比べて染みが酷かったり部分部分の形がおかしかったりはするが、しっかりと足の形状を保てていてぐちゃぐちゃと言われる見た目はしていない。
正直どんな形をしてたのか気になりはするが、恐らく見たらヤバそうなので絶対に見ない。
その代わりとして心にハッキリと刻み込まれたのは俺を手術した医師の天才的な腕と、絶対に忘れないであろう感謝だった。
「これから昼食があるが、病気という訳じゃないからな。食べるのは病院食になるが他に食いたい物があれば言っていいぞ? 特別に私が奢ってやろう」
「え!? いいんすか!? じゃああれ食いたいっす! 塩にぎり!」
「塩にぎり? 具材は無くていいのか?」
「良いんすよ! 俺好きなんです! 塩にぎり!」
周りの奴等は塩だけじゃ味気ないなんて言うが塩にぎりはめっちゃ上手い。
確かに具材があると上手いが、塩にぎりには塩にぎりにしかない旨みというのがあるのだ。
それを皆分かっていないのだ。
「はいはい、じゃあ部屋に戻ったら買いに行って……あ〜、少しタイミング悪かったかも」
「へ? どうしたんす……か……ん?」
突然車椅子が止まった。
何が起こったのか分からないから取り敢えず辺りを見回してみようと首を動かしたが、それは直ぐ目の前にあった。
目の前とは言っても数十メートル離れている廊下の突き当たりで、角から曲がってきたのだろう少女が固まり此方を見ている姿があった。
他にも沢山の人がいるにも関わらず、何故か俺の視線はその少女をロックオンして離さない。
何処かで見た事がある気がする。
脳裏にチラつくその影を掴み取れたのは、少女がいきなり走り出して近寄ってきた時だった。
「あ! あの時の!」
金色の綺麗な髪はあの時よりも長い気がする、腰よりも長く伸びていて短いスカートの後ろからチラチラと覗き見えている。
美少女といって差し支えない、寧ろ美少女という言葉は少女の為にあるのではないかと確信できる双眸は儚げで、近くに来れば来るほど両眼にある青い瞳が潤んでいるのが分かった。
距離およそ三メートルといった所まで来た時、声を掛けようとした俺の行動よりも一足早く、少女がその小さな口を開いた。
「私の王子様ぁ!」
「は?……あぁ!」
少女は走ってきた勢い任せて俺に抱きついてきた。
その拍子に色々と柔らかい感触がして頭が沸騰しそうになるが、次の瞬間に左足に激痛が走った事で俺の視界は白くなっていった。
あぁ、神様。どうかこれが夢でありますように。
事故の時の記憶はよく覚えていない為に、覚えている範囲で人生最高に痛い経験が訪れた。
気絶とはこういう時に使うのか。
失っていく意識の中で最後に出てきたのはそんな言葉だった。